酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第40話ー1 行方

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 ――カンクロ国、早朝6時。

 王都ロートから遠く離れた町――カクタス町にある国王ワン・ジンの別邸の中。

 これから朝廷に向かう主に、リエンが慣れた手付きで専用の紅色の礼服――皮弁服ひべんふくを着せていく。

 その形は上衣下裳じょういかしょうになっていて、足首まであるクン(スカート)を巻き、たもとが長く襟のある長衣を着せ、腰帯を装着。

 最後に玉の飾りがついた冠帽(帽子型の冠)を被せて完了。先王ワン・ファンのものは髷に刺して冠を固定するかんざしが付いていたが、ワン・ジンは髪が短いので新調する際に取り払っていた。

「さて、これから宮廷に行ったら母上が待ち構えていそうなわけだが……」

「いそうっていうカ、待ち構えてるよ王太后陛下。ご主人様が昨日エミの服を後宮に取りに行ったとキ、会わなかったんでショ?」

「ああ。母上が俺の部屋で待っていることは分かったから、敢えて避けてきたんだ」

 とワン・ジンが苦笑する。

「散々考えたんだが、母上に人間の女であるエミとの結婚を許してもらえる言葉なんて見つからん。だからとりあえずエミのことは母上に黙っておくぞ、リエン。母上が離宮に泊まることはほとんどないし、しばらくここにエミを置いておいてもバレんだろう」

「そのあいだ、エミとは結婚しないってこと?」

「いや、結婚式を挙げてないだけで、エミはもう俺の妻――王妃なんだ。国王である俺が言うんだから、これは決定だ。結婚式はそのうち……ん? いや、待てよ……?」

 と、ワン・ジンがふと腕組みして思案顔になる。

「結婚式は敢えて挙げない方がいいんじゃ……」

 リエンが「どうしテ?」と問うと、それはこう答えた。

「カプリコルノ国王にすべてがバレるからだ。この国にはうざったいことに、どんなに追っ払っても殺してもレオーネ国の密偵が湧く」

「お互い様だけどネ」

「レオーネとカプリコルノは気色悪いくらいベタベタなんだ。結婚式なんて挙げたらレオーネの密偵の目に入り、そして即刻カプリコルノ国王の耳に入るだろう」

「うわァ、カプリコルノ国王、激怒して襲ってくるヨ」

「正直『力の王』と『力の王弟』、『人間卒業生』はバケモノだ。新たなカーネ・ロッソの兵士たちの育成が終わっていない現在、当然それも避けたいが……何よりもエミの目にカプリコルノ国王が映ることを避けたい。エミが奴を思い出してしまうことだって考えられなくはないからな。そうだ、そうしよう――結婚式は挙げないことにしよう」

 と、そのとき、2人の付近にある豪奢な透かし彫りが施されたショウ(ベッド)で眠っていた王妃エミ――ベルが身体を起こした。

 ワン・ジンがすぐさま寄っていく。

「起こしたか、悪い。まだ眠っていていいぞ? 仕事は俺がするから、エミは一日中好きなだけ好きなことをして過ごせばいい。でも外には出るな。あと夜は必ず俺の相手だ」

「ワン・ジン様、先ほどのお話をエミは聞いておりました。結婚式とは何でございますか?」

 ワン・ジンがそれを大雑把に説明すると、ベルの桜の花弁のような唇が尖っていった。

「嫌でございます。エミはワン・ジン様と結婚式を挙げとうございます」

「む……いや、だ、駄目だ」

「嫌でございます。エミは花嫁衣裳を着て、ワン・ジン様と結婚式を挙げるのです」

「いや、だからだな――」

「嫌でございます。エミはワン・ジン様と――」

「分かった分かったっ……何とかする。意外と我儘だな……」

 と文句を言っているようで、どこか嬉しそうな様子でベルの尖った唇を指で弄る主の顔を、リエンが物言いたげに見る。

「おっと仕事に遅れる。リエン、エミを頼んだぞ。おまえはエミの女官なんだから、しっかり役に立てよ。今のところ、おまえ以外にエミを任せられるほど俺が信用している女やメスはいないからな」

