酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第45話ー2

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 ――23時に迎えに来たリエンのテレトラスポルトでフラヴィオとベルがカンクロ国の朝の朝廷に向かい、1時間半後にカプリコルノ国へ帰国すると、時刻は日付変わって0時30分。

 毎回そうであるように、帰って来たらまずはすぐ1階にある乳母の部屋を覗く。

 するとサルヴァトーレがお腹を空かせていたのでベルが授乳、おむつも交換。

 その後は、カンクロ国に行く前に入浴済みだったので、寝間着に着替えて歯を磨き、床に就いたのが1時15分。

 欠伸をしたベルの目前に、フラヴィオの顔がある。

「お部屋に戻らないのですか?」

「うむ。さっきルフィーナに追い出されたから泊めてくれ」

 そういえばと、ベルはどうやらルフィーナが悩みごとを抱えていそうだったことを思い出す。

 フラヴィオが突如苦笑した。

「余にはそなたが居るから、構わないと言ったら構わないのだが……ルフィーナが余のことを好いているのは気のせいじゃないか? 義務を果たすのがひたすらに申し訳なくなってきた」

「私には及ばずとも、ルフィーナ王妃陛下がフラヴィオ様を愛していることには違いないと思うのです。ルフィーナ王妃陛下は、お子を産むことに戸惑いがあるのかと」

「それはどういう意味でだ?」

「私が答えても憶測に過ぎませんので、朝になったらルフィーナ王妃陛下ご本人に伺ってみます」

 ――宮廷の4階にある王侯貴族専用の食堂では現在、国王・王妃に加えてもうひとり女王がいるという状態で食事している。

 その席は通常通り、長方形の食卓の長い辺の真ん中にここカプリコルノの国王・王妃が向かい合って着席。

 カンクロ国の女王は客を招いた際の主賓の席――国王フラヴィオの右隣に着席(男性だったら王妃ルフィーナの右隣)だった。

 後の皆は、国王・女王・王妃に近い席から身分の高い順に、男女交互に埋めていく。

 一番端っこの席には、王妃の兄――大将アラブの姿もあった。

「飲み食いしたものが母乳になりますから、ちゃんと栄養を取ってくださいね女王陛下」

 と家政婦長ピエトラが、ベルの前だけに特別な料理の皿を置く。

 ベルは「スィー」と答えた後に、少し口を尖らせた。

「ピエトラ様は私の上司です。止めてください」

「え?」

 とピエトラが小首を傾げた傍ら、フラヴィオがおかしそうに笑った。

「余の気持ちが分かったか、ベル。身近な者に『陛下』呼ばわりされると寂しいだろう?」

 ベルが「スィー」と答える。

「私はこっちにいるときまで『陛下』で居たくないのです。私はこっちでは宰相で、ティーナ様の侍女――使用人なのです。公の場でないときは、皆様にはこれまで通り『ベル』と呼んで欲しいのです」

 一同が笑い出した。

「やだね、この子ったら。そういうことかい。あんたがそういう風に思ってしまうなら、これからも普段はちゃんとベルって呼ぶよ。ほらちゃんと食べな、ベル」

「もちろんよ、ベル。女王になったって、私にとったら姉上だもの。寂しいなんて思わないで、ベル」

「ベルは永遠に私の可愛い生徒だ。そうだ、後で久しぶりにチェススカッキするか、ベル?」

 と、一同にベル、ベルと呼ばれて嬉しそうに「スィー」と答えるベルを、ルフィーナが微笑ましそうに、でもどこか羨むような目で見つめていた。

 ベルと目が合うと「良かったですね」とにっこりと笑い、スープツッパを一口飲む。

 刹那の硬直を見せて、すぐにクッキアイオを置いた。

(ルフィーナ王妃陛下……?)

