酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第23話ー3

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 階段を下りながら、アラブがベルの顔を覗き込む。

 ベルはその浅黒い顔を一瞥すると、強気な声でこう言った。

「返しません」

 アラブは「スィー」と答えた。

「あれは自分がベルさんに差し上げたものですから、ご自由にどうぞ」

 その返事を意外に思ったのか、ベルの足が一瞬止まった。

「アラブさん……ありがとうございます」

「いえ。そんなことより、大丈夫ですか?」

 と問うたアラブの顔を、ベルが見つめる。

 言葉通り、心配してくれているのだと分かった。

 以前より上手になった笑顔を少し作って、「スィー」と返す。

「お気になさらず。フラヴィオ様と私は、意見の食い違いからよく喧嘩するのです」

「そ、そうでしたか。カプリコルノ陛下は、てっきり女性には甘いのかと」

「それに間違いはありません。ですが他の女性とは違い、私はフラヴィオ様の補佐なので仕方がありません」

「でも、あんなに怒鳴らなくたって……!」

 とアラブがフラヴィオへの怒りを滲ませると、ベルが「いいえ」と言った。

「フラヴィオ様と私でしたら、フラヴィオ様が『善』で、私が『悪』なのです。善人が悪人を咎めるのは当然のことです」

 とフラヴィオを庇うベルに、アラブの胸が痛む。

 さっきたしかに、ベルが傷付いて涙を浮かべていたのを見た。

「ベルさんは、悪人などではありません! ただ、陛下を想ってのことだと分かります! 自分もルフィーナのために生きて来たような男ですから、よく分かります! しかし、自分もしょっちゅう怒られます。自分のやっていることは、やりすぎだと。自分は、ルフィーナが心配で仕方がないだけなのですが……」

 とアラブが溜め息を吐くと、ベルからも溜め息が漏れた。

「そう、私もです。善良というだけならともかく、フラヴィオ様の脳内はいつでも好景気で、ちょっと目を離せば散財・豪遊・乱費……私は寒心に堪えないのです」

「なんと苦労人な……!」

 と、瞼を押さえたアラブ。

 胸が締め付けられ、「ベルさん!」と、その両手を握った。

 その後すぐに「すみません」と、慌てて手を離してから続ける。

「もう大丈夫です! カプリコルノ陛下は、自分にレオーネ国にいた頃と同じだけの給料をくれるそうです。自分はアーシャ様の近衛の中でも特に目を掛けて頂いていたので、結構あります。今まではそれをルフィーナに貢いでいましたが、これからはベルさんに貢ぎますから! そう、毎月! すべてを!」

「えっ……?」

 と一瞬、耳を疑った様子を見せたベル。

 その言葉を理解するなり、頬を染め、栗色の瞳を煌めかせていった。

「ああ、そんな、アラブさん…! あの…あのっ、ヴィルジネ国の名産品に真珠がありますが……!」

 アラブが「ふ」と笑うと白い歯が輝いた。

「真珠が欲しいのですね、分かりました。自分は優秀な王女殿下の近衛だと、ヴィルジネ陛下にも気に入られていたのでお任せください。良いものを、安く譲って頂けるのです。300万オーロあれば、毎月大粒のものがゴロゴロと!」

「ああ、そんなっ、アラブさんっ……!」

 ベルが歓喜に身震いする。

 脳内に降り注ぐ、金貨の雨。

 それは国庫の中に降り積もり、山となっていく。

「し、しかしっ……いくら私でも、これから毎月タダでそんなに頂くわけには……!」

「いえ、ベルさん――」

 気にしないで下さい。

 と言おうとして、アラブは思い直す。

(これは、ベルさんとお近付きになる絶好の機会……!)

 遠慮して逃すなんて只の馬鹿だ。

 現在、2階と3階の階段に挟まれた踊り場。

 辺りに『力の王』の姿が無いかしかと確認し、声を小さく小さく潜める。

「では、その……ベ、ベルさん」

 アラブに合わせ、ベルも小さな声で「スィー」と返事をした。

「自分がこれから毎月、大粒真珠をゴロゴロ差し上げる代わりにっ……!」

 と、アラブの鼻息が馬と化し。

「自分のファースト・キスプリーモ・バーチョを奪ってください!」

 鼻血が噴出する。

「まだでしたか」

「突っ込まないで下さい。今まで妹にしか興味が無かったのです」

「そうですか」

 と鼻血で汚れたアラブの顔を、ハンカチファッツォレットで拭いたベル。

 その要望に躊躇いなく「では」と言うと、アラブが「スィー!」とベルが届く位置まで身を低くした。

 また鼻血を噴いたので、また拭いてから顔を近付けていく。

(アラブさん……なんて素敵な男性でしょう)

 尚もベルの脳内に振り続ける金貨の雨。

 もはや豪雨のようだ。国庫の扉を破って、廊下まで溢れ出していく。

 これから毎月もらう大粒真珠は、すべて商人に転売しよう。

 真珠は二枚貝が育むとても貴重な宝石だ。大粒となったら尚のこと。

 その上、この近辺の国では滅多に手に入らないと来た。

 あれやこれやと売り文句をくっ付けて、一粒あたり何百万オーロで売りつける自信がある。

(それが唇ひとつで毎月ゴロゴロと頂けるとは……)

 ああ、なんてお安いご用だろう。

 こんなに美味しい取引を、宰相として逃すわけにはいかない。

 ――と、思ったのだが。

「……も、申し訳ございません」

 唇が触れるまであと数cmのところ、ベルが止まった。

(出来ない……)

 脳内の金貨の豪雨がぴたりと止む。

 ついでに気付く。

(あれ? これは……世間一般でいう『浮気』ですか?)

 じゃあ、駄目なんじゃなかろうか。いくら己が宰相とはいえ。

「ベルさん?」

「あ、あの……やっぱりタダでください」

「それはちょっと」

 当たり前だった。

 顔を両手で掴まれて、鼻息で前髪を乱される。

 唇を押し付けられて、鼻血を掛けられる。

 突き放そうとしたら痛いくらいに抱きすくめられて、足が床から浮いた。

 じたばたと暴れるが、最強モストロのメッゾサングエの男が相手となっては、何の抵抗にもなっていないようだった。

 離れたと思ってもまたすぐに奪われ、解放されたのは2階の廊下から使用人たちの会話が聞こえて来た頃――30秒近く経ってからだった。

 アラブがベルから唇を離し、もう触れないよう、両手を壁に付ける。

 その中にいるベルを見下ろして囁いた。

「ありがとうございました」

 俯いているベルが、「いえ」と返した。

「ア…アラブさんはこのまま、2階の図書室までお願い致します……フェーデ様とドルフ様がお待ちです。わ…私は部屋に忘れ物をしたので、4階に、と、取りに行って参ります……」

 アラブは「分かりました」と承知すると、2階へと飛び跳ねるような足取りで下りて行った。

 一方のベルは、また4階へと駆け上がっていく。

 ファッツォレットをさっきの踊り場に落として来てしまったので、袖で顔面に付いた血を拭った。

 唇を拭った。

 溢れ出してきた涙を、拭った。


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