酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第38話ー3

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 ――10分後。

「疑え、コラァァァっ!」

 ベルの小さな身体が宙を舞い、弧を描いて飛んでいく。

 それは、

「申し訳ございませーん」

 と、自身の部屋のレットにやわらかな音を立てて埋まった。

 栗色の瞳を天井から横の方へ移すと、眉を吊り上げたフラヴィオの顔がある。

「そなただけは疑うべきところだっただろう!? どうやらみーんな信じたようだが、それは無いと――パオラの子の父親は余ではないと思うべきところだっただろう!? 余はそなたと恋人だったとき、一度も浮気をしたことは無いぞ!」

「も、申し訳ございませんでした。しかし酒池肉林王陛下の場合、そのあたりの判断が大変難儀であり――」

「何だと!?」

 ベルはもう一度「申し訳ございませんでした」と謝罪したが、フラヴィオの頬は膨れている。

「大体、何ニコニコと「おめでとうございます」とか言ってるのだ! 少しくらい怒ってくれてもよかろう! そなたといい、ヴィットーリアといい、ルフィーナといい、寛容過ぎて逆に不安になってくるわ!」

「はぁ、申し訳ございません」

 フラヴィオが腕組みし、「まったく!」と乱暴にレットに腰掛ける。

 大柄で骨格に恵まれた筋肉質な身体はただでさえ重いが、今は板金鎧を装備しているので、ベルの小さな身体が反動で容易く跳ね上がった。

『力の王』と『力の王弟』の板金鎧は、通常の将兵のものの倍以上の重量で50kg以上あり、レットが大きく沈んで傾く。

 ベルは下り坂を転がるようにしてフラヴィオに寄ると、背後からおそるおそるその顔を覗き込んでみた。

 不機嫌な顔があると思いきや、そうでもない。

 碧眼がどこか不安げに揺らいでいる。

「さっき産まれたリクが余の子だったら、そなたは愛してくれていたのか?」

 ベルが「スィー」と返すと、フラヴィオが続けてこう問うた。

「では、そのうちの話だが……そのうち余に第6子が出来たら、そなたは愛してくれるか?」

「スィー」と微笑したベルに、フラヴィオが間髪入れずに問う。

「そなたの子では無くてもか?」

 その微笑は変わらなかった。

「無論でございます。私にとってオルランド様たちと変わりありませんから」

 とベルが「それに」と続ける。

「フラヴィオ様、覚えていらっしゃいますか?」

「うん……?」

「私がまだモストロを忌み嫌っていた頃、フラヴィオ様の側室にメッゾサングエを迎えるくらいなら、私がモストロと結婚して子を産むと言ったことを」

「あんなに怒り狂ったことを忘れるわけが無かろう?」

 とフラヴィオの顔が引き攣ると、ベルが「申し訳ございません」と笑った後に続ける。

「私はあの頃、産まれてくるメッゾサングエは国のための『兵器』にしようと考えていました。私はあの頃と変わらず――いえ、今はフラヴィオ様以外の男性とバーチョすることすら抵抗がありますが――自分の子であることを理由に愛せるわけではありません。と申しましても、私は実際に身籠ったことがありませんから、あくまでも現時点での話ですが。私はフラヴィオ様や、フラヴィオ様の大切な方々のご子息だから愛おしいと思えるのです」

「では……」

 とフラヴィオが、一時の戸惑いを見せた後に問うた。

「これはルフィーナの願いでもある。余の第6子は、そなたが名を与えてくれないか?」

 ベルが「私がですか?」と少し驚くと、フラヴィオが頷いた。

 真剣な表情で返事を待っているその顔を数秒のあいだ見つめた後、ベルは「畏まりました」と微笑した。

「でも、ある程度のご希望をお申し付けくださると助かるのですか」

 フラヴィオがうんと頷いて、こう答えた。

「男だったらやっぱり強くなりそうな名前だ。メッゾサングエで普通の人間より強く頑丈なのは確実だし、将来この国を守れるようなとても強い名だ。女だったら治癒魔法を任せたいから、癒しの名前が良いな。海や空……ああ、森林も良い」

