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第一章 新緑のフーガ

20 確かに安いな

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 冒険者ギルドの買取所は外門から歩いて数分の場所に、作業場と棟を連ねて在る。外門とはセントラルスを二重に囲む外側の城壁の門で、町の中心に在る冒険者ギルドから歩けば約一時間。買取所もそれだけ町の中心から離れていることになる。ここまで離れているのは、魔毒を町の中心に持ち込ませないのが一番の理由だ。それに、ここなら町の外で狩りをする冒険者の利便性もある。門から少し離れているのは、冒険者が狩った獲物の解体や加工を行う際に発生する臭気が街道に充満しないようにである。
 そして作業場と棟を連ねているのだから、買取所も東西南北の外門それぞれの近くに設けられている。
 ワナッシとアトスはその買取所の一つ、西の買取所に訪れた。イタチ一体だけであっても、その日の内に持ち込まなければ厄介だ。魔毒を持ったものを城壁中に放置しては、お縄を頂戴することさえあり得る。町全体として魔毒の扱いには神経を使っているのだ。
 買取所に入った二人の耳には、先客の話し声が聞こえた。
「しっかし、皮の買取が安いのはどうにかならんものかね」
「それなんだよなぁ。昔はなるべく皮を傷付けないように狩ってたが、今は煩わしいだけだ」
「小銭のために怪我しても馬鹿らしいからな」
 声の主達は二人と入れ替わるように出て行った。
 彼らが話していたのは、この町ではありがちな愚痴だ。しかしアトスには気になったらしい。
「なあ、おっさん。皮ってそんなに安いのか?」
「急にどうした?」
 当たり前過ぎて、先の愚痴を全く気に留めていなかったワナッシは首を傾げた。
「今擦れ違ったおっさん達が言ってたから」
 ワナッシは耳を通り過ぎて行った言葉を記憶から探そうとしたが、失敗した。それほどまでに印象が薄い。しかしアトスの言葉で概ねの想像はできる。
「そっか。まあ、確かに安いな」
「どうして?」
 ワナッシには常識でも、アトスにはそうではない。疑問は尽きない。
「そりゃ、買い手が少ないからだ。西に来ている鞣し職人は少ないから皮が余ってるんだよ」
「余ったからって何だって言うんだ」
 大抵の品物の値段は需要と供給のバランスで決まる。冒険者ギルドで扱う皮も基本的にはそう。持ち込まれた皮を買う業者が少なければ、販売価格が下がる。そしてギルドが採算を取るためには、販売価格が下がった分だけ買取価格も下げざるを得ないのだ。
「そりゃ、欲しがるヤツが少なけりゃ、売りたい方は安くしないと売れないだろ」
「だったら他の町で売ればいいじゃないか」
「生憎と、それをする商人も少ないみたいでな。やっぱり余るんだ」
 この町で売れないなら他の町で売れば良いと考えるのも自然なことだろう。ところがセントラルスで活動する商人は少ない。最大のネックが、大陸東部の町と交易するのに長距離を長期間に亘って移動しなければならないことにある。一度の失敗が致命傷になりかねない。多くが経済的なものだけでなく、肉体的にもだ。命が助かっても経済的な損失が計り知れない。
「ギルドが売りに行けばいいだろ」
「ギルドはあくまで仲介するだけで、縄張りも有るから余所に売りに行ったりはしない」
 民間が駄目なら冒険者ギルド自らが動けば良いと考えるのもまた自然なことだろう。しかし冒険者ギルドはこれでいて町に所属する公的機関だ。町に所属するなら町の経済に貢献するのが筋と言うもの。それを自ら他の町に販路を求めるようでは町の経済に悪影響を与えかねない。町の住人が高い買い物を強いられると言ったことをだ。それだけなく、販売先の町の経済にも影響を与える可能性が有る。だから各町の冒険者ギルドは不文律として、所属する町の業者、あるいは町に出入りする業者のみに分け隔て無く販売する。
「じゃあ、余ったのはどうするんだ?」
