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6、未知へ挑戦する勇気、とでもいうのかしら?
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寝室の大きな窓からは、荘厳な朝陽が差しこむ。
早起きして、珈琲だけ飲みながら、真瑠斗くんはパソコンを開いた。しかし、昼過ぎまで画面を睨んだだけで、一行たりと書けなかった。肩に力が入りすぎていた。
「おまえの荷物を引き取りにきてくれ」
スマホが鳴って、山形シゲキからいきなりそう言われた。
先日の電話で、家賃も電気代もガス代も水道代も払わないと伝えたのだが、シゲキからこんなふうに追い出されるとは予想していなかった。(だいたい、誰のせいでアパートに住めなくなったというのだ!)
シャワーを浴びて支度して、猛烈な暑さの中、最寄り駅まで十五分も歩き、地下鉄を乗り継いで三十分、自宅アパートへと向かった。ブラックのVISAカードでタクシー代くらい簡単に払えたけれど、そうはしたくない気分だった。
「段ボールへ詰めておいたよ。おまえ、持ちものが本当に少ないな。たった三つにおさまった。マットレスや布団はリビングに出してある。捨てるなら捨ててやるけど」
「いくらなんでも、手際が良すぎないか」
むっとして、真瑠斗くんはシゲキをにらんだ。
シゲキの後ろから、青森街子さんが姿をあらわした。
はじめて見るピンクのワンピースを着ている。
透明感があって、相変わらず可憐だった。
「ここに引っ越すの。真瑠斗が出ていくって聞いたから」
なんの罪悪感もない感じで、彼女が言った。
「ぼくの部屋に?」
「そう。シゲキくんが家賃を払ってくれるって」
「そうなのか?」
真瑠斗くんは、シゲキを見た。
きまり悪そうに、シゲキが頷く。
折り畳みの簡易ベッドが置かれてある。もう彼女は寝泊まりしているのだ。
「おまえ、服装の印象が変わったな。シンプルだけど、それって、すごい高級品だろう」
シゲキは真瑠斗くんの変化に気付いていた。
「前から持ってる安物だよ」
そういうことにしておいた。事情を話したって、信じてもらえるわけがない。
「実家に帰るのか?」
シゲキが聞いた。
「うん、そうする」
仕方なく、そう嘘をついた。
「小説家、あきらめるなよ。豆腐屋をやりながらでも、休日なら書けるだろう。親の喫茶店を継いでも、おれはロックを止めないつもりだ」
「もう、友だちのフリをするのはやめてくれ」
「真瑠斗…」
「おまえは信用できない」
さっさと段ボールの中身を確認して、そこに自分の人生に必要なものがひとつもないことを知った。これまで大切だと思っていたもの、それさえもがどうでも良いものに感じられた。
「ぜんぶ捨てておいてくれ。マットレスや布団と一緒に」
真瑠斗くんは言った。
「なんだか、おれも捨てられた気分だ」
シゲキがそう答えた。
「ふたりとも仲直りして」
街子さんが見かねてはいった。
「シゲキは止めておいたほうがいいです。こんな嘘つきな男。友だちを平気で裏切るような人間だから」
そう言ってから、真瑠斗くんは涙ぐんだ。
つらそうな顔のシゲキの手をつないで、街子さんがこう言った。
「シゲキくんはね、謙虚だわ。誰に対しても公平なの。でも、真瑠斗はね、物腰は穏やかだけど、実際は違う。他の人間より自分が優れていると思っている。特別な人間だと信じている。そんなふうに思うのって、不公平じゃない?そんなふうに思うのって、そばにいる人を不幸せにするんじゃないかしら」
*
その日、昼も夜も食事しなかった。
真瑠斗くんは、水しか飲まなかった。
ホテルの部屋に戻って、灯りも点けず、シャワーも浴びず、着替えもせず、ベッドの上にただ横たわった。
目を閉じて、たくさん涙をこぼした。
街子さんの言葉には説得力があった。
ぼくは傲慢な人間なのだ、と。
とにかく、眠ることにした。
他にできることがないように思えた。
「朝の散歩に付き合ってください」
翌朝、美音さんがアン王女を抱いて、部屋を訪ねてきた。
着の身着のままで、髪の毛もバサバサだったけれど、そうすることにした。
…庭園へ出ると、雨が降っていた。
「こんな天気でも、アン王女を歩かせるのですか?」
「まさか!抱っこしたままで歩きます。外の空気を吸うだけでも気分が良くなるから。わたしたちだって、同じでしょう」
ホテルの傘を借りて、三人(?)で庭園を歩く。
好奇心いっぱいの目で、アン王女が周囲を眺めている。
雨音がドラムみたいに響いた。
「ぼくには小説を書く資格がないと思います」
思います、と言ったのは、美音さんから慰めてほしかったのかもしれない。そんなことはないわ、きみには才能があるのだからって。
「書きたいときに書けばいいし、書きたくないときは書かなくてもいい。資格なんか必要ありませんよ。きみは、人類の素晴らしさを愛だとか言っていたけど、愛がなんなのかなんて誰も答えを知らないでしょう。そんな、訳の分からないことを描こうとする姿勢こそが人間の素晴らしさなのでは、とわたしは思います。未知へ挑戦する勇気、とでもいうのかしら?」
そう言って、突然、美音さんは真瑠斗くんの頬っぺたをベロンベロンと舐めた。まさしく、犬の愛情表現らしく。
「いったい、どうしたんですか!」
真瑠斗くんの顔は真っ赤になった。
次の言葉が出てこなかった。
「アン王女からアドバイスを受けました」
「アドバイス?」
アン王女が、美音さんの手の甲を舐めている。
そこには愛が感じられた。
「人間を知りたいなら、人間を愛してみなさいって」
美音さんは立ち止まり、真瑠斗くんと向かいあった。
真瑠斗くんは緊張して、傘のハンドルをぐっと握った。
さらに雨がひどくなってきた。
「真瑠斗くんを愛させてください」
「えっ?」
「聞こえましたよね」
「ぼっ、ぼくをですか?」
「迷惑ですか?」
「いいえ、迷惑だなんて…でも、だけど…本当に?」
「覚悟してください。マスコミにも発表しますから」
「へっ?」
…そんなふうにして、降りしきる夏の雨の中でふたりは付き合うことになった。
*
これが現実なのか、秋田真瑠斗くんにはまだ分からない。
女優の円塔美音さんやチワワのアン王女、庭園のある豪華なクラッシックホテル、そして、おおいぬ座の異星人たちが実際に存在するのか?『第3惑星レポート』を書いていくことで、それは明らかになるのだろう。
ひとつ確かなことは、人生でも小説でも、あらゆる物語には終わりというものがあって、そこをめざして時間は容赦なく流れていくということだ。
もしかしたら、ぼく自身こそが架空の人物なのかも?
真瑠斗くんは、そう思うことがある。誰かほかの人間がこの文章を綴っているような気がしてならないのである。『第3惑星レポート』の中でこれより起こるであろう数々の事件も、実はまだ書かれておらず、まっ白なページの状態のままなのかもしれない。
ありがちな発想だな、と真瑠斗くんは反省する。
とにかく、毎日、パソコンに向かおうと決意した。一ページでも一行でも前へ進みたい。そして、それが人類の存在の証明となってくれれば最高だけど、と願うのだった。
そんなふうにして、この物語は続く。
THE END
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