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第39話ー4

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 ――夕刻のサジッターリオ国の港に、ハナの甲高い怒声が鳴り渡る。

「何言ってるんだよ!」

 アクアーリオ国王夫妻の肩がびくついた。

「そんなわけっ……ベルが死んでるわけないだろっ! ベルが殺される瞬間をその目で見たのかよ!」

「み、見たわけではありませんし、カプリコルノ宰相閣下が誰に連れ去られたのかも存じません。しかし、カンクロ国の王太后はそのつもりでした」

 とアクアーリオ国王が言うや否や、マサムネが「待て待て」と言葉を挟んだ。

「連れ去ったのはワン・ジンやなくて、王太后やったかもしれないってことか? ワン・ジンの方がどういうつもりであれ、王太后はベルを殺す気やったんか? せやったら……せやったら、ベルは――」

「見てくる」と、ナナ・ネネが口を開いた。

「馬が海から来た」

「海を見てくる」

「ベルが海で溺れてるかもしれない」

「ベルが海に浮かんでるかもしれない」

 と、2匹がテレトラスポルトで消える。

「皆さん、落ち着いてください」

 と一同を見回したルフィーナの若草色の瞳には、絶望に染まった顔々が映っていた。

「良いですか、皆さん。ベルさんが殺されたと決まったわけではありません」

「大丈夫だ、分かっている」

 そう答えたフラヴィオの声は震え、碧眼は焦点を定めていなかった。

「ベルは生きている。分かっている。大丈夫だ。生きている」

 それは必死に自身に言い聞かせていた。

「そうです、陛下。落ち着いてください」

「落ち着いている、大丈夫だ。ベルはちゃんと生きて――」

 ルフィーナの両手が、フラヴィオの顔を叩くようにして包み込んだ。

 メッゾサングエによるそれは結構な痛みがあり、フラヴィオがはっと我に返る。

 碧眼の焦点がようやく定まると、そこにルフィーナの真剣な表情があった。

「そうです、陛下。ベルさんの一番の仕事は陛下のために『生きること』です。何がなんでも『生きること』です。あのお方はまず陛下を置いて死んだりしません。うっかり死んでいたとしたら素直に成仏するわけがなく、幽霊の姿で陛下の傍に現れています」

 妙に説得力のある台詞に、一同が「たしかに」と辺りを見回してベルの幽霊を探す。

 そして無いことが分かると、絶望に染まっていた顔々に少しだけ希望の光が差した。

 さらに辺りが真っ暗になってからナナ・ネネが海水塗れの姿で戻って来て、ベルの姿が「見つからなかった」と言うと、小さく安堵の溜め息が漏れた。

 その後カプリコルノの宮廷に皆で戻り、夕餉も食べずに3階の居間に集合して会議が始まった。

「いや、何を会議する必要があるのだ? そんなのしなくとも、カンクロの宮廷に乗り込んで助け出すのが手っ取り早い。入るなと言われようが、鍵が掛かっていようが、ドルフがいればどんなに頑丈な開かずの間の扉だって一捻りだ。タロウたちのテレトラスポルトで勝手に侵入するのも良い。行くぞ皆、準備しろ」

 と、やはり冷静さをすっかり取り戻したわけではないフラヴィオが戸口へ向かおうとすると、ルフィーナが「陛下」と眉を吊り上げた。

「善良な国王がそんなことをしては駄目です。大体、陛下が来たと分かったら、向こうはベルさんを別の場所に匿うと思いませんか? テレトラスポルトがあるんですし、一瞬で世界各地に飛んで身を隠すことが出来るんです。カンクロ国の宮廷の中に入るのなら、逃げられないようにしないと」

「どうやってだ、さっさと言ってくれ」

 とフラヴィオの声に棘が混じると、ルフィーナが口を尖らせた。

「それを今から皆で考えるんでしょう。イライラしないでくださいよ」

「無理を言うな。ワン・ジンは当然のこと、王太后も許せたものではない。女に対してこんなに殺意を抱いたのは初めてだ。宰相に従って、カンクロなんぞさっさと潰しておくべきだった」

「戦争を起こす気ですか? 戦争は少なからず恨みを生み、将来必ず放虎帰山ほうこきざんするものだと陛下だって分かっているはずです。カプリコルノ国民を想うなら、国王が私怨だけで動かないでください。迷惑を被るのはカプリコルノ国民です」

