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第32話ー4
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「お、アモーレに似合うリボンがあったのだ。綺麗に織ってあるなー。あ、こっちの色も良いし、あれも良い……うーん、迷った。よって全部買っていこう。――おお、あっちには華やかな帽子があるぞ。アモーレや天使たちが被らねばならない鍔の広いやつ。うーん、でも、正直そういう帽子だとバーチョがし辛いのだ……」
とちょっと不服そうな顔をしたフラヴィオが、ベルの被っている帽子の唾を上げ、一度バーチョをした。
辺りから黄色い声が上がってベルの方は赤面してしまうが、フラヴィオはどうでも良さそうだ。
またベルの手を引っ張って歩きながら、ベルのものばかり買っていき、稼いだ金があっという間に減っていく。
そして買い物をする度にはしゃぎ、30分後には飛び跳ねそうなほど歓楽しているフラヴィオの顔を見ながら、ベルは黙考する。
(フラヴィオ様は、本当に記憶を失っているのか、それとも『振り』なのか……)
なんだか、後者のような気がしてきた。
最初は本当にフラヴィオが自身が誰であるかを忘却してしまったのだと思っていたが、それにしてはちょいちょい突っ込みどころがあった。そしてさっきのヴィットーリア『王妃陛下』の会話で、『振り』の疑惑が深まった。
ベルから小さく溜め息が漏れる。なるほどと思った。
(もし『振り』であるならば、本当にフラヴィオ・マストランジェロ陛下の庶民『ごっこ』ですね)
昨日、花見に行っていたレオーネ国から帰国したとき、留守番組は落ち着いた様子だった。
そのときは特に何も考えなかったが、今になってみれば妙だった。
だって国王が自身が誰であるか忘却して帰って来たら、いくらなんでも少なからず焦るものではなかろうか。
フラヴィオが『振り』をしていることにレオーネ国王は気付いていて、この国が混乱してしまわぬよう留守番組宛ての手紙に認めてくれたように思う。
フラヴィオが魔法に掛かった『振り』をして、庶民『ごっこ』を始めたようだと。
(『振り』だとしたら、どうして急にそんなことを……?)
そんな疑問の答えは一秒も経たずに出た。愚問だった。
フラヴィオはどうやら普通の――庶民の夫婦に憧れているようだと、今朝感じたばかりだ。
フラヴィオは今、ベルに花嫁衣裳を着せてくれる夢を見ているのだ。
ベルと結婚指輪を交換してくれる――永遠の愛を誓い合ってくれる夢を見ているのだ。
そしてベルを、すぐにでも妻にしてくれる夢を見ているのだ。
フラヴィオがあくまでも庶民の『振り』をしているならば、この国を担う国王である自覚がある故に、それは――妻にすることは、出来ないだろうが。
でも、それでも、胸が締め付けられる。
(嬉しい……)
繋いでいる手に、ぎゅっと力が入った。
「ふふふ、真昼間から宿か?」
「違います」
ベルも正直なところ結婚願望はあるが、フラヴィオはその何倍もあるように思えた。
もしかしたら、何十倍、何百倍かもしれない。
だって、『天使』とは別格の『女神』との結婚指輪を外そうとしてくれたほどに、ベルを想ってくれている。
このベルを妻にしたいのだと、望んでくれている。
楽しいアップンタメント中なのに涙が零れそうになって、慌てて瞼を擦る。
帽子の鍔が広い故に、真上からの視線では分からないと思ったのに、バレてしまったようだった。
「ど、どうしたのだ、アモーレっ……!」
と狼狽したフラヴィオに、突如抱き上げられる。辺りからまた黄色い声が上がった。
「何でもありません。お腹が減っただけです」
「――ハッ! そうだった、まずは昼餉だった! 余の愚か者! 姫通りは食事というよりはドルチェや菓子だし、ここは飯通りへ行くのだ! 待っていろ、アモーレっ!」
と、フラヴィオが鳴りやまない黄色い声の中を駆け抜けていく。
恥ずかしいから下ろしてもらおうかと思ったベルだったが、無理そうだ。腕が勝手にフラヴィオの首にしがみ付く。
姫通りを中央通り側から突っ切ると、西の市壁にぶつかる。
そこから南下して、市壁の西門の前を通り過ぎた辺りから、今度は様々な料理の匂いが鼻を擽る。
