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第19話ー3
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――驀進していた船は、1時間と40分ほどでアクアーリオ国へと到着した。
ナナ・ネネが風を操り、5隻のガレオーネを岸壁へと寄せているあいだ、船尾楼から一同が出て来る。
まだ太陽が沈んでおらず、辺りは紅に染まっていた。
宮廷のとても頑丈そうな裏門がすぐ近くに見える。
石造りの城壁がカプリコルノよりも倍近く高く出来ていて、それをベルが見上げているとフラヴィオがこう言った。
「人間の敵というよりは、モストロ対策だろうな。壁が低いと、オオカミ型モストロに越えられてしまうのだろう」
「なるほど」
と、ベルは警戒して辺りを見渡す。
先日フラヴィオが話していた通り、その生息地はここから離れているのか、オオカミ型モストロ――ルーポ・ヴェレノーソの姿は見えない。
しかし、先生フェデリコが夜行性のモストロだと言っていたし、今は近くで眠っているだけなのかもしれないとも思う。
その場合でも、舞踏会が終わった後は宮廷に宿泊して朝に帰ることを思えば、遭遇は避けられそうだが。
「しかし、絶対と言い切れるわけでも……」
と一抹の不安が残り、呟いたベル。
背に装備しているクロスボウを船に置いていくのを躊躇っていたら、ヴィットーリアに「これ」と叱られた。
「フラヴィオとコラードの腰の剣はまだしも、舞踏会に来た女にそれは無かろうて。こっちの王侯貴族に驚かれてしまうぞ、ベルや」
ベルは一瞬の躊躇いを見せたあと、スカートの上から太腿に触れた。
そこに装備している短剣とナイフ4本をしかと確認し、「申し訳ございません」と言って、ようやくバレストラを外して船尾楼の中に置いた。
ガレオーネ5隻をきちんと岸壁に寄せ、投錨したナナ・ネネが、テレトラスポルトで一同を裏門のすぐ手前まで届ける。
そして「じゃ」と声を揃えるなり、すぐにレオーネ国へと帰っていった。
裏門を潜ってアクアーリオ国の宮廷へと入り、込み合っている舞踏室へと案内される。
アクアーリオ国の一番の輸出品といえば、カプリコルノでも輸入している石材で、それなりの価値はある。
しかし、宝島カプリコルノと比べるとそんなに裕福でないはずだが、宮廷オルキデーア城に負けず劣らずの絢爛豪華な内装をしていた。
この島も小さな方ではあるが、それでもカプリコルノよりも10倍大きく、人口は5倍近くあるようだった。
それを思えば宮廷が豪奢でも不思議でないように思えるが、ベルの脳裏に過ぎったのは一般民衆の貧困だった。
本日それを目で確認に行くことは出来そうにないが、図星だったというのなら、心優しいヴァレンティーナが胸を痛めてしまうように思えてならない。
「いたよ、宰相。あいつが王太子だ、たしか」
コラードがベルに耳打ちした。
その視線を追うと、派手な衣装に身を包んだ金髪碧眼の少年がいた。
その傍らにいるこれまた派手な装いの成人の男女を見て、ベルが問い返す。
「あちらは国王陛下と……王女殿下ですか?」
「王妃陛下よ」
と、シャルロッテが小声で口を挟んだ。
「国王が59歳で、王妃が28歳。彼女は3人目の王妃なのよ。1人目も2人目も女しか産まなかったから、王太子は彼女が産んだ子」
と言ったあと、コラードを見て「そういえば」と切り替えた。
「今日は挨拶周りで忙しいわよ、コラード。私の婚約者として、あなたをきちんと紹介しなくっちゃ」
とシャルロッテがコラードを引っ張って、まずはアクアーリオ国王夫妻の下へと向かう。
フラヴィオとヴィットーリア、ヴァレンティーナはもう先に行っていて、ベルも急いで後を付いていく。
ヴァレンティーナの隣に並ぶと、すぐに手を繋がれた。
それは嬉しそうに、ベルを国王夫妻と王太子に紹介する。