 フラヴィオが短く失笑した。

「言うことが流石だな、ルフィーナ。そなた、誰かを心から愛したことはあるか。本当に大切なものを失ったことはあるか」

「愛する大切な兄を失いそうになったことはあります」

「だったら……だったら、余が今どんな気持ちでいるか分かるだろう!」

 と、獅子のような咆哮が鳴り響いた。

 女たちは竦み上がり、男たちも肩を震わせたが、ルフィーナだけは毅然としていた。

「分かりますし、兄の命の恩人であるベルさんはわたしにとっても大切な人です」

 とルフィーナが「だからこそ」と語調を強くした。

「わたしは冷静でいなればいけません。ヴィットーリア王妃陛下を失ったときのように、ご自身が誰なのかまた忘れかけている陛下が過ちを犯さないように。カンクロと戦をしたことで恨みを買い、カプリコルノが攻められたらどうしますか。当然、力の王や将兵はカプリコルノ国民を守るために刃を振るうでしょう。でもそれは臆病なコニッリョの目には、残虐で恐ろしい人間界の王と、その手下にしか見えません。コニッリョたちをすっかり仲間に引き入れ、人間界の王やその手下は自分たちに危害を加えないものなのだと信頼を得ていたなら兎も角、今の時期にそんなことをしてはまた振り出しに戻してしまうとは思いませんか。それで陛下のために生きるベルさんが喜ぶとでも思っているんですか」」

 カーネ・ロッソのテンテンが狼狽した様子で「それに」と口を開く。

「カンクロはカーネ・ロッソの兵士がウジャウジャいるって理由だけでもやばいよ、陛下。だって純血ガット・ティグラートのナナ・ネネほどじゃないけど、おれもコニッリョに怯えられるんだ。カーネ・ロッソは魔力は低いけど、ティグラートみたいに肉食寄りだからコニッリョは怖いんだと思う。防衛戦でたくさんやっつけたように思えるかもしれないけど、野生に行けばまだまだいるし、双子や三つ子も多くて次から次へとポコポコ生まれるし」

 マサムネがフラヴィオの胸をどついた。

「落ち着き、フラビー。難しいやろうけど、無理矢理なんとかして落ち着き。おまえはカプリコルノを守る国王やってこと忘れたらあかん」

 フェデリコとアドルフォも、フラヴィオを宥めようと続く。

「それに兄上、アクアーリオ国王たちはああ言ってましたが、詳しいことは知らないようでしたし、ベルが攫われたところを目撃したわけでもありません。犯人はワン・ジンやその母親ではないということも考えられなくはない。カンクロを責めるのは時期尚早です」

「まずは上手いことカンクロの宮廷内に入る方法を考えて、ベルがいるのかいないのか確認しましょう陛下」

 フラヴィオが一同の顔を見回し、大きく3回深呼吸した。

 そして小さく「分かった」と承知すると、ルフィーナに顔を向けた。

「済まなかった」

いいえ」と微笑したルフィーナが、一同に顔を向ける。

「誰か、何か良い案はありませんか?」

 ハナがすっと右手を挙げた。そして「待ってて」と言うなり、テレトラスポルトで消えた。

 戻ってきたのは30秒後で、手には金の腕輪を持っていた。

「見て、これ」

「カンクロ相手の防衛戦のときに、宰相がワン・ジンからもらった腕輪じゃん」

 とコラードが声高になった。

 その通りで、腕輪の内側には、ワン・ジンの名と牙を向いた虎――カンクロ国の国章――が彫られていた。

 ハナがうんと頷いて続ける。

「場所はサジッターリオの人型モストロがいる山の前だった。カンクロを策略にはめるためにワン・ジンと接していたベルの護衛にはコラードが付いていて、あたいとマサムネ、兄貴、ナナ・ネネ、アラブさん、あとシャルロッテ陛下は少し離れたところにある岩陰に隠れていたんだ」

「ああ、思い出したよ」

 と、タロウが口を挟んだ。

「あのときからワン・ジンはベルを気に入っていたんだ。猫耳を持つ僕らにはワン・ジンの台詞が全部聞こえてた。ワン・ジンはこの金の腕輪をベルに贈って、こう言ったんだ――」