もう少し進んで左に曲がれば、そこは『飯通り』ことヴィーア・ブオニッシモだ。
「さて、どこの店に入ろうか」
その名の通り、こちらは食堂が建ち並んでいる。
姫通りは8割が女性客だったが、こちらは男女関係なく賑わっていた。ただ姫通りに女たちが行く分、こちらは若干男の方が多いように見える。
「まーだ食えるんですかい?」
と、先ほどカーヴォロ大食い大会で優勝したフラヴィオが笑われる。
フラヴィオが誇らしげに「うむ」と答えると、各食堂の店主・店員の呼び込みが始まった。
「何が食べたい?」
とフラヴィオに問われながら、ベルは少しのあいだ黙考した。
野菜料理専門店もあるようだが、フラヴィオの腹は現在カーヴォロで一杯になっているので避けた方が良さそうだ。
では肉か魚介かと考えて、返答に困る。
「どうした? 余のことは考えなくて良いぞ? 余はアモーレの食べたいものが食べたいのだ」
ベルもフラヴィオの食べたいものが食べたかった。が、そのフラヴィオは何でもかんでも食べる。
「む、余のことを考えているな? 駄目だ、アモーレの食べたいものを言うのだ。でもビーフステーキは駄目だ。最近、ベラを真似して無理に食べていたからな」
素直に答えることにした。
「では、あの……ホロホロ鳥を」
何軒かの店主・店員が挙手すると、フラヴィオがその中から一店舗を選んで入っていった。
「ここは魚料理もあるからな」
とフラヴィオが窓側の席にベルを着かせ、栗色の頭を撫でる。
ベルは「ありがとうございます」と答えた。
今さらだが、フラヴィオはベルの好みをよく知っている。日頃から見てくれていたのだろう。
ベルもフラヴィオのように出されたものは食べるが、脂肪分が多いものは得意ではなかった。脂肪分の少ないホロホロ鳥や、淡泊な白身魚などが食べ易い。
一枚の羊皮紙に書かれたメニューの上から下まで、フラヴィオが「んー」と目を通していく。
「アモーレ、ハーブのサラダいるか?」
「スィー」
「では、それとホロホロ鳥の蒸し煮、それから魚介料理を上から全部。ワインは白で。あ、宰相天使閣下の方はハチミツ入りの薄めたもので頼む。それからドルチェは……」
やっぱりフラヴィオは『振り』をしてそうだった。宮廷に『辞表』を出しておくなんて言っていたが、出していないし、今普通にベルのことを『宰相』だと言った。
ついでに、ホロホロ鳥は高級品なのでそれなりの値段がするのだが、そこにさらに20種類以上ある魚介料理を全部頼んでしまうあたりが庶民になり切れていない。
「以上だ。よろしく頼む」
とフラヴィオが注文を終えると、「スィー!」と張り切った様子で返事をした店員が、厨房の方へと駆け込んで行った。
「注文してから訊くのも何だが、この店で良かったか?」
と、フラヴィオが店の内装を見回しながら問うてきた。
ベルは「スィー」とはにかむ。
ホロホロ鳥がある時点で高級食堂ではあるが、流石に宮廷のように豪奢ではなく、また十代の女が好みそうな内装でもないので、フラヴィオは少し心配になったのだろう。
でも、そんなものは何も気にならなかった。フラヴィオといるというだけで、華やかで、幸せな空間に変わる。
実際、フラヴィオは絶世の美男といっても過言でないことから、ベルの視界は華やいでいる。
宮廷での食事は、楽士たちが奏でる優美な演奏を聴きながらのときもあるが、ここにそれはない。
でもベルの耳は今、とても心地良い。
耳を満たすのは、ベルよりもずっと低いけれど、優しくて明るいその声だけで充分だった。むしろ、これこそ最上級の旋律のようにさえ思う。
また、不思議なのは、ターヴォラを埋め尽くした料理のどれを食べても絶品に感じたことだ。
実際、美味しい料理なのだろう。でも、宮廷の厨房ほどエルベや香辛料は揃っていないだろうし、この国で一番の腕を持つだろう宮廷料理長フィコの料理には敵わないだろうと思う。
それなのに、とても不思議だった。フラヴィオと2人の空間がこうさせるのだろうか。
フラヴィオの顔を見ながら料理を食べると格別に幸せの味がして、「美味いな」「スィー」の会話だけで、口内に悦びが弾けていく。
それがベルだけでないのは、その真夏の太陽のような笑顔を見れば分かった。
「不思議だな」と、フラヴィオもベルと同じことを思っているようだった。
