酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第30話ー2

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「あ、あの、フラヴィオ様……『例のもの』は本日から描き始めるおつもりですか?」

「うむ。だってこの10日間の宴会中は仕事を休みにしたし、ちょうど良かろう? 描きっこに持って来いの期間だ」

「し、しかし、心の準備がっ……」

 そんな会話をしながら、フラヴィオの腕に抱かれたベルがフラヴィオの部屋――国王夫妻の寝室――に入ると、春のように暖かな微風が頬を撫でた。

「あ、ベルさん! ご快復おめでとうございます!」

 と、戸口付近にいたアラブが、人差し指をくるくると回しながら笑顔をベルに向ける。

 この暖かい風は、アラブによる風魔法だと分かった。

 部屋の中には喜々とした様子で絵を描く準備をしているフェデリコや、レットの上に色々なドレスヴェスティートを並べているアドルフォ、朝餉と思われる食事を円卓に並べているハナやルフィーナ、ピエトラもいる。

「今日のパンパーネ、ティーナとアヤメがベルのために焼いたんだぞ」

 と、ハナ。

「なんと」と、すぐに2人に礼を言いに行こうとしたベルを、ピエトラが「お待ち」と止めた。

「ティーナ殿下はお身体が弱いんだ。それからアヤメ殿下も風邪を引きやすいようだから、念のためお二人にはあと一週間は近寄らないように。お二人にもそう言っておいたから。いいね?」

 ベルは「スィー」と承知すると、部屋の中の一同を見回した。ベルが快復した故にか、皆機嫌が良さそうだった。

 真っ先に手招きしたアドルフォの下へと寄って行く。

 それはベルの頭を撫でながら、目前のレットに並べているヴェスティートを指差して「どれがいい?」と問うてきた。

「これから大公閣下に、居間に飾る肖像画を描いてもらうんだろう?」

 フラヴィオはそういうつもりで部屋に画材を用意させたわけではないのだが、どうやら他の一同のあいだではそういうことになっているらしい。

「通りで」とフラヴィオが、せっせと油と顔料を混ぜているフェデリコに顔を向けた。

「余は下描きだけで今日が終わりそうなのに、フェーデが絵具を用意しているわけだ。そういえば無かったもんな、ベルの肖像画」

 フラヴィオもベルも、まずは紙に木炭を使ったり、または地塗りをした紙に金属尖筆を使ったりして、下描きを納得いくまで描いてから本番の油絵に取り掛かる。そうでないと、描けそうにないからだ。

 しかしこの芸術の天才は、直接キャンバステーラに絵具を置いていき、それでいながら見たままに描き上げてしまう。それこそ魔法のようだった。

 フラヴィオとほぼ同じ顔の、同じ碧眼が、爛々としてベルを見つめている。

「さぁ、私の可愛い生徒よ、ヴェスティートを選んでくれ。居間に飾るものだから、皆が見る。お気に入りのものにすると良い」

「じゃあ、これだ」

 と、ブリブリ仕様の赤いヴェスティートを指差したのはフラヴィオ。ベルの15歳の誕生日のときに、フラヴィオが贈ったものだ。

 承知したフェデリコが、ベルに先に朝餉を終わらせるよう言いながら絵具を作っていく。

 ベルはフラヴィオと共に円卓に着くと、フェデリコを待たせぬよう急いで朝餉を胃に収めていった。

 でも、ヴァレンティーナとアヤメが焼いてくれたパーネは味わって食べる。2人にはパーネ作りの才があるのか、日頃厨房で働いているパーネ職人のものとほとんど変わらず美味だった。

