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第三章 冬
第二一話 地団駄
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剣を構え、ゆっくりと振りかぶる。
ゆっくりゆっくり腕の位置や向きを確かめながら振り下ろす。
蠅が停まりそうなほどにゆっくり動かすと、途中で腕が小さく震える。
一瞬だけでもそれに意識を持って行かれれば、どこに向けて腕を動かそうとしているかも判らなくなり、もう動かせない。
力を抜いてそのまま振り下ろした。
今まで如何に勢いで振っていたかを痛感するばかりだ。
「見た目からは想像できないほど難しいな」
「うむ。
吾輩も始めの頃は腕がプルプル震えたものなのだ」
そう言ってホーリーが剣を振りかぶって静止する。
いや、一見静止しているように見えるだけでゆっくりと動いているのだ。
俺と違って腕にも胴にも脚にも一切ぶれが無い。
少なくとも同じことができなければホーリーと肩を並べて戦うのは無理だろう。
先が長い。
そう、俺はホーリーが父親から学んだと言う剣術の手解きを受けているのである。
ホーリーとペッテはエリクサーが無いと判った後も俺の家で暮らしている。
あの日の帰り道に言っていた「エリクサーが出来るのを待つ」が理由だ。
ペッテも反対せず、「左様でございますか」とあっさり了承した。
合理的に考えるなら、エリクサーが出来上がってから改めてこの町に来れば良いだけのことで、ホーリーの言い分は全く理由になっていないのだが、俺に文句が有ろう筈もない。
ホーリーと過ごす日々は楽しく、ペッテの料理は美味いのだ。
俺の今後の報酬については、ダンジョンの探索を止めたこともあって遠慮した。
ホーリーから剣術の手解きを受けるのと、ペッテの料理を提供して貰うのが家賃代わりである。
探索をしなくなって空いた時間は鍛練に費やしている。
ホーリーも一緒、であって一緒でない。
体力作りからもう俺がホーリーに付いて行けないので、多くの時間を別行動している。
身体が少し鈍っていたのはホーリーも同じで、研ぎ直すには俺に付き合ってばかりもいられないのである。
それでも効果的な身体の鍛え方を毎日少しずつ教えて貰っている。
一度に教えられても憶えきれないので少しずつなのだ。
腹、腰、背中、太股など、特定の部分を集中的に鍛える方法も有れば、ほぼ全身を満遍なく鍛える方法も有る。
このことで、今まで自分が如何に非効率なことをしていたかも知った。
殆ど我流で鍛えていたため、身体の動かし方が判っていなかったのだ。
闇雲に動かしていては楽なようにしか動かさず、鍛えられるものも鍛えられないと言うことだ。
身体の動かし方の違い一つで、同じだけ鍛えるのに半分以下の時間で済むのだから、ホーリーとの差は数年分にもなっているだろう。
それもホーリーが行ってきた鍛練の強度でだ。
実質はもっと長いに違いない。
どうにも先は長いのだった。
◆
ココココン、ココココン。
ココココン、ココココン。
探索を止めてから二〇日ばかりが経った朝霜が降りた日の朝食後、忙しなくノッカーが打ち鳴らされる音が響いた。
訪問者だ。
ペッテが後片付けの最中なので俺が応対する。
そもそも俺の家だし、俺に用事で来ている筈なので俺が出るべきだろう。
訪ねて来るのは決まってドグ夫妻のどちらで、殆どはドグの奥さんであるヘレンだ。
しかし、いつもならもっと上品にノックする。
ドグならもっとゆっくり叩く。
だから訪問者は違う人に違いない。