「さあ? 捨てるんじゃないか?」
 これはあくまで想像だ。しかしアトスには狩り自体が無駄のように聞こえたらしい。
「捨てるようなのを取ってるのか……」
「別に売るのは皮だけじゃないぞ? 肉や牙だってだな……」
 ワナッシはアトスに答えながら、どうして自分は冒険者ギルドを必死に擁護するように言っているのかと首を捻った。そのせいで語尾が若干あやふやだ。結論が出そうにない疑問なので、早々に思考を放棄したが。
「肉は高いのか?」
「ん? 高くはないな。毒抜きしなきゃならないから、その手間賃が引かれるんだろう。それでも皮よりはマシか。余らないからな」
 取り留めのない言い方なのは思い出し思い出ししながらのため。肉が高くないのは大陸東部の町の冒険者ギルドと比べての話だ。ワナッシもこの町に来る前は大陸東部の町に所属していた。そして「肉を喰わなきゃ力が出ない」と言いがちな軍人や冒険者の多いセントラルスのこと、肉が余ることは殆ど無い。余っても、加工品なら前線の町に送られるだけだ。
「猟師って稼げないんだな……」
「あー、獲物を売るだけならそうだな。だが、壁の内側の担当なら、行政から固定の報酬が貰える。この町なら壁の外で狩る場合だって、獲物の大きさ毎に決まった報酬が貰える。大抵の猟師はそんなので食い繋いで、獲物を売った分で酒を呑んだりする訳だ」
 罠猟師は、ある意味では未開拓農地の管理を任されている。主に魔毒の侵入を監視するのがその役割になる。そのため、十分な獲物を仕留めるか、近隣の農地の被害が一定以下に収まっていれば、担当した期間に応じた報酬が貰える。獲物は臨時収入のようなものだ。
「酒に使っちまうのか?」
「まあ、そうだな」
 この辺りはあまり大きな声で言えない部分だ。少々心の機微に触れてしまう。
「計画性がねぇな」
「おい、ガキがナマ言うもんじゃないぞ」
 機微に引っ掛かる部分なものだから、子供に言われたらカチンと来てしまったりもするのだ。
 酒でも呑まなきゃやってられないと考える冒険者は少なくない。多くの場合、酒を呑めば呑むほどもっとやってられなくなるのにだ。金銭的な理由で。つまり、カネが無いから酒を呑みたくなる。酒を呑んだらその代金でカネが無くなる。素面に戻ったらその現実に直面してまた酒が呑みたくなる。
 子供には言いたくない、聞かれたくない話である。
「ちぇーっ! 大人は直ぐガキってよぉ!」
 そんな機微なんて知らないアトスはふて腐れた。

 ネッケート、カリン、ペコラの三人もまた買取所を利用する。アトスが疑問を追及したのとはまた別の日、別の買取所でのこと。
「何なの、安過ぎよ! この買取価格!」
 カリンはいきり立っていた。ここに来ること幾度か目。最初から不満だったことが遂に我慢できなくなったのだ。この町で何年も住んでいる冒険者なら日常になっている価格でも、住んで間も無いカリンには非日常だった。
 しかしネッケートは笑い飛ばす。召喚勇者のネッケートは他の町の冒険者ギルドを知らない。比較しようが無いので有るがままを受け入れるだけであった。
「獲物一体丸々でも宿賃に足りぬな! わっはっはっはっ!」
 行政から固定の報酬を足してもまだ足りない。上等の宿に泊まっているからと言えばそれまでではあるが。
「この、お馬鹿! これが笑って済む話!?」
 ネッケートの態度がカリンのカリカリを加速した。ペコラがついつい突っ込みを入れる。
「カリンちゃん、あんまりカリカリしてると禿げるよ?」
「禿げてないわよ! まだ!」
 危険な自覚が有ったらしい。
「まだって……」
「これはカリンが禿げる前に対応策を考えぬとな」
 残念に感じながらも、カリンの心には安寧が必要だと考えるペコラとネッケートだ。ところがネッケートの明け透けな物言いは却ってカリンの胸を抉るものであった。
「『禿げる禿げる』言うの止めて! くっ……、抜け毛がぁ……」
「カリンちゃん……」
「思ったより深刻であるな」
