第3惑星レポート

野洲たか

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4、誰かの役に立つために仕事をするのです。

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 *

 いつのまにか、朝になっていた。
 丸い窓からは陽光がさしこみ、枕もとのアンティークな置き時計が八時を示している。リネン独特のいい香り。適度な気温と湿度の空調。
「朝食は和食?アメリカンブレックファスト?」
 寝室をのぞきこんで、美音さんが尋ねた。
「おっ、お任せします」
 ぼんやりとしながら、真瑠斗くんは答えた。
 天蓋付きのクイーンサイズのベッドの上にいる。
 だんだんと頭がはっきりとしてくる。
 ここは、円塔美音さんが常時滞在している高級ホテルなのだ。
 ふと、白い小動物を抱いていることに気付く。
 やわらかくて、あたたかい。
「チッ、チワワ…」
 スヤスヤと眠っている。
「やっぱり、正しい人選でした。凄いことなのですよ。人間に抱かれて、アン王女が安心して眠っているなんて」
 美音さんがほほ笑んだ。
 なんて、かわいい生き物なんだろう。
 チワワをベッドにそっと寝かせると、真瑠斗くんは昨夜の記憶が蘇ってきて、
「あっ、シベリアンハスキー!」
 と美音さんを指さしてしまった。
「気絶するとは、想定外でした」
 美音さんのひとみが大きく開いた。
「あっ、あれは夢じゃなかったのですね…」
 真瑠斗くんは記憶をたどった。
「きみをベッドに運ぶのは重かったです」
「すっ、すいません」
 美音さんは長袖の黒いパーカーとスポーツパンツという格好だった。長い髪の毛を銀色のシュシュでまとめ、セレブなオーラが伝わってくる。
「ジムにトレーナーがきたので、一時間くらい、わたしは体操してまいります。リビングで朝食を済ませたら、シャワーを浴びてください。新しい着替えも用意してあります」
「あっ、ありがとうございます」
「もしよろしかったら、そのあとはホテルの庭園を散歩でもしませんか?」
「ふっ、ふたりで?」
「アン王女も一緒に」
「よっ、よろこんで!」
 その時、アン王女が大きなイビキをかいた。
 あまりにも愛おしくて、ふたりで顔を見合わせた。


 *

 十五分もするとルームサービスがやってきて、アメリカンブレックファストがテーブルにセッティングされた。
 チーズのオムレツに粗びきソーセージ、ハッシュブラウン、天然酵母のパン、フルーツヨーグルト、挽きたての香り高い珈琲。読めないけど、英語の新聞まで用意されてあった。
「誰も信じない。自分でも信じられない」
 ひとり言をつぶやいて、真瑠斗くんは食事に手をつけた。
 おいしくないはずがなかった。すこし泣いてしまったほど、すべてが完璧だった。こんなにたくさんの量は無理だと思ったが、結構、残さずに食べれそうだった。
 ステンレスポットから珈琲をお代わりしようとした時、パジャマのポケットのスマホが鳴って、わっと驚いた。
「もしもし」
 相手は、ルームメイトの山形シゲキだった。
「真瑠斗、どこにいるんだ?」
「なんでだよ」
「昨夜、帰ってこなかったから」
「シゲキに関係ないだろ」
「そんな言い方はないじゃないか」
「おまえは単なる同居人だ」
「…」
「友だちなら、恋人を奪ったりしない」
「…」
「人生で最悪の事件だった」
「自殺でもされたら、どうしようかと思った」
「それも考えたよ」
「…」
「まぁ、街子さんと仲良くやってくれ」
「とにかく帰ってこい。きちんと話そう」
「話すことなんかないさ」
「おれたちのアパートだろ」
「家賃、今月から払わないから。電気代もガス代も、水道代も」
「ちょっ、ちょっと待て」
「自業自得だ」
「そんな、払いきれないよ…」
「自慢の親に頼め」
 真瑠斗くんは携帯をきった。

