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5、目覚めたら、なにもかも消滅しているかも
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もうひとつの部屋へと案内された。
美音さんの部屋の三つ隣り、廊下の突きあたりだった。
大きな窓の書斎と寝室、バスルーム。
壁一面の棚には、まだ本が一冊も収められていない。
窓側のマホガニー材のデスクチェアには、最新型のノートパソコンが準備されてあった。ミラー扉のウォーク・イン・クローゼットには、真瑠斗くんにジャストサイズのシンプルな白か黒の高級ブランドの洋服が数えきれないくらい並んでいた。
いつ揃えたのか?まるで魔法だった。
「ぼくが使っていいのですか?」
目の前の光景を疑いながら、真瑠斗くんが尋ねた。
「きみのための部屋ですよ。ほかに必要なものは、ネットでどんどん買ってください。注文する時はホテルの住所で、部屋番号を書き忘れないように。一日に三回、ポーターが届けてくれます」
すやすやと眠っているアン王女を抱いたまま、美音さんが説明してくれた。
「ありがとうございます」
「わたしはアン王女と美容院にでかけますから、七時半に四階の鉄板焼レストランで待ち合わせしましょう。アワビは好きですか?」
「アワビですか?」
「おいしいのよ」
「食べたことありません」
「気に入ると思う」
美音さんとアン王女が出ていくと、真瑠斗くんはパソコンを立ちあげた。初期設定はすべて完了しており、パスワードはデスクに貼られた付箋に書かれてあった。
PASS: prosperobooks1991
それから、Amazonでネットショッピングしてみた。
ブラックのVISAカードを登録して、以前から欲しかったジャン・ミシェル・バスキアの高価な画集を何冊か購入した。ぜんぶでニ万円くらいだったけれど、それでもドキドキした。
映画や音楽も配信で鑑賞できるし、ルームサービスのメニューは和食、洋食、中華料理、なんでも揃っていた。何か月も缶詰になったとしても、この部屋なら快適だろうな、とわくわくした。
ひと通り部屋の点検を終えると、YouTubeでモーツァルトの『魔笛』を流しながら、真瑠斗くんはWordで『第3惑星レポート』のファイルを作成した。白紙のページに、第一章と入力した。
しばらく目を閉じて、ぼんやりする。
そのうちに睡魔が襲ってきて、目覚めたら、なにもかも消滅しているかも、と不安になりながらも意識が落ちていった。
*
鉄板焼きレストランでは、年配のダンディなシェフが目の前で優雅に調理してくれた。真瑠斗くんは昼を抜いて腹ペコだったから、みっともなく慌てて食べないように自制するのが大変だった。
本マグロの刺身からはじまって、海藻サラダへ。そして、アワビやフィレステーキが絶妙な火加減で、明らかに高価そうな皿の上へ出された。
ふしぎなことに、美音さんの食べる分には一切の塩や醤油、調味料が使われていなかった。そして、真瑠斗くんには上等な赤ワインが用意されたが、美音さんは相変わらずの冷たいミルクだった。
「人間ほど、塩分が必要じゃないのです」
そういえば、犬は汗をかかないから塩はほとんど必要ないと聞いたことがある。こんな何万円もする高級店で食べているのに、ただ焼いただけの食事だなんて、なんだかもったいない気もした。
「味がなくても、美音さんは満足なのですか?」
真瑠斗くんが質問した。
「それが最高なんですよ。素材の味が完璧に分かるのだもの。調味料を使えば、その味しかしなくなります」
「なるほど」
美音さんは嬉しそうで、この世界の誰よりも食べ物に感謝しているように見えた。
*
夕食が終わり、ふたりでバーラウンジに座った。
さっきの店の赤ワインで、真瑠斗くんは気分がかなり高揚していた。『第3惑星レポート』の執筆への情熱で溢れていた。
「人間の素晴らしさとは愛する能力にあると思うのです」
真瑠斗くんはそう言いきった。
シラフではなかったが、心からそう思っていた。
「愛する能力ですか。犬やゴリラ、ペンギンにだって、そういう能力があります」
カモミールティーを飲みながら美音さんがそう意見すると、真瑠斗くんはしばらく黙ってしまった。
グラスビールをひとくち飲んで、天井からぶらさがった大げさなシャンデリアを眺める。
愛する能力か…たしかに美音さんの言うとおりかもしれない。
母犬が病気の仔犬をずっと舐めて世話をしていたり、ゴリラの求愛行動や、同じ伴侶と沿いとげるペンギンの話は有名だ。近ごろでは、動物の同性愛も話題になっている。
「きっと動物にだって愛はあるでしょう。しかし、人間には理性があるから愛の深さが違うと思うのです。動物の愛は本能的なものじゃないかと…」
「下等動物とはレベルが違うと言いたいのですか?」
美音さんは、厳しい視線を向けた。
「すいません、軽率な発言でした。別に、人間のほうが上等と言うつもりはないのです。愛にもいろいろなカタチがあって、深いとか浅いとかありませんね。本能的とか理性的とか区別しても、言葉の上での勝手な定義にすぎないのですから」
真瑠斗くんの酔いは、さっと覚めた。
それだけ、美音さんの視線は怖かったのだ。
「ほかの生物と比較しなくても、人間の素晴らしさというものは描けると思いませんか?むしろ、他の生物たちと似たところを見つけることで、きみたちの存在価値は証明できるのではないかしら」
その通りだ、真瑠斗くんは反省してうなずいた。
美音さんの表情がやわらいだ。
「それで、真瑠斗くんはあの子を愛していたのですか?」
ものすごく唐突な質問だった。
「あっ、あの子って?」
「喫茶店のあの子ですよ」
「街子さんのことですか?まいったなぁ。なんでも知っているのですね」
アルコールで紅くなっていたのに、真瑠斗くんの顔はさらに紅くなった。
「恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。愛する能力こそが、人間の素晴らしさなのでしょう」
美音さんが真っすぐに言った。
真瑠斗くんも真剣な表情になった。
「はい、ぼくは彼女を愛していました。本気でした。けれど、一方通行だったのです。この世で知る最高の幸せは誰かを愛して、その相手から愛されることだって有名な歌にもあります。反対に、どれだけ愛しても相手から愛されないと、それほど不幸せなことはない」
「今、きみはとても不幸せなのね」
「考えたくありません」
「それでも、愛は素晴らしいと思う?」
「そう信じたいです」
「信じたいのね」
「はい、その信仰について書こうと思うのです」
「『第3惑星レポート』を楽しみにしています」
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