酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第23話ー1 恋敵

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 背後から首根っこを掴まれ、「うっ」と声を上げたアラブ。

 視界が宮廷天使の顔から、石壁へと移るや否や、真っ暗になった。

 顔面が潰されて激痛にもがく中、凍り付くような男の声に問われる。

「おまえは誰だ」

 アラブです。

 と、答えたが、顔面が石壁にめり込んでいては言葉として認識されない。

「さっさと答えろ」

 どうやってだ。

 呼吸すら出来ない。

 妹のルフィーナ同様、このアラブはたぶん祖母がモストロの中でも最強を謳われるガット・ティグラートだ。

 お陰で魔力もあるが、腕っぷしの方も普通の人間より優れて生まれて来た。

 ヴィルジネ国の大切な王女の近衛兵にと、見込まれたほどにだ。

 それにも関わらず、全身全霊を込めて壁を押して顔を離そうとしているのに、びくともしない。

 よって、相手は『力の王』か『力の王弟』、もしくは『人間卒業生』だと察する。

 人前で魔法を使わないよう言われたが、そんなことを言っている場合ではない。

(止むを得ん、ここはテレトラスポルトで……!)

 とそのとき、宮廷天使の声が聞こえた。

「フラヴィオ様っ……!」

 すると、アラブの首から手が離れ、身体が大地の上に落ちた。

 四つん這いになって喘ぎながら、男の足元へと顔を傾けると、黄金こがね色の鉄靴てっかと拍車、脛当すねあてが見えた。

 宮廷天使が呼んだ通り、『力の王』ことカプリコルノ国王フラヴィオ・マストランジェロで間違いないようだった。

 それに抱き付いているのか、鉄靴のあいだには、向き合う形で人形のもののように小さな宮廷天使の靴がある。

(か、可愛いっ……!)

 とアラブから噴き出した鼻血は、顔面が潰れたことによるものなのか、興奮によるものからなのか、分からない。

「へ、変な人がっ…! へ、へ、へ、変な人がっ……!」

「おーよしよし、怖かったなアモーレ。もう大丈夫だ」

 と、突如甘くなったフラヴィオの声は、『力の王』ではなく『酒池肉林王』のものだと分かる。

 宮廷天使を抱き上げ、その足が搦手門の方へと向く。

「ささ、ベッドレットに行こうなー。なーに、気にすることは無い。ティーナは今、家庭教師の下で勉強中だから見られたりしない」

 とフラヴィオが「ふふふ」と笑うと、もう2人居た男たちから突っ込みが入った。

「いや、ちょっと兄上。今、武術の鍛錬中だったでしょう。それにコレはどうしろと」

「そうです、陛下。レットに行くのは夜にしてください、夜に。どうするんです、コレは」

 と、コレ――アラブを指しているのは、『力の王弟』である大公フェデリコ・マストランジェロと、その兄弟の親友らしい『人間卒業生』こと侯爵アドルフォ・ガリバルディだった。

「あとで決める。とりあえず牢にブチ込んでおけ」

「御意」と承知の返事をしたフェデリコとアドルフォに立たされると、アラブはフラヴィオの背に向かって慌てて声を上げた。

「お、お待ちください、カプリコルノ陛下! マサムネ殿下からのお手紙を預かっています!」

 その言葉に3人が「え?」とアラブの顔を見た。

「濃いな」

 と声を揃えたあと、「あれ?」と瞬きして凝視する。

「この一度見たら忘れられない濃さ……たしかに記憶あるな。どこで見たんだったかな」

「レオーネ国じゃないですか、兄上? 顔がぺちゃ可愛いレオーネ人の中で、物凄く目立ってた記憶があります」

「あー思い出しました、陛下。そうだ、ムネ殿下の第二夫人アーシャ殿下の傍にいた」

 アラブが急いで荷物の中からマサムネの手紙を探して出す。

 それを受け取ったのは、両手が塞がれているフラヴィオに変わって、フェデリコだった。

 マサムネからの手紙を広げ、それを4人で読む。

 たちまち、眉を顰めていった。

「いや、待て。おまえがルフィーナの兄だと? いくら何でも、似てなさ過ぎるぞ」

「ほ、本当です、カプリコルノ陛下! 自分とルフィーナが似てないのは、父親が違うからです! あ、そうだ、あとハナちゃんからもっ……」

 とアラブが荷物の中を探り出すと、宮廷天使が「ハナ?」と反応した。

 思わず手を止めて「はい」と笑顔を返したあと、ハナからの預かりものを見つけて取り出す。

「これです。ハナちゃんと7番目の天使ベルさんとの交換日記だそうで!」

「あ、交換日記を……。ありがとうございます」

 と受け取った宮廷天使の顔を見つめながら、アラブが一瞬固まった。

「……あの、宮廷天使さん?」

「何でしょう」

「その……まさか7番目の天使ベルさん……ですか?」

はいスィー

 4人の手前、アラブの墨で囲ったような目が大きく見開かれていった。





 宮廷の一階の南端にある客間の中。

 フラヴィオとベル、ルフィーナ、そしてアラブの4人がテーブルターヴォラに着いていた。

(なんということだ……大切な妹の憎き恋敵――7番目の天使が、まさかこの宮廷天使さんのことだとは……)

 と、アラブは斜め向かいに座っているベルを一瞥する。

 それだけで、鼻息が馬のようになってしまう。

(な…なんて卑怯な女なんだ…! クソッ…! 結婚してくれっ……!)