 その様子に違和感を覚えたベルがどうしたのか問おうとしたとき、フラヴィオが「貸せ」と手を伸ばしてルフィーナのスプーンクッキアイオを取った。

 ルフィーナの若草色の瞳が揺れ動く。

「すみません、確認せずに口に入れてしまって。でも大丈夫です、陛下っ……」

 ルフィーナのクッキアイオを見たフラヴィオが、小さく「またか」と呟いた。

 一体何のことかと、ベルもそのクッキアイオを見る。

「え?」

 と眉を顰めた。

 ピカピカに輝いているはずの銀のクッキアイオが、黒ずんでいた。

 ピエトラがそのクッキアイオを見るなり、食堂内にいる使用人たちの顔を見回して怒声を響かせる。

「全員、廊下に出な!」

 肩を震わせた使用人たちが食堂を後にする中、ベルは動揺しながらルフィーナのツッパの皿を取った。

 自身のクッキアイオも入れてみると、また黒くなる。

「これはまさか……毒ですか?」

「気にしないでください、ベルさん。わたしはメッゾサングエなので、この程度何ともありませんから」

 とルフィーナが笑顔を作る。

 ベルの問いに対して、肯定の意味を持つ返事だった。

「これで2度目よ」

 と、ベラドンナから溜め息が漏れる。

「犯人の可能性が高いのは使用人だろうけど、将兵かもしれないし、官僚かもしれないし、民衆かもしれないし。ひとりかもしれないし、複数かもしれないし」

 つまり犯人は分かっていないらしい。

「毒にも色々あるけど、フェーデいわくこの毒は銀を変色させるんですって」

「カンクロ国も箸は銀だろう、ベル?」

 と、フェデリコ。

 たしかにベルはいつも銀の箸で食事をしていたし、杯などは銀だった。

「レオーネ国の鉱山からはごく普通に採れる鉱物で、焼くと猛毒になるものがあるんだ。カンクロ国も大昔から毒殺に使われていたはずだ。一方で少量なら問題ないのか、不老長寿の薬としても使っていたと聞くが。犯人がどこから仕入れたのかは知らないが、うちの鉱山からもごく少量ではあるが採れるのはたしかだ」

 ベルがフラヴィオを見た。

「ここは宮廷の食器類をすべて銀に変えましょう。大丈夫です、宮廷の中だけなら陶磁器職人もガラス職人も泣きません。食器以外にも陶磁器・ガラス製品はたくさんあることですし。それにカンクロ国は銀がたくさん採れますから」

 フラヴィオが「そうだな」と同意すると、ルフィーナが慌てた様子で「大丈夫です」と言った。

「さっきも言った通り、わたしはメッゾサングエで身体が丈夫ですから、この程度の毒を盛られたってなんてことはありません。宮廷の中の食器だけでも凄い数ですし、わたしのためにそんなことまで――」

 ベルが「いいえ」とルフィーナの言葉を遮った。

「これは決まりです。少量とはいえ身近にあるようですし、これで二度目ならきっと三度目もあることでしょう。それに、これからルフィーナ王妃陛下に産まれるお子が心配です」

「それは……」

 と言葉を切って、俯いたルフィーナ。

 ピエトラが食事を取り替えた後もそのままで、朝餉を食べることなく終えた。

 食堂から廊下に出るなりにルフィーナを呼び止めようと思ったベルだったが、後ろから「ベルさん」と声を掛けられた。

 振り返るとアラブがいる。

「すみません。ちょっとだけお時間いいですか?」

「スィー、アラブさん?」

「ありがとうございます。それじゃ、えと……」

 とアラブは数秒のあいだ口を閉ざした後、こう続けた。

「3階の居間で待っててください」

 とりあえず先に、アラブに従うことにした。

 居間の窓際に設置してあるチェス盤スカッキエーラの前に座り、象牙の駒を動かしながらアラブを待つ。

(ルフィーナ王妃陛下のことでしょうか)