「――次にカンクロに来たとき、それを持って宮廷へ来るがいい。それを持った女が来たら通すよう、宮廷の者に言っておく」

 とハナが、一同の顔を見回した。

「もしかしたらコレ、使えるんじゃないか? 防衛戦の直後だったらコレを持った女が来たら殺せくらいに言ってるかもしれないけど、その後結局ベルにベタ惚れしたわけだし」

 はっと顔を見合わせた一同の中、アリーチェが「待って!」と挙手した。

「いつどうやってそれを使って宮廷の中に入るの? 普通に考えたらカンクロ国王のところに案内されちゃうし、宮廷内を歩いていたら遭遇してしまう可能性だってあるわ。それじゃベルがいたとしても、逃げられちゃうわよ」

 マサムネが「ちゃうねん」と言った。

 タロウに紙とペンペンナを持って来させて、カンクロ国の宮廷を真上からみた図を描く。

「まず、カンクロの宮廷の敷地がこうな」

 と、縦型の長方形を描いた。

 その周りには敵を防ぐための堀がある。

「ちなみにこの敷地内にこのオルキデーア城を置いたら、これくらい。言っとくけど、町ちゃうで? これが大国の宮廷やねん」

 それを知っている猫4匹やアラブを除く一同が、ぽかんとした。

 このオルキデーア城は廊下が300mある大きな宮廷だが、それが優に9つは入る敷地だった。

「カプリコルノの朝廷は、ここオルキデーア城の3階にあるやろ? で、フラビーたちは4階で寝起きしてるやろ? けどな、カンクロの場合は場所が離れてるんよ」

 と、マサムネが、カンクロ宮廷の敷地内の真ん中から南寄りに小さめの横型長方形を描いた。

「ここが朝廷――外朝や。カンクロ国王はここで政を執る。で、どこから来るって言ったら、ここや」

 と、今度はカンクロ宮廷の敷地内の、北側三分の一すべてをペンナで囲った。

「ここを後宮って言って、国王や王妃、側室や妾の生活空間なんよ。ベルがいるとしたら、きっとこの後宮のどこかや。基本男は去勢した奴しか入れんから、ワイら男はベル探しに行く女の護衛ってことにしても一緒に入れんと思った方がええ。あとワイの猫4匹なんて警戒されてまず入れんし、ワイの娘のアヤメの顔は覚えられてるかもしれん」

「後宮には王太后もいるよ。気を付けて、王太后は大の人間の女嫌いなんだ」

 とテンテンが口を挟むと、マサムネが「そやねん」と頷いた。

「密偵の情報曰く、王太后は先王ワン・ファンの側室とその娘――人間の女を全員処刑したらしい。後宮に侵入して王太后と会わずに済むかどうかは運になる。ワイらがベルを探してるのがバレへんように、ここは王太后とも会ったことの無い女が無難やけど……危険な仕事やで」

 フラヴィオが「分かった」と言った。

「狙い目はワン・ジンが外朝に向かい、後宮から居なくなっているあいだなのだな。女が来た程度じゃ、政を邪魔してまで呼びに行く奴もおらぬだろうしな。今こっちが午後7時過ぎってことは、7時間早い向こうは夜中か。まだ時間があるな。その間に頼む、第二の母上よ」

 と、すぐ近くで会議の様子を見ていた家政婦長ピエトラを、真剣な碧眼で捉える。

「今すぐに作ってくれ」

「何をです?」

「余のヴェスティートだ」

 居間を静寂が包み込んだ。

 フラヴィオが一同を見回す。

「だって人間の『女』じゃないといけないんだろう? 余はカンクロ王太后と会ったことないし、襲われても負けぬから大丈夫だ」

「いや、おまえたぶん顔知られとるし、見たこと無くても『金髪碧眼ド派手絶世美男』で有名やからたぶん一発でバレるわ。てか、やっぱあかんわ今のおまえの頭」

 とマサムネが言うと、ルフィーナが「そうですね」と苦笑した。

「ヴェスティートを着てお化粧してカツラを被って女装したからって、女性に見えると思ってるんですか陛下?」

「それなりに美女になるだろう?」

「真顔で何ボケてるんですか。そんな衣紋えもん掛けのような肩幅をしたムキムキバキバキの女性なんて早々いません、ご遠慮ください。わたしが金の腕輪を持ち、後宮への侵入を試みます」

 ハナがすかさず「待った」と言った。

「メッゾサングエくらいの魔力ならあたいらほど警戒されないだろうし、まだカンクロにはフラビーの後妻の顔は広まってないだろうけどさ? ワン・ジンは宮廷の奴らに、その金の腕輪を持った『人間の女』が来たらって、言ってるかもしれないよ?」

