八百年生きた俺が十代の女に恋をするのはやはり罪ですか?

松岡夜空

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番外編1

カーヤエピソードゼロ ~憎悪と感謝をあなたに~ 後編

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「もう一度するのだ。今の感覚を忘れぬうちにな」


 今のを……もう……一度……?
 また、あれを……。
 

 見上げた先に在る崖。
 高く険しく、見ているだけで、潰されそうな気持ちになる。


 できない。
 できっこない。

 
 やっとできたのに。
 やっと、今日は終われるって、思ったのに。


「いや……いや……」
「何を言っている。先にできたことだ。俗物はここで立ち止まるから俗物なのだ。百里進んだ後に更にもう一歩踏み出す。
 おかしなもので、九十九里歩くより、百里歩いた後の一歩の方が、存外楽なものなのだ。やってみればわかる」

 
 やってみればわかるって?
 努力なんてしたこともないくせに、いけしゃあしゃあと。


 まああんたのことだから、嘘というより、他人の心と人生を観察して、わかったことなんだろうけど。


「もう無理。できない。できません。許して下さい。今日だけは。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします……」


 恥も外聞もなく懇願した。
 本当に嫌だった。
 いつも嫌だが、それ以上に理由があった。

 
 多分あたしは、ほんの少しでも、この女のことを信じたかったのだ。

 
 厳しい。
 圧倒的という言葉ですら生ぬるいほど。

 
 それでも、その厳しさは、きっとあたしのためにしてくれてることなんだと、信じたかった。
 だから、今日ぐらいは許してくれると、思いたかった。


「ふぅ。やれやれ」


 首根っこを、離される。


「よかろう」


 顔を上げた。
 同時に。


 剣を、放り投げられた。


「そこまで言うならば、あたしを殺してみせよ」
「え……」
「あたしを殺せば自由になれる。チャンスをくれてやろうというのだ。さあ。突き刺してみよ。このあたしを。
 何を迷うことがある、カーヤよ。まさかとは思うが――あたしに情があるなどと、そんなことを思っているのではあるまいな」


 何かが壊れた。
 そんな気がした。


「うわああああああああああああああああああああああ!!」


 自分の憎しみの全てを込めて、切っ先を、クジャに向けて、あたしは駆けた。
 だが。


 気づいたときにはまた、血溜まりにいた。
 カクンと、頭が下がる。
 視線の先に、曲がってはいけない方向に曲がった、四肢があった。


 口からドロリと、血が零れる。


 息をすると、笛を吹いたような声が、零れて、何も吸えない……。


「一つ良いことを教えてやろう。カーヤよ」
「……」
「持たざるものにとって、世は地獄」
「……」
「世の中は幸福の声で満ち溢れているが、それは、持たざる者には、声を上げる権利が、ないからだ」
「……」
「じゃが、実のところ、本当に何も持っていない人間というのは、そうはおらぬ」
「……」
「大きいか小さいか。有用かそうでないか。差異はあれど、皆何かしろのものは持っておる。
 お前が今日したことは、ちんけな風を操ったことだけ。しかも、あたしの時間を七十二時間も拘束してだ。
 それで褒美をやると言うのもちと違う気がするが、あたしもどうやら人の子のようだ。
 一つ、お前が持っている利というものを教えてやる。
 それは――
 お前は、絶対に死なぬということ。何故ならあたしが護るからだ。勘違いしてくれるな。あたしにとってお前が有用だから護るのだ。
 だから、恩に着る必要はない。情を感じる必要もない。今まで通りただ憎めばいい。
 そして、あたしがそうせざるおえない利を使い、あたしの全てを吸収し、奪い取り、いつかあたしを、殺しに来い」
「……」
「あたしを、時に逃がすなよ、カーヤ。……次の訓練は一月後とする。それまでに、風を自在に扱えるようになれ。痛みも苦しみも嫌ならば、天に祈るのではなく、どうすればよいかを自分で考えてみよ。実行してみせよ。
 天から見捨てられた者にできる、生き延びる方法は、それだけじゃ」


 目覚める。
 身体が、持ち上がっていた。


 夢の延長か?
 思いながら、掌を見つめる。


 自在に操れる、魔力。
 夢じゃない。


 あの時とは、力の次元が違う。


 顔を押さえた。
 身体を丸める。

 
「ふふふ。ふふふふふ……」


 魔王クジャ=ロキフェラトゥは、あたしの魔術の師にして、人生の師。師? 師だって? 