そんな思考を巡らせつつ、終わりを告げた寛ぎの時間を惜しみつつ、戸口へと向かう。
ドンドンドン。
ドンドンドン。
今度はドアを叩き出した。
せっかちな。
内心で悪態を吐きながら少し足を速める。
「どなた様?」
問い掛けながら扉を開けた先にはどこかで見たような軽鎧を纏った厳ついおっさんが立っていた。
面識は一切無い。
「遅い! 門番が何をもたもたしておるか! 合図をしたら即開けよ!」
あまりの怒声に一瞬首を竦めた。
しかし直ぐにあまりの理不尽さに腹が立つ。
誰が門番だ。
ここが門番の居るような屋敷に見えるのか、このおっさんは。
それにノッカーが鳴らされて直ぐに動いたにも拘わらず、この言われよう。
不満も顔に出ようと言うものである。
「貴様! 職務を真っ当せずしてその反抗的な面は何だ! 不届き者めが!」
不届き者はお前だろ、と言いたいのを呑み込んだ。
どこかで見たような鎧はホーリーの胸甲に似ているのだ。
相手は貴族かも知れず、下手なことを口にしては処刑される虞さえ有る。
ホーリーに身分を笠に着るような部分が全く無かったために忘れていたが、噂に聞く貴族や騎士とはこんな感じなのだ。
特に騎士が酷く、飲食店で散々飲み食いした挙げ句に難癖を付けて代金を踏み倒すなんて話ばかりが耳に入る。
疾うの昔に廃業した雑貨店に来て何がしたいのやらだ。
「これ」
少女らしい声が聞こえた。
そちらを見やると、おっさんに隠されるようにして、この町には似つかわしくない豪奢なドレスを纏った銀髪の少女が立っていた。
折り畳んだ扇を持っているところも町から浮いている。
「どこを見ている!」
おっさんには少女の声が聞こえなかったらしい。
「止さぬか」
「即刻この家の主を連れて来い!」
おっさんはやはり聞いてない。
「止せと言うておるに!」
少女がおっさんの腰の付近を扇で幾度となく叩くが、おっさんはそれさえ気付かない様子だ。
鎧や分厚くて感覚が鈍っているのだろう筋肉に阻まれていると思われる。
「聞こえなかったか! 即刻この家の主を連れて来い!」
俺が家主なのだから連れて来るも何もないのだが、こんな相手に名乗るのは躊躇われる。
だからこのまま扉を閉めて無視したいところだが、それはそれでどうやらおっさんを止めようとしてくれている少女には悪い気がする。
「その女の子が呼んでいるようですよ?」
俺は少女を指し示しておっさんに言った。
途端、おっさんは慌てて振り向くが、また直ぐ俺へと振り返る。
「貴様! 臣下の礼を取らぬか!」
何だ? それは。
庶民なんだから見たことも聞いたことも無い。
知らないことを「やれ」と言われて「はいそうですか」とできれば苦労しない。
少女はと言えば、扇を握り締めた手をぷるぷると震わせている。
あれはどう見てもおっさんが少女を無視しているからだ。
ところがおっさんは俺にご執心である。
「この方がどなたか見て判らぬか!」
初めて会った相手が判って堪るか。
「頭が高い!」
遂には俺の頭を掴んで引き倒そうとする。
「な……」
「疾くと下げよ!」
抵抗を試みるが、おっさんの力が強くて振り払おうにも振り払えない。
じわじわと頭を押し下げられる。
横目に見えるのは騒ぎを聞きつけたらしく遠巻きに見守る野次馬だ。
どうして人前で地べたに頭を押し付けられそうになっているのか。
理不尽だ。
そしていよいよ脚の力だけでは支えきれそうになくなった時、突然押さえ付ける力が消えた。
跳ね退くようにその場から逃れ、大きく息を吐く。
何が起きたかとおっさんを見れば、頭をすっぽりと覆うように張り付いた水を取り払おうと藻掻いている。
