酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第7話ー5

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 レットの淵に腰かけてそれを眺めていたフラヴィオが、「ふふふ」と笑った。

「美しいな、ベル」

「だな、きめ細かな綺麗な肌をしてる。でも、もっと太った方がいいんじゃないか?」

 とのハナの言葉に、ベルは「スィー」と返事をした。

 もう皮を一枚着ただけの骸骨のような身体では無いが、まだ肋骨が浮いている。

 褒めることはしても、あまりこういうことは言わないフラヴィオだが、もっと肉付きが良く、女ならではの曲線を描く身体に魅力を感じていることは察している。

 フラヴィオを知り尽くし、フラヴィオのために日々努力を欠かさないヴィットーリアの身体がそう故に。

 その入浴を手伝ったことのあるベルだが、同性ながら少しのあいだ忘我した。

 誰もが珠のようだと認める肌。

 背丈168cmのしなやかな体躯。

 前腕や脛がすらりとしている一方で、少し丸みのある二の腕や腿。

 コルセットブスティーノの必要性が分からないほど細く括れた腹には、二本の縦線が綺麗に浮かんでいた。

 その一方で、まん丸の乳房は女の手には収まり切らないだろう豊かさで、尻は上向きで桃のような形をしていた。

 そういう身体がフラヴィオの好みだというのなら、そうでありたいとベルは思う。

 16cmも足りない身長は今からでは真似出来そうにないが、努力によって少しでも近付くことで、フラヴィオが喜ぶ気がして。

 フラヴィオがベルにヴェスティートを着せ付けていると、ハナがこんなことを問うた。

「ティーナの治癒はいいのか?」

 フラヴィオよりも先に、息を飲んだベルが問い返す。

「ティーナ様はお怪我をされているのですかっ……?」

「いや、違う」

 とフラヴィオが、ベルの頭を撫でて宥める。

「言い忘れていたわけではないが、ティーナは病弱でな。今は暖かいからマシだが、冬はどんなに気を付けても体調を崩してしまう」

 尚のこと狼狽してしまったベルに、ハナが続ける。

「まぁ、グワリーレは基本的に身体の表面に出来た怪我の治癒だから、病気によっては治せないんだ。この国の先王たちの命を奪った病気も、それで治してやれなかったと聞いてる。でも、それでも掛けてやることで少し楽にしてやれるんだ」

「ティーナ様っ……!」

 ベルがあたふたとして、駆け出した。

「お願いします」とハナの手首を引っ掴み、戸口の方へと向かって行く。

 ティーナは現在健全であることは分かったが、それでも心配になり、せめてグワリーレを掛けてもらおうと思った。

 その姿は、少なくともハナやグワリーレに対する警戒は解けたようだ。

 焦るがあまり、ヴェスティートの裾をきちんと持ち上げ切れていないまま走っているベル。

 フラヴィオがこう忠告した時には、すでに遅かった。

「こら、転ぶぞ!」

「――あっ」

 扉の手前、ゴンナの裾を踏んづけて躓き、ハナから手が離れる。

「おいっ」と瞬時に引き戻そうとしたハナ。

 しかと握る前にベルの手がすり抜けてしまい、そのまま扉に向かって転倒していく。

 この時、フラヴィオが部屋の真ん中まで駆け寄って来ていたが、間に合いそうにない。

 扉に顔面から衝突すると確信したベルから血の気が引いたとき、それは外側から開け放たれた。

「なぁ、まだー?」

 マサムネだ。

 人間離れして容貌魁偉のアドルフォは当然、フラヴィオ・フェデリコ兄弟や13歳の王太子オルランドよりも確実に薄い胸元に、ベルが飛び込んで行く。

「おわっ!」

 仰天して声を上げたマサムネが、咄嗟にベルを受け止めた。

 意外にも、吹っ飛ぶこともよろけることもなく、しかとベルを支えてくれた。

 フラヴィオとハナが安堵の溜め息を吐く一方、腕の中のベルを見下ろすマサムネの頬が染まっていく。

「え、何、ベル……えっ? んな、大胆なっ……!」

 一体この男は、何を思ったのか。

 広がった鼻孔から生暖かい烈風が噴出され、ベルの顔を容赦なく吹き付ける。

 それは、ベルの後方にいる2人から「違う」と突っ込みが入ることで凪いだ。

「ちゃうんかい」

 と口を尖らせたマサムネの腕の中から、ベルを引っ張り出したフラヴィオの口も尖っていた。

「勘違いをするな、ムネ。ベルは決してそんな気を抱かない。さっきベルを支えてくれたことは礼を言うが、ベタベタ触らないでくれ」

「なんや、ケチ」

 と言ったマサムネの額に、ハナが「オイ」と手刀を入れる。

 さっきフラヴィオに入れたものよりも優しいことを考えると、相手の防御力によってきちんと加減しているらしい。

「それは違うだろ、マサムネ。おまえは痴漢か」

「おう、すまんすまん」

 と右手を上げながら陽気な笑顔を見せたマサムネが、用件を口にする。

「朝餉やで。はよ、食おうや」

 いつもは朝食作りを手伝うベルだったが、本日はマサムネたちの出迎えの仕事があった故に、家政婦長ピエトラから厨房に行かないよう言われていた。

 本日の朝餉には、何を出すのだろう。

フラヴィオたちと共に、同一階にある王族専用の食堂へと向かいながら考える。

 中に入ると、女神・天使一同――乳母に預けられたビアンカは除く――がいた。

 中の中庭での鍛錬を一時中止し、正装したフェデリコたち――フェデリコとその息子たち、王子一同――も戻って来ていた。

 合計20人の朝餉だ。

 いつもの長方形の食卓の中央に、フラヴィオとヴィットーリアが向かい合って座る。

 ヴィットーリアの右隣には主賓マサムネが、左隣にはムサシが着いた。

 フラヴィオの右隣にはハナが座り、そのハナの右隣にタロウが着く。

 あとの身内は男女交互に、身分が高い順に中央に近い席から埋めていく。

 でも今回は7番目の天使のお披露目もあり、ベルはフラヴィオの左隣、マサムネの向かいの席だった。

 またベルの左隣は、大公フェデリコが着いた。

 ベルの右隣と正面の2人は気が合うらしく談笑しているが、左隣は儀礼的な笑顔をしているように見える。

 そういえば先ほどフラヴィオが、フェデリコとアドルフォはマサムネと微妙な仲だと言っていたことを思い出す。

 用意されていた朝食は、いつも通りの『カプリコルノ食』だった。

 食事の開始や否や、手慣れた様子でビーフステーキビステッカナイフコルテッロフォークフォルケッタで切りながら、マサムネが問うた。

「なぁ、アドぽんは? プリームラ軍の調練?」

 一体『アドぽん』とは何か。

 一瞬黙考したベルだったが、その台詞の内容からアドルフォのことであることは分かった。

 フラヴィオの『フラビー』はただの略称にも聞こえるので理解できるが、『ぽん』は一体どこから出て来たのか。

 フラヴィオが「うむ」と返すと、マサムネがフェデリコに顔を向けた。

「リコたんもこの後仕事なん?」

 今度は『たん』が来た。意味が分からない。

 そんな心境がベルだけではないのは、とりあえずマサムネに呼ばれた『リコたん』の横顔を見れば分かった。

「ムネ殿下って、不思議な愛称の付け方をするんだ……」

 と、ベルに小声で恥ずかしそうに言ったフェデリコ。

 この時点で、生真面目とも言えるフェデリコが少しマサムネを苦手としているのが理解できた。

 咳払いをして、マサムネに「スィー」と返事をする。

「私はこの後『中の中庭』での鍛錬及び子供たちと『上の中庭』の将軍たち、『下の中庭』の兵士の調練です」

 マサムネがフラヴィオに顔を戻す――「おまえは?」「会議だ」

 マサムネはフラヴィオと一緒で感情が顔に出やすく、さもつまらなそうに悄気た。

「なんやもう。おまえ、即位してからほんま忙しいな」

「おまえもいずれそうなるぞ」

「せやなぁ。今は1ヶ月から2ヶ月に一度こっちに遊び来とるけど、即位したら無理やんなぁ……」

 と小さく溜め息を吐いて一呼吸置いたマサムネが、こんなことを言った。

「ワイも出るわ、会議」

 また何故かと疑問に思ったベルの右隣、フラヴィオは言った――「うむ、頼む」

 フェデリコも感謝した様子で「助かります」と言った。

 フラヴィオを挟んだ向こうにいるハナとタロウの会話が、ベルの耳に届く。

「兄貴、あたいが会議に出るよ」

「うん……ありがとう、ハナ。ごめんなさい、フラビー。僕もハナのように強かったなら――」

「いいんだ、謝らないでくれ」

 と、フラヴィオがタロウの言葉を遮った。

「謝罪せねばならぬのはこっちの方だ。あの朝廷の中にいたら、気分が悪くなって当然だ」

「でも僕は、もう何度もこの国に来ているし、ハナみたいにもう慣れてもいいはずなのに……本当に、ごめんなさい」

「謝らないでくれ、タロウ。心苦しくて溜まらんのだ」

 そんなフラヴィオとタロウの会話は、少し続きそうだった。

 そのあいだ、ベルは左隣のフェデリコに顔を向ける。

 それだけでベルの心境を読み取ったフェデリコが、まずこう問うた。

「魔法の必要性は、もう分かったか?」

 ベルは「スィー」と頷いた。

 そしてそう問われたことで、マサムネたちがこの国の会議に出席すると言った理由を理解した。

「ムネ殿下ご一行に、ご助力いただくのですね。如何に魔法の力が――コニッリョの力が必要かを、朝廷で官僚様方にご理解いただくために」

「おお」と少しだけ声高になったフェデリコの目が大きくなる。

 そして、コルテッロとフォルケッタを置いてベルの頭を撫でた。

 その手の優しさはフラヴィオとよく似ていると、ベルはいつも感じている。

「リコたん様?」

 と言ってみたら、フェデリコが「こらっ……」と頬を染めて口を尖らせた。

「申し訳ござません」と謝り、ベルは定着した呼び方で問い直す。

「どうなさったのですか、フェーデ様?」

「いや、ベルも多くの者と同様にコニッリョに心を開けていないようだと、妻――アリーチェから聞いていたのだが」

 ベルは「スィー」と頷いた。先ほどまで、たしかにそうだった。

「私はモストロが奇怪に見え、それだけで疑心暗鬼になっておりました。コニッリョに対して完全に警戒心が抜けたわけではありませんが、ハナさんのお陰で、少なからず治癒魔法の必要性は痛感しました。その結果として、多くの国民に宿るコニッリョへの敵対心を鎮静化させ、融和をはかるべきだと存じました」