 もう少しで朝餉を食べ終わろうかとき、ベラドンナとアリーチェが部屋の入って来た。

「ねぇ、フラヴィオ様。朝餉が終わったら少し宴に戻った方が良いんじゃない? ムネ殿下が昨日から、何か変な芸とか披露して盛り上げてくれてるけど」

 と、ベラドンナに言われたフラヴィオが承知した。

 一瞬忘れていたが、宴にはレオーネ・ヴィルジネ・サジッターリオ三国の国王・王妃を来賓として招いているのだ。いくら何でも、二日連続接待しない訳には行かない。

「では、フェーデがベルを描いているあいだに余は宴に戻るとする。フェーデが描き終わったら言ってくれ」

 そういうことになって、フラヴィオが部屋から出て行き、続いてルフィーナとピエトラも朝餉の皿の片付けで出て行った後。

 ベラドンナが「よし」と声高に言った。

「着替えるわよ、ベル。肖像画が後世まで残っても恥ずかしくないように、お姉さんがとびっきりイイ女にしてあげるわ!」

「ありがとうございます」と返したベルが手招きされたのは、レットの方。

 その周りの天蓋を、ハナとアリーチェが閉じて隠していく。

「見たままを描いてあげてね、フェーデ。見たままよ」

「見たままだぞ、見たまま。いいな、リコたん」

 と、妻アリーチェとハナに言われたフェデリコは、「ああ」と返事をした。肖像画なのだから、言われなくてもそのつもりでいた。

 それなのに、わざわざそう念を押すように言ってくるところを妙に思い、部屋にいる男たち――アドルフォとアラブ――と顔を見合わせて小首を傾げる。

 それから少しすると、天蓋の向こうから聞こえてくるベルとベラドンナの声。

「こんなもんでどう?」

「なんと…! ああ、なんとっ……!」

 なんだろう、このベルの感動に包まれていると分かる声は。

 何度も着ているヴェスティートに着替えているだけのはずなのに。

 男3人が再び顔を見合わせて小首を傾げる。

 それからまた少しすると、「いいわよ」とベラドンナの声が聞こえてきた。ハナとアリーチェが、今度は天蓋を開けていく。

 すると赤のヴェスティートで着飾り、誇らしげに立っているベルが見えた。

「おお!」

 なるほど、着替えたというだけでなく、ほんのり化粧をされていたようだ。

 それによって女っぽく、また美しくなったベルに感嘆の拍手を送る男3人――

「――って?」

 目が点になる。

「このヴェスティート、スカートゴンナフリルヴォラントが可愛いから立ち姿の方がいいわよねー。どの辺に立つのがいいかしら」

 とベラドンナがベルを引っ張って室内を歩き出した一方、三角形を作った男3人が小声になる。

「つ…突っ込み辛いんだが……」

「な…何故ベルさんの可憐なお身体が破廉恥に……」

「突っ込んでは駄目だドルフ、破廉恥なんて言ったら駄目だアラブ。アレはベルの女心だ、傷付けてはいけないっ……!」

 何のことかって、ベルの胸元のことだ。

 ヴェスティートを着替えたら、いつもの5倍くらいに膨れ上がっていた。

「し、しかし……」

 と、アドルフォとアラブが何か言いたげにベルに顔を向けると、フェデリコが狼狽した様子で続けた。

「だ、駄目だと言ったら駄目だ、2人とも! 見ろ、ベルのあの誇らしげな顔を! 気にしてたんだ、常日頃から悩んでたんだ! ここは何も言わず、あのまま描いて後世に残してやるべきだっ……!」

 と押し切ったフェデリコが、動揺を隠して笑顔をベルに向ける。

「いやいや、私の生徒は年々魅力的な女性に成長していくな。あぁ素晴らしい、喜ばしい限りだ。よーし、張り切って描くぞー」

「待ってー」

 と返事をしたのはベラドンナ。

 間もなく場所を決め、ベルにヴェスティートがよく見えるように姿勢を取らせると、「それじゃ」とアリーチェと共に部屋を後にした。天使として、来賓の接待の仕事に戻ったのだと分かる。

 アドルフォがイーゼルカヴァッレットを、アラブがキャンバステーラをベルの近くに持ってくる。

 その位置とベルの姿勢を微調整したフェデリコが、「では」と迷いなく絵具をテーラに乗せていく。アラブの目が丸くなっていった。

 アドルフォは何度も見ているが、あっという間に絵が出来上がっていく様には毎回目を奪われ、言葉を失ってしまう。

 それ故、10分ほどの間を置いてから「で?」と口を開いた。その狼のような琥珀色の瞳は、ベルとハナを捕えている。

「次は、なーにを企んでいるんだベルハナ?」

 藪から棒の問いかけに、ベルとハナが「え?」と声をハモらせた。

 フェデリコが溜め息交じりに続く。

「昨日、テンテンを部屋に呼んで何か話していただろう? ベル、君のことだから、もう何か策略でも立てているんじゃないのか? 兄上には言えないことでも、とりあえず私やドルフには相談してくれ。私もドルフも、君と同じ兄上の補佐なんだから。それとも、私やドルフにも言えないようなことなのか?」

 アラブが動揺して口を開いた。

「まさか危険なことですか、ベルさん」

「違うよ」とハナが焦った様子で声高になった。

「違うから、あたいも協力するんだ。ああいや、今回はテンテンの仕事になるけど。ただベルがワン・ジンに手紙を送るってだけだ」

「ワン・ジンに手紙を?」

 と鸚鵡返しにした男3人。その内のフェデリコの顔が、真っ先に次の反応を見せた。

「ベル、君……恐ろしい女性だな……」

「はぁ」

「ワン・ジンは君に好意を持っていたらしいじゃないか。それを分かっていて手紙を送り、抱き込もうとしているんだろう? どんなことを書くつもりなんだ? 愛の言葉でも連ねるのか?」