 と思ったのだが、何やら違う雰囲気だった。

「お待たせしました」

 と言いながら居間に入ってきたアラブはめかし込んでいた。

 詰め襟の華やかな刺繍の入った上衣を見る限り、ヴィルジネ国の正装だった。

 後ろに何か隠しているようで、両手が背中の方にある。

「ベルさん」

 ベルが「スィー」と返事をしながら立ち上がると、アラブが緊張した面持ちで近寄ってきた。

「これを言うのは、これで最後です。振られに来ました」

「そうですか」

 跪いたアラブが赤い薔薇の花束をベルに差し出す。

「好きです、ベルさん! 自分を王配にしてください!」

 という求婚の台詞を言い終わるか言い終わらないかの内に、「ノ」とベルから返ってきた。

 アラブが「スィー」と穏やかな笑顔を返して立ち上がる。

「この薔薇、良かったらジャムマルメッラータにでもしてください」

「ありがとうございます」

 と薔薇の花束を受け取ったベルが、アラブの顔を見上げる。

 本日も大変濃い。

 凛々しい眉の目元は特に濃く、誰よりも長く黒い睫毛が、目の縁を墨で囲ったようにふさふさと生えている。

 しかし、その顔立ちは整っている。

「アラブさんは一部には絶大な人気を誇りますし、私よりも相応しい女性がいくらでもいるかと」

「だといいですが。では、自分は軍事訓練がありますので、これで」

 とアラブがベルに一礼してから去ると、居間の扉の脇に苦笑しているマサムネとハナの姿があった。

「ご、ごめんアラブさん。聞くつもりは無かったんだけど、ベルがここに居るって聞いてさ……」

「容赦ないな、ベル。せめて3秒くらいは悩んだ振りしてくれてもええのになぁ?」

「お気になさらず」

 と2人に笑顔を返し、階段の方へと向かうアラブ。

 顔は笑っていたが、その背は落ち込んでいるように見えた。

 マサムネとハナは顔を見合わせると、「待って」と付いて行った。

 アラブをマサムネとハナが挟んで、階段を降りていく。

「仕方ないよ、アラブさん。トーレも産まれたんだし」

「トーレが生まれてなくとも、後にベルはフラビーと結婚するんやし仕方ないやん?」

「それらのことなどもあるのですが……」

「うん?」

 とマサムネとハナが、アラブの顔を覗き込む。

「あのとき、陛下には敵わないなって思ったんです。いえ、以前からその自覚があったつもりですが、あくまでも『つもり』だったのでしょう。ベルさんを想う気持ちなら、自分も負けていないと心のどこかで思っていたんです」

 マサムネとハナが「あのときって?」と声を揃えた。

「ベルさんがワン・ジンの子を妊娠しているかもしれないって話になったときです」

「ああ……」

「ベルさんの陛下に対する想いはよく分かっていました。陛下の子だからと、ご自身とは血の繋がらない王子殿下たちを愛せるベルさんは本当に凄いと思います。でも、こんなこと言ったら何様だって話になるかもしれませんが……これまでヴィルジネ・レオーネの王族の傍で生きてきた自分にとって、それはそこまで驚くことではないような気がするんです」

 ハナは「なんだそれ?」と眉を寄せたが、マサムネはアラブの言いたいことを理解したらしい。

「そういうことな。国王が複数の妻を持つのは至極当然のことで、異母兄弟が溢れ返ってるもんな。特にヴィルジネの王族はウン十人の妻がおったりするわけやし。裏で身の毛のよだつような女の争いが繰り広げられる一方で、自分以外の子も喜んで育てる女もおるからな」

「そうです。そういう一夫多妻の国で生きてきた自分にとって、陛下のようなお方は初めて見ました。言い方が悪いですが、そういう国の男は女性を自分の所有物に見ているところがあるんですよ」

 ハナが「まぁ」と口を挟んだ。

「カプリコルノも一夫多妻だし、フラビーもベルと付き合ったばかりの頃までは少しそういうところあったと思うけど。でも今は完全に違うぞ。ヴィットーリアさんを見てたようにベルを見てる。ベルの方は完全に自分はフラビーの物だって思ってるけど、フラビーはベルを物じゃなくて、『伴侶』として愛してるんだ」

