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閑話 例えるならば独占欲
しおりを挟むレドは己の腕の中で幸せそうにスヤスヤと眠る主人の頭をやそっと撫で、小さな溜息をついた。
彼の主人であるリズエッタは最近街での仕事が忙しく、以前の半分の時間程度しか庭に訪れることがない。
少ない時間に訪れたとしても前の様にウキウキとお菓子作りに励むことはせず、レドの邪魔にならない様にそっと様子を見回るだけ。
時折こうして甘えてくる事もあるが、その回数はずっと減っていた。
「ーーハァ。お嬢は何もしなくていいというのに、どうしてそこまで……」
最初に仲間である亜人を求めたのはレド自身だった。少しずつ増える仲間に嬉しくなる反面、その度に主人との距離が離れていく感覚が積もる。
リズエッタとしてはレドが他の亜人と仲良くなれる様にとほんの少しばかり距離をとって観察していただけなのだが、レドにとってその距離は遠すぎた。
まるで自分が要らなくなったのではと勘違いしまう程、あんな事望まなければよかったと願ってしまうほどに。
「お嬢ーー」
抱きしめた体は細く柔く、溢れ吐息は暖かい。
この人に必要とされたい。
守りたい。
離れたくない。
側にいたい。
いつだってそうレドは思い願っている。
たとえ主人が己を必要としなくなったとしても、この手を振り払われても、影から追うくらいは許してほしい。
「お嬢ーー」
もう何も知らなかった頃には戻れないのだから。
たった一人を思う気持ちを知ったのは、この主人に出逢ってからだった。
生きていたいと願い始めたのは、この主人の側にありたかったから。
愛しいという感情を知ったのは、この主人に笑顔を向けられてからだった。
それは恋だの愛だのと云う綺麗な感情とはまた違い、独占欲に近い、少し濁った感情。
いっそ此処に閉じ込めてしまいたい。
手の届く場所にいてもらいたい。
誰にも会わず自分だけを見ててもらいたい。
誰かを気にかけるなんてしないで、もらいたい。
「お嬢ーー」
昔のように"家族"にだけその笑顔が向いていたのなら、我慢する事が出来た。
"家族"にだけ手を差し伸べるのならば、喜んでそれを支えた。
"家族"にだけ視線を向けるのならば、目をそらす事が出来た。
でも今は、こうなってしまった今は、リズエッタはその他大勢の笑顔を見せ、手を差し伸べ、その煌めく視線を多くに向ける。
彼女は分かっちゃいないのだ。
自分が幸せになる為にと云いながら、誰かを救い続けている事を。
自分の為にと言いながら、誰かの為に動いている事を。
自分だけの為にと唱いながら、結局他人のために行動している事を。
彼女は、主人は、リズエッタは、何も分かってちゃいない。
「お嬢ーー」
「ーーーーっん? レドォ? どしたの」
うっすらと開かれた蜂蜜色の目に映ったのは、酷い顔をした己の姿。そんな物は見せてはいけないと取り繕って笑うと、主人は目をこすりながらもレドの頭をフワフワと撫でて笑う。
言葉なんて要らない。
ただその手で撫でられるだけで幸せで、その笑顔が向けられるだけで見える世界が色付いた。
「よーしよーし! レドレドは今日もモフモフだねぇ。こんなにいい毛並み中々いないぞぉ! 流石私のレド!」
「ーー俺はお嬢の犬ですからね。 お嬢の為なら毛玉になりますよ?」
「それは駄目! 毛玉だと抱っこしてもらえないもん!」
サワリと頭を撫で首を撫で腕を撫で。
嬉しそうに愛おしそうに笑って力一杯抱きしめる。抱きしめ返せば声をもらして笑い、また力を込めて抱きしめる。
「ーーお嬢、お疲れでしたら今日はこっちでお休みになられては? 俺はいい抱き枕になりやすよ?」
「うーん。それは魅力的なんだけど、まだそんな余裕ないでしょ? もうちょっと空気が変わったらレドと添い寝する」
「そう、ですか」
ごめんねと眉を細め今度は垂れた耳を撫でて、主人は額にキスをする。
