酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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最終話ー32

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 別れのときが来た。

(笑いなさい)

 ベルが懸命に自身に言い聞かせる。

 フラヴィオと出会ってから徐々に取り戻した笑顔は、今ではすっかり上手になったはずだった。

 それなのに、浮かばない。

「ジーナに笑えと言っておきながら、それは無いだろう」

「申し訳ありません」

 フラヴィオの言う通りだった。

 天使の皆は、フラヴィオの望み通りきちんと笑顔を贈ってみせたのに、自身だけがそれを出来ないでいる。

 必死に笑おうとするのに、重りがぶら下がっているみたいに口角が下がって、フラヴィオの望まない涙ばかりが溢れ出る。

 フラヴィオと自身の年齢差は17もあり、さらに自身の最大の仕事は100歳まで生きること故に、この日がいずれやってくることはとうに覚悟していた。

 こうしてヴィットーリアとの約束を果たせる日が無事にやって来て、少し安心している気持ちもあった。

 でも、

「早過ぎるのです、フラヴィオ様……!」

 ほんの数時間前まで、フラヴィオといつも通りに過ごしていた。

 先ほどフェデリコと、フラヴィオを支えて生きると改めて約束したばかりだった。

 それに自身は今年でまだ25歳で、つまりまだたったの10年しかフラヴィオと一緒に居ない。

 奴隷時代の10年間や、一時期フラヴィオと離れていた期間は、一日が永遠のように長かった。

 でもフラヴィオと共に過ごした幸せな日々は、あっという間に過ぎ去っていった。

 とてもとても短かった。

「私は、もっとフラヴィオ様と一緒にいたいのです…! 地獄から迎えに来てくださるまで、あと75年も待っていろと仰るのですか……!」

 顔の上に止めどなく落ちてくるベルの涙に、フラヴィオの涙が混じった。

「申し訳ない、ベル……許してくれ。欲を言えば、余ももっと生きてそなたや皆と色んなことをしたかった。そなたの笑顔をもっとたくさん見ていたかった。許してくれ。そして、笑ってくれ。生きたい欲はあるが、余はそれ以上にそなたを守り切れたことを、とても幸せに思っている。余は最愛の天使を……いや、『女神』を、今度こそ失わずに済んだのだから。その『女神』の笑顔を見ないことには、死んでも死に切れぬ。頼む、ベル……余は最期に、何よりも愛したそなたの笑顔が見たいのだ」

 ベルの頬に触れた骨っぽく、大きな手。

 もうベルの体温よりも低くなっていた。

 年中外で鍛錬をしていたことから日焼けをして、健康的だった肌の色も蒼白くなってきている。

 別れのときが、すぐそこまで迫っている。

 何をしているのだと、思った。

(ベルナデッタ、あなたは仮にも天使軍の元帥でしょう……!)

 奥歯を噛み締め、涙を押し殺す。

 身魂を込めて重い口角を引き上げ。

 目元を綻ばせ。

 今、フラヴィオの最期の願いを叶える――

「――スィー……フラヴィオ様」

 フラヴィオの顔が、幸福に満ちていった。

「ああ……愛らしいな……」

 その金の髪を撫でると、少し鋭い碧眼の目尻がより下がっていく。

「フラヴィオ様……お助けいただいてありがとうございました。私はこの命を大切に生き、フラヴィオ様との約束通り100歳越えの熟女になります」

「うむ……そのとき必ず地獄から迎えに来るから、約束だぞ。笑いジワが多いと魅力的な熟女で嬉しい」

「スィー。笑顔でいる努力も忘れません。それからフラヴィオ様、大丈夫ですよ……何も心配しないでください」

「うん?」

「オルキデーアは、私がすぐに建て直しますから。国民の食べ物も、着るものも、困らせません」

「ああ……その辺のことは何も心配していない。そなたや信頼の置ける優秀な臣下たち――リエンや内閣大学士が居てくれて本当に良かった。そなたらが居てくれなかったら、余は酷く自責の念に苛まれていたところだった。助かった、ありがとう。彼らにもよろしく伝えておいてくれ」

