作家きどりと抽象的な真如

野洲たか

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9、わたしは物語の力を信じている。

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 雪が止んで、ひどい寒さは緩んだ。
 地面は濡れて汚らしかったが、空気は綺麗に澄んでいて、呼吸がしやすい。
 青白い、奇妙な夜空だった。
 わたしたちの頭上には、黄色い三日月と大きな鼓星があった。
 心中するには、悪くない晩のように思われた。
 夜蕎麦売りの屋台は、龍加賀団地前のバス停のすぐ近くに出ていた。
 赤ら顔のすっかり禿げあがった爺やが、やけに威勢良く、ひとりで切り盛りしている。
 客は、わたしと女の二人きりだった。
 品書きはひとつだけ。
 牛蒡と蓮根のかき揚げが、温かいぶっかけに乗せられてくる。
 安物の熱燗と合って、文句無しにうまかった。
 加減なく、飲んだ。
 最後の晩餐だった。
「薬を飲むから水をくれ」
 そろそろだろうと思って、ラジオの歌謡曲に聴き入っている爺やに声をかける。
 それから、持っていただけのハーデス錠を均等に分けて、
「これで充分の量だ。半時間ほどで眠くなるから」
 とわたしは言った。
 苦しまず、死ねる。
「何から何まで、お世話をかけます」
 と女がお辞儀した。
 まず、わたしが先に飲む。
 錠剤が大きくて、のどに詰まる感じがした。
 それから、女が飲んだ。
 一度では無理だったので、三度に分けていた。
 胸の奥が熱くなって、涙が滲んだ。
 なんだか嬉しそうに、女が見ているではないか。
 わたしも笑顔で、うんうん、と頷いた。
 ひと息ついて、
「勘定を」
 とわたしは席を立った。
「ご馳走さま。美味しかったわ」
 と女も続いた。
「へい、よいお年を」
 と爺やが元気に返事をしてくれた。
 戻り道、二人で手をつないだ。



 ここで、わたしは小説を終いまで書き上げることが出来なかったと原稿用紙に記し、読者に白状する。
 こんな結末が許されるはずがないのだから。
 Nevermore。
 欧米の最も有名な脚本解析の大家は、ジョナサン・E・ヒントン氏である。
 二時間の劇場映画の脚本は、大抵、百二十ページあり、一ページあたりが一分間に相当する。ヒントン氏は、その百二十ページを均等に二十ページごと、六幕に分解して分析する。そしてさらに、その二十ページを均等に四ページごと、五幕に分解して分析するのだ。
 そうすることで、理論上、脚本家は創造の航海で難破することなく、カタツムリのような進み方であるが、精密な地図に従って、目的地へ無事に辿り着けるはずなのである。
 改めて、わたしはヒントン氏を否定する。
 如何なる解析も頼りにならないのだと。
  
 執筆とは、哲学的、心理学的、宗教学的な問いかけである。
 わたしは人生をどう捉えているのか?
 わたしの心は何を求めているのか?
 わたしの魂は救われるだろうか?
 主題を明確に、
 とヒントン氏は常に強調するのだが。
 所詮、作家きどりのわたしには抽象的な真如しか描けない。
 だが、それは嘘の無い真如なのだ。
 或いは、わたしは一本の木である。
 そして、物語はその影。
 ひかりの当たり方次第で姿を変える。
 伸びたり、縮んだり、
 消えたりもする。
 運が良ければ、
 本当に運が良ければ、
 わたしの木と並んで、あなたの木がある。
 あなたの影が、わたしの影と重なることもあろう。
 わたしたちの境界が無くなるわけだ。
 わたしは物語の力を信じている。
 さて、勇気を出して、書き続けてみるとしようか。



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