「アモーレの笑顔を食べているような気分になる」
とフラヴィオが、意識せずとも自然と笑んでいたベルの顔を見つめながら、料理を口に運ぶ。
噛み締めて飲み込み、「ふふふ」と笑った。
「美味いな」
ベルも「スィー」と答えて料理を口に運ぶ。
ふと、『幸せ太り』なんて言葉が脳裏を過ぎっていった。
きっとそれは、妻や夫の手料理といった理由の他に、愛する人と食べるというだけで舌が喜び、胃が活発に働くからだ。
実際、ベルは普段よりも食が進むし、フラヴィオはさっきカーヴォロをたらふく食べたはずなのに、3日間絶食していたくらいの食欲だ。
2人揃ってヴィーノが進み、酒豪のフラヴィオはともかく、ベルの方は酔っ払ってしまった。
でも気分が悪くなるということはなく、ひたすら楽しくなって、饒舌になる。
「フラヴィオ様、ベルナデッタはホロホロ鳥が好きです」
「うむ、そうだな」
「フラヴィオ様、ベルナデッタは白身魚が好きです」
「うむ、知っている」
「フラヴィオ様、ベルナデッタはお金が好きです」
「うむ、本当にな」
「フラヴィオ様、ベルナデッタはフラヴィオ様が好きです」
「うむ、分かって――」
「嘘です」
「え」
「大好きです、愛しています。フラヴィオ様、ベルナデッタはフラヴィオ様を愛しています。この先どんな未来が待っていても、何よりも誰よりもフラヴィオ様を愛しています。たとえフラヴィオ様が他の女性を愛そうとも、ベルナデッタはフラヴィオ様を愛しています」
そう言った直後に確信した。
フラヴィオはやはり、記憶を失った『振り』をしている。
後悔する。
素直に「うむ」と見せてくれた嬉しそうな笑顔とは裏腹に、深く傷付いた碧眼があった。
それは『振り』であることの何よりもの証拠だ。
自身が国王であることの自覚があり、ベルでない女と結婚せねばならない罪悪感からくるものだ。
こんなにも愛した女を傷付けてしまうかもしれないことに、この男の胸が無傷でいられるわけがなかった。
「余も愛している、アモーレ。以前も言ったが、何があってもこの先、そなたを永遠に愛している。忘れないでくれ」
ベルは「スィー」と笑顔で返事をする。その言葉を微塵も疑っていない。
「そして捨てないでくれ。いや、そなたは捨てないでくれる分かっているが、捨てないでくれ。いや、そなただけは何があっても捨てないでくれるのは分かっているんだが、余を捨ててはならぬ」
今度は「スィー」と噴き出す。フラヴィオがそんなことを言って不安心になるたびに笑ってしまう。
だって拾われたのはこっちなのに、おかしな話だ。
でもフラヴィオの方は涙目になってしまったので、話を逸らして笑顔を取り戻した。
とちょっと不服そうな顔をしたフラヴィオが、ベルの被っている帽子の唾を上げ、一度バーチョをした。
辺りから黄色い声が上がってベルの方は赤面してしまうが、フラヴィオはどうでも良さそうだ。
またベルの手を引っ張って歩きながら、ベルのものばかり買っていき、稼いだ金があっという間に減っていく。
そして買い物をする度にはしゃぎ、30分後には飛び跳ねそうなほど歓楽しているフラヴィオの顔を見ながら、ベルは黙考する。
(フラヴィオ様は、本当に記憶を失っているのか、それとも『振り』なのか……)
なんだか、後者のような気がしてきた。
最初は本当にフラヴィオが自身が誰であるかを忘却してしまったのだと思っていたが、それにしてはちょいちょい突っ込みどころがあった。そしてさっきのヴィットーリア『王妃陛下』の会話で、『振り』の疑惑が深まった。
ベルから小さく溜め息が漏れる。なるほどと思った。
(もし『振り』であるならば、本当にフラヴィオ・マストランジェロ陛下の庶民『ごっこ』ですね)
昨日、花見に行っていたレオーネ国から帰国したとき、留守番組は落ち着いた様子だった。
そのときは特に何も考えなかったが、今になってみれば妙だった。
だって国王が自身が誰であるか忘却して帰って来たら、いくらなんでも少なからず焦るものではなかろうか。
フラヴィオが『振り』をしていることにレオーネ国王は気付いていて、この国が混乱してしまわぬよう留守番組宛ての手紙に認めてくれたように思う。
フラヴィオが魔法に掛かった『振り』をして、庶民『ごっこ』を始めたようだと。
(『振り』だとしたら、どうして急にそんなことを……?)