「スィー」

 と返事をしたベルの手を取ったフラヴィオが、愛おしそうに汗ばんだ冷たい頬に頬擦りした。

 でもそのフラヴィオの手はすぐにベルの手から滑り落ち、白の灰の上に落ちていった。

「あっ……!」

 と慌ててベルがそれを拾い上げ、もう片方の手を家族たちがひしと握っていく。

「済まん……握っていてくれ。『力の王』なのに、力が入らないのだ……」

 そう言って、少し申し訳なさそうに微笑んだ白い唇。

 浅い呼吸。

 弱々しい鼓動。

 虚ろになっていく碧眼。

(――待って…待って、お願い……!)

 まだベルの覚悟が決まっていないのに、無情にも別れのときが迫ってくる。

「フラヴィオ様っ…フラヴィオ様っ……!」

 堪え切れず、ベルから滂沱の涙が溢れ出ていった。

「ありがとうございました…! 私はフラヴィオ様のお陰で、この世で一番幸せな女性になることが出来ました……!」

「ああ……余もそなたのお陰で、どれだけ救われたか。どれだけ幸せだったか。ありがとう、ベル……愛している。忘れないでくれ。余がこんなにも、そなたを愛していたことを」

「スィー、フラヴィオ様…! フラヴィオ様っ……!」

 ベルが氷のような唇に口付ける。

 二人の脳裏に、同じ記憶が蘇っていった。

 10年前、フラヴィオ32歳の誕生日パラータで出会ったときのこと。

 フラヴィオから見たベルは、パラータのために着飾った華やかな民衆の中で、ひとり襤褸ぼろを纏っていた。

 栗色の髪は散切りで、服の上からでも分かる骸骨のようだと分かる身体に、死んだ魚のような目をしていた――

(奴隷だった)

 一方、ベルから見たフラヴィオは、ド派手な黄金色の板金鎧姿でキンキンキラキラと輝き、内から国王の気品と自信が溢れていた――

(一瞬で、フラヴィオ・マストランジェロ陛下だと分かった)

 その次の日に、フラヴィオがベルを宮廷に召し上げた――愛娘ヴァレンティーナ王女の侍女として迎えたときのこと。

 エステ・スキーパの屋敷の地下室から、フラヴィオが問答無用で連れ去ってきたベルは、10年間の奴隷生活の中で笑顔も涙も失っていた――

(『無』だった)

 それは表情だけでなく声にも現れていて、か細く、抑揚が無く、淡々とした口調をしていた。

 首から下は痣だらけで、皮を一枚着ただけの骸骨で、生きているのが不思議だった。

(私はあのときのことを、今でも鮮明に覚えている)

 奴隷生活の中で、ベルにすっかり摺り込まれていた恐怖。

 それがフラヴィオの優しい声に、言葉に、笑顔に溶かされ、代わりに湧いて来た勇気が、フラヴィオに助けを求めた――

(陛下、フラヴィオ・マストランジェロ陛下……どうか私を、お助け下さい)

 フラヴィオの血に汚れた手。

 ベルのために汚してくれた、大きな優しい手。

 この言葉を、脳裏に、心に、肝に、骨に、刻み込んだ――

(このベルナデッタ、この先の生涯、フラヴィオ・マストランジェロ陛下に忠誠を尽くし、恩義に報いることを誓います)

 死んだ魚のようだった栗色の瞳に光が宿ったのは、その瞬間からだった。

 フラヴィオはあのとき、ベルにこんなことを訊いた。

(これから宮廷で――うちで、したいことはあるか?)

 歌ってみるか? 

 踊ってみるか?

 楽器を奏でてみるか?

 絵を描いてみるか? 

 スカッキをしてみるか?

