最狂公爵閣下のお気に入り

白乃いちじく

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第三章 愛と欲望の狭間

第百三十八話 膝抱っこに苺を添えて

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「誕生会のやり直し?」

 無垢な新緑の瞳がシリウスを見上げている。

「ええ、今日はシャルお姉様とイザークお兄様の成人のお誕生日ですもの。お客様はいなくなってしまったけれど、家族だけでお祝いをするの。ブーシェにお誕生日用のケーキを焼いてもらいましょう。二人にお誕生日プレゼントを渡したいわ」

 セレスティナがふわりと笑う。
 ああ、それで全員着飾っていたのか……
 シリウスは合点がいくも、ふと眉をひそめてしまう。

 って、待てよ? そんな日にサマンサは騒動を起こしたのか? 子供達の成人の誕生会というのなら、それこそ一大イベントだ。大切な日である。そんな日に自分の記憶を奪い、子供達の晴れ舞台を台無しにした?
 つい、口元がひくりと引きつってしまう。

 いや、それはいくらなんでも……もしかして、ドラゴンだからか?
 ふとそんな事に思い当たる。
 そう言えば……義父のアルゴンも何かとふんぞりかえって、人間人間とこちらを小馬鹿にしてくれる。ちっとも人間の文化を学ぼうとしない。いや、学ぶ必要なしと考えている節もある。
 つまり、成人の日が大切だと、サマンサが理解していない可能性もあるわけだ。

 自分は焼き餅焼きで? 必要最低限の交流しかサマンサにさせなかった。ドラゴンには毎年誕生日を祝う、という習慣すらない。もちろん結婚してからは、サマンサの誕生会も、子供達の誕生会も毎年やってはきたが……
 冷や汗が背を伝った。

 もしかして、今回のこれは自分が原因なのか? サマンサに人の常識というものを(いや、自分が常識うんぬん言えた義理はないが)教えなかった自分のせい? 子供達を悲しませたのは自分の裁量の狭さ故……不味い。

「やり直そう!」

 シリウスはそう叫んでいた。
 それしかない! 今回の誕生会をそっくり再現……ではなく、もっと派手に! 子供達が悲しい思いを払拭できるように! でないと親として立つ瀬がない!
 セレスティナが笑う。

「ええ、なら、さっそくブーシェに……」
「じゃなくて明日!」
「明日?」
「そうだ、明日、今日の誕生会を再現する、してみせる! 人脈財力権力、公爵としての持てる力を全て活用して! 子供達の成人の日を台無しにしたままにしてたまるか! スチュー、どこだ! 今日の誕生会の計画表を持ってこい!」

 急ぎ動き出したシリウスを慌ててセレスティナが止めた。

「ねねね、待って、シリウス。少し落ち着いて?」

 セレスティナが宥めにかかった。

「あなたの体調が万全でない今の状態で、無理は良くないわ?」
「大丈夫だ。少し頭が痛むだけ……」

 それも自分でテーブルに頭を打ち付けたせいだ。他に異常はない。

「記憶も戻ってないもの」
「業務に支障はない。全てを記録しているスチュワートがいる」

 そう、抜け落ちた記憶はあれで補える。問題ない。

「シリウス……ね、お願い、聞いて?」

 セレスティナはシリウスの進路に立ちはだかり、ため息をつく。

「シャルお姉様もイザークお兄様も、今一番気にしているのはシリウスの事よ。今ここで無理をしたら、きっと心配するわ? それこそお誕生会なんてそっちのけになりそう。残念だけれど、今回は家族水入らずでお誕生会をする方がいいと思うの。ブーシェにケーキを焼いてもらって、ね、そうしましょう? 後日改めてというのなら、先に二人の意見を聞いた方が良いわ。なんと言っても二人の為のお誕生会ですもの」

 二人の為の……そう言われては引き下がらざるを得ない。
 シリウスは料理長であるブーシェに、誕生日用のケーキと軽食を用意させ、身内だけのパーティーを開くことにする。

 パーティー会場にと選んだのは、セレスティナお気に入りの緑あふれる温室だ。シャルとイザーク、それにジャネットを加えた五人で、ワインを手に乾杯をする。セレスティナだけは成人前なので、残念ながら葡萄ジュースだが。
 シャーロットもジャネットも、セレスティナ同様パーティー用の装いのままだったので、こじんまりとしたお祝いの場が、ひときわ華やかだ。