 すこぶる健康で何の悩みも無くても、長い髪や癖のある髪を手で梳いたら、髪の毛の二、三本が手に残ったりするものだ。カリンはまだその程度の段階だが、ストレスのせいで抜けているように感じているらしい。昂じれば本当に禿げて仕舞いかねない。
 これにはさすがに不憫に思うペコラとネッケートである。
 しかし不憫に思うだけでは何の解決もしない。カリンのカリカリの元をどうにかしなければいけない。
「だけど、もっと安い宿に替えて、他の稼ぎ方も考えないといけないね」
 そう、現状は収入より出費が多い。主な出費先は宿の宿泊代だ。
 ふと、「稼ぎ方」のことで、カリンの頭に疑問が過ぎる。
「ところで、プリスさんはどうやって稼いでいるのかしら? いつも酒場に居るのに」
「ふむ。聞いてみようではないか」
 言われてみればと、ネッケートも疑問に思ったのだった。

 思い立ったが吉日とばかり、ネッケート達は酒場を訪れ、プリスに疑問をぶつけた。
「あたし? あたしはたまに治療を請け負ってるだけよ」
 プリスの答えはあっけらかんとしたものだ。
「治療だけですか?」
「討伐を請け負うことも有るけど、大体は治療ね」
 現状は大陸西部の奪還を控えて、奪還済みの地域の占領を優先させている。この停滞によって、上級冒険者が先頭に立って戦う必要性が薄くなり、戦いに積極的ではない上級冒険者は前線から退いている。プリスも同様だ。何よりプリスの本職は治療術師なのだ。
「たまに治療をするだけで生活できるのですか……」
「それは一回の報酬が多いからよ。千切れた腕を繋いだりするんだから」
 プリスは大陸西部に滞在する治療術師としては最高の能力を持っている。世界的に見ても二桁前半の順位だ。西部にプリスより能力の高い治療術師が居ないのは、要職に就いていて多忙か、戦闘力を持ち合わせていないかである。
 そしてその西部最高の能力と言うものは、千切れた腕でも千切れて直ぐか、適切な処置が為されていれば、後遺症も無く繋ぐことを可能としている。
 一方、これを聞いて絶望的な声を出すのがペコラだった。
「ええ……」
「ペコラはできる? そう言うの」
 カリンはペコラにできそうにないのを判っていて尋ねた。そして返るのは予想通りの答えだ。
「ごめんなさい。無理ですぅ」
「何なら、あたしが教えてやってもいいけど……」
 プリスとしては教えるのは吝かではない。しかし少し言い淀んだ。
 それでもペコラは瞳を輝かせる。
「ええっ!」
「一時間連続で走れるようになったらね」
 プリスの懸念はこれだ。せめて一時間走り続けられるようにと言ってはみたものの、全く進歩が見られない。
 案の定、ペコラの表情が曇る。
「ええ……」
「毎日走ってる?」
 プリスは改めて問い質した。
 しかしペコラの答えは芳しくない。
「う……」
「じゃあ無理ね」
 だからプリスは一言で切り捨てた。ペコラが勇者のサポート担当を続ける以上、冒険者としての最低限ができていなければ、先を教えるつもりが無いのだ。
 そんなプリスの態度にネッケートが渋面を作る。
「走る意味を教えて貰えまいか? それさえ判ればペコラとて努力を惜しむまい」
「う……、うん」
 ネッケートに話を振られる形でペコラは頷いた。自信の無さが表情に表れているが、そこはご愛敬の範囲だろう。
 しかしプリスもこの点に関しては頑なだ。
「嫌よ。最低でも一時間走れるようにならなきゃ教えてやらない」
「ケチんぼ」
 また少しカリカリしているカリンだ。プリスに対する不満が口を突いて出た。この態度にペコラの方が焦る。
「カ、カリンちゃん!」
「さあさあ、ケチなおねえさんにかかずらってないで、あんた達はあんた達の努力をなさい」
 しかしプリスは気にも留めなかった。今のカリンにはそうするだけの価値が無いのを言外に示したことにもなっている。
「……はい」
 恐らくそれを感じたのだろう。ペコラはカリンが未だ不満げにする横で、少しもの憂げに頷いた。
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