「彼女は、私の侍女のベルです。でも、本当の姉上のように慕っております」
ベルは軽く自己紹介をしてお辞儀した後、機嫌良さそうに笑顔でいる王太子を見つめてみた。
金の髪に、白いソバカス顔。
一口に碧眼といってもそれは灰色に近く、細く尖った顎をしていた。
ヴァレンティーナと同じくらいの身長はおそらく年相応で、マストランジェロ一族の少年と比べると華奢な身体も、恐らくは平均的なのだろう。
シャルロッテが自身の婚約者としてコラードを紹介しているあいだ、王太子はヴァレンティーナの頭の先から爪先まで舐めるように見渡していた。
その後、出て来た台詞がこうだった。
「気に入った。君はボクに相応しい。結婚してやるぞ」
一瞬、殺意に近いものを覚える。
王太子の背後にいるアクアーリオ国王夫妻がフラヴィオを見て顔色を失う一方、こちら側からはコラードの短い失笑が聞こえた。
「結婚して『ください』の間違いだろ?」
「なんだ、おまえは?」
と2人が喧嘩になりそうになると、ヴィットーリアが「これ」とコラードを叱った。
アクアーリオ国王夫妻は、狼狽した様子で王太子を後方に下がらせる。
フラヴィオに話し掛けるアクアーリオ国王の声が、小刻みに震えた。
「も、申し訳ない。しかし、息子に悪気は無い。ご、勘弁を……」
「良いのじゃ、アクアーリオ陛下。お気になさらず」
と慄然としているアクアーリオ国王をヴィットーリアが宥めているあいだ、ヴァレンティーナがベルの顔を見た。
それからフラヴィオとコラードの顔を見て、「大丈夫よ」と笑った。
「私は何も気にしてないわ。王太子殿下がお気に召してくれて嬉しい」
シャルロッテから溜め息が聞こえた。
「落ち着きなさいよ、あなたたち。完全に男尊女卑のこの国の男が、女に対して謙虚な態度を取るわけがないじゃない。増してや、王太子なんて『謙虚』って言葉すら知らないわよ」
ベルが「分かりました」と答えて、心を落ち着かせるための深呼吸をした。
「知らないのならば、仕方がないでしょう。ティーナ様を大切にしてくれるかどうかはまた別問題でしょうし、ここは目を瞑りましょう」
とベルがフラヴィオとコラードの顔を見ると、それらも深呼吸して「分かった」と答えた。
ヴァレンティーナが王太子に向かって笑いかけると、それはすぐに寄って来た。
ヴァレンティーナに向かって手を差し出す。
「踊ってやるぞ」
つい再び苛立ってしまったフラヴィオとベル、コラードの傍ら、ヴァレンティーナが「ありがとうございます」と答えて王太子の手に手を重ねた。
2人で舞踏室の中央付近へと向かって行く。
シャルロッテが「行くわよ」とコラードを引っ張って挨拶周りに連れて行き、ベルが「お仕事でございます」とフラヴィオの顔を見上げる。
「仕事?」
「スィー」と答えたベルが指先を揃えて指すは、貴婦人の行列。
サジッターリオ国の舞踏会と同じ現象が起きていた。
一曲だけでも踊って頂けないかと、酒池肉林王を期待の眼差しで見つめている。
本日はフェデリコがいない分、大変な長蛇の列であった。
それらから逃げるように背を向けて長嘆息する様は、酒池肉林王らしからず。
どうやら大切な愛娘のことでそれどころではなく、乗り気じゃないらしい。
しかし、やはり酒池肉林王。
このままでは無礼になるからと、最前列に並んでいる貴婦人を誘いに向かって行った。
その途中、「おっと」と補佐その3に振り返り、注意しておく。
「余と踊るのに、1回1万オーロとか取ったら駄目だからな?」
「そうですね、1万オーロでは安すぎたかもしれません。最低でも2万オーロを――」
「そうではない。金を取ったら駄目だと言っている。分かったな?」
ベルは「スィー」と溜め息交じりに答えた。
「正直、タダ働きなんておふざけになるのも大概にして頂きたく存じますが……ご心配なく。私も今は、商売をしている気分ではないのですよ」
と、踊っているヴァレンティーナと王太子を見つめる。