(ああ、でも余はそなたの料理を食べてみたい。スティヴァーレやカッポット、外套には美しい金糸の刺繍を入れて欲しい)

 その程度のことを望んだ。

 それなのに、ベルのフラヴィオへの忠誠や恩返しはその程度では済まされなかった。

「あのとき余は、7番目の天使が問題児に成長することなど思いも寄らなかった……」

「心なしか楽しそうに見えます、フラヴィオ様」

「ああ……今となってみれば、すべて良い思い出だ」

 王妃ヴィットーリアが生きていた頃。

 コニッリョと融和するためにフラヴィオの側室にモストロ、もしくはメッゾサングエを迎えなければならないと知ったとき、ベルは大反対した。

 さらに当時子供が出来ずに悩んでいたアドルフォ・ベラドンナ夫妻の側室の話をマサムネが持ち出すと、堪忍袋の緒が切れたベルはこんなことを言った――

(私が、モストロと結婚致しましょう)

 そしてメッゾサングエを産み、『兵器』にする。

 フラヴィオは激怒したが、ベルが反省しないものだから大喧嘩に発展した。

 さらにそのまま翌日、マサムネに連れられてレオーネ国に観光に行ったベル。

 友人になったハナと共に、昔カプリコルノの商船を襲ったカンクロの海賊――リージン一味の大型船に乗り込んだ。

 皆殺しにして凱旋、カプリコルノの英雄になった。

「余は失神した」

「申し訳ありません。でも私はあのとき、天使として初めてフラヴィオ様の助けとなれたことが、とても誇らしかったのです」

 その日を堺に、フェデリコ・アドルフォと並ぶフラヴィオの『補佐』になり、あの手この手で国庫金を貯める守銭奴になっていったベル。

 それまで無料開放していた南の温泉に『珠の湯』と名付け、改装したり詐欺まがいの広告を貼ったりして商売を始め、大繁盛させた。

 超富裕層・富裕層の商人相手にオルキデーア石の売却取引をやらせてみたら、非常に巧妙かつ得手勝手な悪魔の取引で、用意してあったオルキデーア石を余すことなく売り捌いた。

 コラードの婚約のためにサジッターリオの舞踏会に行ったときも、フラヴィオ・フェデリコと踊りたがる向こうの貴婦人から、隠れてこっそり料金を取っていた。

 すっかり金に目が眩みやすくなったベルは、主の顔が彫られた大切なカンメーオ――しかもヴァレンティーナからの贈りもの――を10億で売っ払ったし、毎月ヴィルジネ国の真珠を貢ぐ代わりにと、アラブに唇を奪われたこともあった。

 その後アラブから毎月もらうようになった真珠は何の悪びれも無く高額で転売していたし、その前には本当はアラブからルフィーナに渡るはずであった金を半ば強引に分捕り、国庫に突っ込んでいたりもした。

 ワン・ジンに貢がれていたときもいらない物は容赦なくすべて売り捌き、石材輸入の話があったときは惚れられているの良いことに、愛らしい笑顔でワン・ジンを盲目にさせ、騙して適正価格の半値で取引してきた。

「でも、それだけならまだマシだったな」

 ベルはそれまであった貴族の免税特権を排除し、一般民衆の税を大幅に引き下げた。

 お陰で一般民衆からは絶大な支持を得たが、貴族からは敵視されるようになってしまった。

 これが切っ掛けで内乱が勃発し、農民とプリームラ貴族のあいだに凶悪な事件が起こった。

 当時女を処刑することが出来ずにいたフラヴィオに代わり、ベルが犯人のプリームラ貴婦人たちを処刑し、すっかり天使の手を血で染めてしまった。

 同時に、宰相と呼ばれるようになったベルの夢はフラヴィオの世界征服だったが、それは駄目だと言われていたので、支配地を広げる野望を叶えようといよいよ動き出した。

 王子たちは政略結婚に使ったし、世界一の大国カンクロの頂点に立つフラヴィオを夢見て、自ら危ないことをやって来た。

 またベルが平気で不道徳なことをするものだから、フラヴィオが叱ったある日、その口からこんな言葉が返ってきた――

(『主と他人』や『主と自身』を天秤に掛けたとき、忠誠を誓った臣下に後者を選ぶ者などおりません。後者を選んだ者が居たならばそれは『不義』であり、それこそ『悪』というもの。つまり傍から私がどんなに極悪に見えようと、私は私の中で『正義』であり、『善』を生きております)

