召喚するのは俺、召喚されるのも俺

浜柔

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第二章 秋

第一一話 温泉

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「頼もう!」

 入り口を入った所でホーリーは叫んだ。
 ドヤ顔だ。
 どうしてドヤ顔なのかは計り知れない。

 別にどんな顔をしていても良いのだが、右手の壁際に「御用の方はこの紐をお引きください」と書かれていて紐が垂れている。
 ホーリーは一度来ている筈なのに紐の存在を知らないのだろうか。

 そして案の定、待てど暮らせど誰も出て来ない。

 さてどうしたものか。

 こそこそとホーリーの視界に入らないように動いて紐を引く。

 チリンチリンと涼やかな音が小さく聞こえた。
 直ぐ上からだ。
 上を見れば、小さな鐘が紐に繋がっている。
 恐らく呼び鈴が鳴ったことを紐を引いた人に知らせるためのものだろう。
 本来の呼び鈴は遠くに有るに違いない。

 振り返ると、ホーリーが口を菱形にして驚いていた。
 その視線は紐に注がれている。
 やはり紐の存在を知らなかったらしい。

 どうしてだろうかと、ぼんやりホーリーの顔を見ていれば、俺の視線に気付いたらしいホーリーが「前に来た時は近くに女将が居たのだ」と顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
 焦る姿が可愛いらしい。

「いらっしゃいませー」

 声がしたのはホーリーがそっぽを向いたのとほぼ同時だ。
 見れば、エプロン姿の少女がパタパタと駆けて来る。
 一〇歳くらいでつぶらな瞳。
 濃紺でポニーテールの後ろ髪が揺れている。

「女将、此度こたびは世話になる」

「女将!?」

 ホーリーの突拍子もない言葉に変な声が出た。
 女の子が女将はないだろうと。

「はい。
 メーアが当宿の女将なのです」

 しかしながら真実らしい。
 一人称に名前を使うような女の子が女将だと言うのだ。

 暫し呆然とする間にも「お部屋にご案内なのです」とメーアが先導してホーリーがそれに続く。
 俺は慌てて追い掛けた。




 温泉宿は二〇部屋ほど有るようだが、他の客が見当たらない。

「夏場の早い時間なので、今いらっしゃるお客さんはお客さん方お二人だけなのですよ」

 疑問を口に出す前に答えが貰えた。

「夏場は客の入りが悪い?」

「なのです。
 暑い最中さなかに温かい温泉を浴びるお客さんは少ないのですよ」

 尤もだ。

「ですが、折角のお越しなのですから、是非温泉を楽しんで欲しいのですよ。
 今なら貸し切りみたいなものなのです」

 それは堪能せざるを得ない。

 そんなこんなの話をしている内に部屋に着いた。




 俺とホーリーは部屋は同じ部屋に通された。
 あれっと思いながらも、部屋の説明を聞いたら納得した。

 部屋に入って直ぐの場所は居間で、貴族用にも使える寝室二つと付き人用の寝室一つが小部屋として付随している。
 だから俺とホーリーが二人が並んで眠るようなことにはならない。
 寝室を分ければ良いのだ。

 それにしても広い。
 貴族が泊まるような部屋なら当然なのかも知れないが、居間だけでも俺の自宅の一階と二階を足したくらいの床面積が有る。
 貴族用の寝室は俺の自室の三倍は有る。
 付き人用の寝室で俺の自室くらいだ。

「お食事の用意が調いましたら食堂にご案内なのです」

 そう言い残してメーアは退出した。

 部屋の広さに俺が半ば呆然としつつ生返事でメーアを見送る横で、ホーリーはケロッとしている。

「広くはないが、宿としては十分なのだ」

「え?」

 ちょっと待ってくれと、声に出そうとして出なかった。
 これで「広くない」なら俺の家はどうなのかと。

「俺の家は比べものにならないくらいに狭いんだが……」

 一瞬だけきょとんとしたホーリーが不敵に笑う。

 むむっ、こんな表情でも可愛いから困る。

「秘密基地みたいで楽しいのだ」

 おい……。

「それに、ペッテの手料理を食べられるなら狭いくらいは大したことではないのだ」

 ……一晩で目的が変わっておられる。
 俺との契約はどこへ?