どちらも笑顔で一見楽しそうだが、どんな会話をしているのか気になって、踊っている人々の邪魔にならない程度の位置まで寄っていく。
賑々しい舞踏室の中で耳を澄ませると、途切れ途切れだが会話が聞こえて来た。
王太子の針小棒大に感じる自慢話と、やはり上から目線の口調。
ついでに王太子がステップを間違えたのに、「ボクじゃない」
だったら、舞踏を得意とする母や叔母に幼い頃から指導を受け、美しく、華麗に、完璧なパッソを踏み、観客の目を奪っているヴァレンティーナが悪いとでも言いたいのだろうか。
「これ」
と、耳元でヴィットーリアの声が聞こえた。
「立ち聞きなんて、無粋なことをするでない」
「申し訳ございません、王妃陛下。しかし……」
「『増兵問題』を忘れておるのか、宰相よ」
「忘れているわけではありませんが、それはティーナ様のお幸せを前提に解決したいのです。ティーナ様は将来王妃になれるとはいえど、あの王太子殿下と結婚して本当に幸せになれるのでしょうか。逆に不幸になるのではありませんか」
少し冷静でないベルの様子を見て、ヴィットーリアがやれやれと溜め息を吐いた。
「王太子殿下はまだ12歳ということもある。あまり心配せずとも、大人になったらきっとまた変わるじゃろうて」
「お言葉ですが、ここまで男尊女卑の国でそれはあるでしょうか。ここがカプリコルノでしたら、ティーナ様にああいう態度を取っている時点で白い目で見られますから、嫌でも謙虚さや礼儀を学びましょう。ですが、この国では悪化する一方なのでは」
ヴィットーリアが再び「もう」と溜め息を吐いた。
「王太子殿下が、ティーナを大切にしないと決まったわけじゃなかろうて」
「そうですが」
とベルが不服そうな声を返したとき、一曲踊り終えたヴァレンティーナと王太子がやって来た。
踊りながらさんざん自慢話を披露し、おそらくその都度ヴァレンティーナに褒めてもらったと思われる、上機嫌な王太子。
ヴィットーリアに話し掛けた。
「カプリコルノ王妃陛下は、花が好きだと聞きしました。カプリコルノの宮廷の裏庭には、たくさんの薔薇が咲いていると」
相手が女でも、『陛下』という目上の身分には一応それなりの口が聞けるらしい。
ヴィットーリアが優しい微笑を返す。
「そうじゃのう。薔薇に限らず、花は好きじゃのう」
すると王太子は、宮廷の庭が見える窓の外を指差してこう言った。
「このあいだ、大陸の国からめずらしい花が入って来ました。夜に咲く花です。ボクが見せてやりましょう」
やっぱりさりげなく組み込まれている上から目線に、ベルがまたまた苛立ちを覚える。
ヴィットーリアは再び優しい微笑を返した。
「ほう、夜に咲く花とは見たことがないのう。王太子殿下や、その花の場所へご案内願えるかえ?」
王太子が「もちろん」と答えて、窓の方へと向かって歩き出した。
そこには扉があり、直接庭に出られるようになっているようだった。
ヴィットーリアとヴァレンティーナが王太子の後を付いていく一方、ベルは小走りでフラヴィオの下へと向かって行った。
現在貴婦人相手に踊って忙しそうなフラヴィオに、口早に用件を告げる。
「王太子殿下が珍しい花を見せて下さるとのことで、王妃陛下とティーナ様と共に、庭へ行ってまいります」
「庭?」
と窓の外に目を向けたフラヴィオに、ベルが「スィー」と返した。
「ここのすぐ外の、庭です」
フラヴィオは窓の外を歩いているヴィットーリアとヴァレンティーナの姿を見ながら、「分かった」と返した。
その返事を確認したあと、ベルはまた小走りで庭へと繋がっている戸口へと向かう。
先に行った3人に追い付くと、舞踏室の前を通り過ぎ、その窓の死角に入っていた。
「これです」
と王太子が、たしかに日が沈んだ現在に咲いている花を指した。
ヴィットーリアとヴァレンティーナがその花の前にしゃがみ込み、興味津々と見つめる。