 *

 あのアパートではもう暮らせない。貯金も底をつきかけているから、千葉の実家に帰るしかないだろう。
 それにして、こんな高級ホテルで自分はなにをしているのか。この瞬間、なにもかも現実感がなかった。
 映画館で有名な女優に出会い、彼女の部屋へ招かれて、人類の存在意義についての小説を書いてほしいと頼まれた。しかも、彼女はチワワと喋れるシベリアンハスキー。おおいぬ座からやってきた。
 理解不能。ぶっとんでいる。
 アメリカンブレックファストはリアルにおいしかったけど。
 そのうち夢から醒めるだろうか、と真瑠斗くんは本気で思った。
 それからシャワーを浴びて、歯をみがき、用意された白いジャージ、スニーカーに着がえたら、
「そろそろ出かけましょうか?」
 とジム帰りの美音さんに声をかけられた。


 *


 チワワのアン王女にリードをつないで、三人(?)でホテルの庭園を散歩した。
 セミが鳴いている。
 立派な木々が覆い茂り、さわやかな風が吹く日陰を心地よく歩けた。小さな滝や水車、石の灯篭、朱色の橋まであった。ここが都内だなんて。
 アン王女は地面を嗅ぎまわることもなく、毅然と姿勢美しく散歩に付き合ってくれた。
「それで、どうされますか?」
 美音さんが聞いた。
「はい?」
 これは現実なのか?真瑠斗くんは目の前の美しい人を眺めた。
「わたしたちに協力していただけますか?」
「そっ、そんなことを言われても…」
「ふつう、信じられませんよね」
「う~ん、信じられないというよりも、自分の正気を疑っているのです。だって、あなたは女優であり、シベリアンハスキーでもあるなんて…これが夢の中なら、なんてことはないけれど」
「現実です」
 美音さんはしゃがんでアン王女を抱きかかえると、
「ほらっ!」
 と真瑠斗くんに差しだした。
 愛らしい小さな生き物を受けとり、その温かさから生命を感じて、じわっと癒された。
「夢だと思ってもらっても、全然かまわない。『第3惑星レポート』さえ書きあげてくれれば」
 腕の中のアン王女の目をじっと見た。真瑠斗くんの親指をぺろぺろとなめてくれた。
 幼いころから犬がほしかったけど、父さんから豆腐屋だから駄目だと拒否された。こんなチワワと暮らしたかったのだ、と真瑠斗くんは思った。
「ぼくの小説なんか、なんの役にたつのですか?」
「それは分かりません」
 美音さんは、西洋人みたいにお手上げのポーズをした。
「母星から指令が送られて、わたしたちは実行しているだけ」
「母星?」
「母星の評議会からです。人類に関するさまざまな情報を集めることが、わたしたちの任務なの。きみの小説も評議会へ提出する資料のひとつになります」
「人類の情報を集めてどうするのですか?」
「判断材料にします。この惑星にとって、人類が必要な存在なのかどうかを」
「必要じゃないと判断されたら?」
「新型のウィルスを世界中に拡散させます。数年かけて、あくまでも自然なかたちで絶滅させるのです」
「絶滅!」
 真瑠斗くんは、大きな声をあげてしまった。
「だから、きみは人類の存在意義を証明しなければ。『第3惑星レポート』が重要な要素になるかもしれない」
 なっ、なにを言っているんだ?ぼくの小説が人類存続の判断材料に?これまで、社会参加らしいことをしたことがないのに。献血も選挙だっていったことがない。ぜったいに無理だよ、そんな大役…夢でも馬鹿げてる。
 真瑠斗くんは、ぶるぶると首を振った。
「断ったら、どうなりますか?」
「人類は弁明のチャンスを失います」
「すると?」
「とても不利ですね」
「不利っ」
「絶滅」
「へっ」
 そこで、アン王女が真瑠斗くんの腕の中で暴れ始めた。
「ネイチャーコールですね」
 美音さんが笑った。
「自然の呼びかけ?」
 真瑠斗くんは聞いた。
「トイレのことよ。アン王女を下ろしてあげて」
「あぁ、なるほど」
 そっと地面に放すと、アン王女はさっさと走って、大きな木の後ろに隠れてしまった。
「恥ずかしがり屋なんだな」
「とても気高いのです」
 夢であろうがなかろうが、『第3惑星レポート』を書かなければならない。これが小説や映画で、もし自分がその主人公だったなら逃げ出すなんて許されないだろう。逃げても、創造主は追いかけてきて、きっと目的を果たさせようとするに違いない。もはや、ぼくの物語は動いてしまったのだ、と真瑠斗くんは感じていた。
「同じ最上階にね、もう一部屋を借りました。大きな窓と立派な書斎もついています。そこで執筆するといいでしょう」
「ぼくのために?」
「そうすれば、実家に帰らなくてもいいし」
「実家?」
「わたしたちは把握しているのです」
 どうやら、お膳立ては整っている。
「よっ…よろしくお願いします」
 真瑠斗くんは遠慮がちに言った。
「夢でもかまわない。ぼくは書いてみます」
 心からそう思った。
 選ばれし者の恍惚と不安。
 かつて体験したことのない、説明のできない感情。
「人類のために」
 美音さんが、ほほ笑んだ。
「とりあえず、ぼくに行き場所はないから」
 真瑠斗くんは笑った。



