エギヒデムの門

秋空夕子

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捨てる覚悟

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 騎士団の部隊長であるログウェルは騎士団長と同じ部隊長であるエレウスと共に屯所の中を進んでいく。
 ここに務めるの騎士や使用人たちが彼らに向かって頭を下げてくるが、あいにくその一つ一つに反応する事はできず、軽い会釈だけで済ませていく。
 そんな中、エレウスが団長に耳打ちする。
「しかし、団長。本当にあの子どもをここから連れ出すんですか?」
「何か不満か? エレウス」
「わざわざそんなことをせずとも、ここで始末すればいいのではないですか」
「おい」
 エレウスの言葉に思わずログウェルは声をかけた。
「あ? 何だ」
「あまりそう言ったことを口にするな。誰かに聞かれたらどうする」
 ログウェルがそう注意をすると、エレウスはあからさまに顔をしかめる。
「誰も聞いているわけがないだろう。仮に聞こえていたとしても、何のことかわかりはしない」
「だがっ」
「落ち着け、ログウェル。声を荒らげるな」
 食い下がろうとするログウェルに対し、制止の言葉をかけたのは騎士団長だった。
「っ……申し訳有りません」
 騎士団長相手では反論できずログウェルは口を閉ざし、それをエレウスはいい気味だという笑みを浮かべる。
「さて、エレウス。先程の質問だが、彼を処分する際に不測の事態が起きる可能性がある。万が一、失敗すれば取り返しがつかないだろう。そのために、準備は万全にせねば」
「……なるほど、おっしゃるとおりです。しかし、移動する際に逃げられる可能性がありますから、手足を縛るぐらいはしたほうがよろしいかと」
「……確かにな」
「それにしても、あの子どもがそこまで危険な存在だとは思いませんでした。ここではなく都近くに置いていたらどんな危険があったかもわかりません。さすが、団長です」
 二人の会話を、ログウェルはなんともいえない気持ちで聞く。
 本当にこれでいいのかという気持ちが湧いてきたが、しかしすぐに蓋をする。
(いや、これは国の決定だ。俺一人の判断で覆すことなどできない。それに、あの子が危険な存在であるのは間違いないんだ。国のため、人々のため、こうするのが一番なんだ)
 自分にそう言い聞かせて、ログウェルは進んでいく。
 三人の会話を聞いて小さく震える女がいたことには、残念ながら気づくことはなかった。



(何……? どういうこと?)
 誰もいない廊下の片隅まで移動したリザは、先程聞いてしまった三人の騎士の話を思い返す。
 連れ出す。始末。手足を縛る。子ども。危険な存在。
 どれもこれも意味がわからない。けれども彼らが話しているのは、ほぼ間違いなくユアンのことであることは理解できた。
(ユアン君が……殺される?)
 彼らの話をまとめるとそういうことになってしまう。
(いえ、待って……まだ、ユアン君のことだって決まってないわ。もしかしたら、私の聞き間違いや勘違いっていう可能性も)
 自分にそう言い聞かせ落ち着こうとするも、心臓の音は早くなるばかりだ。
 これからどうしようかと考えていると、彼女に近づく人物がいた。
「あんた! 何こんなところでサボってるんだい! 早く働きな!」
 使用人頭がリザを怒鳴りつける。
「あ、あの、ちょっと待ってください」
「なんだい、早くしな!」
「今来ている騎士団の人たちって、ユアン君を連れてきた人たちですか?」
 リザの質問に合点がいったのか、使用人頭は「ああ」と呟く。
「そうだよ。あの方達があの子を連れてきたのさ」
 ということは、やはり彼らが言っていたのはユアンのことで間違いなさそうだ。
 血の気が引いていくような感覚に襲われた。
「それじゃあ、私は行くよ」
「ま、待ってください!」
 さっさと行ってしまおうとする使用人頭を、リザは必死に引き止める。
「何なんだい、一体! いい加減にしておくれ!」
「さ、さっき聞いてしまったんです! あの人達がユアン君をどこかに連れて行くって。それも、何かひどいことをするみたいなんです!」
「だから、なんだい」
「……え?」
 リザの訴えを使用人頭は一蹴する。
「それが一体どうしたんだって聞いてるんだよ。それで、私にあの方たちに直談判に行けとでもいうのかい。冗談じゃないよ」
「で、でも、このままだとユアン君が」
「それは仕方がないだろう」
「そんな……」
 一顧だにしない頑なな使用人頭に、リザは当惑する。
 そして、その混乱するままに思ったことを口にした。
「ユアン君が、死んでもいいっていうんですか……?」
 それは疑問であって、別に使用人頭を責めるつもりで言った言葉ではなかった。
 しかし、彼女はそう受け取らなかったようだ。
「なんだい! あんた私を悪者にするつもりかい!?」
「え、いえ、そんなつもりじゃ……」
「じゃあ、あんたがどうにかすればいいだろう!! あんなに優しくしてたんだ、あの人達に歯向かってここから追い出されちまえばいい!!」
「お、落ち着いてくださ」
「言っておくけどねえ! 私には家族がいるんだよ! 夫もいるし、子どもも、孫だっている! 一人好き勝手にできるあんたとは違うんだよ!!」
 これまでとは比べ物にならない剣幕にリザは圧倒されてしまう。
 そして、ある疑念が浮かんだ。
 もしかしたら、使用人頭はずっと罪悪感を抱いているのかもしれない、と。
 孫がいる言ったが、恐らくはユアンと大して変わらないだろう。
 自分の孫ぐらいの幼い子どもが苦しんでいるのに、自分や家族の生活の為に見て見ぬ振りをしている自分。
 後ろめたい気持ちを少しでも和らげるために、見捨てるのは仕方がないことだと言っているように思えた。
「あんたはあの子に優しくして、良いことをしているつもりだっただろうが、所詮は自己満足さ! なんだかんだで我が身が可愛いんだろう! だから私を責めるんだ! 全部自分が悪い癖に!」
「い、いえ、責めてなんて」
 弁明しようにも使用人頭は聞く耳を持たない。
「うるさい! 責任転嫁するじゃない! 私は初めて見た時からあんたが気に入らなかったのさ! 大人しそうな顔をして、気にしないでおけばいいのにあんな小屋に目をつけて、人が隠しておきたいものを暴くのはそんなに気持ちがいいかい! なんていやらしい子なんだろうね! お前のその薄汚い本性は顔に出てたんだよ! 私の目は誤魔化せないからね!」
 感情のまま怒鳴り散らす使用人頭だが、言っていることがどんどん支離滅裂になっていく。
「そうだ、全部あんたが悪いんだ! あんたが全部! なのにまるで自分はなにも悪くありません、みたいな顔をして! あんたみたいな偽善者のせいであの子は死ぬんだ!」
 まるで鬱憤を晴らすように、あるいは自分を擁護するように口角泡を飛ばす彼女に、リザは何も言えなかった。
 言ったところで火に油を注ぐだけであるのは明白であることと、そして偽善者という言葉が彼女の胸に刺さったからだ。
(偽善者……そうだ。私はユアン君の力になりたいと思いながら、根本的な解決は何もせずに、慰めていただけ……彼をあそこから連れ出そうなんて考えもしなかった……)
 もっとできることはあったのに、しようともしなかった。
 ユアンが苦しんでいたことは、知っていたはずなのに。

