骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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番外編 白亜の城の王子様

第一話

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 アルベルトは初めて彼女を目にした時、何て綺麗な赤ん坊なんだろうとそう思った。日の光に輝く蜂蜜色の髪に宝石のような緑の瞳。笑う顔が色鮮やかな花のよう。とても良い香りがしていて、誰よりも可愛らしい。
 真っ白なレースの産着にくるまれた彼女は、今は揺り籠の中ですやすやと眠っている。白い花柄のカーテンが風にゆれ、日の光に満たされた室内は温かく居心地がいい。
 あなたの妹よ。母上がそう言った。
 可愛がってやりなさい。父上がそう言った。
 だから、というわけじゃなく、アルベルトは進んで妹のエレーヌを可愛がった。乳母に代わってあやしたり、子守歌を歌ったりしたものだ。
 けれどもある時、ふと気が付く。弟のエメットはどこへ行ったのだろう、と。不思議な事にアルベルトはすっかり忘れていたのだ。きゃっきゃと笑っていた弟のことを……。
 エレーヌと同じように、こうして揺り籠の中で笑っていた。まだはいはいすら出来ない小さな小さな僕の弟。可愛がってあげなさいと、母上から同じように言われていたのに、すっかり忘れるなんて、僕は何て薄情なんだろう。
  ――母上、エメットはどうしたの?
 ある日、アルベルトがそう聞くと、
  ――エメット? 誰かしら?
 王妃が不思議そうにそう答えた。
  ――誰って僕の弟だよ。もう四年も会っていない。
  ――弟? あなたに弟はいないはずよ? 妹の間違いでしょう?
  ――まさか! だって、僕、あやしたよ?
 そう、確かにまだ赤ん坊だった弟を、この手に抱っこしてあやしたんだ。間違いない。
  ――あらあら、きっと勘違いね。
 そんな筈はない、そんな筈はない。あなたの弟よ、仲良くね、そう言ったのは母上じゃないか。アルベルトは混乱した。父上に聞いても、やはり同じような反応が返ってくる。僕に弟はいないって。いるのは妹だけだって。乳母に聞いても、
  ――王妃様の実子は第一王子であるアルベルト殿下、あなた様と、第一王女のエレーヌ王女殿下のお二人だけですわ。
 エメットの存在が皆の中からすっぽり抜け落ちている。いや、僕もそうじゃなかった? 四年もの間、僕はエメットの事を思い出しもしなかった。思い出したのは、綺麗な宝石を手にした時だ。確か……魔除けだって、旅人にもらった奴だ。いや、杖を手にしていたから、もしかしたら魔術師だったのかもしれない。引き出しの奥にしまわれていたそれを、取り出したあの時だ。
 クリムト王国に魔術師はいない。妖精がたくさん生息しているせいだろう、いるのは妖術師だ。妖精と契約して、そこから受け取った力を行使する魔力持ちである。
 ただ、妖精は綺麗な人間じゃないと、契約してくれないと聞く。だから妖術師はとても美しい人間ばかりだ。その妖術師のエティエンヌがこの石を嫌がった。だから机の中にしまっていたんだ。
「ねぇ、エティエンヌ、エメットの事を知ってる?」
 城の廊下を歩いていた宮廷妖術師のエティエンヌをアルベルトが呼び止めると、彼は足を止めた。エティエンヌはとても綺麗だ。長い髪はエレーヌと同じ蜂蜜色で、背はすらりと高い。女性に見紛うばかりの美貌をその時ばかりはゆがめて、
「……どこでその名前をお聞きになりましたか?」
 そう答えた。
「知ってるの!?」
 アルベルトが勢い込んでそう言えば、
「知っています。けれど、私ではどうにも出来ません。私が契約している妖精より上位の妖精の仕業なので。アルベルト殿下。どうか、その名前はもうしばらくご内密に。対処できる者を今探している最中ですので」
 そう言って立ち去った。
 それから一月くらい経った頃だろうか、魔術大国ウィスティリアから一人の魔術師がやってきた。その魔術師は謁見の間で父王に目通りした後、連れだって書庫へとやってきたのだが、そこで魔術師の風貌を目にしたアルベルトは、びっくりしてしまった。エティエンヌとは対照的なまでに、酷い容姿の持ち主だったのだ。
