最狂公爵閣下のお気に入り

白乃いちじく

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第五章 コウノトリと受胎告知

第百九十一話 海の大魔女エレイン

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「で? 用件は?」

 ローレンツの泣き叫ぶ声で寝不足の海の大魔女はお冠だ。
 上半身は美しい女性の姿で、下半身は海蛇である。そう、海の大魔女は人魚ではなくて、海蛇女であった。人魚と同じく女しか存在しない種族なので他種族と交わって子をなすが、恐ろしい姿から人魚のように合意を得られることは稀だ。

 なら、どうするかと言えば、気に入った男の体に巻き付いて発情を促し、無理矢理子種を搾り取るのである。その方法が下劣だと人魚達から蔑まれ、忌避されがちだが、海の大魔女の場合は魔法薬の作り方に長けているので、頼られることも多いという矛盾もある。

「そ、その……ほ、惚れ薬を……」
「ああん?」

 不機嫌マックスの声で答えられ、人型になったローレンツが身を縮める。
 ちなみに今いる場所に水はない。海底にあるエレインの住処は人間の居住空間を真似ていて、居心地が良さそうな家具が揃えられていた。

「まったく……何が欲しいのかと思えば惚れ薬とはね。あー、やだやだ。あんなもので惚れた相手をものにしたって長続きしないのにねぇ」
「人魚の恋を後押ししたって聞いてるけど?」

 ローレンツが不思議そうに言えば、エレインが吐き捨てた。

「それは元々あいつらが相思相愛だっただけさね。だから今でもラブラブなんだよ。じゃなかったら今頃破綻してる。惚れ薬の効果はもって一ヶ月だからね」
「一ヶ月!」
「そそ。だから継続的に飲ませなくちゃならないし、徐々に耐性がついて薬は効かなくなってくるよ。そして、薬の効果が切れたらどうなると思う? 憎まれるか、嫌われるか……そうならないのは、元々好意を持っている場合だけさね。そうそう、あんたらドラゴンには惚れ薬なんか効かない可能性もあるから注意しな。高い魔力を持っていると魔法薬の効果も薄まるよ」

 エレインが海蛇の体をくねらせながら言い、ローレンツがはたと考える。

「魔力……シリウスは魔力が高いな」
「ドラゴンはみんな魔力が高いだろ?」
「ドラゴンじゃなくて人間だから」
「……は?」
「だから、サマンサが好きなのは人間の男なんだよ」

 エレインが目を丸くする。

「へえ……それはまた物好きな。ちゃんと雌雄そろっているのに、わざわざ他種族を選ぶなんてねぇ。よっぽど良い男なんだね、そのシリウスって男は」
「サマンサは最高の男だって言ってる」

 ローレンツは不満そうにそう言った。自分のほうが良い男なのにと言いたげだ。
 エレインがにんまりと笑う。どうやら興味を持ったらしい。

「ちょいとそいつを見てみたいね……シリウスって男を特定できるなにか、持ってないか? そいつが身に付けていた物とか、あるいは髪や爪でもいい」
「持ってないよ。住んでいる場所なら知っているけれど」

 海の大魔女エレインが持つ水晶玉にアルカディアの王都を映し出して貰い、オルモード公爵邸のある場所へとエレインの目を誘導する。宮殿のようなオルモード公爵邸の内部を見ようとして近付けば、途端、ザザッと映像が乱れ、ふっと消えた。
 水晶がいきなり何も映さなくなり、エレインの眉間に皺が寄る。

「んんっ?」
「見えなくなった」
「ちっ、結界が張られているんだね。このあたしの介入を弾くのか……随分と力ある魔道師なんだだね、シリウスって奴は」

 エレインが舌打ちを漏らす。

「魔工技師だって聞いてる」
「魔工技師? ああ……魔道具を作る事に特化した連中のことか」

 エレインはシリウスのセキュリティを突破しようと、ぶつぶつと呪文を口にしつつあれこれ試すも、やはり邸内部を映すことは敵わない。諦めかけた頃、ようやく庭に姿を現したシリウスを映し出した水晶球に、エレインはかぶりつく。

「うっはぁ! もの凄い色男じゃないか!」

 ばっちり好みだったらしく、映し出されたシリウスの姿に目が釘付けになった。エレインの蛇のような舌がするりと伸び、獲物をなめ回すように水晶をべろりと舐める。
 シリウスの長い白銀の髪は風に揺れるたびに流星のように輝き、顔の造形は天の細工物のように美しい。威風堂々たる体躯はこうして歩くだけで人目を引く。何より、傍らに立つ者に向ける微笑みは、これ以上無いほど魅力的であった。
 ティナ……
 水晶球に映っているシリウスの柔らかな微笑みにエレインの目は釘付けだ。
 エレインはぶるりと体を震わせる。