 気づけば使用人頭の姿はどこにもなく、リザは一人で立ちすくんでいた。
 叫ぶだけ叫んで気が済んだのか、あるいは仕事を思い出したのだろう。ここにリザを放置したのは、近くにいて欲しくなかったのかもしれない。
 一人になったリザだが、彼女の足は動かない。自分がどうするべきなのか、わからなかったのだ。
(私……一体どうすればいいんだろう)
 このままだとユアンがひどい目に遭わされるかもしれない。だがリザが説得しようにも、国の命を受けている騎士達が考えを改めてくれるとも思えなかった。
 そもそも、どうして彼らがユアンにあんな仕打ちをするのかがわからない。
 もしかしたら、リザが想像もできないだけで、やむを得ない事情があるのではないか。
 それが正当なものだったとしたら、ユアンを助けようなんて間違っているのではないだろうか。
(……正当な理由があれば、あんな子どもを殺してもいいの? 見捨てていい理由になるの?)
 リザは己の思考に吐き気を覚えた。
 自分は今、ユアンを助けようとしなくてすむ理由を探しているのだ。
 けれども、しょうがないじゃないか。
 誰だって我が身は可愛い。
 騎士団が動いているということは、恐らくは国の意向で、それに逆らうということは国に逆らうということ。
 お尋ね者にされて国中から追われるだろうし、殺されてしまうかもしれない。
 そんな目に遭うのなら、罪悪感を背負ったまま見てみぬ振りをしたほうがずっと安全だし、楽な道だ。
(でも、今の生活はユアン君以上に大切にしたいものなの?)
 幼い子どもを見殺しにしてまで、今の生活を守りたいと思っているのだろうか。
 使用人頭のように愛する家族がいるわけでもなく、充実した日々を送っているわけでも、一生をかけてでも叶えたい夢があるわけでもない。
 だけれど、やっぱり怖い。恐ろしい。
 できることなら、自分も他のみんなと同じように何も何食わぬ顔で仕事をして、一日を終えたいと思った。
(きっと、それが一番賢い選択なのでしょうね……)
 打ち解けているとはいえ、リザとユアンは出会ってまだ間もない。
 そんな相手のために自分の生活や人生を投げ出すなんて馬鹿げていると、理性的な自分が囁いている。
 けれど、やっぱり放っておけないと叫ぶリザもいた。
 助けに行こう。いや、駄目だ。見捨てたくない。見てみぬ振りをするべきだ。自分しかあの子を助けられない。自分なんかに助けられるわけがない。
 相反する思考が彼女の頭の中でぐるぐる回る。
(どうする? どうしよう? どうしたらいい?)
 混乱するリザだったが、ふと、あることを思い出した。
 帰り際、ユアンとした約束。
 必ず明日も会いに行くと、そう約束したのだ。
(……このままだと、約束を守れない)
 それは、嫌だと思った。
(…………行こう)
 馬鹿らしいかもしれないが、たったそれだけのことでリザは決断した。
 自分の人生を投げ打つという愚行を犯し、大勢の人に迷惑をかけて混乱を招くことになってでも、やりたいようにやるということを。
 リザは手を強く握ると、破滅しか待っていないであろう道を踏み出した。
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