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一 何はともあれ生計だ
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意識が戻り、少し重く感じる瞼を上げると、空が見えた。いつの間にか眠っていたようだ。
欠伸を噛み殺しながら身体を起こせば草原に居た。女神の言葉通りなら異世界だ。
はあ……。もう女神に怒るのもめんどくさい。
空は澄み切って青い。気温は快適だ。そよぐ風も心地良い。
だけど海老天を食べ損なって気分は最悪だ。もう、何にもやる気がしない。
『ぴーん、ぽーん、ぱーん、ぽーん』
女神の声!?
『これは、目が覚めた時に自動的に流れるチュートリアルでーす』
くっ! いちいちムカつく!
『チートな身体ってのは、腕力や耐久力が人間離れしているとかって事だから問題ないわね?
拘束の魔法は、敵は元より自分にも掛けられて、拘束力は自由自在。便利でしょ?
他の魔法を覚えたかったらどっかで勝手に覚えてねん。お、し、ま、い』
「たった、それだけかーい!」
ボコン。
思わず地面を殴ったら穴が空いた。別に足跡が付くような柔らかい地面じゃないのに。
待て待て待て待て、そんなに力入れてないし、もし入れててもこれはおかしいでしょ!?
近くに有った石を持ち上げ、ちょっと握り締めてみる。
パキパキパキ。
石が崩れた。
あー、うん、これは力の制限が必要だね。拘束の魔法を自分にも使える意味はそれなんだね。確かに便利かも知れない。
試しに左腕だけを拘束してみる。念じればいいだけだ。何故それを知っているのかは知らない。
ん? ピクリとも動かない。これほど強力だとは思わなかった。いきなり全身に掛けたら死んでたかも知れない。
はて? 果たして死ぬのかな? だけど、すっごく試し辛いから、スルーしておこう。
とにもかくにも腕が普通に動かせる程度まで弱めてから地面を叩いてみる。
ボコン。
さっき程じゃないが穴が空いた。もう少し拘束を強くしなければ。
っと、その前に全身を拘束する。部分的だとバランスが悪くなっちゃうからね。
ボコン。ボコン。ボコン。
地面を叩き、穴が空くようなら拘束を強くする、と言うのを繰り返した結果、少し身体が重く感じる位まで拘束を強くして漸く地面に穴が空かなくなった。
「なんかこう、もぞもぞするわね」
身体に違和感があるけど、変に物を壊すのもまずいから仕方がない。
それにしても、なんとなく独り言が出てしまうのは歳の所為? 考えたくないけどもう二四なのだ。
駄目だ。歳の事を考えてる場合じゃない。どうにか人里に行かなきゃ。
そう思って立ち上がって周りを見回すと、有ったよ。直ぐ近くに人工物らしい壁が。あの女神は変な所で親切っぽい?
あっ。
早速向かおうとした所で気付いた。身なりを確認していなかった。
両手を広げて胴と足を改めてみれば、ポリエステルのサマーセーターと綿パンとベタ靴と言う、女神に拉致される直前に身に着けていたものそのままだ。まあ、変な格好にさせられるよりはいいんだけど、なんか心許ない。
心許ないと言えば何か手元が心許ない。何かが足りない気がする。
あっ! ずだ袋だ! いつも提げているずだ袋を持ってない!
「ど、どこ!?」
慌てて探す。
財布の他はタオルやハンカチ等、元の世界なら大した事のないものばかりだけど、有るのと無いのとではこれからの生活が随分と違うはずだ。
「あった!」
探し回った結果、最初に穴を空けてしまった近くに落ちていた。もしも気付かずに壁の方へと行っていたらと思うと冷や汗が出た。
すーはーすーはー。深呼吸をして、再度状況を確認してみる。
まず、衣類や持ち物は勤め先の店から帰る時と同じだ。ただ一つを除いて。
そう、海老天だ。あんの女神、許すまじ!
