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番外編1
草の音の先3
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背中を向けたまま、タオが声をかけた。タオを背中から押し出そうとしていた女が、弾かれたように、手を後ろに向けた。
タオの両耳が、頭頂でピクピク動いている。
ちなみに、ティアラナが南尾に来る前の、白亜の前任でもある。もっとも、在任期間は二年ぐらいだが。
「ハッ!! どうしてわかったんですか!? やはりこの耳ですか!? この耳が、あたしのストレス解消を妨げる原因なんですね!? 許せません!! ストレスはお肌の大敵、お肌の大敵は、乙女の大敵なんです~!!」
人の耳を引っ張り回しながら、ユイフィが言った。瞳の色は紫苑。すなわち魔力量は十位であった。
人に危害を加えるというのは、死聴をなだめる上でもっともベタな方法だ。だから魔力量が高い魔術師、更には魔術師全体が、色々な意味で隔離されている。
ユイフィは、子供の頃からタオに嫌がらせばかりしてくる。自分はクジャとは違うので、その度に骨をへし折ったりだとか、内臓を破壊したりだとかはしなかったが――修行で相応の目に合わせてきたことは別として――まあ傷がつかない程度の、相応の方法であしらってはきた。それでもユイフィは懲りずに手を出してくる。
将来この女は大丈夫か?
なんて思ったりもしたものだが、時の流れとは偉大なもので、大人になったユィフィは、タオとセネカ以外の人間に対しては、恐ろしいほど淑やかに振る舞うようになった。
「仕事だ、ユイフィ」
そんなユイフィに、愛情を抱いたことは一度もない。当然だ。今の自分は、六十を越えている。
もしも自分がユイフィに手を出したなら、その時は腹を切って死んでもいい。六十と二十一の交尾だなんて、聞くも語るも、おぞましい話だ。
だったらどうして、こんな、自分の気持ちを再確認するようなマネをしているのか。
理由は、簡単だった。
我ながら、誉められた人生を歩んだとは言い難い。
誰にも好意をもたれなかったのは、当然である。
人の道を、あえて外して、生きてきた。
人が人をパートナーに選ぶなら、半獣じぶんが選んだのは、闇だった。自分の全力をつぎ込んだ後、闇の中に倒れ込んで、眠る。
それが、本懐だった。
散々人を屠っておきながら、本当は、さっさと闇に帰りたかった。
「どのようなお仕事ですか?」
ユイフィが光になるかと言えば、そんなことはない。
ユイフィが闇になるかと言えば、やはりそんなことはない。
ただこれはきっと、願望だから、決して口には出さないが。
「死聴が泣き止むような仕事であれば、嬉しいんですけどねー」
お前の隣に立てる存在ものもまた、闇だけ。
そう思っている。
だから……いや、これ以上は、考えるまでもあるまい。
「ルイスガーデン」
「皆殺し?」
「いや、煽るだけだ、いくつかストックしてあっただろう? そろそろ使う」
「あー、クジャ国王陛下。しっかしお前様も報われない話ですよねー。ここまで骨を折ってるのに、何もさせてくれないんでしょー? 一回頼み込んでみてはどうでしょう?
死聴を鎮めるために、悪党どもを使いたい? フッフッフ。使いたければ、まずはその身をワシに預けてみよ。端的に言えば服を脱ぐのじゃ。そう次はあそこを広げて、そう、そうじゃ、次はそのポーズを、おう、たまらんの――」
「いつ終わる? それは?」
「え? ツッコミが入るまで」
「怖気が走る。やめろ」
「愛しているくせにー」
「あれは五十。私は六十。そういう発想は四十で捨てるもんだ」
「へー」
口元に手を置いて、ユイフィが笑う。
何だというのか。
ガキに嗤われるというのは、どんな無慈悲な行いを見ることより、腹立たしい。
「セネカは連れて行かないんですか?」
「……セネカには男がいるのだろう?」
「そんなことを言ったらあたしもいますけど?」
「え?」
思わず振り返った。
「え?」
ユイフィが、キョトンとした顔で、同じ言葉を言い返す。
タオが背中を向けた。
『聞くところによると、セネカには彼氏がいるそうだが、ユイフィにはおらぬらしい』
クジャの言葉が、頭に蘇る。
間違い? 違う。
一流の魔術師にとって、人の心とは察するものではなく、視るもの。
あいつがよく使う、傲岸不遜の持論だが、ことあいつが使うなら、まぎれもなく正しい。
あいつこと、魔王クジャ=ロキフェラトゥは、交鳥暦最強の魔術師にして、最高の魔導師。タオでさえも、それに関しては異論を挟めない。
そんな魔王クジャ=ロキフェラトゥに限って、人の心を読み間違える、ということは、ありえない。
だとすれば、つまり……。
拳を握った。
クジャの真意は、あえて言うまい。
わからないならわからないで結構だ。
ただこれだけは言っておこう。
あの女……。
このままでは済まさん!!
