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第32話ー3
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その頃、フラヴィオの背後にあるヴェスティート屋では。
店舗の奥の方にある試着室で採寸されているベルが、周りにいる女たちの顔を見回した。
ヴァレンティーナとパオラ、店主の他、3人の宮廷服飾職人だった。試着室のすぐ外には、アドルフォもいる。
「良かったー、父上が私の描いたベルの花嫁衣裳を気に入ってくれて。私が描いたって知らなくても気に入ってくれたってことは、純粋にベルに着せたいって思ってくれたのよね」
と、ヴァレンティーナが安堵の笑みを見せると、宮廷服飾職人たちが「そうですね」と同意した。
その顔を見ると、胸を躍らせているのが分かる。
「陛下は、純粋にベル様にお似合いだと思われたご様子でしたね。それもそのはず、ヴェスティートのセンスでヴァレンティーナ殿下の右に出るものなどおりませんからね。流石でございます。後はわたしたちにお任せください」
「貼り紙通り、わたくしたちが3日で仕上げてみせますからね、ベル様」
ベルが「ありがとうございます」と返しながらも困惑した顔をしていると、ヴァレンティーナが「もう」と言った。
「喜んでよ、ベル。たとえ今は試着だけでも、花嫁衣裳を着られるのよ? それとも、これじゃ嫌だった?」
「いいえ、ティーナ様。私のために、とても素敵なヴェスティートをありがとうございます。し、しかしですね、その……今のところ、フラヴィオ様と私の結婚の予定は無く――」
「ベル」と言葉を遮ったのは、試着室の外にいるアドルフォだ。
「戸惑うのは分かるが、ただの試着だ。ちょっと着てみるだけだ。そう固いことを言わずに、陛下に付き合ってやってくれ。陛下は、おまえがそれを着た姿が見たいんだ」
「私も!」
「おらも!」
とヴァレンティーナとパオラがはしゃいだ様子で続くと、ベルはまだ困惑しながらも「畏まりました」と承知するしかなかった。
宮廷服飾職人たちが続く。
「それに作っておいても無駄にはならないかと。陛下がベル様を永遠に放っておくわけがありませんから。オルキデーア石の指輪がその証拠です」
「いずれ必ず陛下と結婚式を挙げる日が来ますよ、ベル様。先に挙げるのは、どこのメッゾサングエか知りませんが」
とその語調に棘が混じると、もう2人の宮廷職人たちの顔色が変わった。
「レオーネ王太子殿下は、一体どんなメッゾサングエの女を連れて来るのかしら。陛下の後妻なんてベル様しか考えられないのに。タロウくんやハナちゃん、ナナちゃん・ネネちゃんの姉妹っていうならまだ許せるけど……メッゾサングエの姉妹がいるなんて話聞いたことないし、違うんでしょう?」
「まさか、またルフィーナさんになったりしないわよね? アラブ将軍の活躍でルフィーナさんを許した人たちもいるけど、わたくしはルフィーナさんを好きになれないわ」
「やっぱり? わたしもなのよ。あの子が宮廷にいた頃、皆がどれだけイライラしてたか」
ベルが服飾職人たちの顔を見回して口を開く。
「ルフィーナさんは国民想いの善良な女性です。ルフィーナさんがフラヴィオ様の後妻でも、またそれが他のメッゾサングエの女性でも、王妃陛下なのですから、くれぐれもご無礼の無きようお願い致します」
「スィー、ベル様」
と素直に承知した服飾職人たちだったが、その顔はどこか不服そうだった。
不安になったベルが再び口を開こうかとき、試着室の外から「どうした?」とアドルフォの声が聞こえて来た。
でも問われたのはベルたちじゃなく、さっきまで店の外にいたファビオのようだった。
「あ、あの……ベルさん? 陛下が、その……やっちまったんですけんども」
その言葉でもう察したベルから、小さく溜め息が漏れた。
「フラヴィオ様はおいくらで売ってしまわれたのですか? オルキデーア石の赤のクズ石ならば、市場価格は1万オーロが妥当ですが」
「ご……500オーロですだ」