「ほう、これは珍しい。初めて見る植物じゃ。大陸にはこんな花があるんじゃのう」
「わぁ、トゲトゲしてるわ。王太子殿下、これはなんというお花なのですか?」
「サボテンさ」
3人がそんな会話をしているあいだ、ベルは周りを警戒しながらゆっくりと見渡していく。
その指先はスカートの裾に入り、華奢な脚を滑って太腿に装備している武器に辿り着く。
「もうよろしいですか」
ベルが庭を見渡したまま問うと、王太子の不服そうな声が返って来た。
「君も見ろ。せっかくボクが見せてやってるのに」
「拝見しました」
していないが。
「本当か?」
「とても綺麗なお花ですね」
知らないが。
庭に出てから1秒ごとに、悪い意味で鼓動が高鳴っていく。
この国に初めて来たベルは見たことは無いが、一匹のモストロの名がベルの脳裏を過ぎる。
(ルーポ・ヴェレノーソ)
オオカミ型モストロだ。
フラヴィオたちもシャルロッテも一度も遭遇したことがなく、その生息地はこの宮廷の近辺でないのだろうと言っていた。
しかしそれは憶測に過ぎず、夜行性のモストロという情報もある。
それ以前に、ここがアクアーリオ島である時点で、遭遇する可能性は少なからずある。
また、この場所が舞踏室の窓からは見えない死角で、舞踏室が賑やかな音声で満たされていることも不安に駆られる要素だった。
何故なら今ここで何かあってもフラヴィオから見えず、叫んだところでその耳には届かないからだ。
強力な攻撃力を持つバレストラだって、船に置いて来てしまった。
王太子が不審そうな顔をしてベルに問うた。
「なんだ? どうかしたのか、君」
「王太子殿下、ルーポ・ヴェレノーソがこのお城へ入って来たことはございませんか」
「ルーポ・ヴェレノーソ?」
と鸚鵡返しにした王太子が、おかしそうに笑い出した。
「あるわけないだろ。奴らが、あの高い壁を越えられるわけがない。大体、奴らがなんだっていうんだ。奴らなんて、ちょっと大きいだけのただの犬さ。たとえ襲ってきたって、ボクがこの剣で倒してやる」
と王太子が腰の剣を抜いて、ふんぞり返ったときのことだった――
ナナ・ネネが風を操り、5隻のガレオーネを岸壁へと寄せているあいだ、船尾楼から一同が出て来る。
まだ太陽が沈んでおらず、辺りは紅に染まっていた。
宮廷のとても頑丈そうな裏門がすぐ近くに見える。
石造りの城壁がカプリコルノよりも倍近く高く出来ていて、それをベルが見上げているとフラヴィオがこう言った。
「人間の敵というよりは、モストロ対策だろうな。壁が低いと、オオカミ型モストロに越えられてしまうのだろう」
「なるほど」
と、ベルは警戒して辺りを見渡す。
先日フラヴィオが話していた通り、その生息地はここから離れているのか、オオカミ型モストロ――ルーポ・ヴェレノーソの姿は見えない。
しかし、先生フェデリコが夜行性のモストロだと言っていたし、今は近くで眠っているだけなのかもしれないとも思う。
その場合でも、舞踏会が終わった後は宮廷に宿泊して朝に帰ることを思えば、遭遇は避けられそうだが。
「しかし、絶対と言い切れるわけでも……」
と一抹の不安が残り、呟いたベル。
背に装備しているクロスボウを船に置いていくのを躊躇っていたら、ヴィットーリアに「これ」と叱られた。
「フラヴィオとコラードの腰の剣はまだしも、舞踏会に来た女にそれは無かろうて。こっちの王侯貴族に驚かれてしまうぞ、ベルや」
ベルは一瞬の躊躇いを見せたあと、スカートの上から太腿に触れた。
そこに装備している短剣とナイフ4本をしかと確認し、「申し訳ございません」と言って、ようやくバレストラを外して船尾楼の中に置いた。
ガレオーネ5隻をきちんと岸壁に寄せ、投錨したナナ・ネネが、テレトラスポルトで一同を裏門のすぐ手前まで届ける。
そして「じゃ」と声を揃えるなり、すぐにレオーネ国へと帰っていった。
裏門を潜ってアクアーリオ国の宮廷へと入り、込み合っている舞踏室へと案内される。
