酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第49話ー3

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 外は晴れていたが、庭の木々や花壇、芝生には雪が積もっていた。

 先ほどまで手ぶらだったハーゲンの手には、以前フラヴィオからもらったヴィオリーノが持たれている。

 ハーゲンは庭の中を見回すと、「うーん」と唸った。

「今日はお客様を招いているので衛兵が多いですね……」

「ハーゲンさん?」

「もしかしたら騒ぎになってしまうかもしれないので、やはり宮廷の外でソフィアを呼び出しましょう」

 とレオナルドと共に搦手門へと向かい、そこを潜ろうかとき、門衛が目前に立ちはだかった。

「ちょっと待った、ハーゲン。レオナルド様とどこへ行くんだ?」

「すぐそこの森だよ。今日も外でヴィオリーノを弾きたい気分なんだ」

「また? 真冬だっていうのに、ハーゲンは本当に外で弾くのが好きだな。気を付けろよ、どういう訳か最近この辺にメスのピピストレッロが出没する。レオナルド様に何かあったら大変だ」

 レオナルドが「大丈夫です」と返した。

「ぼくにはバッリエーラが5枚かかっています」

「バッリエーラ……って、ああ、魔法の盾というやつですね。それは安心だ」

 門衛に通してもらうと、ハーゲンは付近に広がる森の中へと入っていった。

 ある程度宮廷から離れたところで、ヴィオリーノを構える。

「ソフィアさんに会えるのっ?」

 と胸を躍らせているレオナルドに「スィー」と笑顔を向け、ハーゲンがヴィオリーノを奏で始める。

「ソフィアはこの曲が一番好きなんです」

 明るく軽快で、踊り出したくなるような旋律が辺りに鳴り渡る。

 レオナルドが今か今かと空を見上げて待っていると、やがてそれは現れた。

「――あっ! ハーゲンさん、あれがソフィアさんですか?」

 とレオナルドが空を指差すと、ハーゲンが「そうです」と返事をした。

 ほぼ真上の上空を円を描くように飛んでいる一匹のメスのピピストレッロ――ソフィアを見つめ、レオナルドが「わぁ」と榛色の瞳を輝かせる。

「何度見ても、なんてキレイなモストロなんだろう……ハーゲンさんの本の絵のピピストレッロもキレイだけど、ほんものはやっぱりとってもとってもキレイだ」

 ハーゲンが「ふふ」と笑った。

「レオナルドさんは、ピピストレッロのどこが特にお気に入りですか? 私は、あの雪のように白い肌が一番のお気に入りです」

「ぜんぶキレイだけど、ぼくの一番のお気に入りは髪の毛かなぁ」

「そうですか、ピピストレッロの黒髪が」

「ああでも、やっぱりあの赤いオルキデーア石みたいな瞳もいいなぁ……――って、あれ?」

 と、レオナルドがソフィアをまじまじと見つめる。

「ソフィアさんて、もしかしてぼくがこのあいだ見た……?」

「そうです。去年リナルド殿下とマヤ殿下がご結婚された日に、宮廷に現れたピピストレッロです。こうして寄って来てくれるのはソフィアだけなんです。ちなみに、私がこの高級ヴィオリーノをカプリコルノ陛下から贈呈していただいてからのことですから、きっとソフィアは音色の違いが分かるのでしょうね。私はカプリコルノ陛下やマヤ殿下に、感謝してもし切れません」

 そんなことを話しているとき、突如「レオ!」とリナルドの声が聞こえた。

 間髪入れずマヤの「ハーゲン!」も聞こえると、2人がはっとして振り返った。

 森の中に響いていたヴィオリーノの音色が止む。

 駆け寄って来るリナルドとマヤは、空を見上げながら狼狽していた。

「ピピストレッロがいることに気付かなかったのか、おまえたち! 危ないから宮廷に戻るぞ、レオ!」

「えっ、待ってリナルド兄上! ピピストレッロは、こっちが悪さをしなければ何もしません!」

「あれはタロウやハナ、ナナ・ネネ、リエンちゃんと違って話の通じないモストロだ! 人間と共存は出来ないんだ、関わるな! 来い、レオ!」

「待ってください、リナルド兄上!」

 とじたばたと暴れるレオナルドをリナルドが脇に抱え、強引に宮廷へ連れて行く。

「ハーゲンもよ! 早く!」

 と続いてマヤもハーゲンを引っ張って行こうとすると、それは「大丈夫です」とその場から動かなかった。

「私はここで、もう少しヴィオリーノの練習をしたいので」

「何を言ってるの、危ないわ!」

「大丈夫です。レオナルド様が先ほど仰っていた通り、ピピストレッロはこちらが何もしなければ何もしません」

「駄目よ、危ないわ!」

 と心配するマヤを見下ろし、「大丈夫です」と笑顔で再び宥めたハーゲン。

 ふと、その後方から気配を感じて顔を上げた。

 4人の国王――フラヴィオとベル、コラード、シャルロッテ――が厳しい表情でやって来る。

「マヤ、宮廷に戻っていなさい」

 との母シャルロッテの命で、マヤが戸惑いながらも承知して宮廷へ戻って行く。

 その背が見えなくなると、国王たちの視線がベルに集まった。

 その小さな顔の中にある栗色の瞳が、訝しそうにハーゲンを見上げていた。

「間違っていたら申し訳ございません、ハーゲンさん。私は以前からこう思っておりました。あなたの奏でるとても美しいヴィオリーノの音色は、人だけではなく、ピピストレッロまでも呼び寄せていませんか?」