アドルフォが「おいおい」と言った。
ベルは想定内ではあったが、苦笑してしまう。ヌッツィアーレの試着話に動揺してないで、きちんと売値を指定しておくべきだった。
ファビオが「それで」と続ける。
「オイラ止めようとしたんですけんども、あっという間に売り切れちまって……」
そりゃそうだった。たとえ民衆が、フラヴィオの庶民ごっこに付き合ってやっていなかったとしても。
「全部売り切った後に市場価格をお伝えしたら、なんか陛下だけ大地震に襲われてるみたいになって……」
ベルに怒られる予感がして戦慄したと思われる。
「真っ青になって、これから飯通りで開催される『キャベツの千切り大食い大会』に向かわれましただ」
「は?」と複数の声がハモッた。
「優勝賞金の100万オーロが目当てでねぇかと。ベルさんはここで待っているようにとのことですだ」
アドルフォの哄笑が聞こえてくる。
「あったな、陛下に国王以外に向いている職業。いやまぁ、職業じゃないが。見事優勝を掻っ攫ってくるぞ、陛下は。なんせ、食い物を出されたら出されただけ食される」
「ええ、そうです。ですから止めて差し上げないと、お腹を壊されてしまいますっ……!」
とベルが狼狽すると、アドルフォが「大丈夫だ」とまた笑った。
「陛下の腹はそんなに柔じゃない。ベルのために稼ぎたいんだ、陛下は。ここはおとなしくやらせてやってくれ」
「そうですだよ、ベルさん」
とファビオが続いた。
「陛下、欲しいものがあるみたいですだし」
「欲しいもの?」
とベルが鸚鵡返しにして問うと、ファビオが「スィー」と答えた。
「陛下は欲しいものが2つあるですだよ」
それが何であるかの答えを聞きたかったのだが、返ってこなかった。
しかも2つとは何だろうとベルが黙考する傍ら、分かったらしいパオラが「あー」と声高になった。
「そうだべねー、フラヴィオ様欲しいべねー。それにアレは庶民ごっこしてても買えるべね。だってフラヴィオ様、ゴテゴテしたのでなく、簡素なのを選ぶべ?」
アドルフォも何のことだか察したらしい。試着室の外から「だな」と聞こえた。
「戦場に出る男たちは、簡素なのじゃないと鎧を装備出来ないからな。一部の徴兵の義務がない男たちは、凝ったやつをしてるのを見たことがあるが」
それで分かったらしいヴァレンティーナも続く。
「女の人も簡素なのを選ぶわよね。重ね付けすること多いから」
「うん。んだから、庶民ごっこしてても買える値段だべね。良い素材のを使っても」
「だなぁ。俺は人並外れてデカい分、2つ合わせて30万オーロくらいした記憶があるが……普通は20万前後で済むんじゃないか?」
店主や宮廷服飾職人たちも「ですね」と同意して会話が盛り上がる中、ひとり分かっていないベルが思案顔になっていく。
会話を頼りにあれやこれやと考えてみるが、明確な答えが出ないまま2時間。
時刻は昼時。フラヴィオがまだ帰って来ない。
「ま、まさかフラヴィオ様、まだカーヴォロの千切りを……」
とベルが不安を覚えたとき――
「待たせたな、アモーレ」
臨月みたいな腹をしたフラヴィオが現れた。
「って、ティーナとドルフも来てたのか。んじゃ、アモーレもティーナもドルフもパオラもファビオも皆まとめて、待たせたな」
誇らしげな顔だ。
手にぶら下げていた重たそうな布袋を掲げる。どうやらカーヴォロの千切り大食い大会で優勝して来たらしい。
「余は100万オーロを稼いできた! クズ石の分も含めたら、合計132万オーロだ! でももう22万ほど買い物をしてきたから、この袋の中には残り110万オーロだ!」
周りの一同と共にまずは拍手を送った後、ベルはフラヴィオの手元やポケットのあたりを見ながら「それで」と問う。
「そのお買いになった物はいずこですか?」
「3日後に仕上がるそうだ」
その返答に、ヴァレンティーナとパオラが「えっ」と声を上げて顔を見合わせた。
「じゃあ、花嫁衣裳と一緒だわ!」
「だべね! 良かっただね、ベルちゃん!」
と2人ははしゃぐし、宮廷服飾職人たちはもう帰ったが、アドルフォやファビオ、店主も微笑ましそうにしている。