そして俺が体勢を整えたのを見計らったかのように、おっさんの全身が水に覆わた。
そのまま噴き上げる水に乗せられて宙を舞い、地面に背中から叩き付けられた。
水はそのまま流れて行く。
「頭の悪そうな怒鳴り声を耳にして参ったのでございますが、愚か者が愚かな行いをしていらしたようでございますね」
おっさんが今し方のダメージが抜けきれないまま上体を起こそうとする。
「げへっ、ごほっ、す、水妖め、平民の分際で騎士たるこの俺にこのような真似をしてタダで済むと思うな」
「全く反省なさらないようでございますね」
ペッテが冷たく言い放った瞬間、またおっさんが水に噴き上げられて宙を舞う。
再び背中から叩き付けられたおっさんは、今度こそ気絶した。
強い。
ペッテが強すぎる。
不意を突いたようなものだったにせよ、騎士を名乗るおっさんが手も足も出ないのだから大概だ。
探索の時のことを思い返せば今の魔法は小手先程度でしかないのだから、その強さは底知れない。
加えて、何やらおっさんが「水妖」なんて言ってたのはペッテの二つ名だろうか。
それでもホーリーに勝るように思えないのは、ホーリーも大概でたらめだからだろう。
「さて、もう一お方お仕置きが必要でございましょう」
不穏なことを口にしつつペッテが少女の方に向き直る。
「な、何じゃ?」
動揺を隠せない少女の方へとペッテが魔法を放つ。
「ちょっと、待っ……」
少女は一応、おっさんを止めようとしてくれたのだからとペッテを止めようとした。
ところが、水が噴き上がったのが少女の横だったために俺は二の句を失った。
「ひゃあっ!」
「え?」
俺の混乱に追い打ちを掛けるように水が飛んだ先から悲鳴が聞こえた。
「いったーい!」
どしんと尻餅を搗くように落ちたのは軽鎧を纏った女性であった。
びしょ濡れである。
「ペッテさん、酷いですぅ。
わたしが何をしたって言うんですかぁ!」
「何にもしなかったからでございます。
あの愚か者をウルスラ様、貴女が止めなくてどういたしますか?」
「そんなぁ、わたしがガンツさんを止められる訳ないじゃないですかぁ」
女の子座りをしたまま間延びした喋り方をしてペッテに抗議するウルスラと言う女性。
居たっけ?
思い返しても記憶に無い。
何故だ。
「ペッテ、その人っていつから居たの?」
「ずっとそちらの方の横にいらっしゃいました」
そう言ってペッテは女の子を指し示す。
「女の子? の横?」
再度思い出そうとするが、やっぱり記憶に無い。
「全然気付かなかったんだけど……」
「ああ、それはでございますね。
ウルスラ様は影が薄いことで有名なお方で、更に認識阻害の魔法を得意としていらっしゃるからでございます」
その存在の薄さに慣れていなければ魔法を使っていなくても気付けないことも多い上、先は俺に方に向けて魔法も使っていたらしい。
特定の誰かに掛けるものではなく、特定の方角から視認できなくなるものらしい。
それなら同じ戸口から出て来たペッテも気付かなそうなのだが、慣れれば違和感で判るらしい。
本当に慣れの問題なのだろうか。
俺が暫し考え込んでいる間に、ペッテは野次馬を見回しつつ手の平の上で水玉を跳ねさせて牽制する。
すると、ガンツやウルスラを手玉に取る様子を見ていた野次馬達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「さて、殿下」
「な、何じゃ!?」
ペッテに話し掛けられた女の子の動揺は更に高まっている様子。
でも、待てよ?
