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最終話ー2

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 ――板金鎧を装備して馬に騎乗し、サジッターリオの王都を飛び出したコラードとリナルド、レンツォ。

 ピピストレッロの生息地へと馬を走らせるその顔々は、真綿で首を絞められているかのようにじわじわと絶望に染まっていく。

「これって意味あんのかな」

 リナルドが疑問を口にすると、コラードが溜め息交じりに「無いかもな」と返した。

「だって、これだけ走って追い付かないってことは反乱軍も馬ってことだろ」

「そうですね。これじゃボクたち、彼らに追い付きませんね。つまり、彼らを止めることは出来ませんね」

「コラード陛下、レンツォ殿下。ここはもう、町に戻って国民をカプリコルノに避難させた方が賢明ではありませんか?」

 とリナルドが言うと、レンツォが戸惑った様子で「待って」と言った。

「もうちょっと行ってみようよ。反乱軍が途中で休憩を入れていたら、追い付くことが出来るかも。それに間に合わなかったとしても、助けられるかも」

 コラードから失笑が漏れた。

「助ける? 彼らをか?」

「それは何ですか、コラード兄上! 反乱軍には腹が立つかもしれませんが、仮にも『力の王』の息子が国民を見捨てては駄目です!」

「そうじゃない、レンツォ。彼らがピピストレッロに危害を加えたら、どうにもこうにも終わりだって言ってんだよ。おまえはピピストレッロの力を実際に見たことが無いからそう思えるんだろうが、オレとリナルドは目の当たりにしてる。本当に一瞬だ。バッリエーラの無い人間なんて瞬殺だ。しかも山にはピピストレッロがウジャウジャしてる。助けられる暇なんて、これっぽっちも無いんだよ」

「でも――」

 レンツォの言葉を遮るように、コラードが左腕を横にすっと伸ばした。

「止まれ、二人共」

 指示に従い、2人が馬を制止する。

 ほぼ同時に馬を止めたコラードが、前方の空を指差した。

「見ろ……終わったぞ」

「――」

 コラードの指した方へと目を向けた二人が声を失う。

 遠くに見える山――ピピストレッロの生息地――の上空に、大量の白煙が立ち昇っていた。

 コラードが「さて」と馬を方向転換させる。

「急いで帰るぞ。ロッテたちと国民を船で避難させる」

「スィー」

 とリナルドも馬を方向転換させたが、レンツォはそのまま――白煙の方を向いたままでいた。

「やっぱりボクはもうちょっと行ってみます。奇跡的に生存者がいるかもしれないから」

「諦めろ、レンツォ。本当に奇跡が起きて生存者がいたとしても、おまえにはバッリエーラが掛かっていないんだぞ」

「町に戻ってもバッリエーラはありません」

「そうだが――」

「それに」

 とコラードの言葉をレンツォが遮った。

「すべての兵士やボクたちも乗れるほど、船は無いでしょう?」

「――…ああ……無い」

「それならきっと、ボクに何かあったとしても、それはほんのわずかな時間の差です。遅かれ早かれです。では」

 と再び馬を走らせようとしたレンツォを、コラードが「待て」と声高に制止した。

「どうしても行くって言うなら、オレかリナルドが行く。おまえは町に戻って船に乗れ。いいな?」

 そんな二番目の兄の命令に、レンツォが「え?」と困惑した。

「ど、どうしてですかコラード兄上? ボクだけ逃げろだなんて、そんな……」

「はっきり言ってやる。おまえは弱い。チビたちを除いたら、オレたちの中で一番弱い。おまえなんて、ピピストレッロ相手に一体どれくらい戦えるか。残られたところで、オレとリナルドの足手まといなんだよ。だったらロッテたちと船に乗って、カプリコルノに帰って、妻のエリーゼと、娘のサーラと生きろ」

 レンツォは首を縦には振らなかった。

 母ヴィットーリア譲りの穏やかな顔立ちに、精悍な覚悟の眼差しが現れる。

「コラード兄上、ボクはたしかに弱いです。『力の王』の力をあまり受け継がなかった。でも、それでもボクはマストランジェロ一族の男です。兵士50人には匹敵すると自負しています。その兵士は残って戦うのに、ボクが船に乗るというのはおかしい。それにボクは弱いけど、『力の王』からも、『力の王弟』からも『人間卒業生』からも、こういうとき逃げろだなんて一度も教わったことはありません」

 怒声を上げようとしたコラードよりも先に、リナルドが口を開いた。

「そうですね、レンツォ殿下。お気を付けて」

 頷き、「いってきます」と馬を発進させたレンツォが、背を向けたまま手を振る。

「大丈夫です、コラード兄上。生存者はいないと断定したら、すぐに戻りますから。とりあえず必ず生きて戻りますから。ボクだって最期にもう一度、妻と娘の顔を見たいしね。それから、ボクは足手まといになるようなことはしませんから安心してください」