「ふざけんなああああああああああああああああ!!」


 近くの時計を、鏡に向かって投げつけた。
 耳をつんざく音を立てて、砕ける鏡。


「カーヤ!?」


 ドンドンと、扉を叩く音。
 ピシャスだった。
 

 今は開けない。
 落ち着いたら開けて、あいつにこの部屋の掃除をさせる。


 世の中全てのものが、何かしろの物を持っている。
 重要なのは、その利を活かすこと。


 あたしは、顔も声も容姿も故郷も、自分に関わる全てを失ったけれど、同時に、今の容姿を得た。


 今のあたしは、バカな男の大半を操れる。


「ふふふ。ふふふふふ……」


 本当は、感謝していた。


 醜女に生まれるということは、業を背負うということに似ている。
 悪行をなしても善行をなしても煙たがられる。それが醜女。


 間違ってはいなかった。 
 誇張されている部分はあれど、根っこの部分は、確かに正しい。


 あいつの言っていることは、大体正しい。
 あいつがしてきた悪夢のような教育は、終わってみると、実に有用で、有り難いものばかりだった。


 有り難い? おいおい、しっかりしろよ、カーヤ。
 両手両足を縛られて、海に放り込まれたこともあったじゃないか。


 でもその地獄のおかげで、カーヤは今、誰に憚られることもなく、前を向いて歩けてるんじゃないの?


 人殺しと向き合ったのは五歳の時だ。勝てるはずがない相手に、自分の狂気の全てをぶつけて、立ち向かった。


 おかげで、世の中の全てを見下ろすことができるようになったんじゃないの?


 ――俗物は、言った。


 世の中、顔じゃないのよ? 心よ? 一生懸命頑張れば報われるわ? 人はただ生きているだけで美しいのよ。


 誰にだって運命があるの。神様はいつも見てるのよ? 嘘をついてはいけないわ? でも失礼なことを言ってはダメよ? 幸せな嘘は許されるのよ?


 いつも誠実にね? 他人が得しても、あなたはあなたよ? 他人がどんな道を歩もうが、あなたはあなたらしさをつらぬけばいいのよ?


 ――魔王は言った。たった一言。何一つ飾らぬことなく。


 



『持たざるものにとって、世は地獄』






 あいつは一貫して、言葉を曲げなかった。
 ガキの頃は甘やかして、使い物にならなくなったら辛辣な言葉を吐く。
 そんな小汚いマネは一度もしなかった。


 最初から最後まで、徹頭徹尾、魔王クジャを貫いていた。
 誰に後ろ指をさされようと、そんなことは関係がないと。


 そして、何やかんやあたしは生き残ってる。


 強くなった。
 生き方を学んだ。
 容姿も。
 声も得た。
 

 この街には、マリオンという自他ともに認める天才がいるが、全ての分野で圧倒する自信があたしにはあった。
 

 誰のおかげだ?
 誰のおかげかって……?
 クジャのおかげだとでも言いたいのか?
 違う。
 あたしの力の全ては――


 あたし自身の、おかげだ……っ。


 ポタリポタリ。
 血が落ちる。
 割れたガラスを握りしめていたからだ。


 許さない。
 あたしは絶対にお前を許さない。


 顔も声も、あたしの全てを奪ったお前。
 自分の欲のために、あたしをボロ雑巾のように扱ってきたお前。
 

 こんなことまでされて、許せるはずがない。
 ここまでされて、許したら、あまつさえ感謝なんて、そんなことしたら、あたしはただの、ただの……。


 滑稽な……。


 ザクリ。
 何かが切れる音。
 きっと心が、切り裂かれた音だ。
 大丈夫。
 どうせすぐ修繕する。
 表に出たらあたしはハルモニカ。
 切り裂かれた心を見せぬようにすることなんて、いくらだって可能だ。
 

 どうせ誰も――


 白亜のティアラナだろうが、マリオンだろうが、ロゼだろうが、魔道士協会局長だろうが、誰も、カーヤのことを、気づけない……っ。


 誰も……っ。


 血の池。
 鏡の上。
 なみなみと、紅い。
 広がっている。


 いつの間にか扉が開いていた。
 鏡に、ピシャスが映っている。


 殺してやる……っ!!


 もう一人。
 鏡の中に映っているもの。


 誰だ? お前は。
 いいやわかっている。
 

 声も。
 身体も。
 顔も。
 髪も。


 外見の全てをマネたとしても。
 心の醜さは、やはり変わらず。


 鏡の中に映っているその女は、ハルモニカとは、似ても似つかぬ。


 お前は絶対に、カーヤのこの手で、殺してやるからな……っ。


 内蔵色の髪をした、醜い――


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