 ハーゲンが返答に窮する。

 4人の国王の表情を見る限り、本当のことを答えたら非難されると分かる。

 しかし、嘘を吐いたところで看破されることも分かった。

 それ故、小さく「スィー」と認めた。

「ハーゲン、おまえはそれを知っていたということだな?」

 と、フラヴィオが確認した。

 再び「スィー」と答えると、突如コラードの怒号が鳴り渡った。

「知ってて今までヴィオリーノを弾いてたのか! こんな宮廷の傍で、王都のすぐ近くで、しかも今回に至ってはレオを連れてか!」

「も、申し訳ございませんでした」

 とハーゲンが直角に頭を下げると、シャルロッテの溜め息が聞こえた。

「貸しなさい、ハーゲン」

 と手を差し伸べる。

「え……?」

「あなたには別の楽器をお願いするわ。ヴィオリーノはもうこれでお終い」

「――そ、そんな、シャルロッテ陛下!」

「あなたがヴィオリーノを弾く度にピピストレッロにやって来られるなんて、溜まったものじゃないわよ。あなた他の楽器も出来るんだから、別に問題ないでしょう? 別にお給料下げたりしないから」

「私はヴィオリニスタです! このヴィオリーノは私のものです!」

 と、その場から逃げ出そうとしたハーゲンを、片手で軽々と引き寄せたコラードが、その腕の中からヴィオリーノを奪う。

「か、返してくださいコラード陛下! そのヴィオリーノを私から奪わないでください!」

「返してやってもいいけど、そのときは宮廷楽士を辞めてもらう」

「えっ……!?」

「そして、町からも出て行ってもらうからな。だって、返したらまた弾くだろ? ピピストレッロが寄って来るだろ? それじゃ困るんだよ。何かあったらどうしてくれるんだ? 王都の民家はもうすべて石造りになったけど、それでも奴らがひとたび炎魔法を使えば悲劇は免れないことくらい分かってるだろ?」

 押し黙って俯いたハーゲンに、コラードが「よく考えろ」と言い残して去って行く。

 その後をシャルロッテが付いて行き、フラヴィオとベルもハーゲンに憐憫の眼差しを送った後、宮廷へ踵を返して行った。

 辺りに静寂が訪れると、ハーゲンが天を仰いだ。

 そこにはもう、ソフィアの姿は無い。

「ああ……」

 大地の上に、崩れるように膝を突いた。

 両手で覆った顔の下を、涙が濡らしていく。

「あれがなければっ……あのヴィオリーノがなければ、ソフィアはもう私の下へ来てくれないのに!」

 ハーゲンがそう嘆いていたときのこと。

 ふと耳に、無垢な少女のように透明で、小鳥の囀りのように可憐な声が、小さく聴こえて来た。

「――え……?」

 辺りを見回すが、誰もいない。

 空耳かと思ったが、たしかに聴こえてくる。

「誰かいらっしゃるのですか?」

 立ち上がり、声の方へと歩いていく。

 その声がはっきり聴こえて来たときに、どきっとして立ち止まった。

(この曲は……)

 さっき自身がヴィオリーノで奏でていた曲――ソフィアの好きな曲だった。

 その声は言葉になっていなかったが、たしかにその旋律だった。

(まさか、歌っているのは……!)

 辺りを見回し、付近にあった大木の裏側へ回ると、上から声がして顔を上げる。

「――ソフィアっ……!」

 いた。

 枝に腰掛け、寛いだ様子で幹に寄り掛かっている。

 寒風に撫でられて流れる世にも美しい黒髪。

 蝙蝠の翼に、周りの雪に溶け込むように白い裸体。

 透き通った可憐な声で、妖艶な紅の唇で、旋律を口ずさんでいる。

 さらにその紅い瞳に捉えられると、ハーゲンの全身が粟立っていった。

 ソフィアと――ピピストレッロと、生まれて初めて目が合った。

「ソ…ソフィアっ……ソフィアっ……!」

 全身の穴という穴から血を噴き出してしまいそうな激しい興奮に、言葉を忘れてしまったかのように、その名しか口から出て来ない。

 すると、ソフィアの歌が途切れた。

 焦ってしまい、今度は思わず「ごめん」を連発した。

「ごめん、ごめんソフィアっ……! ごめんよ、ソフィアっ……! 歌っておくれ、ソフィアっ……!」

「……ソ……」

 小さな声が、言葉が、聴こえた。

 ハーゲンが息を呑む。

「ソ、ソフィアだよ、君の名前! ソフィアだ、ソフィア! 言ってごらん、ソフィアって!」

「…ソ…フィ……」

 ハーゲンが一文字ずつ、はっきりとした語調で、「ソ、フィ、ア」と言ってみせる。

 するとそれは、流暢ではなかったが、人間の耳にも聞き取れる言葉で、鸚鵡のように返した。

「ソ、フィ、ア」

「そう、そうだよソフィア。上手だ。君はソフィアだ。ソフィア」

「ソフィア」

「そう。ソフィア」

「ソフィア」

 ハーゲンの胸を、じんと熱い感動が包み込んでいった。

 ソフィアは何度か続けて「ソフィア」と言った後、さっきまで歌っていた旋律をまた口ずさんだ。

 そして少しして歌うのを止めたと思ったら、また「ソフィア」と言った。

 その後また、旋律を口ずさむ。

 何を訴えているのか、ハーゲンには充分に伝わってきた。

 微笑した銀色の瞳に、涙が浮かんでいく。

「分かったよ、ソフィア。君は、あの旋律が聴きたいんだね。私の奏でるヴィオリーノで。分かったよ。宮廷楽士をクビになってもいい、また人里を離れることになってもいい。あのヴィオリーノを返してもらって、私はまた君のために、あの旋律を奏でるよ――」


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