「では……王子殿下でしたら『アレッサンドロ』様、王女殿下でしたら『シルヴィア』様で如何でしょう」

「おお、良いな! 気に入った! そうしよう!」

 とフラヴィオが、「ちなみに」と言いながら背後に寝転がっているベルを膝の上に抱っこした。

「通常よりも初潮が遅かったそなたの身体のことを考えると、そなたが子を産むのは20歳を超えてからというのが絶対条件だが……実はもう、そなたが産む子の名は余が決めてある」

 ベルが「なんと……!」と驚くと、フラヴィオが「ふふふ」と笑った。

「当ててみるが良い。ちなみに考えてあるのは男の名だ」

「女の子では駄目だということですか?」

「駄目とは言わないが、正直女は将来嫁にやるとき悲し過ぎていかんのだ」

 とフラヴィオが瞼を押さえる傍ら、ベルは胸を躍らせて思考を巡らせる。

「強い男の子になりそうな名前ですか?」

「それも考えたのだが、そなたの子だから将来は宰相という道もありだと思ってな」

 ベルがフラヴィオの膝の上で「分かりました」と胸を張った。

「答えはずばり、『策謀』や『計略』、『虚偽』といった意味の『ベッファ』でございます! ああ、なんと素晴らしい――」

「違うわ。いや正直、余も真っ先に浮かんだ名だったが、それではそなたと一緒になってしまう思って別の名にしたのだ」

「どういう意味でございますか」

 とベルが唇を尖らせてフラヴィオの肩を叩いた後、「ならば」と次の答えを出す。

「きっと『征服する』という意味の『ヴィンチェンツォ』でございますね」

「親子揃って世界征服を企もうとするんじゃない。だからそういうのではなく、善良になりそうな名前だ」

「それは本当に悪徳宰相ベルナデッタ2世の名前でございますか?」

「悪徳はそなたで終わりだ。そなたの子は美徳宰相になるのだ」

 ベルが「うーん」と腕組みして黙考すること、30秒。

「分かりません」と降参すると、優しい微笑を浮かべたフラヴィオが「あのな」と正解を口にする。

「そなたは、余を救ってくれただろう? 絶望の淵に立たされた余に手を差し伸べ、解放してくれたのだ」

 それは奴隷だったベルにとってのフラヴィオも同じだった。

「だからそなたの子も、苦しみ悶える誰かを『救う者』になって欲しいと思う。そういう者が宰相だったならば、国民は幸せだ。そなたと余の子の名は、『サルヴァトーレ』だ」

「サルヴァトーレ」

 と鸚鵡返しにしたベルの栗色の瞳が、星屑を散りばめたように煌めいていった。

「なんて素敵なお名前でしょう。愛称は『トーレ』でしょうか」

「ああ。サルでも良いが、それだとレオーネ語にすると響きがアレだし、トーレが良かろうな」

「トーレ」

 と嬉しそうにまた鸚鵡返しにしたベルが、「ちなみに」と気になったことを問う。

「女の子が産まれてしまった場合は、なんと名付けるのですか?」

「うん? じゃあ……」

 と、苦笑を浮かべながら黙考するフラヴィオ。

 20秒近く経ってから「『カテーナ』」と答えた。それは『鎖』という意味だった。

「まさか鎖で縛り付けてお嫁にやらないという意味ですか? 私は『レベッカ』が良いかと」

「いや、『罠を作る者』って何を考えているのだ悪徳宰相め。『ヴィルジニア』が良かろう」

「それはもしや永遠に男を知らぬ『乙女』でいろということですか? ここは『勇気』・『勇敢』・『知恵』・『知識』などの意味の『ファヴィオラ』は如何でしょう」

「いや、待て待て。知恵と知識は良いとして、勇気があって勇敢だったらそなたと同じで天使軍の問題児になってしまいそうではないか。母娘そろって余に心配を掛けるのは止めてくれ」

「そんなに心配なさらなくとも、名前の通りに育つとは限りません。『フラヴィオ』様は、そのもっとも高貴な『金色の髪』でお生まれになったからと分かりますが」

「まぁたしかに、余とフェーデは両親や弟妹を皆病気で失ってしまったから、『ヴァレンティーナ』は『健康的』に『強く』育って欲しくて付けた名だが、病弱になってしまったしな。しかし、そなたは――『ベルナデッタ』は、見た目こそ小動物のような可憐な姿に育ったが、中身は名の通りではないか」