 考えると切なくなりそうなので止めた。

「それはともかく、温泉とやらに行ってみないか?」

 俺は荷物を下ろしつつ提案した。
 未経験の温泉には割りと期待している。
 近くに住んでいようと、生活に必須でなければ足を運んだりしないものなのだ。

「うむ。
 そうしようではないか」

 ホーリーも良い笑顔で同意した。




 大浴場は男女で分かれている。
 その男性用の脱衣所だけでも泊まる部屋の倍ほどの広さだ。
 しかし、一〇組程度が別々にくつろげるようにソファーやテーブルが配置されているため、広さはそれほど感じない。

 それでも場違い感が酷くて落ち着かない。
 貧乏性だからふかふかなソファーにも座りにくい。

 入浴の手引きが置かれていたので熟読し、読み終わったらそそくさと服を脱いで浴室へ行く。
 脱衣所の棚に備えられていた桶、手拭い、石鹸のセットを手にするのを忘れずに。

 浴室の広さは脱衣所の更に倍。
 洗い場が半分、湯船が半分と言った塩梅で、湯船は幾つかに分かれている。
 その理由は後で確かめるとして、まずは手引きの通りに身体からだを洗おう。

 洗い場の壁際には水が流れ落ちている場所が幾つも有る。
 触ってみれば、お湯だ。
 それを桶に汲んで使うらしい。

 用意されていた手拭いも上等な布で、俺がいつも使っているボロ布とは肌触りが全然違う。
 石鹸の泡立ちもすこぶる良く、日頃使っているのが石鹸もどきに思えるほどだ。

 その手拭いと石鹸で一度ならず、二度三度と隅々まで身体を洗う。
 使い残しの石鹸は返却するよう手引きに書かれていたので、この機会を逃せないのだ。

 そうして洗い終わった後、不思議と身体が軽く感じた。

 湯船の広さも信じられない。
 小さい湯船でさえ、俺の自室ほどもある。
 最も大きい湯船になると、更にその何倍もの大きさなのだ。
 どれほどお湯を贅沢に使っているのだろうか。

 ともあれ、一つ一つ湯船を確かめる。
 最も大きい湯船は中くらいの温度のお湯で、小さい湯船は熱めのお湯、ぬるめのお湯、温めのお湯に加えて浅めの湯船と言った具合に微妙に違いが有る。
 浅めの湯船は子供用だろう。

 随分、至れり尽くせりだ。
 よくぞここまでのものを作ったものだが、どうやって作ったかに至っては想像もできない。

 疑問は尽きないが、今は湯船に浸かるのが先決だろう。
 どうせだから最も大きな湯船に挑む。

 足を差し入れると、ちょっと熱く感じた。
 それでも我慢できないようなものではないので、ゆっくりと入り、ゆっくりと腰を下ろす。

「ふああぁ」

 自分の口から出た変な声に驚いて辺りを見回した。

 誰も居ない。
 そう聞いていたから当たり前なのだけど、安心した。
 変な声を誰にも聞かれずに済んだのだ。
 換気口らしき穴が有るだけで窓が無いので誰かに見られたりもしていない。
 問題無しだ。

 窓が無いことを一瞬疑問に思ったが、有ったとしてもダンジョンの壁が見えるだけだから意味が無いと納得した。
 浴室は広々としているので圧迫感も無い。

 その広さに最初は戸惑ったものの、泳げそうなほどに広い湯船にこうして独りで浸かっていると、何だか気が大きくなる。
 泳ぎはしないまでも、潜ってみたり、指先で支えて身体からだを浮かしたり、そのまま我が息子だけ水面から出してみたり。