「えっ!」とアラブが声を上げた。

「そんなベルさん、策士な……! 自分なら、即行落ちてしまいますよ!」

「おいおい、悪い女だなー」

 とアドルフォが続く。

 男3人の目線の先にある小さな顔が、眉を寄せていった。

「何か勘違いをしていらっしゃいませんか? 私はただ、ワン・ジンの気を悪くしないようなことや、興味の持ちそうなことを書くだけです。愛の言葉など連ねたらあまりにもわざとらしく、策がバレる恐れがある故、浅はかです。ワン・ジンがそこまで単純なら、話は別ですが」

『浅はか』なフェデリコと『単純』なアラブの「すみません」がハモった。

 ベルが少し立腹した様子で「大体」と続ける。

「たとえ嘘偽りでも、私が愛していると伝えられる男性など、永遠にこの世でひとりだけです――」

 ――ほんの2時間と少しでフェデリコの絵が出来上がったと聞いて、フラヴィオが部屋に戻って来た。

「どれどれ」とわくわくしながらテーラにやって来る。

「おお、気高い女王のように良い表情をしているなアモーレ――って?」

 ベルの胸元を見、絵画を見、またベルの胸元を見て、そこを鷲掴みにする。

「何だコレは!? ここだけパンパンで不自然ではないか! 一体、何を入れたのだ!」

 と、首元から手を入れて胸に詰まっているものを引っ張り出すと、布やら綿やら出て来る。

「ずいぶんな詐欺だな、オイ!? これでは余のアモーレではない! 描き直してくれ、フェーデ!」

 ベルが慌てて「駄目です!」と言った。

「貧相なベルナデッタにはこの程度の詐欺が必要なのです!」

「何を言っている、必要などない! そなたはこのままで良いのだと、昨夜も伝えたではないか!」

「駄目です! これは居間に飾るだけでなく、後世にも残る恐れがある故! 現実など描いたら、伝説の酒池肉林王のオンナがまさかこんなに貧相だったなんてと、後人を落胆させ兼ねません!」

「なんだソレは!? いくら何でも気にしすぎだ、描き直しだ! ほら、もう一度この絵と同じ場所に立つ!」

 とフラヴィオに抱き上げられ、その場所に連れて行かれるベルが「嫌でございます!」と言って暴れる。

 小さな手でフラヴィオの肩を叩き、小さな足をバタつかせて必死に抵抗しているその姿を見て、部屋にいた4人が「まあまあ」とフラヴィオを宥めた。

「ベルがこれが良いと言うのですから、これで良いでしょう兄上」

「そうだ、フラビー。ベルのこの誇らしげな良い表情は、この膨らんだ胸元がさせたんだぞ? あたいにはよく分かんないけど、胸元も女の自信になるようだから、これで許してやってよ」

「えー?」とフラヴィオが不服の声を返し、腕に抱いているベルの顔を見る。

 真っ赤で、むくれていて、涙目だった。

 苦笑してしまう。

「分かった分かった、もう……」

 と折れることにして、今にも涙が零れ落ちそうな瞼にバーチョする。

 するとその顔が、一転して明るくなった。

「誰か、この絵を乾かすために2階の美術室に持って行ってくれ。あ、でもカヴァッレットは使うから持って行かないでくれ。画板と紙、木炭など下描きに使うものも」

「え? 本日は私がベルの肖像画を描くだけではなかったのですか?」

 とフェデリコが問うと、「いや」と返してきたその顔が突如デレた。

「余とアモーレが、描きっこする予定だったのだ」

「描きっこ……」

 と鸚鵡返しにしたフラヴィオの弟と親友は、間もなく察して呆れ顔になっていく。

「まーた兄上は……」

「どこに飾る気ですか……」

「飾るのではなく、余がこっそり見るために描くのだ」

 と胸を躍らせた様子のフラヴィオから、その腕に抱かれているベルへと2人の視線が移る。羞恥に染まっている小さな顔を、憐みの目で見てしまう。

「というわけで、皆、来賓の接待に戻ってくれ」

 と言われ、ベルの肖像画を持って部屋を後にする一同の中、フェデリコが振り返ってこう言った。

「とりあえず、ベルが兄上の絵を先に描くことをおすすめします」

「え?」と、ベルのヴェスティートを剥ぎ取る気満々でいたフラヴィオの手が止まる。

「何で余が先にアモーレの絵を描いてはいけないのだ?」

「いけないとは言いませんが、兄上の方は今日中には終わらない可能性もありますから」

「いや、だから今日は下描きだけだから終わる」

「終わりませんよ。よりによって愛しのアモーレのヌードを描くとなったら、平常心でいられる時間が短いですからね、酒池肉林王は」

 フラヴィオが「あー」と納得の声を出した後、フェデリコも部屋を後にした。


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