「御意」

 とリエンが承知すると、ワン・ジンは「行ってくる」と言ってテレトラスポルトした。

 朝廷まで送るつもりだったリエンは「あ」と手を伸ばしたが、その姿は当然もう無い。

 手を降ろしながら、おそるおそるといったようにベルを見た。

(やっとエミとリエンの2人きりになっタ……)

 ごくり、と喉が鳴る。

(やっとエミに訊けるときがきたネ……)

 リエンから見えるその姿は、つい先ほどまで――ワン・ジンがここに居たときまでと、雰囲気が一転していた。

 先ほどまでは可愛らしさを醸し出していたが、そこにそれはもう無い。

 無礼や反抗は許されないような、厳格で気高い雰囲気がある。

 リエンと同じ18歳のはずなのに、見た目だって10代の少女なのに、不思議なことに確実に10歳以上は年上に見えた。

 リエンと同じ栗色の瞳に捉えられたら背筋がひんやりとして、冷然とした声で「ごきげんよう」と言われたら勝手に頭が下がった。

「お…おはようございますヨ、王妃陛下っ……!」

 訊く前から確信する。

 それは紛れもなく、世界中で恐れられる『力の王』の右腕――カプリコルノ国の宰相なのだと。

「き、記憶失ってませんですネ、王妃陛下っ……リエンのオブリーオ効きませんでしたネ、王妃陛下っ……!」

 今度はベルの顔が、やわらかく綻んでいった。

「なんのお話しでしょうか、リエンさん」

(何すっとぼけてるネ、この女)

 と心の中では突っ込んだが、それを口に出して言える勇気はリエンになかった。

「リエンのオブリーオを掛けられたラ、何もかも全部忘れるヨ。全部だかラ、最初は言葉も理解できないシ、言葉を喋ることも出来ないんだヨ」

「はぁ、そうですか。では私に中途半端に掛かったのでしょうね、その魔法が。私はこのように、言葉を理解することも話すこともできますから」

「中途半端……」

 たしかにそういうこともあった。

 28人の人間でオブリーオの実験をしてきたが、一部の記憶だけ残っている者もいた。

(そういうこト……なノ?)

 困惑しながらベルの顔を見る。

 作りものに見える笑顔があった。

「カプリコルノ国王のことハ、覚えてル?」

「ですから、ワン・ジン様も何度かその国王のことをお話しになりますが、どちら様でしょうか? カプリコルノという国の王なのは分かりますが」

「大丈夫、リエンはご主人様に言わないかラ。王妃陛下がカプリコルノ国王のこと覚えてるって分かったラ、ご主人様は王妃陛下のこと殺しちゃうかラ。リエンはそんなの絶対に嫌だかラ。だから言わないかラ、リエンにだけ本当のこと教えテ?」