拳を振り上げてみても、こんな所から女神に届く筈もなく、ただ下げる拳が何だか寂しい。
周りを見渡せば草原。程近い場所に森が有り、その反対方向に人工物の壁が有る。その壁の向こうに塔が見える事からすれば、町が有りそうだ。どう見てもここは日本ではない。
そして今更ながら、今現在は午前中らしい。さっきより影が短い気がする。
拉致されたのは夜だったのに、一体どこで時間が経ったやら。ついでに眠くもないから、女神に少し眠らされていたのかも知れない。まあ、そんな事を追求しても意味が無いからどうでもいいんだけど。
気温はそう高くない。少し肌寒いくらいだ。だけど冬でなくて良かった。良かったんだけど、肌寒さからして今が春なのか秋なのかを確認せねばなるまい。秋だったら防寒具を用意しなければならない。
その防寒具を用意するにしても、財布の中身は日本円だ。ここで使えるとは思えない。あの女神め、一体文無しでどうしろと?
それより切実なのは今晩の寝床と晩ご飯だ。お昼は女神が食べ残したナスとカボチャの天ぷらで我慢する。食べ物に好き嫌いの有る女神で良かったんだか悪かったんだか。
拘束の魔法は中途半端な説明しかされていないのに、何故か細かい事まで知っている。いつの間にか記憶を植え付けられていたのだろう。女神め、なかなかやりおる。
この魔法は任意の範囲で任意のものを、見えない糸を使って任意の強さで雁字搦めに縛り上げるイメージだ。その副作用として拘束したものは頑丈になってしまう。ゲームっぽく言えば防御力が上がる訳だ。見えない糸の防御力がそのまま上乗せされる感じなので、今のあたしを殴ったりすると殴った方の指が折れる事必至だ。
熱などへの耐性も上がるようなのだが、気温のようにじわじわ来るものに対しては効果が感じられない。つまり、寒いものは寒いし暑いものは暑い。まあ、気温の変化が判らないのもどうかと思うので、これはこれで良いとしよう。
そう言えば、女神は邪神がどうのと言ってた。だけどあたしには関係が無い。まるっと無視してしまおう。そう、女神の言う事を聞く義理なんてどこにもない。
それよりも目の前の生活の方が大事だ。他に出来ることも無いから、目指すは総菜屋経営かな。
それにしても案外あたしは冷静だ。なんとなく、あの女神に怒り散らしたからかも知れない。女神め、変な所ばかり役に立っておるわ。
くわっ、と目を見開いて空を見た。
うん、虚しい。
傍まで行くと、壁が人工物なのがはっきりと判った。まあ遠目でも確実だったんだけどね。
門を探すべく壁に沿って歩く。歩く。早足。小走り。駆け足。疾走。ちょっと疲れた。
門に辿り着いた後で拘束を緩めれば良かったんだと気が付いた。なんだかがっかりだ。
門の通行人は結構多い。殆どひっきりなしだ。門番も居て、一人一人通行人のチェックをしている。
「身分証を」
「持ってないんですけど」
「辺境からでも来たのか?」
「はあ、まあ」
「なら、この紙に名前を書いて、その下に右手の手形を押してくれ」
そう言って、門番は一枚の紙を差し出してきた。机が無いものの板に乗せている所が親切だ。でも、手形はちょっと抵抗が有る。
「手形を押さないとどうなるんですか?」
「ここを通れないだけだ」
「判りました」
答えは単純明快だ。素直に従う他にない。名前を書いて手形を押す。手にインクがべっとりなのがちょっと嫌な感じだ。
「見慣れない文字だな」
「いけませんでしたか?」
言葉が通じているのでうっかり漢字で書いてしまった。考えてみれば言葉が通じているのも変なのだが、これも女神の仕業なのだろう。
「いや、文字を読み書きできない者も多いからな。名前を書くのはおまけみたいなものだ」
「そうなんですか……」
「じゃ、これが仮身分証明書だ。正式なものが欲しければ冒険者ギルドにでも登録するんだな」
門番が差し出してきたカードを受け取って見てみると、何か書いているが読めない。女神め、仕事が中途半端だ。
「あの、これって何て書いているんですか?」
「ん? それは、日付と番号だ。『四二七年 九月 六日 〇〇一三五』と書いている」
「ありがとうございます」
忘れないようにメモしておく。
一三五番と言う事は、身分証を持ってない人がそれだけ出入りしていると言う事だ。身なりをとやかく言われるかとも思ったが、多少変な程度では一人にいつまでも拘っている訳にもいかないのだろう。なんともあっさりしたものだ。その証拠に、あたしの相手をしていた門番はもう他の通行人の相手をしている。