 *


 ふたりで、アン王女の散歩を続けた。
「このホテルには、いくつかレストランやカフェがあります。あと、バーラウンジやルームサービスも。部屋の冷蔵庫も。真瑠斗くんの自由に使ってください。支払いは気にしないで。部屋番号だけ書けば大丈夫です」
「結構、高級店ばかりでしたよね」
「どこも、おいしいですよ。イタリアンとか江戸前寿司、中華料理とか。わたしのお気に入りは鉄板焼きです。今夜、ご一緒しましょうか」
「ものすごく、びびってます。身の丈にあってなくて」
「ドレスコードのこと?」
「罪悪感っていうのかな…そういう贅沢に免疫がないのです。貯金の残額をずっと気にしながら生活してきました」
 ふと、美音さんが立ち止まる。
 お行儀よく、アン王女も従う。
 なにか変なことを言ったのだろうか、と真瑠斗くんは不安になる。
「これを好きに使っていいですよ」
 美音さんが何かをさしだした。
「クレジットカード?」
 渡されたのは、ブラックのVISAカードだった。
「きみのサインを入れてください」
「そっ、そんな」
「遠慮しないで」
「えっ…」
「お金が必要なのでしょう?」
「それは、そうですけど」
「ご安心を。違法ではありません。母星では、ダイヤモンドが河原にゴロゴロと転がっているのです」
「ダイヤモンドが?」
「なんなら、きみの好きなバスキアの本物だって買えます。五十億円や百億円使っても、なんでもないですから」
「冗談ですよね。ダイヤモンドの相場が変わってしまいそうだ」
「たかがお金です」
「たかが…?なんだか、すごく複雑な気持ちだ」
「複雑?」
「まだ書いていない小説のために、こんな待遇だなんて。小説家になって売れたい、と願ってきましたから」
「人間って奇妙なのね」
「奇妙?」
「わたしたちは報酬のために仕事をするわけではありません。誰かの役に立つために仕事をするのです」
「誰かの役に立つため?」
「どうして、きみは小説家になりたいのですか?」
「小説を書きたいから」
「ただ、書きたいから?」
「誰かに読んでもらいたい。できれば、喜んでもらいたい」
「ほらっ。誰かのためじゃないですか」
「それはそうですが…」
「お金のためじゃないでしょう」
「でも、お金もほしいです。自分が認められた証しだし」
「わたしたちには理解できない。お金の概念がありませんから。お金は素晴らしいものですか?そのために不自由になっていませんか?」
「たしかに、いつも人間はお金のことで問題がおきます」
「ここにいるあいだは、お金のことは忘れてください。人間の存在意義がなんなのか、それだけを追求して」
 分かるような、分からないような、真瑠斗くんは混乱した気分でブラックのVISAカードをおしりのポケットにしまった。
「なるべく無駄づかいしないようにします」
 そんなふたりをアン王女が不思議そうに見上げていた。




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