6 / 10
6、それは、生きていくための手段だもの
しおりを挟む三年目の十二月十七日、水曜日の夜のことは忘れられそうにない。
昼過ぎから降り始めた大雪が、東京を真っ白に覆ってしまった。
いつもより少し遅く、午後七時ごろ、二十二歳の窪田拓斗は、二十六歳のわたしが待つガーデンスイートにやってきた。
部屋にはしっかりと暖房が効いていたが、彼はモンクレールの黒いダウンコートやわたしがプレゼントしたラルフローレンの手袋を脱ごうともせず、ベッドの上でうつ伏せに寝転がって、じっと動かなくなった。
「なにかあったの?」
とわたしは訊ねた。
「なんでもありません」
と彼は答えた。
わたしは冷蔵庫からサンペルグリーノの炭酸水を出して、モナンの苺シロップ割りを作ってあげた。それは、彼のお気に入りだった。
「仕事のこと?」
「イブの夜、一緒に過ごせなくなりました」
そう言って、彼はやっとコートと手袋を脱ぎ、グラスを口にした。
「仕事なら仕方ないわ」
「仕事なんかじゃない」
彼は、空になったグラスをナイトスタンドの横に乱暴に置いた。
…ガラス窓の向こう側は、ひどい吹雪になっていた。
「社長から、久しぶりに声がかかったんです」
と彼は告白した。
「事務所のパーティー?」
とわたしは聞いた。
悲しげな目を閉じて、彼は首を横に振った。
「十四歳の夏、博多のキャナルシティでスカウトされてこの世界に入りました。それ以来、ぼくは社長の愛人(ラ・マン)の一人なんです。あのひとは少年が好きだから、指名される回数はだんだん減ったんだけど…断れない自分が情けなくて」
わたしは、三年前に会ったきりのハンサムで清潔感のある老人の顔を思い浮かべた。
…サンデー・コミュニケーション株式会社
代表取締役社長 サンデー湯河
「全然、情けなくないわ。それは、生きていくための手段だもの。そうやって、あなたは今の自分を手に入れた。何かを得たら何かを失う…人生なんて、そういうものよ」
とわたしは言った。
「ぼくを軽蔑しませんか?」
「そんな、まさか…拓斗くんは、わたしが知っている誰よりも頑張っているし、世の中から必要とされている。心から尊敬しているわ。誰にも言えないけれど、あなたはわたしの誇りなのよ」
「社長から呼ばれる度、ぼくは本気で死にたくなります。以前は、マリファナの力を借りて、なんとか我慢できてたけど、近ごろは…いつだって、もえぎさんのことが頭に浮かんでしまって…なんだか、ひどい裏切りをしてるみたい
で…窒息しそうなんです」
「ありがとう。そんなふうに思ってくれて…嬉しいわ。でも、忘れないで。わたしも社長に雇われている身なのよ」
「そうでした…そもそも、もえぎさんはお金のために…ぼくと…」
…本当はそうじゃないのよ、とわたしは心が破れてしまいそうだった。けれども、それではすべてが矛盾してしまう。
「大晦日は会えるのかしら?」
無理に明るく、わたしは訊ねた。
「今年は、紅白歌合戦にゲスト出演するんです。もえぎさんの席も用意できるから、ぜひNHKホールへ見に来てください」
わたしの気持ちを察してか、彼も明るく答えてくれた。
0
あなたにおすすめの小説
白椿の咲く日~遠い日の約束
紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに姉の稚子(わかこ)と会う。真由子の母、雪江は妻を亡くした水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。当時、実之には俊之、稚子、靖之の三人の子がいた。
稚子と話をしているうちに真由子は、庭の白椿の木は子どもの頃なついていた兄、靖之が植えたものだと知る。
白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
俺に抱かれる覚悟をしろ〜俺様御曹司の溺愛
ラヴ KAZU
恋愛
みゆは付き合う度に騙されて男性不信になり
もう絶対に男性の言葉は信じないと決心した。
そんなある日会社の休憩室で一人の男性と出会う
これが桂木廉也との出会いである。
廉也はみゆに信じられない程の愛情を注ぐ。
みゆは一瞬にして廉也と恋に落ちたが同じ過ちを犯してはいけないと廉也と距離を取ろうとする。
以前愛した御曹司龍司との別れ、それは会社役員に結婚を反対された為だった。
二人の恋の行方は……
甘い束縛
はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。
※小説家なろうサイト様にも載せています。
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる