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第18話ー4

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 ――宮廷の2階にある図書室の中。

 ベルが「分かりました」と言って、本を閉じた。

 視線の先にいるのは医者で、それは大変顔色が優れなかった。

「この本――人体解剖図鑑はお借りしていてもよろしいですか?」

 とベルが問うと、頷いた。

「私は他にも持っていますから、どうぞ宮廷天使様に差し上げます」

「ありがとうございます。尚、当日はお手伝い頂けますか? 私はあくまでも素人ですから、お医者様に付き添って頂くと大変心強いのですが」

 困惑した様子の医者に、ベルがこう続けると『スィー』の返事がようやく確認できた。

「あくまでもベラ様のお腹を切り、お子を取り出すのは私です。お医者様は、何ひとつ責任を負わなくてよろしいのですよ」

 医者が図書室から出て行った後、ベルは斜め向かいに座っている家政婦長ピエトラと、先ほどテレトラスポルトでやって来て隣に座った友人――ハナの顔を交互に見た。

「ピエトラ様も、ハナも、当日そうなってしまった時はお手伝い頂けるとありがたいのですが」

「ああ、もちろんだベル。私は、この城で誰かがお産をする際は、必ず手伝っているからね。というか、医者よりも私が子を取り上げることの方が大半さ」

 と、ピエトラ。

 ハナも、うんと頷いた。

「あたいも付き添うよ。治癒魔法はナナ・ネネに任せるけど、腹を切るとなったら闇魔法もいるんじゃないかと思うんだ。察してると思うけど、麻痺魔法さ。痛みが減ると思うんだよ」

 頷いたベルが、最後に正面に座っているヴィットーリアに顔を向ける。

 ピエトラとハナは少し緊張した様子だが、ヴィットーリアは穏やかな顔をしていた。

「王妃陛下は当日どうされるのですか?」

「うむ、ベラに立ち会うつもりじゃ。ベラは時々、弱気になることがあるからのう」

 と言いながら、ヴィットーリアがやはり穏やかな様子で笑顔を見せる。

 それをベルが少し不思議に思っていると、ハナが「なぁ」とベルの顔を見た。

「麻痺魔法で痛みが無くなるか、試してみておいた方が良いんじゃないか?」

 ベルは「そうですね」と頷いて同意すると、袖をまくってハナに差し出した。

「では、ここに麻痺魔法を掛けてください」

「腕だけにか? 無理無理、あたいらガット・ネーロが得意の麻痺魔法かけたら、身体全体に掛かっちゃうんだ」

「では、私の身体全体に掛けてくれて構いません。そしてピエトラ様は、お持ちの短剣で私の腕を少し切ってみてくれませんか?」

 ピエトラが「いいだろう」と承知して、太腿に装備している短剣を取り出す。

 それを確認した後、ハナがベルに手をかざして「パラーリズィ」と言った。

 ベルがふと身体を動かすことが出来なくなると、ピエトラがベルの様子をうかがいながら、短剣の切っ先をベルの腕に押し付けた。

 無反応な栗色の瞳を見たあと、3cmばかり切ってみる。

 赤い線が出来ると、ハナがすぐに手を当てて治癒魔法を掛けた。

「どうだった、ベル? って、麻痺したままじゃ喋れないか。でも解く魔法もないからさ、自力で解いてくれ。どうやってって? 要は、心の力で破壊するのさ。実際掛かると大抵は錯乱しちゃって解けないんだけど、フラビーたちには一瞬で解かれちゃってさぁ。あたいもタロウも大得意なのに……強いな、守るものがある人間は」