 ベルが黙ってリエンの顔を見つめる。

 その言葉は本心であって、後ろめたい気持ちはないリエンが真っ直ぐに見つめ返していると、ベルが再び口を開いた。

「私は、カプリコルノ国王を存じ上げません」

「――あ……そうなノ」

 と、リエンが少し拍子抜けした一方、ベルが話を切り替える。

「私は宮廷へは行かせていただけないのですか?」

「うン、今は危険だからネ。王太后陛下が人間の女嫌いデ」

「そうですか。ではリエンさん、私にこの国のことを教えて下さい。王妃として知っておく必要がありますから」

「ご主人様ハ、世間のことなんて何も知らなくていいって言うと思うヨ?」

「そういう訳には参りません」

 とベルが牀から出ると、シミやホクロ、虫刺されひとつない真っ白な裸体が現れて、リエンの目が「わ」と釘付けになった。

「すごいネ。作りものみたいに綺麗ネ、王妃陛下」

「ありがとうございます。そういえば、この国の女性たちが美容のために活用しているものすべてを掻き集めておいてください」

「御意。でモ、王妃陛下こんなに綺麗なのニ」

「どんなに顔かたちの美しい美人でも、一切の努力なしには綺麗ではいられないものです」

「そうなんだネ。ていうか、やっぱり王妃陛下記憶残ってなイ?」

「残ってません」

「そ、そウ……」

 リエンが不審に思いつつ、本日のベルの衣装を着せ付けていく。

 桃色を基調としたものだった。

「どうして桃色だと思ウ? ご主人様の趣味だヨ。あとハ、桜色とか珊瑚色とかのもあル。一応、水色とか赤もあるけド」

 とリエンが、「見テ」と上衣の上から巻くクンの内側をベルに見せた。

 縫い目が曲がって決して上手な裁縫ではないが、ポケットタスカのようなものが縫い付けられている。

「大切なものハ、ここに入れておくといいかモ」

「これはリエンさんが付けてくれたのですか?」

「うン。リエン、最近人間界に来たかラ、裁縫上手じゃないけド」

「いいえ、ありがとうございます」

 リエンはベルに衣装を着せ付け終わった後、朝餉を取りに宮廷へとテレトラスポルトして行った。

 ひとりになったベルが、牀の枕の下に手を入れる。

(リエンさんは、知っていたのでしょうか)

 そこに昨夜隠しておいたオルキデーア石の指輪を取り出して、胸の下からすぐ巻いている裙のタスカの中にしまい込む。

 たしかにこの方が誰かに見つかったり、無くしたりといったことが無さそうだった。

(大丈夫です、フラヴィオ様……ベルナデッタは生きております。また私はオブリーオに掛かった振りをしているだけであって、記憶はすべて残っております)

 分かることがある。

 フラヴィオたちが今必死にこのベルを探していて、そしてここカンクロ国にも辿り着いただろうということだ。

 そしてこの広大過ぎる大国の中で、フラヴィオたちがいるとしたら王都ロートがもっとも可能性が高いのに、どうやらそこには行かせてもらえないようだった。

(何とかして、私の安否と居場所をフラヴィオ様にお伝えしなければ……)

 そのためにはカプリコルノ国との交流を途切れさせないよう石材貿易を続けることは必至であるが、絶好の機会はレオーネ国の密偵の目に入るだろうワン・ジンとの結婚式だった。

 それ故になるべく急ぎたいところなのに、邪魔者がいるらしい。

(王太后――ワン・ジンの母親)

 貿易取引の際に見たその姿が脳裏に浮かぶ。

 純血のカーネ・ロッソであるそれは、赤犬の耳と尻尾を持つすらりとした美人だった。

 あのとき王太后は、何かを察した様子でベルの姿を頭の先から爪先まで食い入るように見つめていた。

 思い返してみれば、自身が今こうなっていることをよく理解出来る。

 ワン・ジンの抱き込み作戦は順調に進んでいたのに、王太后にすべてを気付かれたのだ。

(なんて邪魔な……)

 幸か不幸か、己は今やカンクロ国の王妃。

 半分はカンクロ国をいただいたのだから、主を大国の頂点に君臨させるという自身の野望が叶う一歩手前まで来た気分だ。

 当然、どうにかしてこの大国すべてをいただき、土産として主の下へ持って帰る。

(王妃と王太后ならば、王妃の身分の方が上のはず。過度に邪魔して来るようならば、私の命令ひとつで消えていただきましょう)

 そう思った後に、思い直す。

 王太后は、あくまでもワン・ジンの大切な母親だ。

 なるべくならワン・ジンの恨みを買うようなことはしない方が無難だった。

(あれは激情家で、一時一時の感情に行動が左右される。王太后を処分したら、私の首が飛んだ、なんてことも)

 有り得なくは無かった。

 己の最大の仕事は『生きること』だし、ここまで来てそんなことは冗談じゃない。

 それにそんなことにならずとも、大なり小なり恨まれたままカプリコルノに帰国するようなことも避けたい。

(そんなことをすれば、カンクロがまたカプリコルノを襲うこともあるでしょう)

 とても臆病なコニッリョを仲間に引き入れなければいけない現在、力の王に――コニッリョから見た人間界の王に、抜剣させるわけには行かなかった。

(まずはとりあえず、私がここにいることをフラヴィオ様に……――)


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