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第18話ー5

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 ――1490年4月25日。

 朝餉の席には、別邸からアドルフォ・ベラドンナ夫妻が来ていた。

「ええ、お願い」

 と、ベルからの『最終確認』に、ベラドンナが頷いた。

「お産は別邸がいいわ。未だにうるさいお父さんがいるこっちでお産なんて嫌。ていうか無理。別邸がいいわ、別邸が」

 ベルと家政婦長ピエトラが「スィー」と承知した。

 ベラドンナもアリーチェも、もういつ陣痛が始まってもおかしくない時期に入っていた。

 ベラドンナの腹の大きさが、やはり尋常ではない。

 一週間前からタロウ・ハナ、ナナ・ネネのうちどれか一匹が必ず宮廷にいるようになり、アドルフォはもう、二週間以上まともに睡眠を取れていないようだった。

「ちゃんと食べて、ドルフ。まだビーフステーキビステッカ8枚しか食べてないじゃない。痩せちゃうわよ?」

「あ、あ、ああ……大丈夫だ。俺の心配はするな、ベラ」

 と、アドルフォがビステッカを鰐口に運び、ほとんど噛まずに飲み込んでいる。

 狼のような琥珀色の瞳が、助けを求めて補佐その3を見つめる。

(頼んだからな、ベル……!)

 ベルは心の中で『スィー』の返事をした。

 そして、午前10時――

「いたた……」

 別邸の居間の中、ベラドンナの陣痛が始まった。

 この日付き添っていたタロウが「待ってて!」と言うなりテレトラスポルトで宮廷へと向かい、ベルとヴィットーリア、アドルフォ、ピエトラを連れて戻って来る。

 アドルフォがベラドンナを大慌てで寝室に運び、ベルとピエトラが出産に備えて手際良く準備を始める。

「落ち着いてください、ドルフ様」

 と、もう何十回もお産に立ち会っているピエトラが宥めた。

「陣痛は始まったばかりです。ベラ様は初産ですから、ジルベルト様がお生まれになるのは夜になるかと」

「わ…分かった。頑張ってくれ、ベラ……!」

「ええ、ドルフ。ワタシは大丈夫よ。ドルフもお姉様も、ジルに会えるの楽しみに待っててね」

 とベラドンナの方はまだ余裕あるようで、嬉しそうな笑顔だった。

 タロウがレオーネ国へと帰り、数分してハナとナナ・ネネがやって来る。

 3匹が励ましの言葉を掛けると、ベラドンナはまた「ええ」と笑顔で返した。

「ねぇ……ムサシはどうしてる?」

 ハナがベラドンナの顔を見つめて問い返した。

「気になるのか? こんなときなのに」

 ベラドンナが頷く。

「結局ワタシ、あの子を思い出さなかった日は一度だってなかったわ。だって……だってワタシ、あの子がいたから前向きに頑張れたんだもの。ワタシが辛かったとき、どれだけあの子の存在に救われたか……」

 そう言って涙ぐむベラドンナを見て、ハナは「分かった」と返した。

「あとで、ムサシを連れて来るよ――」

 ――ベラドンナの陣痛の感覚が短くなり、痛みが強くなって来た午後8時。

 宮廷は夕餉の時間となっていた頃。

「ごめんなさい、忙しいときに。わたしもいいかしら? レオナルドが生まれるみたい」

 アリーチェが、フェデリコの腕に抱かれて別邸にやって来た。

 それにより、急遽、客間でもお産の準備に入る。

 もう5人目の出産で、尚且つ治癒魔法があってもフェデリコの方は少し心配そうだったが、アリーチェの方はすっかり落ち着いていた。「ふふ」と笑う。

「レオとジル、同じお誕生日かもしれないわね」

「ああ、そうだな。従兄弟の従兄弟となると、完全に血の繋がりはないが、きっと兄弟のように仲良く育つだろう。そしてきっと、この国の未来を支えてくれる強い子たちだ」

「そうね。きっと、あなたやフラヴィオ様似のレオと、ドルフ閣下似のジルよ。未来の、2つの希望の光よ……――」





 ――カプリコルノ国よりも8時間早いレオーネ国。

 1490年4月26日、午前7時過ぎ。

(ベラ様……大丈夫でござりまするか……?)