背中を向け、怒りと羞恥と屈辱に心を焼かれていたタオは気づかなかった。
背中で、ユイフィが、口元を押さえ『クックック』と、笑っていたこと。
ユイフィは、尋常では測れぬほどの、Sなのである。
自分の、人ならざる耳を持ってして、これはありえない話なのだが――
クジャの草笛の音が、どこからか、聞こえてくる気がした。
きっと、頭の中に、あのクソ女の画を思い描いているからだろう。
頭の中のクジャは、悠々と、たおやかに、草笛の音を風に運ばせている。
自分より先に滅んだもの、滅ぼしたものへと、届かせるように。
頭の中に映る、小奇麗な光景を見て、タオは考えていた。
この屈辱、どう晴らしてくれようかと。
そして頭の中のクジャは――
まるで、その画を見ていたかのように、クツクツと笑うのだった。
<草の音の先。了>
タオの両耳が、頭頂でピクピク動いている。
ちなみに、ティアラナが南尾に来る前の、白亜の前任でもある。もっとも、在任期間は二年ぐらいだが。
「ハッ!! どうしてわかったんですか!? やはりこの耳ですか!? この耳が、あたしのストレス解消を妨げる原因なんですね!? 許せません!! ストレスはお肌の大敵、お肌の大敵は、乙女の大敵なんです~!!」
人の耳を引っ張り回しながら、ユイフィが言った。瞳の色は紫苑。すなわち魔力量は十位であった。
人に危害を加えるというのは、死聴をなだめる上でもっともベタな方法だ。だから魔力量が高い魔術師、更には魔術師全体が、色々な意味で隔離されている。
ユイフィは、子供の頃からタオに嫌がらせばかりしてくる。自分はクジャとは違うので、その度に骨をへし折ったりだとか、内臓を破壊したりだとかはしなかったが――修行で相応の目に合わせてきたことは別として――まあ傷がつかない程度の、相応の方法であしらってはきた。それでもユイフィは懲りずに手を出してくる。
将来この女は大丈夫か?
なんて思ったりもしたものだが、時の流れとは偉大なもので、大人になったユィフィは、タオとセネカ以外の人間に対しては、恐ろしいほど淑やかに振る舞うようになった。
「仕事だ、ユイフィ」
そんなユイフィに、愛情を抱いたことは一度もない。当然だ。今の自分は、六十を越えている。
もしも自分がユイフィに手を出したなら、その時は腹を切って死んでもいい。六十と二十一の交尾だなんて、聞くも語るも、おぞましい話だ。
だったらどうして、こんな、自分の気持ちを再確認するようなマネをしているのか。
理由は、簡単だった。
我ながら、誉められた人生を歩んだとは言い難い。
誰にも好意をもたれなかったのは、当然である。
人の道を、あえて外して、生きてきた。
人が人をパートナーに選ぶなら、半獣じぶんが選んだのは、闇だった。自分の全力をつぎ込んだ後、闇の中に倒れ込んで、眠る。
それが、本懐だった。
散々人を屠っておきながら、本当は、さっさと闇に帰りたかった。
「どのようなお仕事ですか?」
ユイフィが光になるかと言えば、そんなことはない。
ユイフィが闇になるかと言えば、やはりそんなことはない。
ただこれはきっと、願望だから、決して口には出さないが。
「死聴が泣き止むような仕事であれば、嬉しいんですけどねー」
お前の隣に立てる存在ものもまた、闇だけ。
そう思っている。
だから……いや、これ以上は、考えるまでもあるまい。
「ルイスガーデン」
「皆殺し?」
「いや、煽るだけだ、いくつかストックしてあっただろう? そろそろ使う」
「あー、クジャ国王陛下。しっかしお前様も報われない話ですよねー。ここまで骨を折ってるのに、何もさせてくれないんでしょー? 一回頼み込んでみてはどうでしょう?
死聴を鎮めるために、悪党どもを使いたい? フッフッフ。使いたければ、まずはその身をワシに預けてみよ。端的に言えば服を脱ぐのじゃ。そう次はあそこを広げて、そう、そうじゃ、次はそのポーズを、おう、たまらんの――」
「いつ終わる? それは?」
「え? ツッコミが入るまで」
「怖気が走る。やめろ」
「愛しているくせにー」
「あれは五十。私は六十。そういう発想は四十で捨てるもんだ」
「へー」
口元に手を置いて、ユイフィが笑う。
何だというのか。
ガキに嗤われるというのは、どんな無慈悲な行いを見ることより、腹立たしい。
「セネカは連れて行かないんですか?」
「……セネカには男がいるのだろう?」
「そんなことを言ったらあたしもいますけど?」
「え?」
思わず振り返った。
「え?」
ユイフィが、キョトンとした顔で、同じ言葉を言い返す。
タオが背中を向けた。
『聞くところによると、セネカには彼氏がいるそうだが、ユイフィにはおらぬらしい』
クジャの言葉が、頭に蘇る。
間違い? 違う。
一流の魔術師にとって、人の心とは察するものではなく、視るもの。
あいつがよく使う、傲岸不遜の持論だが、ことあいつが使うなら、まぎれもなく正しい。
あいつこと、魔王クジャ=ロキフェラトゥは、交鳥暦最強の魔術師にして、最高の魔導師。タオでさえも、それに関しては異論を挟めない。
そんな魔王クジャ=ロキフェラトゥに限って、人の心を読み間違える、ということは、ありえない。
だとすれば、つまり……。
拳を握った。
クジャの真意は、あえて言うまい。
わからないならわからないで結構だ。
ただこれだけは言っておこう。
あの女……。
このままでは済まさん!!
背中を向け、怒りと羞恥と屈辱に心を焼かれていたタオは気づかなかった。
背中で、ユイフィが、口元を押さえ『クックック』と、笑っていたこと。
ユイフィは、尋常では測れぬほどの、Sなのである。
自分の、人ならざる耳を持ってして、これはありえない話なのだが――
クジャの草笛の音が、どこからか、聞こえてくる気がした。
きっと、頭の中に、あのクソ女の画を思い描いているからだろう。
頭の中のクジャは、悠々と、たおやかに、草笛の音を風に運ばせている。
自分より先に滅んだもの、滅ぼしたものへと、届かせるように。
頭の中に映る、小奇麗な光景を見て、タオは考えていた。
この屈辱、どう晴らしてくれようかと。
そして頭の中のクジャは――
まるで、その画を見ていたかのように、クツクツと笑うのだった。
<草の音の先。了>
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