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第一章 新緑のフーガ

21 約束が違うではありませんか!

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 皮革商テビックと、彼に雇われた冒険者達は、無事に大陸東部の町に到着した。セントラルスを出発して二日目の魔物との遭遇以外は何事も無く、順調だった。
 約二十日間の行程の中で魔物と遭遇したのは一回だけだった訳だ。この頻度が高いと見るか低いと見るかは人それぞれだろう。少なくとも野盗が活動するには不向きだと判断されているに違いない。活動そのものが行われていないのか、活動しようとしたところを魔物に襲われて頓挫したかは定かではないが、これまで大陸西部では野盗に襲われた記録が無いのである。
 ともあれ、旅の三日目以降で問題が有ったとするなら、テビックが出発時とあまり変わらず落ち着きが無いくらいのものだった。
 そのテビックは早速商談に臨んでいる。原皮の売却だ。以前から取り引きの有る業者がその相手である。
 本題に入るのは適当に世間話をしてから。相手は薄く愛想笑いをしながら買取価格を提示した。

「そんな馬鹿な! 前回より二割も安いではありませんか!」

 途端にテビックは声を荒らげた。二割も安くなっていれば当然だろう。
 そんなテビックを前にしても、相手の笑みは消えない。

「そうは仰いますが、カーワーさん。これでも私どもはかなり勉強しているのですよ?」
「どこがでしょうか?」

 精一杯の高値を提示していると言う相手に、テビックは疑問を呈した。
 しかし相手は質問には直接答えず、質問を返す。

「失礼ですが、カーワーさんは原皮をご自身で確認されていますか?」
「いえ、それは……」

 テビックは良くも悪くも嘘を吐けない。平気で嘘を吐けるようなら、今頃は大陸西部セントラルスではなく大陸東部のどこかの町で商売をしていたことだろう。嘘が吐けないから、それでいてしていて然るべきなことをしていないから、しどろもどろにもなる。
 ただ、この件に限っては、嘘を吐いたとしても効果が有ったとは考えられない。取引相手にはテビックが以前から原皮を確認していない確信が有るのだ。もしも確認しているようなら、以前と同じ価格の提示であっても椅子を蹴飛ばして立ち去ってもおかしくない。今も椅子に座っているのが確認していない証拠だ。
 テビックは自身の焦りによって、以前にも増して買い叩かれようとしている。そして不幸なことに、それに気付いていない。

「今までの荷は品質がバラバラの原皮が入り交じっていました。それでは困るのですよ。だから今回からその分の手間を見越した価格にさせていただいています」

 これは事実だ。テビックが運んだ原皮の品質はバラバラなのだ。これでは革鞣しの際、あるいは革製品を製造する際に仕分ける手間が余分に入ることになる。困ると言えば困るだろう。品質が揃った革に比べれば二割引くらいでちょうど良いくらいか。
 しかしこれは品質が揃えられる品物で、適正価格で取り引きされるならの話だ。魔物は個体差が大きいので、品質を揃えるのが不可能に近い。ばらつきも止む無しなのだ。そのため、魔物の原皮や革の取り引きでこの点持ち出すことこそ、本来ならナンセンスである。
 ところが原皮を確認したことの無いテビックには、このことに気付けない。

「しかし! それでは約束が違うではありませんか!」
「約束は品質が安定していてこそのものです。それが担保されずにどうして満額を支払えましょう?」

 殆ど詭弁だが、嘘は言っていない。含まれるのは、テビックの誤解を誘う意図だ。
 そしてテビックはこれにも気付けない。元々この原皮の転売には、馬車を空荷で移動させるよりも、多少なりとも収入が有った方がマシとの意識しか無い。全く身が入っていないのだ。身が入らない商談なものだから、頭の半分ではアトスのことばかり案じてもいる。これでまともな判断が下せるかは甚だ怪しい。

「ぐぬ……」

 テビックは呻いた。これを見た取引相手が笑みを絶やさず最後の一押しをする。相手にとっても賭だ。

「こちらも慈善事業をしているのではないのです。ご不満ならお引き取りいただいて結構です」
「……判りました。その値段で結構です」

 テビックは商談に敗北した。




 テビックが取引相手の事務所を辞し、事務所裏手の倉庫前で待つ馬車へと向かう。その口からは漏れるのは愚痴だ。

「クソッ! これでは仕入れも減らさねばならないではないか」

 テビックの愚痴は馬車と一緒に待っていたコビアの耳までは届いていない。しかしコビアにはテビックの澱んだ表情はしっかり見えていた。取り引きが芳しくなかったのが容易に察せられる。

「話は纏まったかい?」

 具体的なことまでは聞かない。運び人にとって関係するのは積み荷を下ろすかどうかだけだ。

「纏まりました。荷下ろしを始めてください」
「はいよ」

 取り引きが纏まっていながら浮かべるテビックの暗い表情が、以前より悪い条件の取り引きだったことを物語る。答えるコビアの声には少し切なさが混じっていた。
 テビックの行う原皮の転売が不調では、テビックだけでなくセントラルスの冒険者仲間の収入も減らすことになる。これではテビックの商売を支援する意味も薄くなる。
 そう、コビアがテビックの依頼を請けているのは、支援に他ならないのである。

「私は仕入れの商談に向かいますので、ここのことはお任せします」
「確認はしないのかい?」

 原皮の取り引きには金額以外に何も関心を示していないテビックの様子に、老婆心を出したコビアは尋ねた。
 しかし一蹴される。

「そんな暇は有りません」
「はいよ」

 コビアの答えには更に切なさが籠もった。




 テビックの仕入れは滞りなく済んだ。可もなく不可もない。本業と自負する革や革製品を見るテビックの目は確かで曇りも無く、原皮のような手抜きをしていない。現物を見ての取り引きならそうそう失敗しないのだ。
 しかしこの、損をしていなくても得もしていないと言うことは、原皮の取り引きでの見込み違いの穴埋めができなかったと言うことでもある。ただでさえアトスのことを気に病んでいたところに重なった見込み違いだったのだ。テビックの精神は病み気味になっている。
 だからと言うことでもないだろうが、コビアとテランを前に、テビックが道理の通らない主張をした。

「依頼の報酬からオーボさんの取り分をさっ引く? ただでさえ安く請け負っておるのに、そこからまた引くとはどんな了見かい?」

 さしものコビアも眼光鋭く、低い声で問い質した。
 それに気圧されるように僅かに仰け反るテビックだが、主張を取り下げる気配は無い。

「全く働いていない人に報酬など支払えません」
「あんたには見えておらんのか……」

 この旅の途中で魔物に遭遇した時、その魔物をいち早く発見したのはオーボなのだ。コビアからしてみれば、この点だけでも十分に価値が有る。
 しかしそれも、二十日近く前のことだからか、単に戦いを傍観していただけだからか、テビックの記憶には無いらしい。

「何をですか?」
「まあそれはいい。それより報酬に関してはセントラルス出発前に話して、カーワーさんも了承した筈ではなかったかい?」

 コビアはオーボの役割を取り沙汰すれば具体的な内容を語らなければならなくなりそうなので止し、契約論で追及する。契約では、コビアが幹事となって冒険者の確保と取り纏めをすることになっている。つまり、テビックと契約しているのはコビア一人だけなのだ。オーボが加わったことで契約が全うされないならともかく、契約が問題無く遂行中である今、テビックが口を挟む余地は無い。
 ところがテビックはここに来て、余地の無い所に口を挟んで引っ繰り返そうとしているのだ。
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