 フェデリコがもう一度「おお」と言って目頭を押さえた――「リコたん様?」「こら」「申し訳ございません」

「私の生徒はなんと賢いことか。朝廷では未だ理解されないというのに」

「先ほども申しましたが、コニッリョへの警戒心が無くなったわけではなく、薄れただけですが」

「良い、懐疑の精神も必要なものだ」

「他の意味でも、コニッリョの力をとても必要としているようですので」

 そう言ったベルの顔を、フェデリコは見つめた。

 いつも通り無に近い表情だが、栗色の瞳に非心が垣間見える。

「それが何なのか、何故なのか、フラヴィオ様もフェーデ様も、私にお教え下さらないようですが……」

 胸が痛くなってベルが俯くと、フェデリコが当惑した様子で顔を覗き込んだ。

 小さな声で「ベル?」と呼びながら、頬をつつく。そういうところは、つくづくフラヴィオの兄弟だ。

「不快に思っているのなら、謝ろう。しかし、兄上も私も、決して意地悪をしているとかではないんだ」

「存じております」

 そういう割には顔を上げてくれないベルに、フェデリコはうろたえてしまいながら続ける。

「この先、君に笑顔を取り戻して欲しいと思うからこそ、言えないこともある」

「ありがとうございます。しかし笑顔とは、楽しかったり嬉しかったりすることで自然と現れるものだと認識しております。ならば、せっかくのご厚意を無下にしてしまうようで申し訳ございませんが、私に笑顔は難しく存じます」

「ベル……」

 フラヴィオと同じ碧眼が揺れ動き、俯いたままのベルの頭に優しい手が重なる。

 この後、フェデリコは何と言うだろう。

 よほど困惑したのか、次にその声が聞こえたのは10秒近く経ってからだった。

「……申し訳ない」

「――……ノ」

 やはりこのベルに、教えてくれる気には至らなかったようだ。

 ベルから手を離し、フェデリコが食事を再開する。

 ベルも続いた。

 目前のぼやけて見えるビステッカを、一口切ってソースサルサに浸す。

 口に入れた時に瞬きをしてしまったら、涙が零れ落ちてしまった。

 それを見た正面のマサムネが「あっ」と声を上げる。

「なーに7番目の天使泣かせとんねん、リコたん!」

 その台詞に、今度は身内一同が「えっ」と声を上げてベルの方を見た。

 すぐさま腕を伸ばしたフラヴィオの、膝の上に座らせられたベルがむせ返る。

「い、いえ、ビステッカが辛かっただけです、ご心配なくっ……」

 誤魔化すための偽り台詞のようで、そうでもなかった。

 本当にビステッカが辛い。肉じゃなくて、サルサが辛いようだ。

一体これは何なのか、知っている唐辛子の辛さではない。

 レオーネ国から伝わって来たという『しょうゆ』が使われているのは分かったが、よく見るとその中に緑色のものが混じっている。

 鼻の奥がツンと痛み、頭の中がざわめき出っているかのような感覚がする。

「ああ、ワサビか」

 と、フラヴィオが少し安堵した様子でベルの頭を撫でた。

「まだ大人向けのサルサでは早かったか。誰か、ティーナたちと同じサルサをベルに持って来てくれ」

 とフラヴィオが言うと、部屋の中に美しい立ち姿でいる使用人たちの中のひとりが、すぐさま厨房へと向かって行ったようだった。

「ワ、ワサビと仰るのですか、このツンとするのは……?」

「せやでー。うちの国から持ってきたん」

 と、マサムネがビステッカをワサビサルサに付けて、口に入れる。

 鼻を摘まみながら、「うーん」と唸った。

「これが溜まらんねん」

「あたいと兄貴は駄目だけどな」

 と、ベルがフラヴィオの膝の上に来たことで、すぐ隣にいるハナ。

 その皿とタロウの皿に乗っているのは、魚料理だった。

「人間はよく、刺身に付けて食べてるな。あ、刺身って知ってるか? 生の魚を切ったやつだ」

 この国には生の魚を食べるという習慣がなく、ベルは少し驚く。

 そしてその『刺身』というのは、プリームラからアドルフォが戻ってきている今夜の食事――宴が開かれるらしい――で出るようだ。

「ベル」

 呼ばれた方を見つめる。

 ハナの右隣にいるタロウだ。

 妹のハナと同じ黒髪で、まさに猫のような目をかたちをしているが、ハナよりも少し内気そうに見えた。

「この後、ちょっと僕に付き合って欲しいんだ……――」


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