話題は花嫁衣裳の試着場所や、フラヴィオが買って来たものはどこで渡すのかになって、それは現在フラヴィオとベルが暮らしている邸宅の中ということになった。
皆の話を聞いているうちに、ベルはようやく察した気がした。
フラヴィオが買って来たという22万オーロのものは、さっき話していたフラヴィオの欲しいもの2つで間違いなさそうだ。
(そしてそれは、もしかして……)
フラヴィオの左手を見る。
その薬指には、実はまだ簡素な金の指輪――ヴィットーリアとの結婚指輪がしたままになっている。
フラヴィオと恋人同士になっても、ベルはそれを当然のことのように思っていて、気にも留めていなかった。フラヴィオの左耳のピアスなんかもそうだが、フラヴィオの身体の一部のようにさえ思っている。
考えてみれば、恋人になったならば少しくらいは不快感があっても良さそうなものだ。
しかし、もともとフラヴィオの中の『女神』は永遠にひとりで、それに匹敵する者など永遠に現れないと確信していた故にか、そういった感情はまるで起こらなかった。
(――まさかフラヴィオ様、外されるおつもりですか? 私のために)
と、それはあってはならないことのように思えて、栗色の瞳を大きく動揺させながらフラヴィオの顔を見上げる。
薬指からその指輪を外さないというのなら、重ねて付けるのだろうか?
正直、その方が気が楽だ。
側室がゴロゴロいた過去の国王たちの肖像画を見ると、当然のごとく結婚指輪が重ね付けされていることだし。多いのでは、第二関節が曲がるか曲がらないかのギリギリまで指輪が嵌められていた。
ベルの顔を見返したフラヴィオが、微笑する。
その後、自身の左手を見た。
感慨深そうに指輪を眺める碧眼に涙が浮かんだように見えたとき、フラヴィオの右手が動いた。
それが指輪を外そうとしたのだと分かった刹那、ベルは「なりません!」と声を上げていた。
フラヴィオの左手を取り、指輪を指の根本に力一杯押し付ける。
「あだだだだだだ!? 何してるのだアモーレ、何してるのだーっ?」
「な、なりませんフラヴィオ様、なりません! これはヴィットーリア王妃陛下との永遠の愛の誓いでございます!」
「ああ、ヴィットーリアのことは永遠に愛している。それはどう足掻いても変わりそうにない。申し訳ない」
「謝らないでください、当然でございます!」
「しかし、この指輪を外さなければならぬときが来――」
「なりません! フラヴィオ様、なりません!」
と指輪を尚のこと指の根元に押し付けられ、再び「あだだだだだだ」と声を出したフラヴィオ。
この小動物にはいくら叩かれても痒い程度だが、これは普通にちょっと痛い。
その栗色の頭を「分かった分かった」と撫でて宥めた。
「ま、3日後だしな。まだいいか」
「なりません、3日経とうが、何十年経とうがっ……!」
「はいはい」
とあしらったような返事に、ベルの頬が膨れる。
「そうプンプンするな、アモーレ。これからアップンタメントだぞ?」
とフラヴィオが帽子を被せてやると、膨れた頬が元に戻った。「スィー」と栗色の瞳が煌めく。
「まずは昼餉からだな」
「まだお腹に入るのですか?」
「1つ目の胃袋なら一杯だが、他はまだ空いている」
「牛ですか?」
ヴェスティート屋にいた一同に見送られながら、フラヴィオとベルが再び姫通りへと出る。
また手を繋いで歩きながら、ベルは「あれ?」と呟いて一瞬足を止めた。
「どうした?」とフラヴィオに問われ、「いえ」と何事も無かったかのようにまた歩き出す。
頭の中で、さっきの会話を振り返っていたら違和感を覚えた。
(私は、ヴィットーリア『王妃陛下』って言ったのに……)
フラヴィオは『庶民』と言い張る割には、あまりにも自然に聞き入れていた。無反応なほどだった。
つまり、フラヴィオの中でヴィットーリアは庶民にはなっておらず、『王妃』のままなのだ。
だったらその夫だった自身は、何かと言ったらひとつしか無いはずだ。
(もしかして、フラヴィオ様……)
とその顔を見上げる。周りの店を見回し、爛々と煌めく碧眼があった。
(記憶喪失になった『振り』をしてる……?)