 と、フラヴィオが突如笑い出すと、ベルの顔がたちまち赤く染まり、頬が膨らんでいった。

「どこがでございますか! ベルナデッタの一体どこが、『勇敢な雌熊』でございますか!」

 と甲高い声を上げて、その肩を叩く。

「ずっと訊いてみたかったのだが、そなたの親はそなたを畑の番人ならぬ番熊にでもしたかったのか?」

「当時のプリームラ農民は、それくらいの強さを持っていなければ生き延びられなかったということでございます!」

「それはそうかもしれないが、それにしてもオイ。そなた確実に逞しい母親になるぞ」

 とフラヴィオがレットの上で笑い転げ、ベルが真っ赤になって喚いていると、戸口の扉を叩く音がした。

 扉を閉め忘れたのか開いていて、そこから第二王子コラードの顔が見えた。

 2人は「あれ?」と小首を傾げた。明後日から忙しくなるコラードは、本日朝早くからサジッターリオ国に準備に行っていたのだ。

「オレも混ぜて、その幸せな話に」

 と、早歩きで中に入って来るその顔は興奮していた。

「父上」とフラヴィオの前で立ち止まったと思いきや、声高にこう言った。

「オレ、来年の春頃に父親になります。すでに娘2人いるけど、もうひとり」

 2人から「えっ」と驚きの声が上がる。

 明後日からコラードの妻となるサジッターリオ国女王シャルロッテが、コラードの子を授かったということだった。

 感動に包まれている2人の顔を交互に見ながら、コラードが「はははっ」と笑った。

「初孫の気分はどうっすか? じーさん」

「――じ……!?」

 矢で脳天を貫かれたかのような大衝撃を食らったフラヴィオが仰向けに倒れた一方、コラードの言葉はベルを見て「あと」と続く。

「ばーさん」

「――ば……!? フラヴィオ様は当然として、わ、私もでございますか!?」

「ほぼそんなもんじゃん。将来は父上と結婚するんだし、傍から見ても実質的夫婦だし」

「た、たしかに言われてみれば、なんかちょっと孫が出来た気分のような……いやしかし、ば……ばーさん?」

 とフラヴィオに続いてベルもよれよれと倒れていくと、愉快そうにまた「はははっ」と笑ったコラード。

 レットの空いているところに腰掛けて、フラヴィオを一瞥すると、今度はしみじみとした様子で口を開いた。

「父上……15年間、ありがとうございました」

 フラヴィオがコラードを見る。

 身体を起こして、その明るい茶色の頭を撫でながら短く笑った。

「なんだか嫁に行くみたいだな」

「そうですね」

 と笑いながら、ベルも身体を起こす。

 2人から見えるコラードの横顔は笑顔だ。でも、あまりらしくない、不安の色が浮かんでいた。

「父上……オレ、強くなりましたか」

「ああ、なった」

 と答えたフラヴィオの顔の方には、安堵の微笑が浮かんでいる。

「おまえが約3年前にロッテと結婚すると言い出したときは、正直焦ったが……おまえはちゃんと強くなった。おまえはおまえの『女神』も、『天使』も、国民も、ちゃんと守ることが出来よう。それに、後に従兄弟のリナルドと弟のレンツォもサジッターリオに行くのだし、おまえはひとりで背負うわけでもない。でも、それでも無理だと思ったときは余を頼れ。ロッテを余の『天使』ではなく、自身の『女神』だと――自身の手で守るのだと決めたおまえが、意地でも余を頼らないのは分かっているが、限度を感じたら無理をするな。素直に余を頼れ。おまえがどんなに年を取ったって、余は永遠におまえの父上なのだから」

 ベルが「それから」と続く。

まつりごとの方も、何もご心配なく。コラード様が隣国の国王陛下にご即位されましても、この宰相ベルナデッタがきちんと付いておりますので」

 うんと頷き、深呼吸したコラード。

 その顔に、いつもの天真爛漫の笑顔が咲いていった。

「父上、宰相、オレ立派な国王になります! 子供の頃からずっと尊敬してきた『力の王』みたいに!」


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