「おい、レンツォ!」

 と馬を方向転換させようとしたコラードの腕を、リナルドが引っ張って制止する。

「無駄ですよ、コラード陛下。レンツォ殿下の心はマストランジェロ一族の男です。ここで船に乗って逃げたら、それこそ一生後悔する」

「いや、でもっ……」

 と戸惑い、小さくなっていくレンツォの背を見つめるコラードが、ほどなく溜め息交じりに「そうだな」と言った。

「あいつまだ16だし、サーラも生まれたばっかだし、生かしてやりたかったけど……無理だな、ありゃ」

「さぁ、私たちも急いで王都へ戻りましょう」

 コラードは「ああ」と承知すると、リナルドと共に馬を走らせ、踵を返していった。

 ――レンツォは馬を走らせてしばらくすると、ピピストレッロの山の上空に浮かんでいた白煙が消えかけていることに気付いた。

(火事が――火が消えたってこと?)

 また、もうとうに立ち入り禁止区域――ピピストレッロの山から半径20km――に入っていることから、その上空はそれなりに見えるが、彼ら姿が一匹たりとも無いように見えた。

 それにいつ彼らと遭遇してもおかしくない距離まで来ているのに、付近を見回してみてもその姿は見当たらない。

 なんだかとても不思議で、不気味な感じがした。

(何…どういうこと? 今すぐにでも人間を襲って来そうなものなのに……もしかして、彼らを襲った反乱軍以外の人間は許してくれたってこと?)

 それなら地獄で仏に会ったような気分だったが、そうではないようだった――

「――逃げてください!」

 絶叫と共に、前方からひとりの男が馬を走らせてやって来る。

(反乱軍の生存者だ!)

 そう思ったレンツォは慌てて馬を止めると、声を大きくした。

「あなたの他に生存者の方は!」

「ひとりもいません! 逃げてください! 早く! 海へ!」

 レンツォは「スィー!」と返事をして馬を方向転換させると、やって来た男と馬を並べて来た道を返していった。

 少し信じられない思いで男を見る。

 着ているローブの帽子を深く被り、下半分が見えている顔からは、見るからにしばらくのあいだ手入れをしていないヒゲが生えている。

 また、その深い金の髪も同様に伸び放題といった感じで、レンツォから見える横顔を隠していた。

「あなたはどうやって彼らの炎から身を守ったのですか?」

 男は一呼吸ほどの時間を置いた後、こう答えた。

「幸い近くに大きな岩があったので、咄嗟に隠れたのです」

「なるほど! そうですよね。コラード陛下もシャルロッテ陛下も、彼らの炎から守るために民家をすべて石造りにしたくらいだし」

 男が緊迫した様子で訊く。

「兵士の皆さんは彼らと戦うのですか」

「もちろん。コラード陛下とリナルド、ボクもですが、ここに残って戦います。その口ぶりから察するに、あなたは兵士ではなさそうですね。町に戻ったら、船に乗ってカプリコルノ国へ避難してください」

 そう言いながら、もう一度男の身なりを見つめたレンツォが違和感を覚える。

 反乱軍は『武装』して行ったと聞いていたが、男のローブから見える腕や脚に鎧は無く、武器も装備していない。

 またローブの下の衣類がずいぶんと古びていて、靴はボロボロだった。

 それからローブの裾で何かを包み、大切そうに抱いていた。

「それは?」

 とその『何か』をレンツォが指差すと、男が返答に窮した。

 不審に思ったレンツォが眉を寄せたとき、『何か』の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

「――ちょ……まさか赤ん坊を連れて行ったのですか?」

「も、申し訳ありません。家には私しかいないもので、心配で置いてくることが出来ず……」

「だからって……!」

 とレンツォが思わず眉を吊り上げると、もう一度「申し訳ありません」と謝った男が「それより」と話を逸らした。

「コラード陛下や兵士の皆さんにお伝えください。彼らと戦うなら、開けた場所よりも王都が適していると」

「分かりました。そうですね、王都には石造りの民家が――盾が、たくさんありますからね」

「そうです。また彼らの弱点は『水』もありますが、最大の弱点となるのは『翼』です。それは皆さん、ご存知ですか?」

「スィー。ピピストレッロのことを学んだコラード陛下の方が詳しいけど、ボクもそれくらいのことなら知っています。翼を切り落とすと魔力を失うって聞きました」

「そうです。翼を切り落とした瞬間、彼らは魔力を失うと共に、必ずわずかな隙が出来るので、そこを逃がしてはなりません。魔力を失ったからといって戦えなくなるわけではなく、彼らは鋭い爪でも容易に人間を切り裂くことが出来ますから」