そしてあたしは門番のお勧めらしき冒険者ギルドにやってきた。門番に尋ねるような状況ではなかったために道行く人に尋ねながら探した。その所為か結構時間が掛かってしまった。だからもうお昼。この調子じゃ、今日は野宿になってしまう。ため息だ。
中に入ると、銀行の窓口のような光景。違うのは待合室に鎧を着て剣を提げた人が混じっている事くらいだ。
そう、鎧を着た人はかなり少ない。大半がごく普通の服を着た、どこにでも居そうな人々である。ゲームなんかでの冒険者ギルドのイメージとはかなり違う。
じっくりと観察したい気もしたが、手続きの方が大事だ。
「あの、身分証明書を作りたいんですけど」
「新規登録ですね。この用紙に名前と右手の手形をお願いします」
「はい」
また漢字で名前を書いて手形を押した。この世界の文字なんて知らないから日本語でしか書きようがないのだ。
「あ、異国の方ですか?」
「はい、まあ」
「こちらの字の読み書きはできるでしょうか?」
「いえ、できません」
「では、依頼をお受けになられる時はあちらの相談窓口でお受けください」
そう言って受付嬢は一つの窓口を指し示した。門番の話からすると識字率が低そうなのに、なぜかその窓口には誰も並んでいない。それもその筈、見れば強面のおっさ……もとい、おじ様が座っている。ちょっと怖い。あれじゃ、みんな回避する事だろう。
「判りました」
「では、魔力紋を取りますのでこちらの水晶に指を乗せてください」
受付嬢は水晶が乗った何かの装置を差し出した。水晶は切手ほどの大きさの四角いもので、イメージにありがちな球状ではない。
言われるままに指を乗せて暫くすると、何やらピカッと光った。
「はい、終了です。これがギルドカードになりますので、失くさないようにしてください」
「はい」
「それでは、ギルドの説明をお聞きになりますか?」
「あ、はい」
一瞬、説明って登録前にするものなんじゃないかと思ったが、説明を聞けば登録する事そのものには特に不利益が無い事が判った。
まず、ギルドのランクは9から始まって1が最高位になっている。殆どの冒険者はランク5までしか到達せず、ランク2はごく少数、ランク1に至っては殆ど幻のような存在らしい。
ランク9は登録してから規定数の依頼をこなしていない者のランクで、言わば見習いだ。失敗しても問題ないような依頼しか受けられない。失敗せずに依頼をこなしていけば、一〇回の依頼をこなした時点で自動的にランクが8に上がる。依頼に失敗すれば、失敗一回につき規定数が五回ずつ増えていく。つまりは、ちゃんと依頼をこなす誠実さが求められている。失敗してもランク8に上がりにくくなる以外のペナルティは無い。
ランク8からは失敗すればペナルティも有る。ランク8でもランク1相当の依頼を受けられるが、失敗すれば相応のペナルティを受けることになるため、分不相応の依頼は受けない方が望ましい。ただ、大抵の高ランク依頼には受注可能なランクに制限が加わっていて、実際には遙か上のランクの依頼を受けようにも受けられない。
冒険者としての報酬からは税金が天引きされており、それしか収入が無いのであれば納税を気にする必要は無い。
依頼は、農場や工場などの臨時雇いから魔物討伐まで何でもありだ。一部の職種では以前受注した者を指名する依頼も多く、そこから正式に農場や工場の従業員になる者も多いと言う。
結局、冒険者ギルドは人材派遣業みたいなものだ。そして、冒険者と言うのは日雇い労働者の事に相違ない。
加えて、ギルドには銀行機能も有るらしい。
「それから、ギルドカードは基本的にこの町でのみ有効です。協定を結んでいる町でも利用できますが、多くはありません。そのため、他の町では身分証明書以外には使えないと考えてください」
「はあ、世界中どこでも使える訳じゃないんですね」
「そのような質問をされる方が時々いらっしゃいますが、それは物理的に不可能です。他の町へ行かれる時には預金の引き出しを忘れないようお気をつけください」
「判りました」
考えてみれば、日本の銀行だってオンラインで結ばれる前は預金口座を作った店舗でしか預金の出し入れができなかったと言う。少し違う方向に文明が進んでいると見えるこの世界でも、そう言う部分は変わらないのだろう。
欠伸を噛み殺しながら身体を起こせば草原に居た。女神の言葉通りなら異世界だ。
はあ……。もう女神に怒るのもめんどくさい。
空は澄み切って青い。気温は快適だ。そよぐ風も心地良い。
だけど海老天を食べ損なって気分は最悪だ。もう、何にもやる気がしない。
『ぴーん、ぽーん、ぱーん、ぽーん』
女神の声!?