そんな疑問の答えは一秒も経たずに出た。愚問だった。
フラヴィオはどうやら普通の――庶民の夫婦に憧れているようだと、今朝感じたばかりだ。
フラヴィオは今、ベルに花嫁衣裳を着せてくれる夢を見ているのだ。
ベルと結婚指輪を交換してくれる――永遠の愛を誓い合ってくれる夢を見ているのだ。
そしてベルを、すぐにでも妻にしてくれる夢を見ているのだ。
フラヴィオがあくまでも庶民の『振り』をしているならば、この国を担う国王である自覚がある故に、それは――妻にすることは、出来ないだろうが。
でも、それでも、胸が締め付けられる。
(嬉しい……)
繋いでいる手に、ぎゅっと力が入った。
「ふふふ、真昼間から宿か?」
「違います」
ベルも正直なところ結婚願望はあるが、フラヴィオはその何倍もあるように思えた。
もしかしたら、何十倍、何百倍かもしれない。
だって、『天使』とは別格の『女神』との結婚指輪を外そうとしてくれたほどに、ベルを想ってくれている。
このベルを妻にしたいのだと、望んでくれている。
楽しいアップンタメント中なのに涙が零れそうになって、慌てて瞼を擦る。
帽子の鍔が広い故に、真上からの視線では分からないと思ったのに、バレてしまったようだった。
「ど、どうしたのだ、アモーレっ……!」
と狼狽したフラヴィオに、突如抱き上げられる。辺りからまた黄色い声が上がった。
「何でもありません。お腹が減っただけです」
「――ハッ! そうだった、まずは昼餉だった! 余の愚か者! 姫通りは食事というよりはドルチェや菓子だし、ここは飯通りへ行くのだ! 待っていろ、アモーレっ!」
と、フラヴィオが鳴りやまない黄色い声の中を駆け抜けていく。
恥ずかしいから下ろしてもらおうかと思ったベルだったが、無理そうだ。腕が勝手にフラヴィオの首にしがみ付く。
姫通りを中央通り側から突っ切ると、西の市壁にぶつかる。
そこから南下して、市壁の西門の前を通り過ぎた辺りから、今度は様々な料理の匂いが鼻を擽る。
もう少し進んで左に曲がれば、そこは『飯通り』ことヴィーア・ブオニッシモだ。
「さて、どこの店に入ろうか」
その名の通り、こちらは食堂が建ち並んでいる。
姫通りは8割が女性客だったが、こちらは男女関係なく賑わっていた。ただ姫通りに女たちが行く分、こちらは若干男の方が多いように見える。
「まーだ食えるんですかい?」
と、先ほどカーヴォロ大食い大会で優勝したフラヴィオが笑われる。
フラヴィオが誇らしげに「うむ」と答えると、各食堂の店主・店員の呼び込みが始まった。
「何が食べたい?」
とフラヴィオに問われながら、ベルは少しのあいだ黙考した。
野菜料理専門店もあるようだが、フラヴィオの腹は現在カーヴォロで一杯になっているので避けた方が良さそうだ。
では肉か魚介かと考えて、返答に困る。
「どうした? 余のことは考えなくて良いぞ? 余はアモーレの食べたいものが食べたいのだ」
ベルもフラヴィオの食べたいものが食べたかった。が、そのフラヴィオは何でもかんでも食べる。
「む、余のことを考えているな? 駄目だ、アモーレの食べたいものを言うのだ。でもビーフステーキは駄目だ。最近、ベラを真似して無理に食べていたからな」
素直に答えることにした。
「では、あの……ホロホロ鳥を」
何軒かの店主・店員が挙手すると、フラヴィオがその中から一店舗を選んで入っていった。
「ここは魚料理もあるからな」
とフラヴィオが窓側の席にベルを着かせ、栗色の頭を撫でる。
ベルは「ありがとうございます」と答えた。
今さらだが、フラヴィオはベルの好みをよく知っている。日頃から見てくれていたのだろう。
ベルもフラヴィオのように出されたものは食べるが、脂肪分が多いものは得意ではなかった。脂肪分の少ないホロホロ鳥や、淡泊な白身魚などが食べ易い。
一枚の羊皮紙に書かれたメニューの上から下まで、フラヴィオが「んー」と目を通していく。
「アモーレ、ハーブのサラダいるか?」
「スィー」
「では、それとホロホロ鳥の蒸し煮、それから魚介料理を上から全部。ワインは白で。あ、宰相天使閣下の方はハチミツ入りの薄めたもので頼む。それからドルチェは……」
やっぱりフラヴィオは『振り』をしてそうだった。宮廷に『辞表』を出しておくなんて言っていたが、出していないし、今普通にベルのことを『宰相』だと言った。
ついでに、ホロホロ鳥は高級品なのでそれなりの値段がするのだが、そこにさらに20種類以上ある魚介料理を全部頼んでしまうあたりが庶民になり切れていない。
