骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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第四章 真実と虚構の狭間

第七十八話

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 取り繕うことも出来ない。オルノの心中を支配していたのは恐怖。そして、ずっと抱いていた罪悪感。まだあどけない、あんな幼子を、そう思い続けていた。
「命令されて、仕方なく! やりたくてやったわけじゃない!」
 オルノの叫びにアロイスが詰め寄った。
「命令? 誰にだ!」
「ノエル皇子です!」
 オルノが金切り声を上げる。
 アロイスの怒気が強まった。
「ノエル皇子? アイリスを殺してあいつに何の利がある? アイリスの継承権は最下位だぞ? 生きていたところで、毒にも薬にもならない矮小な存在だ! 理由は? 理由を言え! アイリスを殺してあいつに何の得がある!」
 オルノは許しを請うように膝を突いた。神に祈る時のあの態勢だ。
「気に入らないから、と!」
「何?」
「あ、あなたを賞賛したのが、気に食わなかったようです。あなたの方がノエル皇子よりも美しい、と。翼などなくてもお兄様は天使だと、あの方は、アイリス皇女殿下はそうおっしゃったそうです!」
 しんっと静まりかえる。魔術師達が顔を見合わせるのは、呆れているから、だろうか? 周囲のざわめきが痛い。だが、オルノにとってはそんなことよりも、目の前の脅威の方が気がかりだった。アロイスの憤怒の念が空恐ろしい。
 その場に這いつくばって、床に頭をこすりつけるようにして謝った。
「も、申し訳なく思っています。やりたくて、やったわけではありません。わ、私はノエル皇子の側近です。言うことを聞かなければ追放……いえ、家族ごと消されます。あ、あの方はそういう方なのです。性根がまがった権力者……あ、あの方の傍にいれば、弱い者はただただふみつけられるだけの矮小な存在に成り下がる。ほ、本当に、本当に……申し訳ない!」
 次の瞬間、オルノは嘔吐した。腹を蹴り上げられたのだと後から理解する。
「こ、の……臆病者のくずが! そんな、そんな理由で! アイリスは死んだというのか!」
 あらん限りの罵声と共に、容赦なく痛めつけられた。
 罵声なのに、それは悲哀をも帯びていて、聞く者の心を抉った。アロイスのそれは、何故何故何故と理不尽さを訴えて止まない。何故最愛の妹が、そんな理不尽な理由で死ななければならなかったのかと。
 オルノは何度も何度も殴られ、そのたびごとに謝った。申し訳ない、申し訳ないと……。ずっと後悔していたとも、涙ながらにそう訴えた。忘れたことはただの一度も無いと。
 雨の日はいつも憂鬱になった。雨の日になると、そう、あの幼い死に顔を思い出すから。罪悪感から、墓にはいつも花を添えた。こっそりと隠れるようにして。一輪、一輪、彼女が好きだったという花を供えた……もうあれから九年、墓参りも今年で九回目になるのか。
 意識が途切れて……その後、自分がどうなったのかは分からない。
 ただ、ゆらゆらと、ゆらゆらとオルノは意識の波間を漂った。こぽこぽと暗い水底にゆっくりと沈むような感じだ。
 私は死ぬんだろうか……。
 ふっと、オルノの脳裏にそんな考えがよぎるけれど、死にたくない! そう自分の心が叫ぶ。生きたいと、浅ましくもそう渇望してしまう。殺したくせに……誰かがそう言った。あんな幼子を……罪もない子を……人でなし……自分を指差し、責め立てる大勢の声が聞こえる。自分の良心に爪を立てるがごとく。
 オルノはその責め苦から自分をかばうように身を縮めた。
 許して、許して、許して、お願いだから……そう繰り返す。許しを求めることすら罪かもしれないけれど、許して欲しかった。自分が悪いのだと思うけれど、分かってはいるけれど、どうしようもなくて……弱い自分を許して欲しいと、そう願う。
 正しい道を選べなかったけれど、幼子の命を救えなかったけれど、それでも自分に向かって差し伸べられる救いの手を求めてしまう。助けて、と……。
 ふわりと誰かの手が自分の額を撫で、大丈夫だからと言う。
 誰だろう? オルノはその手に縋って泣いた。ごめんなさい、ごめんなさいと、幾度となく謝った。許して、許して、許して……浅ましいとは思うけれど、縋らずにはいられなくて、泣きじゃくった……。
 すると、先程と同じように、大丈夫だからと、誰かの声がそう言った。声が包み込むように温かい。再び意識は途切れ……目を覚ませばベッドの上だった。
 明るい日差しが頬をなぶる。風のそよぎと鳥の声……。何故だろう、自分を包む平和な光景と相まって、悪夢を彷徨った後の妙な開放感のようなものがある。
 生きている?
 オルノはぼんやりと目に映る光景を眺めた。
 綺麗な細工の入った天井が見える。どこかの客室だろう。体を横たえている柔らかなベッドは上質のものだ。理由は分からないが、どうやら助かったようである。感じた安堵感から、自然と涙がこぼれ落ちた。
 生きている……私はまだ生きているんだ……。
「どこかまだ痛む?」
 掛けられた声に、オルノははっとなった。目を向ければ例の王太子が傍に座っていて、自分の顔をのぞき込んでいる。
「天使様……」
 つい、そんな風に言ってしまった。人間実離れした彼の透明な美しさが、今はやけに眩しく感じられてしまう。
「……冗談が言えるのなら、もう大丈夫だね」
 先程までの気遣わしげな眼差しが消え、王太子様は憮然とした表情になった。