 ベルのやることなすこと、行きつくところはすべてフラヴィオのためだと、フラヴィオは分かっていた。

 だがこのとき、ベルは本当にフラヴィオのために、ただ真っ直ぐに生きていたのだと再認識した。

 どんなに敵が増えようと、いつしか何処吹く風。

 鋼鉄の心で向かい風に立ち向かい、時にフラヴィオの盾になり、フラヴィオのために懸命に生きてきた。

「今こそベルナデッタを褒めてくださいまし」

「ああ、ベル……よくやってくれた。余をよく補佐してくれた。また、よく余の心の支えになってくれた。ありがとう、アモーレ……」

 フラヴィオもベルも忘れもしない。

 先の王妃――フラヴィオの『女神』だったヴィットーリアが、モストロの毒にやられて亡くなったときのこと。

(あのときルフィーナが現れておらず、またベルが支えてくれていなかったら、余はすでにあのときに死んでいた)

 それまでひたすらに7番目の天使を守っていた『力の王』が、逆に守られる側になった。

 ベル無しには生きられなくなって、後妻になって欲しいと願った。

 でも己はフラヴィオの妻に相応しくないのだと、宰相なのだと戸惑うベルを、半ば強引に奪った。

(痛かったのです)

(ごめんなさいなのだ)

 でも、愛しくて狂おしい夜だった。

「アモーレって自分では気付かなかっただけで、今振り返ると余と出会ってからほとんどすぐ余のこと好きになっていただろう? 主としてじゃなくて、男としてだ。何故って、そなたがリージンの海賊船に乗り込んだのは、出会った翌月――9月の頭だ。その凱旋パラータが終わった後、余がそなたにバーチョしたら、そなたは腰を抜かした」

「い、言わないでくださいっ……」

「あれはきっと、すでに余に恋をしていたからだ。ふふふ」

 期限付きで付き合うことになった恋人時代。

 ベルにはっきりと笑顔が戻ったのは、その頃だった――

(衝撃的な愛らしさに、余はエビ反りになった)

 日に日に別れの日が迫っていると思うと苦しかったし、恋敵だったアラブ・ルフィーナ兄妹と争ったこともあった。

 でも愛し、恋し、急速に膨れ上がっていった想い。

 ベルの左手薬指には、ライラックリッラ色のオルキデーア石が嵌められた――

(それまでの私の人生で、一番幸せな日だった)

 真冬の極寒の『珠の湯』でいちゃついていたらベルが風邪を引き、寝込んだときは、フラヴィオが初めての料理を作った。

(アモーレの危機を目前に、余に出来ないことは無い――と、思ったのだが……)

 料理の才能が皆無で、その結果、塩だけの味付けのスープツッパが出来上がった。

(とても優しい味のする、とても美味しい料理だった)

 その晩ベルの熱が上がったが、大きな愛情と優しさ、何ものからも守ってくれるようなフラヴィオの腕の中で朝を迎えたら、すっかり快復していた。

 そして愛情を込めて、互いの絵を描いた。

「そういえば余が描いたあのアモーレのヌード、余の棺の中に一緒に入れておいてくれ。寂しいからあの世に持って行くのだ」

「だ、誰かに見つかったらと思うとアレなので、そうしてください……」

 フラヴィオがタロウの記憶喪失魔法オブリーオに掛かった振りをして、『庶民ごっこ』をしたときもあった。

 国のことをあれこれ考えなくて良い庶民になって、二人でオルキデーア石のクズ石屋をやったり、デートアップンタメントをしたりした。

 そして、ヴァレンティーナがベルに似合うように描いてくれた花嫁衣裳の『試着』をした。 

(余はあのとき、真っ白な本物の天使を見た)

 二人の左手薬指に嵌められた、金の指輪。

 夫婦ごっこの始まりだった。

 でもあの日――1491年4月1日に、本当の夫婦になった気分だった。

(フラヴィオ様も私も、とてもとても幸せだった)

