酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第29話ー2

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 現在、1月末。カプリコルノ国は真冬真っ只中で、夜の外気温は1度から3度だ。

 43度と熱めの珠の湯には、真っ白な湯煙が立っていた。

 久しぶりの珠の湯に、34歳の幼児が「フォォォォォウ!」と歓喜の雄叫びを上げて豪快に飛び込んだ後、最近の雰囲気三十路越えの17歳も静かに入っていく。

 いつもは男女別になっているが、ハナの言っていた通り貸し切り状態だったので、フラヴィオも女湯の方に入って来た。

 テレトラスポルトで送ってくれたハナは松明に魔法で火を灯した後、「1時間後に迎えに来る」と言ってすぐに宮廷へ戻って行った。

 熱くないのか、浴槽の底を泳いで遊ぶフラヴィオの一方、ベルは一点を見つめて思案顔になっている。

(現在のワン・ジンにとって、私は『可愛さ余って憎さ百万倍』)

 ハナにそんなことを言われたときは困った。

 それが図星なら、たしかにそんなワン・ジンに直接接するのは危険極まりなく、ハナに協力を断られて当たり前だ。

 しかし、こうして考えているうちに、ふとひとつのことに気付く。

 ベルがワン・ジンの飼い主だとか、そうでないとかの話以前に、その『性格』のことだ。

(ワン・ジンは理性的というよりは、相当な感情の動物)

 ならば、

(ここは彼に手紙を書きましょう。何度も、何度も)

 交換日記を始めてから、よく思うのだ。

 手書きの文字というのは、言葉よりも想いが伝わるものだと。

 感情に忠実で左右されやすいワン・ジンを操るには、手紙は最適のものだった。

 これでさらにベルがわずかでも飼い主だったというのなら、万々歳だ。

 早々に手懐け、抱き込もう。

 そして――

(大国カンクロを、我が主フラヴィオ・マストランジェロ陛下のものと致します)

 では、その手紙を誰に届けてもらおうか?

 無論、手っ取り早くテレトラスポルト――魔法で届けてくれる者だ。

(アラブさんなら良い協力者になってくれそうです)

 何故なら、フラヴィオが世界征服する野望を抱くベルに対し、アラブはこの世のすべてを妹ルフィーナのものにすることが最終目標らしい。つまり同じ夢を持っている。

(しかし、ヴィルジネ人の容姿をしたアラブさんが、今カンクロを訪れるのは危険でしょうか)

 ならば誰に頼もうか?

 少しのあいだ黙考してベルの脳裏に浮かんだのは、一匹のカーネ・ロッソだった。ヴァレンティーナが此度見事に仲間にしてみせた、元カンクロ軍の少年カーネ・ロッソだ。

 年齢はヴァレンティーナと同じ12歳で、名を『テンテン』というらしい。

(ここは、テンテンさんにご協力願いましょうか)

 そうだ、きっとそれが良い。

 そんなことを考えていたベルの目前に、湯の中からぬっと現れた金色の頭。

 吊り上がった眉に、鋭くなった碧眼。

 膨れ上がった頬に――

「私と仕事、どっちが大事なの!?」

 裏声。

「――って言われてるぞ、アモーレが男で、余が女だったら」

 なんのことかとベルが小首を傾げると、フラヴィオが口を尖らせて続けた。

「仕事中の顔になっていたぞ、余とデートアップンタメント中だというのに。しかも悪いことを考えていた顔だ」

 ベルから小さく溜め息が漏れる。

 その仕事はベルの野望を叶えるためのものであると同時に、フラヴィオのためでもある。フラヴィオはそれを分かっているはずだが、あまり喜んではくれない。

 ならば野望を捨てれば良いのにそれも出来なくて、もどかしく、またとても悲しくなる。

 ふと、思ったことが口に出た。

「フラヴィオ様が国王陛下であらせられる以上、一番重要な部分の観念が私とは正反対なのに……どうして私を恋人に選んでくださったのですか」

「えっ……?」

 フラヴィオの碧眼が動揺した。

「ア…アモーレ……?」

 キスバーチョされると分かって、ベルが顔を背ける。気分じゃなかった。

 そしたら、熱めの湯に潜ってさぞ火照っているだろうフラヴィオの身体が、氷風呂に入っているかの如く震え出した。

「アモモモモモモ」

 と、見る見るうちに碧眼に涙が溜まり、「アモーレ!」と半ば泣き叫んで、ベルを膝の上に抱き上げる。

 そしてしかと抱き締めながら、その小さな顔を覗き込んだ。

「な、ななな、なんだアモーレ? さ、さっきの台詞はどういう意味だ? 余は捨てられるのかっ……!?」

 捨てられる?

 そんなことがあるとしたら、それはこっちの方だとベルは思う。フラヴィオは飼い主で、このベルは拾われた犬なのだから。

 そういう意味で短く失笑したら、目前の碧眼が絶望に染まっていった。

「え? 当たり前でしょう? アナタにはもう愛想が尽きたワ?」

 と、逆の意味に捉えたらしい。

「ど、どうしてそんなに酷いことを言うのだ」

 言ってない。

 が、さっきの台詞に加えてバーチョを避けたことで不安にさせてしまったのか、そう思い込んでしまったらしい。

「余は、そなたが居ないと生きて行けないのに」

 その台詞は、いつまで聞けるだろう。

 今だけかもしれなくても、生んでくれた天国の母に感謝したくなる。己はこんなにも、主に必要としてもらえる存在になれたのだから。

「それなのに、そなたは余を捨てるのか。余をもう愛していないのか。ああっ、薬指に誓いの指輪が無いぃぃぃ――」

 その涙声を遮るように、その顔を両手で包み込む。

「なんのお話ですか、フラヴィオ様。指輪なら脱衣所にあります。私はいつも、入浴時には外しているでしょう」

「あ……」

 そうだったと思い出したフラヴィオの顔が、安堵していった。

 碧眼に、その肩書き通りの天使のような微笑が映る。

「私は先ほど宮廷の裏庭で申し上げた通り、例えフラヴィオ様に裏切られたとしても、フラヴィオ様を永遠に愛しています。私には、これから先もフラヴィオ様をお支えし、フラヴィオ様の最期を膝枕で看取るというヴィットーリア王妃陛下とのお約束もありますし、それ以前に私はフラヴィオ様にお助け頂いた時点で、生涯フラヴィオ様に忠誠を尽くし、恩義に報いることを誓っているのです。お忘れですか?」