 いや、何となく。

 そしてもう暫く湯船を楽しんだところで少し気怠さを感じたので、湯から上がることにした。

 絞った手拭いで身体に付いた水滴を拭ってから浴室を出る。
 すると、どこかひんやりと感じる脱衣所の空気に「ほぅ」と息が漏れた。

 用意されていたローブを羽織って暫しくつろぐ。
 着替えるのは火照った身体が冷めて汗が引いてからだ。

 脱衣所の一角に飲み物が用意されていると手引きに書かれていたのを思いだし、そこへ行く。
 一人一本だけ無料だと言う。
 行った先に置かれていた四角い箱の蓋を開けると、氷水に浸された瓶詰めのミルクが入っていた。
 何のミルクかまでは判らない。
 多分、飲んでも判らない。
 飲んだことが無いんだもん。

 ……「だもん」は無いな……。

 折角だから一本頂戴する。
 手にする瓶はすこぶる冷たい。
 初めての経験に、知らず胸も踊れば顔もニヤける。
 瓶に付いた滴を拭ってコルクの栓を抜く。

 まずは一口。

 ゆっくりと味わうと、少し癖を感じるものの結構美味い。
 だが、ちびちびと飲むものではないような気がした。

 何となく左手を腰に当て、右手に瓶を持って一気にあおる。

「ぷはぁっ」

 冷たいのど越しが何とも言えず、自然と声が出た。

「いい飲みっぷりだな」

 突然の声にビクッとした。
 恐る恐る振り返ると、良い笑顔の猟師らしき中年男が立っている。

「あ、あの……」

「おう、すまねぇ。
 兄ちゃんの惚れ惚れするようなミルクの飲みっぷりに思わず声を掛けちまったぜ」

「ミルクですか?」

「おう。
 温泉上がりのミルクはやっぱり腰に手を当ててこう一気にだよな」

 男は俺がミルクを飲んだのと同じ身振りをした。

「はあ……」

 訳が判らずに生返事をしたら、男が怪訝そうな顔をした。

「知らねぇのか?」

「はあ……」

「飲みっぷりが堂に入ってたからてっきり俺と同類だと思ったんだが、違ったのか」

 意味が判らず首を傾げる俺に男が言葉を繋ぐ。

「いやな、もう何度もこの温泉に通ってる口なんじゃないかってな」

「いえ、初めてです」

「おっと、こりゃ悪かったな。
 初めてだったら何の気なしにやっちまうことがどれだかまだ判らねぇな」

 男はぺしんと自分の額を叩いた。

「なあ、湯船に浸かった時『ふああぁ』なんて言っちまったろ?」

 男のにやけながらの問いにびっくりした。
 まさか見ていたのだろうか。

「その顔はやっぱりな。
 いやぁ、声が出ちまうもんなんだよな」

 男が納得したように腕を組んで何度も頷いた。
 どうやら見られた訳ではないようで、少し安堵した。

 それに声を掛けられてから少し時間が経ったことで動転していた心も落ち着いてきた。
 すると素朴な疑問も起きる。

「この宿に何度も泊まってるなんて凄いですね」

「俺か?」

 男が小首を傾げる。

「いや、俺は温泉に入りに来ただけだ」

 温泉だけとはどう言うことだろうと今度は俺の方が小首を傾げると、男が不敵に笑った。

「知らなかったのか? この宿は夏場だけだが温泉に入るだけの客も入れてくれるんだ。
 それでも安くはないし、早い時間だけなんだが、年に一度の贅沢と思えば出せない金額じゃないのさ」

 ほうほうと俺が感心していると、男がハッとしたように目を見開いた。

「いけねぇ、いけねぇ、長話していたら温泉を楽しむ時間が無くなっちまう。
 それじゃ、兄ちゃんも温泉を楽しみな」

 そう言うなり、男は手早く服を脱いで浴室へと入って行った。

 そして話している間にすっかり身体が冷えて汗も引いていた俺は着替えを済ませて部屋へと戻った。
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