アクアーリオ国の一番の輸出品といえば、カプリコルノでも輸入している石材で、それなりの価値はある。
しかし、宝島カプリコルノと比べるとそんなに裕福でないはずだが、宮廷オルキデーア城に負けず劣らずの絢爛豪華な内装をしていた。
この島も小さな方ではあるが、それでもカプリコルノよりも10倍大きく、人口は5倍近くあるようだった。
それを思えば宮廷が豪奢でも不思議でないように思えるが、ベルの脳裏に過ぎったのは一般民衆の貧困だった。
本日それを目で確認に行くことは出来そうにないが、図星だったというのなら、心優しいヴァレンティーナが胸を痛めてしまうように思えてならない。
「いたよ、宰相。あいつが王太子だ、たしか」
コラードがベルに耳打ちした。
その視線を追うと、派手な衣装に身を包んだ金髪碧眼の少年がいた。
その傍らにいるこれまた派手な装いの成人の男女を見て、ベルが問い返す。
「あちらは国王陛下と……王女殿下ですか?」
「王妃陛下よ」
と、シャルロッテが小声で口を挟んだ。
「国王が59歳で、王妃が28歳。彼女は3人目の王妃なのよ。1人目も2人目も女しか産まなかったから、王太子は彼女が産んだ子」
と言ったあと、コラードを見て「そういえば」と切り替えた。
「今日は挨拶周りで忙しいわよ、コラード。私の婚約者として、あなたをきちんと紹介しなくっちゃ」
とシャルロッテがコラードを引っ張って、まずはアクアーリオ国王夫妻の下へと向かう。
フラヴィオとヴィットーリア、ヴァレンティーナはもう先に行っていて、ベルも急いで後を付いていく。
ヴァレンティーナの隣に並ぶと、すぐに手を繋がれた。
それは嬉しそうに、ベルを国王夫妻と王太子に紹介する。
「彼女は、私の侍女のベルです。でも、本当の姉上のように慕っております」
ベルは軽く自己紹介をしてお辞儀した後、機嫌良さそうに笑顔でいる王太子を見つめてみた。
金の髪に、白いソバカス顔。
一口に碧眼といってもそれは灰色に近く、細く尖った顎をしていた。
ヴァレンティーナと同じくらいの身長はおそらく年相応で、マストランジェロ一族の少年と比べると華奢な身体も、恐らくは平均的なのだろう。
シャルロッテが自身の婚約者としてコラードを紹介しているあいだ、王太子はヴァレンティーナの頭の先から爪先まで舐めるように見渡していた。
その後、出て来た台詞がこうだった。
「気に入った。君はボクに相応しい。結婚してやるぞ」
一瞬、殺意に近いものを覚える。
王太子の背後にいるアクアーリオ国王夫妻がフラヴィオを見て顔色を失う一方、こちら側からはコラードの短い失笑が聞こえた。
「結婚して『ください』の間違いだろ?」
「なんだ、おまえは?」
と2人が喧嘩になりそうになると、ヴィットーリアが「これ」とコラードを叱った。
アクアーリオ国王夫妻は、狼狽した様子で王太子を後方に下がらせる。
フラヴィオに話し掛けるアクアーリオ国王の声が、小刻みに震えた。
「も、申し訳ない。しかし、息子に悪気は無い。ご、勘弁を……」
「良いのじゃ、アクアーリオ陛下。お気になさらず」
と慄然としているアクアーリオ国王をヴィットーリアが宥めているあいだ、ヴァレンティーナがベルの顔を見た。
それからフラヴィオとコラードの顔を見て、「大丈夫よ」と笑った。
「私は何も気にしてないわ。王太子殿下がお気に召してくれて嬉しい」
シャルロッテから溜め息が聞こえた。
「落ち着きなさいよ、あなたたち。完全に男尊女卑のこの国の男が、女に対して謙虚な態度を取るわけがないじゃない。増してや、王太子なんて『謙虚』って言葉すら知らないわよ」
ベルが「分かりました」と答えて、心を落ち着かせるための深呼吸をした。
「知らないのならば、仕方がないでしょう。ティーナ様を大切にしてくれるかどうかはまた別問題でしょうし、ここは目を瞑りましょう」
とベルがフラヴィオとコラードの顔を見ると、それらも深呼吸して「分かった」と答えた。