 その2か月半後の舞踏会では、初めて一緒に踊った。

 ベルは赤いヴェスティートを着て、約30cmある身長差をなるべく無くすために踵が10cmある靴を履いた。

 でもそれでも身長差は20cmあって適切な身長差ではなく、不格好なことになってフラヴィオの顔に泥を塗ってしまう。

 そんな不安と緊張の中で、ベルは踊り場のど真ん中に立った――というか、置かれた。

「言ったではないか。余に身を任せていれば大丈夫だと」

「スィー。杞憂でした」

 まるでフラヴィオと一心同体になっているような、錯覚の世界に誘われた。

 フラヴィオの腕の中、巧みに誘導され、威風堂々たる女王のように舞い踊るベルは、その日の主役だった。

(その年の余の35歳の誕生日のから3日後、余はベルを連れてレオーネ国へ『新婚旅行もどき』に行った)

 楽しみな半面、夫婦ごっこに幕を閉じる日が半月後まで迫っていた故に怖い思いもあった、複雑な心境の中での旅行だった。

 その笑顔をたくさん見つめた。

 その笑い声をたくさん聴いた。

 その肌にたくさん触れた。

 たくさん愛し合った。

 でも、底が抜けているかのように満ち足りなくて、終わりが近付くと四六時中求め合っていた。

 秋の冴えた空に輝く月が、涙でぼやけて春に見る朧月のように見えていた記憶がある。

「でもフラヴィオ様? あのときにはもう、私はこの世で一番幸せな女性になっていたのです」

「ああ……余もそうだった」

 金の指輪を一旦外してから間もなく、ベルがワン・ジンに攫われるという大事件が起こった。

(あれは私の大失態でした……)

 世界一の大国をフラヴィオのものにするためにとワン・ジンを騙していたこともあって、すっかり惚れ込まれていたベルはカンクロ王妃にされ。

 フラヴィオを始め、カプリコルノ一同はベルを死に物狂いで探す日々だった。

 どちらにとっても、地獄のような日々だった。

 ベルの方は、フラヴィオの子――サルヴァトーレではなく、ワン・ジンの子を身籠ったのだと勘違いしていた。

(私はフラヴィオに愛される資格も無ければ、もうその目に触れる資格も無い)

 腹にいる子は自身の子には代わり無いが、フラヴィオの子ではない。

 まるで愛しいと思えない。

(とても心細い中での出産だった)

 不安、恐怖、想像を絶して絶した痛み。

 さっさと腹を切って取り出した方が楽だと、刃物を持って来るよう医者のリンリーに頼んだが止められた。

 そんな中、フラヴィオが突然部屋に入ってきたとき――

「笑わないでくださいっ……!」

「良かったなトーレ、無事に生まれて来れて。おまえは腹から出してもらえなかったかもしれないんだぞ」

 焦るあまりに生まれて来ようとするサルヴァトーレに対し、腹に「入ってなさい!」なんて怒号してしまったが、フラヴィオがベルのお腹に触れながらこう言った――

(この子は、そなたの子だ。他の誰でもない、そなたの血を引いた子だ。父親は誰だろうと、そなたの子なのだ。ならば余は、それだけで愛することが出来る。そなたが、余の子供たちを愛してくれたように)

 耳を疑ったベルは、フラヴィオはこの子がワン・ジンの子なのだと分かっていないのかもしれないと思った。

 でもフラヴィオはすべて分かっていた。

 もうその目に触れる資格すら無いのだと思っていたベルとは裏腹に、フラヴィオはずっと変わらずベルを愛し続けていた。

 だからワン・ジンの子なのだと分かっていても、ベルと腹の子を迎えに来た――

(余はこの子に――そなたの子に会いたい。だから産んでくれ、腹に戻したりしないで。余のために、この子を産んでくれ)