「ライオネット殿。息子のアルベルトだ」
 そう言って父王がアルベルトの背に手を添える。押し出される形で、アルベルトは怖々挨拶した。
「初めまして。僕はクリムト王国の第一王子のアルベルト・ラーナ・クリムトです」
 アルベルトがそう名乗ると、眼前の魔術師は目を細め、
「これはこれは、わしはクレバー・ライオネットと申します。以後お見知りおきを」
 そう言って笑った。多分……。
 にたーっという表現がぴったりなだけに、笑ったんだよね? と確認したくなってしまう。ガマガエルと渾名されそうなその魔術師は、得体の知れない不気味さがあり、どうしても萎縮してしまう。小柄なのに体格の良い父上より存在感があった。
「聡明そうな王子でなによりですな」
 魔術師がそう言うと、
「あ、まぁ……そう、確かに頭はいいが……」
 父上がそう言葉を濁す。
 父上が何を言いたいのか、アルベルトには直ぐに分かった。ここクリムト王国では、美しいことが重要なのだ。この僕の容姿が気に入らないのだと、言葉にはしなくても父上や母上の態度のそこここに出ていたから嫌でも分かる。エレーヌとは段違い、そう言いたいのだろう。アルベルトはぐっと拳を握る。
 けれど、クレバーと名乗った魔術師は気にする風もない。
「きっといい国王になりますぞ」
 そう太鼓判を押してくれて驚いた。
 アルベルトは思わず魔術師の顔を見上げてしまう。鋭い猛禽類のようなクレバーの目が、この時ばかりは僅かに柔らかくなったように見えた。
「名君の相が出ている。きっと自慢の息子になるでしょう」
 魔術師がそう断言してくれた。何だろう? 嬉しい。自分を褒めてくれたんだと分かり、アルベルトの胸にじわじわと喜びが広がった。何やら随分と買ってくれているようで、妙に照れ臭い。多分、世辞も入っているんだろうけれど、悪い気はしなかった。
 例の魔術師は父上と揃って歩き出すも、
「相変わらず醜い」
 同じように居合わせたエティエンヌが、吐き捨てるようにそう口にする。
「……彼は魔術師でしょう?」
 アルベルトはつい訝しげな声を漏らしてしまう。
 魔術師は魔力持ちの中でも頂点に立つ存在だ。だからこそ、どうしてそんな態度を取るのか分からない。杖持ちには誰もが敬意を払うものだ。そう、一国の王である父上であっても。
 ただ、妖術師の場合は、確かに位置づけが難しい。契約する妖精の力に左右されるからだ。けれど、今回の件は自分の手には負えないと、エティエンヌがわざわざ呼び寄せた魔術師だったはずだ。当然彼の方が力は上だろう。もっと敬意を払うべきだろうにと思う。
「アルベルト殿下。申し訳ありませんが……」
 エティエンヌが大げさな仕草で咳払いした。
「あんなに醜い者を賞賛する気にはとてもなりません。言葉を交わすだけでも不愉快です。今回ばかりはどうしても必要でしたから呼び寄せましたが、今回限りにさせて頂きたいものですね。では、失礼させて頂きます」
 父上を追って歩き出したエティエンヌの背を、アルベルトはぽかんと見送った。綺麗な人って皆あんな風なのか? そう思ってしまう。
 でも、あの魔術師は確かに美しくはない。むしろ……いや、よそう。容姿をこき下ろされるのは自分だけで十分だ。アルベルトは首を横に振って自分の思考を追い払った。
 その後、アルベルトは城の裏手に回り、弟の部屋の窓を見上げてみる。目に映るのは緑に囲まれた白亜の城。妖精王国と渾名されるに相応しい城だ。弟のエメットはちゃんと帰ってくるんだろうか? そう思い、アルベルトがうろうろしていると、
「気になるの?」
 そう呼びかけられた。アルベルトが驚いて振り返れば、自分と同じ十二才くらいの年の男の子がそこにいる。身なりが良いので多分貴族だろう、昆布のように波打つ肩までの黒髪に、不気味に落ちくぼんだ瞳。不健康そうな肌色で、ぱっと見、病弱か? と思ってしまうほどだ。
 その少年が言った。
「大丈夫。師匠が何とかしてくれるよ。心配しなくて良い」
「師匠?」
 アルベルトがそう繰り返せば、
「クレバー・ライオネットは僕のお師匠さんだよ」
 少年がにこにこと笑いながらそう言った。陰気そうに見えるのに、黒髪の少年の表情は不思議なほど明るい。

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