 アラブが頷いて続ける。

「本当にその言葉がぴったりだと思いました。妻でも妾でも彼女でも何でも良いですが、自分の女が他の男の子供を孕み、産んだ。そう想像したとき、自分の頭に浮かんだのは、真っ先に産まれた子が殺されるということです。それは可哀想なことですが、自分はそれを仕方のないことだと思います。場合によっては、その女性も殺される。でも陛下は、愛そうとした。ご自身の子でないとか、嫌いな男の子だとか、そんなことはどうでも良いと仰った。ベルさんの子というだけで良いのだと仰った。あくまでもベルさんの血を引く子なのだと、殺すどころか愛そうとした。自分はあのとき、本当に耳を疑いました。自分が陛下だったらと考えたとき、とてもではありませんが考えられなかったから」

 マサムネが「ワイも」と相槌を打った。

「ベルさんに対する見方やら、愛の大きさやら、器の広さやら、絆の深さやら、とにかくもう圧倒的な差を見せつけられたというか……自分はあのときになってやっと、真にこのお方には――フラヴィオ・マストランジェロ陛下には敵わないのだと自覚したんです。だからもう、ベルさんに恋をし続けるのは終わりしようと思い、さっき最後の告白をしてきたんです」

 1階の廊下に辿り着いた。

 アラブが笑顔を見せる。

「ベルさんに情け容赦なく振ってもらえてスッキリしました」

「そうか」と返したマサムネが、ふと瞼を押さえる。

「改めてルフィーナかわいそっ。フラビーやから放置したりせぇへんけど、2人を見ててそういうの分かるやろなー」

「ルフィーナさんはベルに敵わないって分かってて王妃に立候補したんだ。ていうかそれ以前に、マサムネがフラビーに押し付けたようなもんだろ」

「そやけど」

「マサムネ殿下、そのルフィーナのことなんですが……最近様子がおかしくて。自分がどうしたのか訊いても、何でもないと言って教えてくれないんです」

 とアラブが心配した様子で言うと、ハナが黒猫の耳を動かしながら1階の廊下を見渡した。

「無理もないんじゃないか。トーレが産まれてから、ルフィーナさんの扱いが宮廷の中で余計に酷くなった気するよ」

 ハナの目線を追うと、その先には乳母の部屋がある。

 その前にいる衛兵が、部屋の中を気にした様子でそわそわとしていた。

 それだけでルフィーナが乳母の部屋を訪れているのだと分かる。

 ハナの黒猫の耳が、乳母の部屋の中の会話を聞き取る。

「ルフィーナさん、天使たちと一緒みたいだけど。ひとりだけ離れてトーレを眺めているような、そんな感じ。本当はきっと、もっとトーレに話し掛けたり、抱っこしたり、世話もしてみたいんだろうけど、たぶん乳母の目を気にして出来ないんだ。ルフィーナさんには前科もあるし、警戒されるのは仕方ないけどさ……やっぱフラビーの妻っていう立ち位置が悪化させてるよな。陛下フラビー愛が凄いからな、この国。特に女性陣が」

 後方――階段の方から「ハナ」とベルの声が聞こえた。

 呼ばれたハナが振り返るなり、ベルがアラブからもらった花束を渡される。

「これを厨房にいるフィコ師匠までお願いします」

「料理長にマルメッラータにしてもらんだな、分かった」

「ベルさん、そういうのは一応自分のいないところでお願いします」

 と苦笑したアラブに「申し訳ございません」と言ったベルが、美しい歩き姿で、でも速足で乳母の部屋の方へと向かって行く。

 その前にいる衛兵たちが、ベルの姿を見るなり姿勢を正した。

「おはようございます、女王陛下!」

「おはようございます。任務お疲れ様です。また、いつもありがとうございます」

「当然のことであります! 麗しゅうサルヴァトーレ王太子殿下の安全のためでありますから!」

 と衛兵たちが「どうぞ!」と乳母の部屋の扉を開ける。

 ベルが「ありがとうございます」と中へ入っていった。


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