「シャルお姉様、良い香りね?」

 セレスティナが身を乗り出せば、シャーロットが得意げに笑う。

「んっ、ふっ、ふー。分かる? ジャネットから贈られた香水よ。さっそくつけてみたの。で、ね? 調香したの誰だと思う? ジャネットよ」

 シャーロットの説明に、セレスティナが目を丸くした。

「ジャネットは香りの調合が出来たの?」

 セレスティナに問われ、ジャネットが何とも言えない顔をした。

「いや、というか……元々は虫除けとか毒消しとかを作ってて、そのついでみたいなもの? 特定の香りを嫌う毒虫とかいるからさぁ……」

 冒険家になりたいジャネットらしいとセレスティナが笑う。

「で、どう?」

 赤いドレス姿のジャネットが身を乗り出し、ひそっと囁いた。

「どうって?」

 セレスティナが囁き返す。

「オルモード公爵だよ。見た目普通に見えるけど、大丈夫かなって……」

 ジャネットもやはり気になっていたらしい。ちらりとシリウスに視線を走らせる。見た目は確かに普通だ。いつも通り威風堂々としている。
 白銀の天使様……
 その姿にセレスティナは目を細める。

「そうね。今のところ記憶以外の支障はなさそうよ?」

 セレスティナは笑ってそう答えた。その後、シリウスが成人のお祝いをもう一度やり直すと言い出し、皆を驚かせた。

「え? もう一回やるの? 成人の誕生日パーティーを?」

 シリウスの台詞にシャーロットが目を丸くする。

「そうだ。その……サマンサの乱入で台無しになってしまっただろう? 成人の日は一生に一度のことだし、出来れば……」

 子供達の大切な日を黒歴史にだけはしたくない。シリウスは切にそう思う。誕生日パーティーをもう一度開くと聞き、シャーロットは素直に喜んだ。

「いや~ん、パパったら太っ腹! じゃあ、そうね。次はティナとお揃いの青いドレスがいいわ! ダイヤとプラチナのゴージャスな装飾で! あ、でも、どうせならパパの記憶が戻ってからのほうがいいわね。じゃないと楽しめないもの」

 シリウスの眉間に皺が寄る。

「……思い出す努力はするが、保証は出来ない」

 そう保証など出来ない。
 パーティーの時の記録を漁ってみたら、なんとサマンサは古竜の滴を使っていた。つまりエンシェントドラゴンの力を使って、自分の記憶を消去したというわけだ。しかもその解呪方法というのが、サマンサとのキス……何ともふざけた呪いである。

 シリウスは頭痛を覚えた。
 だが、どれほどふざけていようと、条件付きの呪いの場合、その条件を満たしさえすれば呪いは解ける。解けるのだが……
 ちらりとセレスティナに目を向け、シリウスはため息をつく。

 無理だろうな。彼女が泣いたらと考えただけで、居ても立ってもいられない気持ちになる。となると、一体どうやって解呪すればいいというのか……。古竜が使う力は、ほぼ伝説と化している。これでは竜王アルゴンもお手上げだろう。
 シャーロットが機嫌良く笑った。

「あら、平気よ。心配いらないわ。パパがティナと仲良くしてくれれば、それで万事解決だもの。あ、そうだわ、パパ、いつものようにティナを膝抱っこしてみたら?」

 さも妙案だと言いたげなシャーロットの台詞に、シリウスは目を剥いた。
 はぁ? 膝抱っこって……何を勘違いしている? 彼女はもう子供じゃないぞ? 立派なレディだ。伏し目がちの新緑の瞳が美しい……

「パパはいっつもそうしていたわよ? ほらほらティナも遠慮しない」

 シャーロットの行動に、シリウスは心底慌てた。

「いや、ちょ、待、待て! 未婚の女性を膝抱っこって……」

 流石に不味い……
 次の瞬間、シャーロットにとんっと押され、よろけたセレスティナを支える形で、シリウスは彼女を膝抱っこしていた。ふわりと柔らかい……って、喜ぶんじゃない! いい加減にしろ! 思わずセレスティナを抱きしめそうになったシリウスは、自分で自分を叱り付けた。シャーロットが肩をすくめる。