ヴァレンティーナが王太子に向かって笑いかけると、それはすぐに寄って来た。
ヴァレンティーナに向かって手を差し出す。
「踊ってやるぞ」
つい再び苛立ってしまったフラヴィオとベル、コラードの傍ら、ヴァレンティーナが「ありがとうございます」と答えて王太子の手に手を重ねた。
2人で舞踏室の中央付近へと向かって行く。
シャルロッテが「行くわよ」とコラードを引っ張って挨拶周りに連れて行き、ベルが「お仕事でございます」とフラヴィオの顔を見上げる。
「仕事?」
「スィー」と答えたベルが指先を揃えて指すは、貴婦人の行列。
サジッターリオ国の舞踏会と同じ現象が起きていた。
一曲だけでも踊って頂けないかと、酒池肉林王を期待の眼差しで見つめている。
本日はフェデリコがいない分、大変な長蛇の列であった。
それらから逃げるように背を向けて長嘆息する様は、酒池肉林王らしからず。
どうやら大切な愛娘のことでそれどころではなく、乗り気じゃないらしい。
しかし、やはり酒池肉林王。
このままでは無礼になるからと、最前列に並んでいる貴婦人を誘いに向かって行った。
その途中、「おっと」と補佐その3に振り返り、注意しておく。
「余と踊るのに、1回1万オーロとか取ったら駄目だからな?」
「そうですね、1万オーロでは安すぎたかもしれません。最低でも2万オーロを――」
「そうではない。金を取ったら駄目だと言っている。分かったな?」
ベルは「スィー」と溜め息交じりに答えた。
「正直、タダ働きなんておふざけになるのも大概にして頂きたく存じますが……ご心配なく。私も今は、商売をしている気分ではないのですよ」
と、踊っているヴァレンティーナと王太子を見つめる。
どちらも笑顔で一見楽しそうだが、どんな会話をしているのか気になって、踊っている人々の邪魔にならない程度の位置まで寄っていく。
賑々しい舞踏室の中で耳を澄ませると、途切れ途切れだが会話が聞こえて来た。
王太子の針小棒大に感じる自慢話と、やはり上から目線の口調。
ついでに王太子がステップを間違えたのに、「ボクじゃない」
だったら、舞踏を得意とする母や叔母に幼い頃から指導を受け、美しく、華麗に、完璧なパッソを踏み、観客の目を奪っているヴァレンティーナが悪いとでも言いたいのだろうか。
「これ」
と、耳元でヴィットーリアの声が聞こえた。
「立ち聞きなんて、無粋なことをするでない」
「申し訳ございません、王妃陛下。しかし……」
「『増兵問題』を忘れておるのか、宰相よ」
「忘れているわけではありませんが、それはティーナ様のお幸せを前提に解決したいのです。ティーナ様は将来王妃になれるとはいえど、あの王太子殿下と結婚して本当に幸せになれるのでしょうか。逆に不幸になるのではありませんか」
少し冷静でないベルの様子を見て、ヴィットーリアがやれやれと溜め息を吐いた。
「王太子殿下はまだ12歳ということもある。あまり心配せずとも、大人になったらきっとまた変わるじゃろうて」
「お言葉ですが、ここまで男尊女卑の国でそれはあるでしょうか。ここがカプリコルノでしたら、ティーナ様にああいう態度を取っている時点で白い目で見られますから、嫌でも謙虚さや礼儀を学びましょう。ですが、この国では悪化する一方なのでは」
ヴィットーリアが再び「もう」と溜め息を吐いた。
「王太子殿下が、ティーナを大切にしないと決まったわけじゃなかろうて」
「そうですが」
とベルが不服そうな声を返したとき、一曲踊り終えたヴァレンティーナと王太子がやって来た。
踊りながらさんざん自慢話を披露し、おそらくその都度ヴァレンティーナに褒めてもらったと思われる、上機嫌な王太子。
ヴィットーリアに話し掛けた。
「カプリコルノ王妃陛下は、花が好きだと聞きしました。カプリコルノの宮廷の裏庭には、たくさんの薔薇が咲いていると」
相手が女でも、『陛下』という目上の身分には一応それなりの口が聞けるらしい。