「分かりました。ところで、翼は完全に切り落とさなきゃ魔力は消えないのですか?」

「魔力を完全に消すには、切り落とすしかありません。でも、翼に傷を付けるだけでも魔力は減少します」

 と男が「ですが」と口早に言葉を続けていく。

「その前に、彼らは飛行型ですから、常に地面の上にいるとは限りません。空中から攻撃してくる彼らを、先に弓矢などで射落とす必要があるときもあります。ただ彼らはとても敏捷なので、当たるかどうかは分かり兼ねますが……。ああ、それから、翼を切り落とさなくても魔法というのは延々と使えるわけではありません。魔法を使ったら使った分、休息が必要になります。基本的に翼が大きければ大きいほど魔力が高く、また長いあいだ魔法を使うことが出来ます。しばらくは民家を盾にして身を守る方に徹し、彼らが魔法を使えなくなったところで狙うのも手です。でも先ほども申した通り、彼らは爪を武器にしても戦いますから……」

 と男の話を聞いているうちに、レンツォの顔が訝し気に歪んでいく。

「ずいぶん詳しいですね」

「え?」

「あなた、どうしてそんなにピピストレッロに詳しい……?」

「――…ご…ご存知ありませんでしたか……レンツォ殿下は。昔、宮廷の図書室にハーゲンが書いたピピストレッロの本が置かれていたのです」

「では、あなたは反乱軍になる前、宮廷で働いていたってことですか?」

「い、いいえ。宮廷楽士だったハーゲンに、図書室から持って来てもらったことがあったのです。私はハーゲンの親戚で、デール・ガイガーと申します」

「……そうですか」

 とレンツォの不審の色が薄まる。

 反乱軍はハーゲンの家族や親戚を中心に結成されていた。

 それ故に、ありそうな話だった。

「あの…先ほど『反乱軍』と……?」

 と男が小さく問うと、レンツォは「ええ」と頷いた。

「無論、あなたたちのことです。あなたたちがそう呼ばれていたことを知らなかったのですか? 数ヵ月前、陛下に盾突く反乱を起こした自覚は無かった?」

「い、いえ……大変申し訳ありませんでした」

 と頭を下げた男が、しばしのあいだ黙ってから再び口を開いた。

「先ほど、私たち反乱軍が犯した罪を白状します」

「ええ、どうぞ」

「彼らの山に乗り込んでいった私たちに、一匹のメスのピピストレッロが近付いてきました」

「ピピストレッロの方から? 敵と見做されて、早々に殺されたってこと?」

 とレンツォが問うと、男が首を横に振った。

「彼女の様子から、私たちに敵意は無いのだと分かりました。それどころか、私たち人間を受け入れようとしてくれているのが分かりました」

「人間を受け入れようと……?」

 とレンツォが耳を疑う。

 俄かには信じられない話だった。

「また、彼女がピピストレッロの女王であることも分かりました。ハーゲンの本にも、ピピストレッロ界には女王がいると書かれていました」

「女王? どうしてそのメスがそう見えたんです? まさか王冠なんて被っていないでしょう?」

「他のピピストレッロたちの彼女に対する態度を見れば、一目瞭然でした。彼女が人間には分からない言葉を一言発するだけで、彼らは従い、動きました」

「何をしたの?」

「彼女は、私たち人間をもてなそうとしてくれたのでしょう。仲間たちに、すぐに木の実を持って来させました。木の実は彼らの大切な食糧です。それを分け与えてくれようとしたのです」

 と男が「また」と続けた声には、涙が滲んでいた。

「彼女は、私たち人間を楽しませてくれようとしたのでしょう。無垢な少女のように透明で、小鳥の囀りのように可憐な声で、踊り出したくなるような旋律を歌ってくれました。私はあんなにも美しい歌声を他に知らない。彼女はその声も、その心も、とてもとても美しいモストロだった。それなのに……!」

 と、男の口が歪む。

「私たち人間は、彼女が背を向けた隙にたくさんの矢を放ち、剣で首を深く切りつけたのです。その後はもう、ご想像の通りです。私たちは彼らの反撃を食らい、私を除く皆が一瞬で炭になりました。自業自得です。彼女は、何も悪くなかったのに…! 彼女は以前も罪を犯したことのある私たち人間を許してくれただけでなく、受け入れようとまでしてくれたのに……! 悪いのはすべて、人間なのに!」

 男の髭を涙が濡らしていった。

(――この人、本当に反乱軍……?)

 再び不審に思いながら、レンツォが話の続きを催促する。

「それでそのピピストレッロの女王陛下は、どうなったんですか? 死んでしまったの?」

 男が首を横に振った。

「モストロですから、その程度の傷ではすぐには死にません。彼女は、その場に生き残っていた人間――私が、仲間に殺されると分かると、すぐに命を発して制止してくれました。今もきっと、その状態です」

 と男が「でも」と涙を飲み込んだ。

「もう彼女の命も長くない。彼女の命が尽き果て、灰となったその瞬間……彼らは、私たち人間を葬りに来る――」


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