『これは、目が覚めた時に自動的に流れるチュートリアルでーす』
くっ! いちいちムカつく!
『チートな身体ってのは、腕力や耐久力が人間離れしているとかって事だから問題ないわね?
拘束の魔法は、敵は元より自分にも掛けられて、拘束力は自由自在。便利でしょ?
他の魔法を覚えたかったらどっかで勝手に覚えてねん。お、し、ま、い』
「たった、それだけかーい!」
ボコン。
思わず地面を殴ったら穴が空いた。別に足跡が付くような柔らかい地面じゃないのに。
待て待て待て待て、そんなに力入れてないし、もし入れててもこれはおかしいでしょ!?
近くに有った石を持ち上げ、ちょっと握り締めてみる。
パキパキパキ。
石が崩れた。
あー、うん、これは力の制限が必要だね。拘束の魔法を自分にも使える意味はそれなんだね。確かに便利かも知れない。
試しに左腕だけを拘束してみる。念じればいいだけだ。何故それを知っているのかは知らない。
ん? ピクリとも動かない。これほど強力だとは思わなかった。いきなり全身に掛けたら死んでたかも知れない。
はて? 果たして死ぬのかな? だけど、すっごく試し辛いから、スルーしておこう。
とにもかくにも腕が普通に動かせる程度まで弱めてから地面を叩いてみる。
ボコン。
さっき程じゃないが穴が空いた。もう少し拘束を強くしなければ。
っと、その前に全身を拘束する。部分的だとバランスが悪くなっちゃうからね。
ボコン。ボコン。ボコン。
地面を叩き、穴が空くようなら拘束を強くする、と言うのを繰り返した結果、少し身体が重く感じる位まで拘束を強くして漸く地面に穴が空かなくなった。
「なんかこう、もぞもぞするわね」
身体に違和感があるけど、変に物を壊すのもまずいから仕方がない。
それにしても、なんとなく独り言が出てしまうのは歳の所為? 考えたくないけどもう二四なのだ。
駄目だ。歳の事を考えてる場合じゃない。どうにか人里に行かなきゃ。
そう思って立ち上がって周りを見回すと、有ったよ。直ぐ近くに人工物らしい壁が。あの女神は変な所で親切っぽい?
あっ。
早速向かおうとした所で気付いた。身なりを確認していなかった。
両手を広げて胴と足を改めてみれば、ポリエステルのサマーセーターと綿パンとベタ靴と言う、女神に拉致される直前に身に着けていたものそのままだ。まあ、変な格好にさせられるよりはいいんだけど、なんか心許ない。
心許ないと言えば何か手元が心許ない。何かが足りない気がする。
あっ! ずだ袋だ! いつも提げているずだ袋を持ってない!
「ど、どこ!?」
慌てて探す。
財布の他はタオルやハンカチ等、元の世界なら大した事のないものばかりだけど、有るのと無いのとではこれからの生活が随分と違うはずだ。
「あった!」
探し回った結果、最初に穴を空けてしまった近くに落ちていた。もしも気付かずに壁の方へと行っていたらと思うと冷や汗が出た。
すーはーすーはー。深呼吸をして、再度状況を確認してみる。
まず、衣類や持ち物は勤め先の店から帰る時と同じだ。ただ一つを除いて。
そう、海老天だ。あんの女神、許すまじ!