 何か気に障ることでも言っただろうか? オルノはそんな事をぼんやり思い、そこでふと、体の痛みが消えていることに気が付き、慌てて体を起こす。あちこち体をまさぐった。あれだけ痛めつけられたのに、傷が見当たらない。
 オルノはオスカーに向かっておずおずと言った。
「あのう……あなたが治して下さったんですか?」
「僕じゃないよ。感謝ならヨハネスにして」
 オスカーの視線につられるようにして視線を脇に向けると、例の山賊のような風貌の治癒術士が腕を組み、オルノを見下ろしていた。
「よく怪我する奴だなぁ。俺に世話になった回数、お前が一番多いんじゃないのか?」
「も、申し訳ありません」
「いいってことよ。よく休みな」
 がははと笑い方も豪快だ。
「あの、でも、どうして……」
 オスカーの手がオルノの肩に触れた。古傷がある場所だ。
「……日常的に暴力を振るわれている人ってさ、逆らえなかったりするから、まぁ、情状酌量の余地はあるってことで、アロイスと交渉してね、命だけは助ける方向へ持って行ったの。ただ、無罪放免ってわけじゃない。そこのところは間違えないで?」
「……あり、ありがとうございます」
 オルノはむせび泣いた。
「だから無罪放免じゃないってば」
 オスカーが困ったように言う。
「でも、でも、ありがとうございます。私は皇女殿下を、あんな幼子を手に掛けて殺しました。処刑されても文句は言えません。なのに、なのに、こうして助けて下さった。お礼の言いようもありません……」
「んー……感謝されてもほんっと困る。この先君はアロイスの奴隷だからね?」
「奴隷?」
「これが最大限の譲歩だったんだよ。じゃないと彼が納得しなかったの。命を助ける代わりに、アロイスの忠実な部下になるように君に呪いをかけたから」
「呪い……」
「そうだ」
 聞き覚えのある声が割り込み、オルノは飛び上がりそうになる。
 そこに佇む黒い人影は間違いなくアロイス・フォレスト・アーク・ルドラスだった。静かな眼差しの奥に煮えたぎるような憎しみの色が広がっている。その眼差しに、オルノはひっと息が詰まった。
「お前の命は私のものだ。命令には忠実に従ってもらう。あれを追い詰める手助けをしてもらおう」
「あれ……」
「ノエル皇子だ。ただ殺すだけでは飽き足らない。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて死んでもらう。お前はその手助けをするんだ。逆らえば……お前も同じ目に遭うだろう」
「これ、比喩じゃないからね?」
 オスカーが忠告した。
「さっきも言ったように、君、呪われているから。アロイスの忠実な部下として生かされているけど、反逆の意志を示すと命をもっていかれる。注意して?」
「でも、私達有翼人に呪いは効かないはずじゃあ……」
 オルノが怖々そう言うと、
「うん、まぁ、そのはずなんだけどね。流石に夕闇の魔女は、呪いのエキスパートだよね。きっちり君に主従の呪いをかけてくれたよ。彼女に感謝した方が良いよ? じゃないと、翼をもがれるところだったんだから」
 オスカーの答えに、オルノの顔がさあっと青ざめた。
「普通はお手上げだもの。内部から魔法をかけても、翼が効果を消しちゃうから、魔術で主従関係を結ばせるなんて無理なんだよ。速攻で殺すなら別だけど……」
 そう言ってオスカーは後方を見やる。そこにいたのは赤毛の美女の姿になっている夕闇の魔女だ。
「本当、どうやったの?」
「内緒」
 スカーレットがうふふと妖艶に笑い、
「ま、本当は別に秘密でもなんでもないんだけどな」
 そう言って苦笑いを漏らす。
「単純にメシ不味になるから、やり方は詳しく聞かない方がいいってだけ。何て言うか、その……下品なんだよ。下からこうブスッと……食事時に聞くと、みんな嫌な顔をするって奴」
 オスカーが言う。
「ああ、内部からって事? でも、それでも結局、翼が呪いを浄化しちゃうでしょ?」
「ははは、いくら浄化したって無駄だよ」
 スカーレットがにんまりと笑う。
「三重構造になってる循環型の呪いだから。表面の呪いを浄化すると、その下にある呪いが発動して新たな呪いになるんだよ。同時に最下層の呪いが新たな呪いを生成……つまり、呪いの根幹そのものを破壊しない限り、延々と循環するってわけ」
「循環型……それは凄いね。大体が理論倒れするのに、それをやっちゃったんだ?」
「大魔女様様だろ?」
 スカーレットがふふんと得意げに笑う。
「そうそう、あたしが作ったあの魔法薬も無駄にならなくて良かったよ。嫌がらせに作ったあれ、よく効いてるみたいじゃないか。ノエル皇子は、きっちり吹き出物だらけの顔になって、うんうん唸っているんだろ? ざまあみろ」
 そう言って、ひひひと笑う。
「ノエル皇子に飲ませたあの魔法薬、あれもどうして持続しているのやら」
 オスカーが疑問を口にすると、
「あれは、まぁ、連続して呪いが発動しているから」
 スカーレットがそう答える。
「こう、気泡みたいなものにね、呪いを一つ一つ込めてあるんだよ。一つパチンと割れて呪い発動、それが浄化されると、もう一つ割れる。ははは、だから浄化しても浄化しても呪われるってわけ。後一ヶ月はあの調子だね。うんと苦しめ、くそ野郎」
「……言うと簡単そうに聞こえるけど、それも普通、出来ないからね?」
「あはは、もっと褒めても良いんだよ?」
 スカーレットが上機嫌で笑う。
「そうだな、良い腕だ」
 賞賛は別の所からやってきて、目を向ければアロイスが笑っている。

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