「それはたしかに有り得ますね。しかし、いざというときのバッリエーラやテレトラスポルトは必要ですし……」

 ここで「はいはい」と挙手したのは天使軍の問題児その1――ベラドンナ。

「ここはワタシに任せなさい。金の腕輪を持った人間のワタシと、その友達って設定のルフィーナ王妃陛下で行きましょ?」

「そうですね。絶世の美女なら向こうも納得して怪しまれずに済みそうですし」

 フラヴィオとフェデリコ、アドルフォが狼狽して「待て待て待て!」と声を上げた。

 今までこの問題児に手を焼いてきた3人は心配しかないらしく、駄目だ認めないと、抗議が始まる。

 王妃の声が高らかに響いた。

「黙りなさい! この人選は決定です!」

 その命通りにフェデリコとアドルフォは黙るしかなかったが、その必要がないフラヴィオが物申そうとルフィーナを見る。

 それよりも先に、ルフィーナが「大丈夫です」と言葉を続ける。

「ベラドンナさんひとりではなく、わたしも一緒です。そんなに心配ならわたしのバッリエーラではなく、タロウさんたちのバッリエーラを10枚掛けていきますし、いざというときはテレトラスポルトで逃げますから」

「しかし、ベラは――」

「今はベルさんを見つけ出すことが優先でしょう!」

 と、今度はルフィーナの怒声がフラヴィオの言葉を遮った。

「命に優先順位をつけるわけではありませんが、あの方はカプリコルノ国に必要不可欠な宰相閣下で、そしてカプリコルノ国を守る使命を背負っているあなたの――『力の王』の最大の支えです! 揉めている場合では無く、すぐにでも取り返さなければなりません! 違いますか!?」

 押し黙ったフラヴィオが首を横振る。

 ベラドンナと、その夫であるアドルフォの顔を交互に見た。

「済まない……ベラに頼んでも良いか」

 ベラドンナが笑った。

「何謝ってるの、フラヴィオ様? ワタシが行きたいのよ。あの子が7番目の天使になってから、ワタシだってずっと可愛がってきたし、あの子には色々と恩があるんだから。あと大国の宮廷って入ってみたいし」

「俺もルフィーナ王妃陛下を信じることにします、陛下。俺たちはカンクロの宮廷の外で待っていることにしましょう」

 黙って頷いたフラヴィオが、ルフィーナを見た。

「頼んだぞ……ルフィーナ」

 小刻みに震えた声を聞いて、「スィー」と微笑したルフィーナ。ベラドンナに今のうちに少し眠っておくよう言って、共に3階の居間を後にした。

 残った一同の視線がフラヴィオに集まる。

 顔は蒼白し、拳を握り締めている手は小刻みに震え、呼吸は不規則。

 きっとヴィットーリアを失ったときのことを思い出していた。

「父上」

 とヴァレンティーナがフラヴィオを抱き締めると、他の天使たちも続いていった。

「大丈夫よ、父上。ベルは絶対に生きてるわ。ベルはどんなに辛いことがあったって、父上のために『生きること』を忘れないもの。それがベルだもの」

「そ……そうだな、ティーナ」

「それから私も戦争は反対よ、父上。ルフィーナ王妃陛下は正しいわ」

「わ……分かった、ティーナ」

 フラヴィオのことは天使たちに任せ、フラヴィオの補佐であるフェデリコとアドルフォは、マサムネを引っ張って部屋の隅へと向かっていった。

 アドルフォが声を潜めて問う。

「ムネ殿下、カンクロの宮廷にベルが居なかったらどうします」

「他の場所を探すだけや。宮廷が一番可能性が高いってだけで、カンクロはデカい分あちこちに国王の別邸があるからな」

 一呼吸置いて、フェデリコが問うた。

「その別邸すべてを探しても見つからなかったらどうします。私は先ほど兄上にカンクロが犯人ではないかもしれないと言いましたが、正直十中八九カンクロだと思っています」

「ああ、ワイもそう思ってる。さらに正直言えば、見つからんかもしれんとも――ベルが殺されたかもしれんとも、少し思ってる」

 と、マサムネが強張った顔でフラヴィオを一瞥した。

「けど、ベルが見つからんでも、永遠に探し続けるんや。フラビーに希望を持たせるんや。あいつが、生きて行けるように――」

 ――4時間後、一同はカンクロ国の宮廷へと飛んでいった。


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