婚約破棄されたら、辺境伯とお試し結婚することになりました

ミズメ

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40 かぞくのえ

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 フィオレッタは、文官には先に執務室に戻ってもらうことにした。
 あの謎の帳簿のことをもう少し調べたいので、「今日の執務は急用ができたので手伝えない」と伝えてもらうことにしている。

 回廊へ出たとき、ふと、先の方に小さな影が見えた。

(……ティナ? どうして一人なのかしら)

 見間違いようのない、小さな少女の後ろ姿がそこにある。午前中は文字の勉強だったはずなのに、どうしたのだろう。

 思わず歩みを早めかけたその時——
 ティナの前に、ふたりのメイドがすっと立ちふさがるのが見えた。

「まあ、ティナ様。こんなところで何をしているんですかあ?」
「えっと、フィオおねえちゃまのところにいくの!」

 元気いっぱいに答えるティナ。
 メイドふたりはその返事を聞いた瞬間、ちらりとティナを頭の先からつま先まで値踏みするように眺め、それから互いに目配せしてクスクスと笑う。

「まあまあ……そうでしたの」
「でもね、ティナ様」

 声色だけは優しく保ちながら、口元には意地の悪い笑みが浮かぶ。

「あんな悪女といつも一緒にいたら、ティナ様までおんなじになってしまいますわよ?」

 そこには明確な侮蔑があった。メイドたちは口元を隠しながら、クスクスと笑っている。

(見過ごすわけにはいかない)

 そう思った瞬間、フィオレッタは迷いなく歩み出た。軽い靴音が回廊に響く。

「ティナ」

 フィオレッタが声をかけると、ティナがくるりと振り向く。その手にはいつものクマのぬいぐるみと、それから何か紙のようなものが握られている。

「フィオおねえちゃま!」

 フィオレッタはティナの前にすっと立った。メイドたちは一瞬たじろぐが、すぐに嘲るような笑みを戻す。
 フィオレッタは深く息を吸い、静かに口を開いた。

「子どもにそんなことを言わないで。何か言いたいことがあるなら、私に直接言いなさい」

 メイドたちは一瞬たじろぐが、すぐに顔を歪める。

「ふん、よく言うわ。追放された女が、えらそうに……!」

 ひとりが鼻で笑い、周囲の侍女たちがクスクスと笑い出す。

「悪女が夫人だなんて、この領地の評判を落としにきたの?」
「男に取り入るのが上手いんだから」
「ねえ」

 オルドフと同じ論調だ。
 よく見れば、いつもすれ違いざまに陰口を囁いてくるメイドたちだった。
 フィオレッタは一度だけゆっくりと瞬きをし、足を止めた。

「言いたいことはそれで全てかしら?」

 凛とした声。感情的な怒気は一切ない。むしろ、静かに澄んでいて、刺すような鋭さがあった。
 メイドたちの笑みが固まる中で、フィオレッタは続ける。

「私に対して何か申したいことがあるなら、ティナを巻き込む必要はないはずよ。子どもを盾にして陰口を言うのは、領地の名誉以前にあなた方自身の品位を疑います」

 フィオレッタの言葉に、メイドたちはわずかに後ずさった。
 まっすぐ向けられた視線に、嘲りは一瞬で霧散する。

「……っ、行きましょう」
「ええ、関わるだけ無駄ですもの」

 負け惜しみのように吐き捨てて、メイドたちはパタパタと音を立てて逃げるように去っていく。廊下には、ふたたび静けさが戻った。

「フィオおねえちゃま、かっこいい……!」

 ティナが胸の前で手をぎゅっと握り、目をキラキラさせている。
 その無垢な瞳に真正面から見られると、フィオレッタは少しだけ照れた。

「ふふ。かっこいいだなんて、そんなこと初めて言われたわ」

「ティナ、ずっといおうとおもってたの。フィオおねえちゃまは、やさしくて、きれいで、つよいの!」

 その言葉は、胸の奥にじん、と温かく染みていく。
 フィオレッタはゆっくりとティナの手を取った。

「ありがとう、ティナ」

 自分の心の中に、ふっと凪のような静けさが広がる。

(私は、私自身の偽りの悪評を恥じる必要はないわ)

 誰かが勝手に作った虚像など、自分の価値ではない。そう思えたのは、ティナやヴェルフリートのように信じてくれる人がいるからだ。

「これをね、フィオおねえちゃまに渡したかったの」
「これは……とっても幸せそうね」

 ティナに手渡された紙には、ティナのような小さい女の子と赤髪の女性、それから銀髪の大きな男性が手を繋いでいる。 皆が笑顔で楽しそうなこれは家族の絵だろうか。

 そう思ったところでティナが大きな目をキラキラとさせていた。

「これはねえ、ティナと、おねえちゃまと、おじちゃまだよ!」

 その無垢な瞳に射抜かれて、気づけば涙が頬を伝っていた。
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