その行動に尻尾は揺れるもやはり胸が痛い。
多くの亜人がこの庭に来てもう一月以上経つ。
いきなり増えた人口に、環境に戸惑っているのは先住民のレド達だけではなかった。
連れてこられた亜人の殆どは今だにリズエッタに恐怖を抱いているものも多く、庭の空気は良くはない。
一番壊れていたエルフ達がリズエッタ側についてからいくらかマシにはなったが、それでもどう対応するべきかを理解しきれていないのだ。
主人は言った。何も求めていないと。
主人は言った。信頼など要らないと。
主人は言った。ただ働けと。
たったそれだけのことなのに今までの環境が邪魔をして、人であるリズエッタを敵か味方か判断しきれていない。
助けてやったのはお嬢なのに。
生かしてやったのはお嬢なのに。
生きる権利を与えたのはお嬢なのに。
それを否定するならもういっその事ーーーー。
「……レド。 大丈夫、大丈夫だよ。 いつもありがとね、心配してくれるんだよね? でも大丈夫。私"は"大丈夫。だからレドも"大丈夫"」
「ーーハイ」
頬を撫でる手は暖かく、見つめる瞳は優しい。
誰が一番苦労していたかリズエッタは知っている。
誰が一番自分を想ってくれているか彼女は知っている。
誰が一番危険な行為をするか、主人は知っている。
かつて同僚を殴り飛ばした子だ、私のために殴り合いをする子だ。
いつか枷が外れて行動を起こすのはこの子だ。
リズエッタは知っている。
レドが自分を信頼している事を。
支えようとしている事を。
その為なら同胞に手を出すという事を。
「ちょーと時間がかかるだけ。そのうちみんな笑い出すよ? そしたらレドは幸せだし、私も幸せ。 だからもうちょい、頑張ろ」
「ッハイ!」
愛しいその人はにこやかに笑って頭を撫で、もう一度だけ額にキスを落とした。
主人がいなくなったその庭で、レドは一点を睨みつけていた。
「盗み見なんて趣味が悪いな」
「ーーーーーそれは申し訳ない。 ですが入っていけそうな雰囲気ではなかったので」
リズエッタとの時間、じっと二人を見つめていた影がある事をレドは知っていた。
折角取れた二人の時間だったというのに、こいつらは、このエルフ達は水を差してきたのだ。
ふつふつとこみ上げる怒りを押さえ込みながら睨み続けて入ると、銀髪のエルフ、アクアは穏やかに笑いながら目で何かを追う。
その様子から精霊を見ているのだとさっするが、だからといって気が直るわけでもない。
「ーー貴方は"御使い様"にとても愛されている。精霊達が貴方の周りをいつも飛んでいるのはそのためでしょう。 とても羨ましい」
「ーーそう思うのは勝手だが、お嬢にあまり構いすぎるな。度がすぎると殴るぞ」
「それは怖い。ですが御使い様をお慕いしてしまうのは私達の運命なのですよ。 あの人を慈しみ支え、永遠の時を生きるのが唯一の幸福なのですから」
仕方ない事だと笑うアクアにレドは嫌気がさすも、それならばと彼らに向けて言葉を放つ。
それは慈しむなら行動で示せと、支えるというのならば他の亜人を説き伏せろと、レドやシャンタルといった先に住んでいたものよりも言葉の聞き入れられやすいお前らが、彼奴らの態度を改めさせろと。
その言葉を聞いたアクア達エルフは頷き、それが御使い様の望みならばと微笑んだ。
レドはエルフ達が嫌いだ。
隣にいるのが当たり前だと思っている彼らが酷く気に触る。
尽くし続けていれば自分達が選ばれると信じている彼らが嫌いだ。
奪えるもんなら奪ってみろ。
この場所は俺だけのもの。
俺だけの主人だ。
背中を向けて去っていくエルフに憤りを感じながらも主人の為にそれすら飲み込んだ。
大丈夫。
リズエッタの言葉を何度も何度もくりかえす。
まだ大丈夫、まだ頑張れる。
リズエッタのために、己の理想のために。
「お嬢の、為にーー」
その人の為だけに、彼はなんだってしてしまうのだ。
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