拳を振り上げてみても、こんな所から女神に届く筈もなく、ただ下げる拳が何だか寂しい。
周りを見渡せば草原。程近い場所に森が有り、その反対方向に人工物の壁が有る。その壁の向こうに塔が見える事からすれば、町が有りそうだ。どう見てもここは日本ではない。
そして今更ながら、今現在は午前中らしい。さっきより影が短い気がする。
拉致されたのは夜だったのに、一体どこで時間が経ったやら。ついでに眠くもないから、女神に少し眠らされていたのかも知れない。まあ、そんな事を追求しても意味が無いからどうでもいいんだけど。
気温はそう高くない。少し肌寒いくらいだ。だけど冬でなくて良かった。良かったんだけど、肌寒さからして今が春なのか秋なのかを確認せねばなるまい。秋だったら防寒具を用意しなければならない。
その防寒具を用意するにしても、財布の中身は日本円だ。ここで使えるとは思えない。あの女神め、一体文無しでどうしろと?
それより切実なのは今晩の寝床と晩ご飯だ。お昼は女神が食べ残したナスとカボチャの天ぷらで我慢する。食べ物に好き嫌いの有る女神で良かったんだか悪かったんだか。
拘束の魔法は中途半端な説明しかされていないのに、何故か細かい事まで知っている。いつの間にか記憶を植え付けられていたのだろう。女神め、なかなかやりおる。
この魔法は任意の範囲で任意のものを、見えない糸を使って任意の強さで雁字搦めに縛り上げるイメージだ。その副作用として拘束したものは頑丈になってしまう。ゲームっぽく言えば防御力が上がる訳だ。見えない糸の防御力がそのまま上乗せされる感じなので、今のあたしを殴ったりすると殴った方の指が折れる事必至だ。
熱などへの耐性も上がるようなのだが、気温のようにじわじわ来るものに対しては効果が感じられない。つまり、寒いものは寒いし暑いものは暑い。まあ、気温の変化が判らないのもどうかと思うので、これはこれで良いとしよう。
そう言えば、女神は邪神がどうのと言ってた。だけどあたしには関係が無い。まるっと無視してしまおう。そう、女神の言う事を聞く義理なんてどこにもない。
それよりも目の前の生活の方が大事だ。他に出来ることも無いから、目指すは総菜屋経営かな。
それにしても案外あたしは冷静だ。なんとなく、あの女神に怒り散らしたからかも知れない。女神め、変な所ばかり役に立っておるわ。
くわっ、と目を見開いて空を見た。
うん、虚しい。
傍まで行くと、壁が人工物なのがはっきりと判った。まあ遠目でも確実だったんだけどね。
門を探すべく壁に沿って歩く。歩く。早足。小走り。駆け足。疾走。ちょっと疲れた。
門に辿り着いた後で拘束を緩めれば良かったんだと気が付いた。なんだかがっかりだ。
門の通行人は結構多い。殆どひっきりなしだ。門番も居て、一人一人通行人のチェックをしている。
「身分証を」
「持ってないんですけど」
「辺境からでも来たのか?」
「はあ、まあ」
「なら、この紙に名前を書いて、その下に右手の手形を押してくれ」
そう言って、門番は一枚の紙を差し出してきた。机が無いものの板に乗せている所が親切だ。でも、手形はちょっと抵抗が有る。
「手形を押さないとどうなるんですか?」
「ここを通れないだけだ」
「判りました」
答えは単純明快だ。素直に従う他にない。名前を書いて手形を押す。手にインクがべっとりなのがちょっと嫌な感じだ。
「見慣れない文字だな」
「いけませんでしたか?」
言葉が通じているのでうっかり漢字で書いてしまった。考えてみれば言葉が通じているのも変なのだが、これも女神の仕業なのだろう。
「いや、文字を読み書きできない者も多いからな。名前を書くのはおまけみたいなものだ」
「そうなんですか……」
「じゃ、これが仮身分証明書だ。正式なものが欲しければ冒険者ギルドにでも登録するんだな」
門番が差し出してきたカードを受け取って見てみると、何か書いているが読めない。女神め、仕事が中途半端だ。
「あの、これって何て書いているんですか?」
「ん? それは、日付と番号だ。『四二七年 九月 六日 〇〇一三五』と書いている」
「ありがとうございます」
忘れないようにメモしておく。
一三五番と言う事は、身分証を持ってない人がそれだけ出入りしていると言う事だ。身なりをとやかく言われるかとも思ったが、多少変な程度では一人にいつまでも拘っている訳にもいかないのだろう。なんともあっさりしたものだ。その証拠に、あたしの相手をしていた門番はもう他の通行人の相手をしている。