 ベルを襲っていたそれまでの激痛が、急激に和らいでいった。

 自身は産めると、そのときになって思えた。

 そしてサルヴァトーレが誕生したとき、無性の愛しさで溢れ返った。

 フラヴィオたちがワン・ジンを倒すと、ワン・ジン本人から玉璽を受け取っていたベルは、正式にカンクロ国の女王に即位した。

 またサルヴァトーレはカプリコルノの第5王子であると同時に、カンクロ国の王太子になった。

(そして私の野望が叶ったのは、1495年の8月12日――フラヴィオ様39歳のお誕生日の日)

 この日にフラヴィオとベルが結婚、ようやっと正式な夫婦になった。

 それと同時に、フラヴィオが世界一の大国の国王に即位した。

 カプリコルノ国の全人口を上回る人数のカンクロ国民が跪く手前、両腕を広げ、翼を広げた獅子のように威風堂々と立つその姿に、ベルは随喜の涙を流した――

(お母さん、ベルナデッタを産んでくれてありがとう……!)

 そして『本番』の結婚式もこの日だった。

『試着』の日から4年が経っていたので、少し大人っぽく、また女王に相応しく作り直した花嫁衣裳だった。

 あのとき見た本物の天使が、再びフラヴィオの前に降臨した。

(長いあいだ待たせたな。これでようやくそなたも『マストランジェロ』だ――列記とした余の妻だ。これからも共に生き、この指輪にまた思い出を増やしていこう。そなたが100歳越えの熟女になる遠い未来には共に墓で眠り、そして魂はまた地獄で共になるのだ)

(スィー)

 金の指輪が、再び二人の左手薬指に嵌った。

 ベルは翌年――今から2年前の9月には、第二子ヴィルジニアを出産した。

『将来嫁にやらなくて良い』なんて理由で、サルヴァトーレに続いて男を望んだフラヴィオは、生まれたその瞬間頭を抱えて絶叫した。

 サルヴァトーレの性別を変えただけの、ベルそっくりな可愛い可愛い女の子だった。

 無論、溺愛した。

「あの、アモーレ? ジーナが将来、結婚したいというならさせてやっても良い。だが、余よりも格好良い男限定だ。余より劣る奴に嫁にやってはいけない。つまりジーナを嫁にやってはいけない。よろしくな? な? ……な?」

「ハイハイ」

 と呆れた風に返したベルの顔に、自然と笑顔が浮かんでいった。

(私はもう、大丈夫……)

 虚ろな碧眼でそれを見つめるフラヴィオの顔にも、最期の笑顔が咲く。

「愛らしいな、アモーレ……余は本当に幸せだ。ありがとう、アモーレ……」

「スィー、フラヴィオ様。私の方こそ、本当に、本当にありがとうございました。私のことは何も心配しないでください、フラヴィオ様。私はもう、大丈夫です」

 だって、

「フラヴィオ様との思い出を振り返るだけで、私はこんなにも笑顔になれるのですから。フラヴィオ様を思い出すだけで、私はいつだって世界一の幸せな女性になることが出来るのですから」

「ああ……」

 フラヴィオの顔が安堵に包まれていく。

 ベルは今一度、ここに誓う。

「7番目の天使ベルナデッタは、これからも心の中でフラヴィオ様と共に生き、フラヴィオ様を愛し、フラヴィオ様の癒しとなり、フラヴィオ様の助けとなり、フラヴィオ様のためにいつまでも美しくあり、フラヴィオ様のために生きることを誓います」

 高貴な金の髪。

 少し鋭い澄んだ碧眼。

 真夏の太陽のように明るく優しい笑顔。

 ベルよりもずっと低いけれど、穏やかで優しい声。

 いつも守ってくれた強く優しい腕。

 子猫を愛でるように優しい大きな手。

 あたたかくて優しい膝の上。

 支え合い、全身全霊で愛し合ってきた日々。

 この世でのそれらすべてに別れる覚悟を決め、最後にもう一度誓いの口付けをする。

(ヴィットーリア王妃陛下……)

 幸福に満ちたフラヴィオの顔の瞼が落ち、永久の眠りに誘われていく。

「ありがとう、アモーレ……ありがとう、皆。ありがとう……愛している、ベル……――」

 フラヴィオの鼓動が、静かに止まった。

(今ここに、お約束を果たしました)


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