店舗の奥の方にある試着室で採寸されているベルが、周りにいる女たちの顔を見回した。
ヴァレンティーナとパオラ、店主の他、3人の宮廷服飾職人だった。試着室のすぐ外には、アドルフォもいる。
「良かったー、父上が私の描いたベルの花嫁衣裳を気に入ってくれて。私が描いたって知らなくても気に入ってくれたってことは、純粋にベルに着せたいって思ってくれたのよね」
と、ヴァレンティーナが安堵の笑みを見せると、宮廷服飾職人たちが「そうですね」と同意した。
その顔を見ると、胸を躍らせているのが分かる。
「陛下は、純粋にベル様にお似合いだと思われたご様子でしたね。それもそのはず、ヴェスティートのセンスでヴァレンティーナ殿下の右に出るものなどおりませんからね。流石でございます。後はわたしたちにお任せください」
「貼り紙通り、わたくしたちが3日で仕上げてみせますからね、ベル様」
ベルが「ありがとうございます」と返しながらも困惑した顔をしていると、ヴァレンティーナが「もう」と言った。
「喜んでよ、ベル。たとえ今は試着だけでも、花嫁衣裳を着られるのよ? それとも、これじゃ嫌だった?」
「いいえ、ティーナ様。私のために、とても素敵なヴェスティートをありがとうございます。し、しかしですね、その……今のところ、フラヴィオ様と私の結婚の予定は無く――」
「ベル」と言葉を遮ったのは、試着室の外にいるアドルフォだ。
「戸惑うのは分かるが、ただの試着だ。ちょっと着てみるだけだ。そう固いことを言わずに、陛下に付き合ってやってくれ。陛下は、おまえがそれを着た姿が見たいんだ」
「私も!」
「おらも!」
とヴァレンティーナとパオラがはしゃいだ様子で続くと、ベルはまだ困惑しながらも「畏まりました」と承知するしかなかった。
宮廷服飾職人たちが続く。
「それに作っておいても無駄にはならないかと。陛下がベル様を永遠に放っておくわけがありませんから。オルキデーア石の指輪がその証拠です」
「いずれ必ず陛下と結婚式を挙げる日が来ますよ、ベル様。先に挙げるのは、どこのメッゾサングエか知りませんが」
とその語調に棘が混じると、もう2人の宮廷職人たちの顔色が変わった。
「レオーネ王太子殿下は、一体どんなメッゾサングエの女を連れて来るのかしら。陛下の後妻なんてベル様しか考えられないのに。タロウくんやハナちゃん、ナナちゃん・ネネちゃんの姉妹っていうならまだ許せるけど……メッゾサングエの姉妹がいるなんて話聞いたことないし、違うんでしょう?」
「まさか、またルフィーナさんになったりしないわよね? アラブ将軍の活躍でルフィーナさんを許した人たちもいるけど、わたくしはルフィーナさんを好きになれないわ」
「やっぱり? わたしもなのよ。あの子が宮廷にいた頃、皆がどれだけイライラしてたか」
ベルが服飾職人たちの顔を見回して口を開く。
「ルフィーナさんは国民想いの善良な女性です。ルフィーナさんがフラヴィオ様の後妻でも、またそれが他のメッゾサングエの女性でも、王妃陛下なのですから、くれぐれもご無礼の無きようお願い致します」
「スィー、ベル様」
と素直に承知した服飾職人たちだったが、その顔はどこか不服そうだった。
不安になったベルが再び口を開こうかとき、試着室の外から「どうした?」とアドルフォの声が聞こえて来た。
でも問われたのはベルたちじゃなく、さっきまで店の外にいたファビオのようだった。
「あ、あの……ベルさん? 陛下が、その……やっちまったんですけんども」
その言葉でもう察したベルから、小さく溜め息が漏れた。
「フラヴィオ様はおいくらで売ってしまわれたのですか? オルキデーア石の赤のクズ石ならば、市場価格は1万オーロが妥当ですが」
「ご……500オーロですだ」
アドルフォが「おいおい」と言った。
ベルは想定内ではあったが、苦笑してしまう。ヌッツィアーレの試着話に動揺してないで、きちんと売値を指定しておくべきだった。
ファビオが「それで」と続ける。