 とハナが苦笑するや否や、ベルの麻痺が解けたのが分かった。

「痛みはありませんでした」

「うぉい、解いちゃったのか」

 と、ハナの目が丸くなる。

 ヴィットーリアが「ほほ」と笑った。

「そうじゃろうて」

 ピエトラがもう一度ベルに確認する。

「本当に無いんだね、痛みは?」

「何も感じないわけではなく違和感はありましたが、痛みはありませんでした」

「そうかい。でも、最初からベラ様の腹を切るわけじゃないんだろう?」

「スィー、あくまでもお子が――ジル様が出て来れそうになかったらの話です。脅かしてしまわぬよう、ベラ様にはお伝えしない方がよろしいと思うのですが……」

 とベルがヴィットーリアを見ると、それはやはり穏やかな様子で「うむ」と言った。

「そうじゃな。お産が近付くにつれ、今はあっけらかんとしているベラが、怖くなってしまうということも考えられるからのう」

 ピエトラがヴィットーリアに「そうですね」と同意の返事をしたあと、ベルの顔を見た。

「まずは私がベラ様のお産を手伝ってみるよ。それで無理そうだったら、ベル、あんたに任せたからね?」

 ベルは「スィー」と返事をした。

 ヴィットーリアの顔を見る。

 やはり、穏やかな表情だ。

「あの……王妃陛下はベラ様がご心配ではないのですか?」

「心配はしておるよ。でも、いざというときはそなたがベラの腹を切り、子を取り出してくれるのじゃろう? ならば私は、心配以上に安心じゃ」

「たしかにベルは信頼あるよなー、『歌』以外は」

 とハナが言うと、ベルが赤面した。音痴がまったく、直らない。

 ヴィットーリアが感慨深そうに続ける。

「私が幼き頃から手を焼いて来たベラも、ついに母親になるときが来たんだと思ってのう……。北隣のサジッターリオ国とはもうコラードの婚約で、また東隣のアクアーリオ国とも近いうちにティーナの婚約で友好関係が築かれ、きっと『増兵問題』は解決するじゃろう。また、今年の7月でオルランドは成人じゃ。これでいつだって国王になることが出来る。先日ランドが完全に諦めた様子でベルを口説いているのを見たし、近々アヤメと婚約が決まり、レオーネ国ともより絆が深まることじゃろう。さらに言えば、今やベルという優秀な宰相もおる」

 と、一呼吸置いて「ほほ」と笑った。

「なんだか私は、この世に思い残すことが無くなったように思えてのう」

 ベルが声高に口を挟む。

「お言葉ですが、それは違うように存じます。何故なら、フラヴィオ様が――」

「ああ、分かっておる」

 と、ヴィットーリアがベルの言葉を遮った。

「何も私は、これでいつでも逝けると言っているわけではない。私の最後の仕事は、あの男を膝枕で永久の眠りにつかせてやることなのじゃから」

「そうですか……」

 と安堵の溜め息を吐いたベルに、ヴィットーリアが「ちなみに」と続けた。

「私は、そなたのことも少し気に掛かっておる。そなたは天使の中で、誰よりもフラヴィオに忠誠を尽くし、誰よりもフラヴィオのために生き、誰よりもフラヴィオを愛しておるじゃろう?」

 ベルは「スィー」と返した。自信がある故に。

 すると、ヴィットーリアがこう続けた。

「ベラのお産が無事に終わり、ティーナの婚約も決まって落ち着いたら……そなたは、フラヴィオの側室になるが良い」

「――え?」

 思わず、ベルは耳を疑う。

 ヴィットーリアは、フラヴィオに妾100人出来る覚悟で結婚した大人物であることを、知っていたとはいえ。

「そなたは今年で17になる。王侯貴族の娘でなくとも、女は結婚し始める年じゃ。それにそなたはきっとまだ、女として生まれて来たことの悦びを知り尽くしてはおらぬ。私は娘のように思っているそなたに、それを知って欲しいと思う」

「いいじゃないか、ベル! 賛成だぞ、あたい!」

 と興奮したハナの顔を見た後、ベルは困惑してヴィットーリアに顔を戻す。

「フラヴィオ様は、王妃陛下だけを妻にする約束をしたと伺いました」

「大丈夫じゃ。そなたが望み、私がそうすべきだと言えば、あの男はそうする」

「なりません。側室とはいえ、私はフラヴィオ様の妻には相応しくありません」

「まーだ、そんなこと言っておるのか? 最近はずいぶんと自信が付いたように思っていたのだがのう?」

「フラヴィオ様に相応しい女性など、王妃陛下以外には存在しないのです」

「分かった分かった、では『妾』と言えば気が楽か?」

「それは、多少はそうですが……」

 とベルが俯く。

 ハナが隣から顔を覗き込むと、それはどうしたら良いか分からないようで、栗色の瞳を動揺させていた。

 ヴィットーリアが「ベルや」と声を掛ける。

 顔を上げると、そこには記憶の中の母のような、とても優しい微笑がある。

「無論、無理にとは言わぬ。そなたは天使軍の優等生で、フラヴィオの優秀な補佐じゃ。仕事も大切ではあるが、女としての幸せも、そろそろちゃんと考えてみるが良い」


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