ヴィットーリアが優しい微笑を返す。
「そうじゃのう。薔薇に限らず、花は好きじゃのう」
すると王太子は、宮廷の庭が見える窓の外を指差してこう言った。
「このあいだ、大陸の国からめずらしい花が入って来ました。夜に咲く花です。ボクが見せてやりましょう」
やっぱりさりげなく組み込まれている上から目線に、ベルがまたまた苛立ちを覚える。
ヴィットーリアは再び優しい微笑を返した。
「ほう、夜に咲く花とは見たことがないのう。王太子殿下や、その花の場所へご案内願えるかえ?」
王太子が「もちろん」と答えて、窓の方へと向かって歩き出した。
そこには扉があり、直接庭に出られるようになっているようだった。
ヴィットーリアとヴァレンティーナが王太子の後を付いていく一方、ベルは小走りでフラヴィオの下へと向かって行った。
現在貴婦人相手に踊って忙しそうなフラヴィオに、口早に用件を告げる。
「王太子殿下が珍しい花を見せて下さるとのことで、王妃陛下とティーナ様と共に、庭へ行ってまいります」
「庭?」
と窓の外に目を向けたフラヴィオに、ベルが「スィー」と返した。
「ここのすぐ外の、庭です」
フラヴィオは窓の外を歩いているヴィットーリアとヴァレンティーナの姿を見ながら、「分かった」と返した。
その返事を確認したあと、ベルはまた小走りで庭へと繋がっている戸口へと向かう。
先に行った3人に追い付くと、舞踏室の前を通り過ぎ、その窓の死角に入っていた。
「これです」
と王太子が、たしかに日が沈んだ現在に咲いている花を指した。
ヴィットーリアとヴァレンティーナがその花の前にしゃがみ込み、興味津々と見つめる。
「ほう、これは珍しい。初めて見る植物じゃ。大陸にはこんな花があるんじゃのう」
「わぁ、トゲトゲしてるわ。王太子殿下、これはなんというお花なのですか?」
「サボテンさ」
3人がそんな会話をしているあいだ、ベルは周りを警戒しながらゆっくりと見渡していく。
その指先はスカートの裾に入り、華奢な脚を滑って太腿に装備している武器に辿り着く。
「もうよろしいですか」
ベルが庭を見渡したまま問うと、王太子の不服そうな声が返って来た。
「君も見ろ。せっかくボクが見せてやってるのに」
「拝見しました」
していないが。
「本当か?」
「とても綺麗なお花ですね」
知らないが。
庭に出てから1秒ごとに、悪い意味で鼓動が高鳴っていく。
この国に初めて来たベルは見たことは無いが、一匹のモストロの名がベルの脳裏を過ぎる。
(ルーポ・ヴェレノーソ)
オオカミ型モストロだ。
フラヴィオたちもシャルロッテも一度も遭遇したことがなく、その生息地はこの宮廷の近辺でないのだろうと言っていた。
しかしそれは憶測に過ぎず、夜行性のモストロという情報もある。
それ以前に、ここがアクアーリオ島である時点で、遭遇する可能性は少なからずある。
また、この場所が舞踏室の窓からは見えない死角で、舞踏室が賑やかな音声で満たされていることも不安に駆られる要素だった。
何故なら今ここで何かあってもフラヴィオから見えず、叫んだところでその耳には届かないからだ。
強力な攻撃力を持つバレストラだって、船に置いて来てしまった。
王太子が不審そうな顔をしてベルに問うた。
「なんだ? どうかしたのか、君」
「王太子殿下、ルーポ・ヴェレノーソがこのお城へ入って来たことはございませんか」
「ルーポ・ヴェレノーソ?」
と鸚鵡返しにした王太子が、おかしそうに笑い出した。
「あるわけないだろ。奴らが、あの高い壁を越えられるわけがない。大体、奴らがなんだっていうんだ。奴らなんて、ちょっと大きいだけのただの犬さ。たとえ襲ってきたって、ボクがこの剣で倒してやる」
と王太子が腰の剣を抜いて、ふんぞり返ったときのことだった――
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