 約半日前に、カプリコルノ国へと行っていたタロウが戻って来た。

 それから少しして、ハナとナナ・ネネが怱々とテレトラスポルトで宮廷から消えて行った。

 父マサムネが、やって来て言った。

「あんな、ムサシ。ベラちゃん、今日子供生まれるかもしれんで」

 そのとき、ムサシは複雑な感情で俯いた。

 いよいよベラドンナにすっかり忘れられるときが来たのかもしれないという恐怖や、寂しさ。

 ベラドンナは無事に子を産めるのだろうかという、不安や心配。

 昨晩は、ほとんど眠れなかった。

 窓を開けて、朝日に片目を瞑る。

 自室から見える春の庭園を見下ろし、「あれ?」と瞼を擦った。

 一輪の、黄色い花が見える。

「もしかして……」

 そのとき、慌ただしい足音が聞こえ、間もなくムサシの部屋の襖が大きな音を立てて開いた。

「ムサシ!」

 声をはもらせたのはマサムネと、昨日タロウと入れ替わりにカプリコルノに行ったはずのハナだった。

「いよいよや! ベラちゃん、そろそろ生まれるて! あとアリーちゃんの方も!」

「行こう、ムサシ! ベラさんは今もまだ、ムサシを想ってるよ! だから行こう、応援してあげるんだ!」

 突然のことに「えっ……!」とおろおろとしたムサシは、2人に「早く!」と怒鳴られると「はい!」と声を上げた。

 ハナにテレトラスポルトされる寸前、「あっ!」と窓の方を見る。

「お待ちくだされ! お願いしまする、拙者を庭園に連れて行ってくだされ!」

 ハナは「庭園?」と眉をひそめたが、急いでいた故にすぐに従った。

 するとムサシが駆け出し、一輪の黄色い花――ヒマワリの花を摘んで持って来る。

「あれ? なんでこんな時期にヒマワリが咲いてんねん」

 とマサムネが疑問に思うと、ハナがその胸元をどついた。

「別にそんなん、アレだろ」

 と、庭園の一角を指差す。

 そこにはムサシの可愛がっている巨大亀モストロ――レオーネ・テストゥードの『カメキチ』がいた。

 その糞は大変優秀な肥料になり、冬の畑にも夏野菜を実らせるほど。

「カメキチ……おまえはやっぱり拙者の友人でござるな。ありがとうございまする……!」

 ハナが「行くぞ!」と言った次の刹那、ムサシの視界が愛亀の姿から石造りの邸宅――アドルフォ・ベラドンナ夫妻の別邸にすり替わる。

 こっちは前日の23時過ぎで、邸宅の周りには火が灯されていた。

 ハナが真っ先に駆けこんで寝室へと入って行き、その扉の前でマサムネとムサシが立ち止まる。

 そこにはフラヴィオや王子・王女たち、フェデリコの子供たち一同や、使用人が揃っていた。

 ベラドンナの叫び声が響いている。

「いっ……痛い痛い痛いっ!」

 はっと息を呑んだムサシが、マサムネよりも先に声を上げる。

「ベラ様! 大丈夫でござりまするか!?」

 寝室の中、激痛にもがき、汗だくのベラドンナが戸口を見た。

(――ムサシ?)