「オイラ止めようとしたんですけんども、あっという間に売り切れちまって……」
そりゃそうだった。たとえ民衆が、フラヴィオの庶民ごっこに付き合ってやっていなかったとしても。
「全部売り切った後に市場価格をお伝えしたら、なんか陛下だけ大地震に襲われてるみたいになって……」
ベルに怒られる予感がして戦慄したと思われる。
「真っ青になって、これから飯通りで開催される『キャベツの千切り大食い大会』に向かわれましただ」
「は?」と複数の声がハモッた。
「優勝賞金の100万オーロが目当てでねぇかと。ベルさんはここで待っているようにとのことですだ」
アドルフォの哄笑が聞こえてくる。
「あったな、陛下に国王以外に向いている職業。いやまぁ、職業じゃないが。見事優勝を掻っ攫ってくるぞ、陛下は。なんせ、食い物を出されたら出されただけ食される」
「ええ、そうです。ですから止めて差し上げないと、お腹を壊されてしまいますっ……!」
とベルが狼狽すると、アドルフォが「大丈夫だ」とまた笑った。
「陛下の腹はそんなに柔じゃない。ベルのために稼ぎたいんだ、陛下は。ここはおとなしくやらせてやってくれ」
「そうですだよ、ベルさん」
とファビオが続いた。
「陛下、欲しいものがあるみたいですだし」
「欲しいもの?」
とベルが鸚鵡返しにして問うと、ファビオが「スィー」と答えた。
「陛下は欲しいものが2つあるですだよ」
それが何であるかの答えを聞きたかったのだが、返ってこなかった。
しかも2つとは何だろうとベルが黙考する傍ら、分かったらしいパオラが「あー」と声高になった。
「そうだべねー、フラヴィオ様欲しいべねー。それにアレは庶民ごっこしてても買えるべね。だってフラヴィオ様、ゴテゴテしたのでなく、簡素なのを選ぶべ?」
アドルフォも何のことだか察したらしい。試着室の外から「だな」と聞こえた。
「戦場に出る男たちは、簡素なのじゃないと鎧を装備出来ないからな。一部の徴兵の義務がない男たちは、凝ったやつをしてるのを見たことがあるが」
それで分かったらしいヴァレンティーナも続く。
「女の人も簡素なのを選ぶわよね。重ね付けすること多いから」
「うん。んだから、庶民ごっこしてても買える値段だべね。良い素材のを使っても」
「だなぁ。俺は人並外れてデカい分、2つ合わせて30万オーロくらいした記憶があるが……普通は20万前後で済むんじゃないか?」
店主や宮廷服飾職人たちも「ですね」と同意して会話が盛り上がる中、ひとり分かっていないベルが思案顔になっていく。
会話を頼りにあれやこれやと考えてみるが、明確な答えが出ないまま2時間。
時刻は昼時。フラヴィオがまだ帰って来ない。
「ま、まさかフラヴィオ様、まだカーヴォロの千切りを……」
とベルが不安を覚えたとき――
「待たせたな、アモーレ」
臨月みたいな腹をしたフラヴィオが現れた。
「って、ティーナとドルフも来てたのか。んじゃ、アモーレもティーナもドルフもパオラもファビオも皆まとめて、待たせたな」
誇らしげな顔だ。
手にぶら下げていた重たそうな布袋を掲げる。どうやらカーヴォロの千切り大食い大会で優勝して来たらしい。
「余は100万オーロを稼いできた! クズ石の分も含めたら、合計132万オーロだ! でももう22万ほど買い物をしてきたから、この袋の中には残り110万オーロだ!」
周りの一同と共にまずは拍手を送った後、ベルはフラヴィオの手元やポケットのあたりを見ながら「それで」と問う。
「そのお買いになった物はいずこですか?」
「3日後に仕上がるそうだ」
その返答に、ヴァレンティーナとパオラが「えっ」と声を上げて顔を見合わせた。
「じゃあ、花嫁衣裳と一緒だわ!」
「だべね! 良かっただね、ベルちゃん!」
と2人ははしゃぐし、宮廷服飾職人たちはもう帰ったが、アドルフォやファビオ、店主も微笑ましそうにしている。
話題は花嫁衣裳の試着場所や、フラヴィオが買って来たものはどこで渡すのかになって、それは現在フラヴィオとベルが暮らしている邸宅の中ということになった。