 首を横に振ったフラヴィオから、「すまん」と小さく漏れた。

 一瞬焦ってしまったが、何があろうとこのフラヴィオを愛してくれているのがベルだった。

 居なくなるわけがないのだ。困ったことに、地獄まで付いて来るというこの天使が。

「でも、傷付くからバーチョは避けないでくれ」

 ベルが「はいスィー」と返事をした。

「たとえ髭が伸びていても」

「スィー」

「酒臭くても」

「スィー」

「納豆食べた後でも」

「スィー」

「いや駄目だ、それは避けてくれ。アモーレ相手に納豆臭の漂うバーチョをかますなど、余が耐えられない」

 ベルは「ふふ」と笑うと、「いいえ」と言って両手の中の愛しい男にバーチョした。

 それはちゅっと軽いもので、今のフラヴィオには足りなかったらしい。

 間髪入れずまた唇を奪われて、脇の下に入ってきたフラヴィオの手に浴槽の縁に座らせられる。

 首や胸元にバーチョされているうちに、フラヴィオの胴体が膝のあいだに入って来て、閉じることを許されないと分かったときに「あれ?」と焦る。

「今夜は何をしに珠の湯へ?」

「だからアップンタメントだ」

 と上半身を寝かせられると、湯煙の向こうに満天の星空が見えた。

「わぁ、絶景」

 とか言っている場合ではなく。

 解放感あり過ぎだわ、誰かが入ってくるかもしれないわで、慌てて上半身を起こそうとしたベル。

「そうだな」

 と同意したフラヴィオの金色の頭が膝のあいだにあって、一気に赤面する。さっきまで熱い湯に浸かっていた故に、赤くなっている首から下と肌の色が同化していった。

 だって今更のようで、そうでもない。

 満天の星空と松明の灯りがあったら、シャンデリアランパダーリオを消した寝る前の室内よりも遥かに明るく、よく見えてしまう。

 遠ざけようと思わず伸びた手は、金色の頭に触れる前に掴まれてしまい、起こしかけていた上半身はまた寝かせられる。

 そして「駄目だ」と――抵抗するなと、命を下されてしまった。

 ベルの顔を見た碧眼が、愉快げに笑む。

「恥ずかしいのか、アモーレ?」

「ス、スィー」

「じゃー、じっくり見るからな」

 オイ、破廉恥大好き酒池肉林王。

 余計に羞恥心が込み上げて、ベルが手で顔を塞ぐ。わーんと泣き声を上げてしまいそうだった。

 その言葉通り、じっくり見るために指を使われているのが分かる。

 そんなことをされては、どんなに手で顔を塞いでいたって、その碧眼がどの部分を見ているかなんて容易に想像が付いた。

「愛らしいなー」と声が聞こえる。

「やっぱりある程度は、身体の大きさに伴ってるからな。こんなところに入れてると思うと信じられんな。最初痛くなかったか? ああ、突っ込んだんだっけ」

 ベルが小さく「そうです」と言って口を尖らせた。

 過去の経験上、まったくもって初めてでは無かったのに、女泣かせに出来ているマストランジェロ一族の男の下半身は、普通に痛かった。

 それ以上に愛しさで溢れ返ってしまって、止めてもらうどころかおねだりしてしまった以上、あまり文句は言えないが。

 フラヴィオが「すまんすまん」と笑った後に、「ところで」と続けた。

「まだ見てるだけだ、アモーレ」

 フラヴィオが何が言いたいのか察して、ベルが尚のこと赤面する。

「お、おおお、お湯に入っていたからでございますっ……!」

「いーや、違う。湯はこんなに糸引かない」

「だ…だって……!」

「まったくもう、アモーレは。あまり我慢が得意ではないな」

 と、さも仕方なさそうに言ったフラヴィオが湯の中で立ち膝になると、ベルが顔を隠していた手を外した。

 脚のあいだに硬いものが当たる。

 突っ込み返した。

「まだ見てるだけだと存じます」

「充分だ」

「まったくもって我慢が得意ではございませんね」

「余は酒池肉林王なり」

 とフラヴィオが身中に入って来てしまうと、ベルの身体が継続的に痙攣を起こしてしまうのはどうにもならないらしい。

 フラヴィオを愛している以上、永遠なんじゃないかとさえ思ってしまう。

「あのっ…あの、温泉に何をしに来ているのですかっ……!」

「だからアップンタメントだ。温泉アップンタメントで他に何をするのだ? ああ、洗いっこか?」

「入浴でございますっ!」

「うん? 寒いのか?」

「そうではなくっ……!」

「だよなぁ。むしろ、心も身体も溶けそうに熱くて、真冬のこの極寒が心地良いよなぁ。ふふふふふ――」





 ――翌朝。

「ごほごほっ……」

「何故だアモーレ、死ぬなあぁぁぁあっ!」

 ベルが風邪引いた。


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