「以上だ。よろしく頼む」
とフラヴィオが注文を終えると、「スィー!」と張り切った様子で返事をした店員が、厨房の方へと駆け込んで行った。
「注文してから訊くのも何だが、この店で良かったか?」
と、フラヴィオが店の内装を見回しながら問うてきた。
ベルは「スィー」とはにかむ。
ホロホロ鳥がある時点で高級食堂ではあるが、流石に宮廷のように豪奢ではなく、また十代の女が好みそうな内装でもないので、フラヴィオは少し心配になったのだろう。
でも、そんなものは何も気にならなかった。フラヴィオといるというだけで、華やかで、幸せな空間に変わる。
実際、フラヴィオは絶世の美男といっても過言でないことから、ベルの視界は華やいでいる。
宮廷での食事は、楽士たちが奏でる優美な演奏を聴きながらのときもあるが、ここにそれはない。
でもベルの耳は今、とても心地良い。
耳を満たすのは、ベルよりもずっと低いけれど、優しくて明るいその声だけで充分だった。むしろ、これこそ最上級の旋律のようにさえ思う。
また、不思議なのは、ターヴォラを埋め尽くした料理のどれを食べても絶品に感じたことだ。
実際、美味しい料理なのだろう。でも、宮廷の厨房ほどエルベや香辛料は揃っていないだろうし、この国で一番の腕を持つだろう宮廷料理長フィコの料理には敵わないだろうと思う。
それなのに、とても不思議だった。フラヴィオと2人の空間がこうさせるのだろうか。
フラヴィオの顔を見ながら料理を食べると格別に幸せの味がして、「美味いな」「スィー」の会話だけで、口内に悦びが弾けていく。
それがベルだけでないのは、その真夏の太陽のような笑顔を見れば分かった。
「不思議だな」と、フラヴィオもベルと同じことを思っているようだった。
「アモーレの笑顔を食べているような気分になる」
とフラヴィオが、意識せずとも自然と笑んでいたベルの顔を見つめながら、料理を口に運ぶ。
噛み締めて飲み込み、「ふふふ」と笑った。
「美味いな」
ベルも「スィー」と答えて料理を口に運ぶ。
ふと、『幸せ太り』なんて言葉が脳裏を過ぎっていった。
きっとそれは、妻や夫の手料理といった理由の他に、愛する人と食べるというだけで舌が喜び、胃が活発に働くからだ。
実際、ベルは普段よりも食が進むし、フラヴィオはさっきカーヴォロをたらふく食べたはずなのに、3日間絶食していたくらいの食欲だ。
2人揃ってヴィーノが進み、酒豪のフラヴィオはともかく、ベルの方は酔っ払ってしまった。
でも気分が悪くなるということはなく、ひたすら楽しくなって、饒舌になる。
「フラヴィオ様、ベルナデッタはホロホロ鳥が好きです」
「うむ、そうだな」
「フラヴィオ様、ベルナデッタは白身魚が好きです」
「うむ、知っている」
「フラヴィオ様、ベルナデッタはお金が好きです」
「うむ、本当にな」
「フラヴィオ様、ベルナデッタはフラヴィオ様が好きです」
「うむ、分かって――」
「嘘です」
「え」
「大好きです、愛しています。フラヴィオ様、ベルナデッタはフラヴィオ様を愛しています。この先どんな未来が待っていても、何よりも誰よりもフラヴィオ様を愛しています。たとえフラヴィオ様が他の女性を愛そうとも、ベルナデッタはフラヴィオ様を愛しています」
そう言った直後に確信した。
フラヴィオはやはり、記憶を失った『振り』をしている。
後悔する。
素直に「うむ」と見せてくれた嬉しそうな笑顔とは裏腹に、深く傷付いた碧眼があった。
それは『振り』であることの何よりもの証拠だ。
自身が国王であることの自覚があり、ベルでない女と結婚せねばならない罪悪感からくるものだ。
こんなにも愛した女を傷付けてしまうかもしれないことに、この男の胸が無傷でいられるわけがなかった。
「余も愛している、アモーレ。以前も言ったが、何があってもこの先、そなたを永遠に愛している。忘れないでくれ」
ベルは「スィー」と笑顔で返事をする。その言葉を微塵も疑っていない。
「そして捨てないでくれ。いや、そなたは捨てないでくれる分かっているが、捨てないでくれ。いや、そなただけは何があっても捨てないでくれるのは分かっているんだが、余を捨ててはならぬ」
今度は「スィー」と噴き出す。フラヴィオがそんなことを言って不安心になるたびに笑ってしまう。
だって拾われたのはこっちなのに、おかしな話だ。
でもフラヴィオの方は涙目になってしまったので、話を逸らして笑顔を取り戻した。
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