 自分の叫び声に混じっていただけに、一瞬幻聴かと思った。

 だが、それはまたすぐに聞こえてくる。

「ベラ様! がんばってくだされ、がんばってくだされ! ベラ様!」

 幻聴じゃない。

 扉のすぐ向こうに、ムサシがいる。

 こうしていても今も尚、息子としか思えないムサシが。

 必死に声を上げて、応援してくれている。

 そう思ったら、自然とベラドンナの口元に笑みが浮かんだ。

「ええ……頑張るわ、ムサシ……!」

 それまで家の中に響き渡っていたベラの叫び声が無くなった。

 苦しそうな呼吸や呻き声は聞こえるが、歯を食いしばって激しい痛みに耐える。

 それから40分ほどして、寝室にいるひとり――医者が、震えながら口を開いた。

「やはりこれは無理です、お子が大き過ぎて出て来られません……!」

 ベルはベラドンナ以外の一同と目を合わせると、「分かりました」と答えた。

「何っ……どうしたのっ?」

 息を切らし、顔を歪めながら、ベラドンナが一同の顔を見回す。

 ヴィットーリアとアドルフォが、その顔の汗をハンカチファッツォレットで拭いながら、これから行われることを説明する。

「良いか、ベラ。落ち着いて聞くのじゃ」

「大丈夫だ、何も心配はいらない。ベルを信じるんだ。魔法だって揃ってるんだ、怖くないし痛みもない」

 そのとき、寝室の外からフラヴィオの声が聞こえて来た。

「大変なときにすまん! 第二の母上よ、アリーが「もう出るわよー」って!」

 それを聞いたピエトラが、「はいよー!」と寝室を出、客間へと駆けていく。

 一方、寝室の中では、ベラドンナの瞳がたちまち恐怖に染まっていった。

「お…お腹を切るって……そ、そんなの聞いたことないわっ……! それこそ無理よっ……!」

 当然のごとく取り乱すベラドンナをそこにいる一同が宥めていると、やがて産声が聞こえて来た。

 続いて、ピエトラの声が響き渡って来る。

「おめでとうございます! レオ様――レオナルド・マストランジェロ様のお誕生です!」

 約23時55分のことだった。

 寝室にいた一同が、ふと笑顔になる。

「ほら、ベラ! レオが生まれたぞ! 頑張ってジルを産むんだ!」

 とアドルフォに励まされ、「ええ」と返事はしたものの、まだベラドンナが決心付かない様子で躊躇っていたとき。

 何やら、扉の向こうの一同が妙に騒がしい。

「おおお…! ついにフェーデそっくりなのが生まれたぞ……!」

「髪と目元がアリー似のように見えますが……いやこれ、小さい兄上でしょう?」

 と、フラヴィオ・フェデリコ兄弟。

 ヴァレンティーナの黄色い声が聞こえてくる。

「レオ、かわいいぃぃぃっ! 信じられない! まだ赤いのに、なんでこんなに天使なの!」

 あまりの騒ぎぶりに、寝室の一同の視線が思わず戸口に集まってしまう。

 すると間もなく、ピエトラと治癒魔法役でアリーチェの方に行っていたネネが駆け込んできた。

 ピエトラの顔は、とても微笑ましそうにしている。

「いやいや、まるで時が戻ったようだ。陛下とフェーデ閣下を取り上げたときを思い出したよ。ご兄弟そっくりだ、レオナルド様は。あれは確実に未来を支えてくださる希望の光だ。ささ、次はベラ様の番ですよ。もうひとつの希望の光を、ジルベルト様を、お誕生させましょう」

「え…ええ……で、でも、待って……!」

 とベラドンナの声が恐怖に震えたとき、ムサシが叫んだ。

「ベラ様! がんばってくだされ! ムサシは応援してまする! がんばってくだされ! がんばってくだされ!」

「――ムサシ……」

 それから程なくして、ベラドンナの瞳が意を決したようにベルを見つめた。

「分かったわ。お願い、ベル……信じているわ」

 ベルが「スィー」と返事をすると、ハナがベラドンナに優しく笑いかけた。

「これから麻痺魔法かけるね? なーんにも痛くないし、これで痛みも感じなくなるんだ。大丈夫、落ち着いて」

 ベラドンナが「分かったわ」と返事をすると、ハナが麻痺魔法――『パラーリズィ』を掛けた。

 怖い思いをさせぬよう、ヴィットーリアがファッツォレットでその目元を優しく抑える。

「もう少しでジルと会えるからの、ベラや。頑張るのじゃ、そなたは母親なのじゃから」

 アドルフォがベルを見つめる。

 その心の声を感じ取ったベルは頷くと、熱湯消毒した刃物を手に持った。

 医者の指示の下、ベラドンナの様子を見ながら腹を切っていく。

 その間、ヴィットーリアとアドルフォがベラドンナに励ましの声を掛け続ける。

 ムサシの必死な声も聞こえてくる。

 ベラドンナの身体になるべく負担を掛けまいと、手早く手術を進めていくベルの手が一瞬止まった刹那。

 見ていた一同も、固まった。

「――俺?」

 全身麻痺魔法に掛かっているベラドンナが少し反応を見せるや否や、ベルの手で腹の中から取り出された赤子。

 ピエトラと医者がすぐさま受け取り、処置を施すと、まるで怪獣のような産声が轟いた。

「おめでとうございます! ドルフ閣下――じゃなくて、ジル様! ジルベルト・ガリバルディ様のお誕生です!」

 レオナルドの誕生から約10分後――4月26日の0時5分のことだった。


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