そしてあたしは門番のお勧めらしき冒険者ギルドにやってきた。門番に尋ねるような状況ではなかったために道行く人に尋ねながら探した。その所為か結構時間が掛かってしまった。だからもうお昼。この調子じゃ、今日は野宿になってしまう。ため息だ。
中に入ると、銀行の窓口のような光景。違うのは待合室に鎧を着て剣を提げた人が混じっている事くらいだ。
そう、鎧を着た人はかなり少ない。大半がごく普通の服を着た、どこにでも居そうな人々である。ゲームなんかでの冒険者ギルドのイメージとはかなり違う。
じっくりと観察したい気もしたが、手続きの方が大事だ。
「あの、身分証明書を作りたいんですけど」
「新規登録ですね。この用紙に名前と右手の手形をお願いします」
「はい」
また漢字で名前を書いて手形を押した。この世界の文字なんて知らないから日本語でしか書きようがないのだ。
「あ、異国の方ですか?」
「はい、まあ」
「こちらの字の読み書きはできるでしょうか?」
「いえ、できません」
「では、依頼をお受けになられる時はあちらの相談窓口でお受けください」
そう言って受付嬢は一つの窓口を指し示した。門番の話からすると識字率が低そうなのに、なぜかその窓口には誰も並んでいない。それもその筈、見れば強面のおっさ……もとい、おじ様が座っている。ちょっと怖い。あれじゃ、みんな回避する事だろう。
「判りました」
「では、魔力紋を取りますのでこちらの水晶に指を乗せてください」
受付嬢は水晶が乗った何かの装置を差し出した。水晶は切手ほどの大きさの四角いもので、イメージにありがちな球状ではない。
言われるままに指を乗せて暫くすると、何やらピカッと光った。
「はい、終了です。これがギルドカードになりますので、失くさないようにしてください」
「はい」
「それでは、ギルドの説明をお聞きになりますか?」
「あ、はい」
一瞬、説明って登録前にするものなんじゃないかと思ったが、説明を聞けば登録する事そのものには特に不利益が無い事が判った。
まず、ギルドのランクは9から始まって1が最高位になっている。殆どの冒険者はランク5までしか到達せず、ランク2はごく少数、ランク1に至っては殆ど幻のような存在らしい。
ランク9は登録してから規定数の依頼をこなしていない者のランクで、言わば見習いだ。失敗しても問題ないような依頼しか受けられない。失敗せずに依頼をこなしていけば、一〇回の依頼をこなした時点で自動的にランクが8に上がる。依頼に失敗すれば、失敗一回につき規定数が五回ずつ増えていく。つまりは、ちゃんと依頼をこなす誠実さが求められている。失敗してもランク8に上がりにくくなる以外のペナルティは無い。
ランク8からは失敗すればペナルティも有る。ランク8でもランク1相当の依頼を受けられるが、失敗すれば相応のペナルティを受けることになるため、分不相応の依頼は受けない方が望ましい。ただ、大抵の高ランク依頼には受注可能なランクに制限が加わっていて、実際には遙か上のランクの依頼を受けようにも受けられない。
冒険者としての報酬からは税金が天引きされており、それしか収入が無いのであれば納税を気にする必要は無い。
依頼は、農場や工場などの臨時雇いから魔物討伐まで何でもありだ。一部の職種では以前受注した者を指名する依頼も多く、そこから正式に農場や工場の従業員になる者も多いと言う。
結局、冒険者ギルドは人材派遣業みたいなものだ。そして、冒険者と言うのは日雇い労働者の事に相違ない。
加えて、ギルドには銀行機能も有るらしい。
「それから、ギルドカードは基本的にこの町でのみ有効です。協定を結んでいる町でも利用できますが、多くはありません。そのため、他の町では身分証明書以外には使えないと考えてください」
「はあ、世界中どこでも使える訳じゃないんですね」
「そのような質問をされる方が時々いらっしゃいますが、それは物理的に不可能です。他の町へ行かれる時には預金の引き出しを忘れないようお気をつけください」
「判りました」
考えてみれば、日本の銀行だってオンラインで結ばれる前は預金口座を作った店舗でしか預金の出し入れができなかったと言う。少し違う方向に文明が進んでいると見えるこの世界でも、そう言う部分は変わらないのだろう。
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