 隣の席から、妹ルフィーナの呆れ声が聞こえて来る。

「お兄ちゃんの声がすると思ったら……」

 と、アラブの潰れた顔面や、穴の開いた肩に治癒魔法グワリーレを掛けていく。

 まったくもって似てないが、どうやら本当に異父兄妹らしい。

 アラブに怪我をさせたフラヴィオとベルが苦笑する。

「すまん、変質者かと思ってしまった……」

「申し訳ございません、てっきり曲者かと……」

 ルフィーナが「お気になさらず」と返して、呆れ顔をアラブに向けた。

「実際、兄は変なところがありますから。興奮しやすいし、すぐ大声出すし」

「す、すみませんでした」

 と、アラブが頭を下げると、フラヴィオが「良い」と溜め息交じりに返した。

「投獄しようかと思ったが、ルフィーナの兄ならば仕方ない。アラブよ、レオーネ国では兵士の仕事をしていたのか?」

「アーシャ様の近衛です。また、近頃はカンクロ国の密偵の仕事をしていました」

「そうか。こっちでは、じゃあ……ルフィーナの近衛でいいか?」

「スィー! ありがとうございます、カプリコルノ陛下!」

 とアラブが再び頭を下げると、ルフィーナも続いた。

 仲の良い兄妹なのか、とても信頼を置いているのか、ルフィーナの顔には安堵の笑みが浮かんでいる。

「部屋はルフィーナの隣を使うが良い」

 つまり、4階の階段付近にあるベルの部屋の、隣の隣の部屋だった。

「畏まりました。では、片して参ります」

 と言ってベルが立ち上がって戸口へ行こうとすると、アラブが少し焦って「あっ」とその手を掴んだ。

「自分がやります! 自分の部屋ですか――」

 と、言葉を切る。

 ターヴォラの下、突如足を踏まれた。

 向かいを見ると、鋭い眼光を放つ『力の王』の碧眼に射られている。

 瞬時に血の気が引いていったアラブがベルの手を離すと、それは笑顔を作ってルフィーナを見た。

「ベルを手伝ってやってくれるか、ルフィーナ?」

「もちろんです、陛下! わたしの兄の部屋なんですから、当然です」

 2人が部屋から出て行き、階段を上って行った頃になると、フラヴィオが再び口を開いた。

「よっぽどのことが無い限り、ベルに指一本触れるな、アラブ。おまえはすでに信用が無い」

「ほ、本当にすみませんでした。その、宮廷天使さんが、7番目の天使さんとは知らず……」

「ベルに限らず、この国で『天使』と付く女に気軽に触れて良いものではない。おまえが王妃の兄になったとしても、天使はおまえより上の身分だと思え」

「御意」

 と、また頭を下げたアラブ。

(そうか……とても高貴な宮廷天使さんと自分では、不釣り合いなのか。きっと、結婚どころか、普通に仲良くさせて頂くことすらおこがましいことなんだろう)

 と、悄然と溜め息を漏らした。

(いや、これで良い……妹の憎き恋敵なのだから。それにしても……)

 不安になってくる。

 恐る恐るフラヴィオの顔を見て問うた。

「あの…陛下……宮廷天使さんを――ベルさんを大変大切にされているようですが、ルフィーナをちゃんと王妃にして頂けるのでしょうか」

 フラヴィオが返答に窮したのが分かった。

「ムネがまた新たなメッゾサングエを連れて来ることも無くはないし、まだ何とも言えん」

「そんな……!」

 と、アラブが狼狽して立ち上がった。

「ルフィーナを王妃に選んでください、陛下! ルフィーナこそ王妃に相応しく、他の女なんて……――」

 と、アラブの言葉が途切れる。

 ここでまた、気になってしまった。

(ルフィーナが王妃になったら、宮廷天使さんはどうなってしまうんだ……?)