皆の話を聞いているうちに、ベルはようやく察した気がした。
フラヴィオが買って来たという22万オーロのものは、さっき話していたフラヴィオの欲しいもの2つで間違いなさそうだ。
(そしてそれは、もしかして……)
フラヴィオの左手を見る。
その薬指には、実はまだ簡素な金の指輪――ヴィットーリアとの結婚指輪がしたままになっている。
フラヴィオと恋人同士になっても、ベルはそれを当然のことのように思っていて、気にも留めていなかった。フラヴィオの左耳のピアスなんかもそうだが、フラヴィオの身体の一部のようにさえ思っている。
考えてみれば、恋人になったならば少しくらいは不快感があっても良さそうなものだ。
しかし、もともとフラヴィオの中の『女神』は永遠にひとりで、それに匹敵する者など永遠に現れないと確信していた故にか、そういった感情はまるで起こらなかった。
(――まさかフラヴィオ様、外されるおつもりですか? 私のために)
と、それはあってはならないことのように思えて、栗色の瞳を大きく動揺させながらフラヴィオの顔を見上げる。
薬指からその指輪を外さないというのなら、重ねて付けるのだろうか?
正直、その方が気が楽だ。
側室がゴロゴロいた過去の国王たちの肖像画を見ると、当然のごとく結婚指輪が重ね付けされていることだし。多いのでは、第二関節が曲がるか曲がらないかのギリギリまで指輪が嵌められていた。
ベルの顔を見返したフラヴィオが、微笑する。
その後、自身の左手を見た。
感慨深そうに指輪を眺める碧眼に涙が浮かんだように見えたとき、フラヴィオの右手が動いた。
それが指輪を外そうとしたのだと分かった刹那、ベルは「なりません!」と声を上げていた。
フラヴィオの左手を取り、指輪を指の根本に力一杯押し付ける。
「あだだだだだだ!? 何してるのだアモーレ、何してるのだーっ?」
「な、なりませんフラヴィオ様、なりません! これはヴィットーリア王妃陛下との永遠の愛の誓いでございます!」
「ああ、ヴィットーリアのことは永遠に愛している。それはどう足掻いても変わりそうにない。申し訳ない」
「謝らないでください、当然でございます!」
「しかし、この指輪を外さなければならぬときが来――」
「なりません! フラヴィオ様、なりません!」
と指輪を尚のこと指の根元に押し付けられ、再び「あだだだだだだ」と声を出したフラヴィオ。
この小動物にはいくら叩かれても痒い程度だが、これは普通にちょっと痛い。
その栗色の頭を「分かった分かった」と撫でて宥めた。
「ま、3日後だしな。まだいいか」
「なりません、3日経とうが、何十年経とうがっ……!」
「はいはい」
とあしらったような返事に、ベルの頬が膨れる。
「そうプンプンするな、アモーレ。これからアップンタメントだぞ?」
とフラヴィオが帽子を被せてやると、膨れた頬が元に戻った。「スィー」と栗色の瞳が煌めく。
「まずは昼餉からだな」
「まだお腹に入るのですか?」
「1つ目の胃袋なら一杯だが、他はまだ空いている」
「牛ですか?」
ヴェスティート屋にいた一同に見送られながら、フラヴィオとベルが再び姫通りへと出る。
また手を繋いで歩きながら、ベルは「あれ?」と呟いて一瞬足を止めた。
「どうした?」とフラヴィオに問われ、「いえ」と何事も無かったかのようにまた歩き出す。
頭の中で、さっきの会話を振り返っていたら違和感を覚えた。
(私は、ヴィットーリア『王妃陛下』って言ったのに……)
フラヴィオは『庶民』と言い張る割には、あまりにも自然に聞き入れていた。無反応なほどだった。
つまり、フラヴィオの中でヴィットーリアは庶民にはなっておらず、『王妃』のままなのだ。
だったらその夫だった自身は、何かと言ったらひとつしか無いはずだ。
(もしかして、フラヴィオ様……)
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