「今更よ。パパってば、ティナを所構わず膝抱っこしてたじゃない。人目も憚らずキスしまくりで? いちゃいちゃしまくってたわよ?」

 そこへ、今の今までテーブルの上で大人しく丸まっていたペロが、ふっと顔を上げた。頭に装着されたルビーのような魔道翻訳機がキラリと輝く。

「そうそう、マスターとセレスティナ様はとっても仲良しですよね。一緒にお風呂にも入るくらいで、見ていて微笑ましいです」

 ぴしりと空気が固まった気がした。しんっと静まりかえる。唯一良いことを言ったと信じて疑わないペロだけが、無邪気そのものだ。
 シリウスの顔からすぅっと血の気が引く。

 ふ、風呂? 一緒にって……ま、まさかまた十五才の頃からというわけじゃないだろうな? だ、駄目だ、目眩が……未来の自分は完璧変態のクズ野郎に成り下がってる……常識どこ行った? いや、端からないか……って言ってる場合かぁ!
 真っ先に我に返ったのがシャーロットで、ずいぃっと身を乗り出した。

「えぇー? 何それ、何それ、何それ! 初耳なんだけど! え? もしかしてわたくしに妹が出来る? 出来ちゃう?」
「身に覚えがない!」

 すかさずシリウスがそう叫び、膝抱っこされているセレスティナの顔は、もう真っ赤である。身の置き所がないと言った風体で身を縮めた。
 シャーロットの興奮は収まらない。

「記憶をなくしてるから当然よ! なら、そうだ! ここでまたパパがティナと一緒にお風呂に入れば、ぐんっと親密に……」
「止めなさい」

 思わず低い声が出た。唸るような声だ。多分、そこはかとない殺気も……

「パパ、顔が怖い……」

 娘に引かれたがどうしようもない。我慢しろ。これでも目一杯押さえている。こんな変態からは即刻引き離した方が彼女の為……
 そう思うのに、しっかり、そう、しっかり婚約者を抱きしめて、あまつさえその髪を撫でている! 何だこれは、何だこれは、何だこれは! さわり心地抜群……じゃなくて! 一体さっきっから何をやっているんだ、私は! とうとう頭がいかれたか?

「でも、ティナを抱きしめて放さないのね? 流石だわ」

 シャーロットの台詞に、シリウスは頭を抱えるしかない。
 もう、何とでも言え!
 頬を染めたセレスティナが、そろりと話題を変える。

「あ、あの……そろそろいいかしら? 魔道具のお披露目をするわね?」

 シリウスに膝抱っこされたまま、セレスティナは魔道具を装着する。歌を口ずさめば、鉢植えの小さな白い花が、あっという間に真っ赤な苺へと変化した。
 シャーロットが目を輝かせる。

「うわあ! なにこれ! 凄い! 苺を育てる魔道具なの?」
「苺だけじゃないわ。これはね、植物の生長を促進させる魔道具なの。やってみる? 苺の苗をたくさん用意したのよ」
「あ、もしかして、それで真っ白いケーキ?」

 シャーロットがクリームの塗られたケーキを指し示す。

「ええ、育てた苺を飾って遊んでもらおうとしたの」

 シャーロットが早速マイク型の魔道具を身につけ、歌を歌いながら苺の苗に触れると、白い花が次々真っ赤な苺へと変化した。まさに魔法だろう。

「ティナ、すっごーい!」
「これだと好きな果物が食べ放題か?」

 イザークが感心しきりだ。

「いえ、あの、食べ放題は止めた方が良いわ? 魔力枯渇を起こすもの」
「あ、そうだわ、お兄様! だったら、あれよあれ! あれに使いましょう!」

 シャーロットがイザークの背をばしばし叩く。

「いたたたたた! あれ?」
「お祖父様にもらったあれよ! 今回は時間をかけて育てる必要がないわ!」

 それでピンときたらしく、イザークがにんまりと笑った。

『妖精の悪戯!』

 二人の声が唱和した。セレスティナが目を丸くする。

「え? もしかして、あの……今年、も?」
「そうそう、お祖父様ったら、今年も持ってきてくれたのよ。よっぽどわたくし達と一緒に飛びたいのね」

 シャーロットが声を立てて笑う。パーティーがお開きなると、シャーロットはすかさず立ち去りかけたシリウスを呼び止め、囁いた。

「パパはティナと一緒の寝室だから。よろしくぅ」

 ピキリと固まったシリウスをその場に残し、シャーロットは上機嫌で立ち去った。パパが行かないと、寂しくてティナが泣くわよ? とも告げて。シャーロットは策士である。

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