 ふと胸が痛み、アラブの瞳が揺れ動いたとき、扉が叩かれた。

 廊下から、家政婦長ピエトラの声が聞こえて来る。

「陛下、セレーナさんとパオラさん、それからファビオさんがお見えです」

 アラブも聞き覚えのある名前だった。

 ファビオという男は知らないが、セレーナは3番目の天使で、パオラは4番目の天使だ。顔も何度か見たことがある。

 どっちも相当の美人だと認めるが、やはり妹の方が勝っていると思う。

 フラヴィオが「おお、天使よ」と戸口の方へと向かって行く。

 その声に反応したように、扉が廊下側から開け放たれた。

 2人の天使が駆け込んでくる。

「本当に声が戻ったのね! 良かった、フラヴィオ様!」

「おら、すっごくすっごく心配しただよ! 良かっただ、良かっただ!」

 と、涙ぐみながら飛びついて来た天使たちとフラヴィオが抱擁する。後から入って来たファビオも目が潤んでいた。

「余はもう大丈夫だ。心配を掛けて悪かったな。ファビオも」

「安心しましただ、陛下。オイラ、もう二度と陛下に声が戻らねぇんじゃねぇかって……。さっすが、ベルさんだべ」

「ほんとだべ! さっすがベルちゃんだべ! これで心置きなく言えるだね、ファビオ兄!」

 と、パオラ。

 フラヴィオが「うん?」とパオラとファビオの顔を交互に見る。

 セレーナが「落ち着いて聞いてね」と、フラヴィオに言った。

 その言葉に嫌な予感がしたのか、フラヴィオの顔が強張った。

 次の刹那、突然フラヴィオの前に土下座したファビオが、アラブに負けず劣らずの大声を鳴り響かせる。

「陛下! オイラに、パオラをくださいだあぁぁっ!」

 このとき、もっとも衝撃を受けたのはアラブだった。

(――こいつ、死にに来たのか)

 一方のフラヴィオも衝撃は受けたと分かるものの、落ち着いた様子に見えた。

 パオラとセレーナに宥められながら、苦笑する。

「やっぱりと言うか……いつかそんな日が来る気はしていた。もともと仲が良いし、何よりファビオが妻子を失ってから、パオラが賢明に支えて来たしな」

「スィー、陛下。オイラには、パオラが必要ですだ。一生大切にすると誓いますだ。命を懸けて守りますだ。だから、お願いしますだっ……!」

 深い深い深呼吸をしたあと、フラヴィオが「分かった」と答えた。

 ファビオを立たせて、パオラの頭を撫でる。

「ファビオにとってのパオラは、余にとってのベルなのだろう。そう考えると捨て置けん。今後も傍で支えてやってくれ、パオラ」

「はいですだ、フラヴィオ様! ありがとうございますだっ……!」

「ああ……幸せになってくれ」

 とパオラと抱擁し合うフラヴィオを見、感涙するファビオを見ながら、またアラブに衝撃が走る。

 なんということだ。

 許されてしまった。

(見るからに一般民衆の男と、高貴な天使の結婚が……!)

 それから少しして、思い出す。

 そういえば3番目の天使セレーナも、一般民衆の男と結婚しているではないか。

 なんということだ。

(高貴な天使との結婚は、必ずしも許されないわけではないのか……!)

 そう思ったら、アラブの鼓動がたちまち高鳴っていった。

 フラヴィオとルフィーナが結婚した後、ベルはどうなるだろう?

 カプリコルノ国王フラヴィオ・マストランジェロといえば、レオーネ国でもヴィルジネ国でも善良として知られている。

 その上、桁外れの力を持っているものだから、悪の心を持っている者ほど恐れを抱く『力の王』だ。

 また同時に、女を愛して止まず、大切にし、とことん優しく甘く出来ている『酒池肉林王』だ。

 そんな男が、自分と愛し合った女と、何の罪悪感もなしに別れられようか?

 悪い言い方をすれば、ルフィーナを選ばなければならない故に、ベルを『捨てる』のだから。

 きっと罪の意識に苛まれ、ベルを哀れむに違いない。

 その結果、フラヴィオはどうするだろう?

(このファビオとかいう一般民衆の男のように、天使を一生大切にし、命を懸けて守ると誓った男に、ベルさんを託すというお考えに至るのでは……!)

 と、勝手な想像を繰り広げるアラブの頭に響く、祝福の鐘。

 脳裏に浮かぶ、真っ白なウェディングドレスヌッツィアーレ

 そしてそれを身に纏い、このアラブに微笑みかける宮廷天使――7番目の天使ベル。

(――なんということだ!)

 大切な妹の憎き恋敵?

 もうどうだって良くなった。

 鼻息が増し、鼻血が噴出する。

 セレーナとパオラが仰天して「きゃあっ!」と悲鳴を上げた。

「おおお……このお客人、顔濃いですだねー」

 とファビオがフラヴィオに耳打ちする傍ら、アラブの膨らんだ鼻孔から烈風が激しく吹き荒れる。

(近い将来、我が妹ルフィーナはカプリコルノ国王妃だ!)

 これは誰にも譲らない。

 そして――

(その兄であるこのアラブは、麗しき宮廷天使さんを――7番目の天使ベルさんを、嫁にする!)


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