「残念、服が邪魔だね。ああ、衣服を剥ぎ取りたい」
「そうだね。人間ってどうして邪魔な布きれを体に巻き付けるんだろう? 動きにくいのに」

 ローレンツが同意する。
 エレインが冷めた目でローレンツに視線を走らせ、上から下までじろじろ無遠慮に眺めた。今のローレンツは人型になっているので素っ裸である。ドラゴンには人間のような恥じらいはない。裸が普通だからだ。

「……あんたはきっちり服を着た方が良いよ」
「何で!」
「ぶらぶら見苦しいから」

 ローレンツの文句をエレインがばっさり切って捨てる。

「で? こいつを振り向かせたいってことか?」
「そう。嫌われたから惚れ薬を使いたいって言ってた」
「嫌われた?」

 ことの経緯をローレンツから聞き出し、エレインは渋い顔をする。再び水晶球に目を向け、セレスティナを見つめるシリウスの眼差しを目にしたエレインは、首を横に振った。

「惚れ薬を使っても無駄なんじゃないかねぇ」

 エレインがそう忠告をする。

「え……」
「この男、この娘に相当入れ込んでるよ。となると、薬によって得られる好意が、この娘に対する好意を上回らないと、結局、振られるってことになる。いや、まてよ……ティナという女への好意を打ち消せばいいのか……ああ、いい薬がある」

 エレインが棚から持ち出した瓶をローレンツの前にかざす。

「ほら、これがあんたの望みを叶えてくれるよ」
「ほ、本当か?」
「ああ、対価を払えばね」

 小瓶を手に取ろうとするローレンツを牽制する。

「何が欲しい?」
「シリウスって男の子種」
「え」

 ざあっとローレンツの顔が青ざめる。

「子供が出来るまで協力してくれるのなら、この薬をやってもいい」
「ちょっと待って待って待って! むむむむむむむ無理だよ!」
「なにが無理なもんか。サマンサって女が望みを叶えればそれくらいたやすいだろ? ケチケチすんじゃないよ」
「いや、でも……勝手に子供を作るのは如何なものかと」
「惚れ薬を盛って、事に及ぼうとしている奴の台詞じゃないね、それ」

 ずばっと指摘され、ローレンツは身を縮める。
 エレインがやれやれと肩をすくめた。

「ま、嫌ならいいさ。あたしだって暇じゃないんだ。ほらほら、帰った帰った」
「待って待って、それは困る! 何か他の物でお願い出来ないか? 頼む!」

 大男のローレンツに土下座され、エレインは顔をしかめた。
 どうしたものか……
 周囲に目を向ければ、今まで収集した美術品が並んでいる。

「あたしはね、美しい物が好きなんだよ。ほら、部屋を見てごらん。美しい美術品ばかりだろう?」

 エレインに説明されても、ローレンツにはその価値はさっぱりだった。エレインが高名な芸術家の名を上げても、ちんぷんかんぷんである。こういった絵が欲しい、彫刻が欲しいと言われても、まったく理解出来ず、困ってしまった。
 ローレンツが恐る恐る提案する。

「俺の角とか爪じゃ駄目かな?」
「ああ、魔法薬の材料か? まー、他の奴等は喜ぶかもしれないけど、火属性のドラゴンと水属性であるあたしの魔力は相性が悪いんだよ。つまり、いらないってこと。美しい声とか美しい髪でもいいけれど……」
「じゃ、じゃあ、俺の髪?」

 エレインが心底嫌そうな顔をする。

「そんなごわごわの髪なんかいらなよ。どうせならシリウスって奴の髪にしな」

 シリウスの美しい白銀の髪を思い出し、エレインがうっとりとなると、ローレンツはやはり及び腰だ。エレインは仕方なく妥協案を提示した。

「だったら、あんたの鱗でもいいよ。加工して装飾品にするから、ほら、さっさとよこしな」
「……鱗を取ったら二度と生えてこないんだよ?」

 情けなく眉尻を下げたローレンツに、エレインは憤然と言った。

「そんなん知ったことか! 嫌なら他の奴に頼むんだね!」
「ああ、待って待って待って、わかったよ」

 ローレンツが了承し、エレインの手によって地上へ戻されると、ドラゴンの姿となって、剥がした鱗をエレインに手渡す。エメラルドグリーンの鱗は宝石のように美しい。
 その後、薬の瓶を手に入れたローレンツが、大空の彼方に飛び去ると、その様子を見送ったエレインは、空の青さに目を細め、一人呟く。

「ま、せいぜいがんばりな。どうせ長続きはしないだろうけど」

 そう長続きしない。魔法薬で惚れさせても、その効果は徐々に薄れるから最後は捨てられる。それをよく知っているから、エレイン自身は惚れ薬を使わない。人魚達のように割り切った体だけの関係を望むのが常だ。

「けど、シリウスって男の子種……ちょいと惜しいことをしたね」

 そんなエレインの呟きは、海のさざ波の中に溶け消えた。

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