「ペッテ。
殿下って、もしかしてホーリーが言ってた……、えーと……、確か……ナイチャビービー殿下?」
「違うわ、痴れ者!」
「おっ!」
今までの動揺が何だったのかと思える剣幕に、ピクッとしてしまった。
「少々惜しいところでございました。
この方はナイチチビッチ殿下でござ……」
言い終わる前にパコッと音がして、ペッテが頭に手を添えた。
「何をご無体な」
「何が『無体』じゃ! お主の方こそ失敬であろうが! 人の名をわざと間違えおって、意味は解らんが酷く失礼に聞こえたのじゃ!」
「左様でございますか」
キーキーと甲高い声で抗議されてもペッテはどこ吹く風である。
「ペッテ! お主は妾を誰だと思うておるのじゃ!?」
「でございますから、ナイチチビッチ殿下と……」
「違うわ、馬鹿者! ナイチアビーナじゃ!」
ペッテが口を窄めて左手の平を右拳でポンと叩く。
「何じゃ! その『今知りました』みたいな態度は!?」
「左様でございますか」
ナイチアビーナが地団駄を踏むが、ペッテはやはりどこ吹く風だ。
いや、口角が小さく上がっているところを見ると楽しんでいる。
腹黒ペッテであった。
「それはそれとしてでございますが、殿下は何故ここにいらっしゃるのでしょうか?」
一頻り楽しんだ後はするっと流してしまうペッテである。
ナイチアビーナも呆気に取られた様だったが、気を取り直したように言う。
「お主が妾の使いを追い返したからであろうが!」
ビシッと扇でペッテを指してナイチアビーナは叫んだ。
俺とホーリーがダンジョンに通っている間にそんなことが有ったのか……。
「左様でございますか」
ペッテは軽く答えてから右手を頬に当てて小首を傾げ、わざとらしく溜め息を吐いた。
「そもそもいつまでも帰って来ぬとはどう言う了見じゃ!」
「殿下がお命じになられたエリクサーの入手ができていないからでございます」
「馬鹿者ーっ! そんなものは冗談に決まっておるだろうが!」
「冗談でございますか?」
「当たり前じゃ! それをあの粗忽者が種明かしする前に飛び出しおって……」
ナイチアビーナは「ぐぬぬ」と奥歯を噛み締めて唸った。
「それはご無念でございました」
「『無念』で済ますでないわ!」
「あのぅ……」
「何じゃ? お主は?」
話が進まなそうだからと、ペッテが気安く話し掛けていることもあってつい話し掛けてしまったのだが、先の名前の憶え違いに立腹してかナイチアビーナがジロッと睨んでくる。
どこから湧き出すのか、奇妙なまでの威圧を感じ、何を尋ねようとしたのか頭から飛んで言葉が続かなくなってしまった。
ゆっくりゆっくり腕の位置や向きを確かめながら振り下ろす。
蠅が停まりそうなほどにゆっくり動かすと、途中で腕が小さく震える。
一瞬だけでもそれに意識を持って行かれれば、どこに向けて腕を動かそうとしているかも判らなくなり、もう動かせない。
力を抜いてそのまま振り下ろした。
今まで如何に勢いで振っていたかを痛感するばかりだ。
「見た目からは想像できないほど難しいな」
「うむ。
吾輩も始めの頃は腕がプルプル震えたものなのだ」
そう言ってホーリーが剣を振りかぶって静止する。
いや、一見静止しているように見えるだけでゆっくりと動いているのだ。
俺と違って腕にも胴にも脚にも一切ぶれが無い。
少なくとも同じことができなければホーリーと肩を並べて戦うのは無理だろう。
先が長い。
そう、俺はホーリーが父親から学んだと言う剣術の手解きを受けているのである。
ホーリーとペッテはエリクサーが無いと判った後も俺の家で暮らしている。
あの日の帰り道に言っていた「エリクサーが出来るのを待つ」が理由だ。
ペッテも反対せず、「左様でございますか」とあっさり了承した。
合理的に考えるなら、エリクサーが出来上がってから改めてこの町に来れば良いだけのことで、ホーリーの言い分は全く理由になっていないのだが、俺に文句が有ろう筈もない。
ホーリーと過ごす日々は楽しく、ペッテの料理は美味いのだ。
俺の今後の報酬については、ダンジョンの探索を止めたこともあって遠慮した。
ホーリーから剣術の手解きを受けるのと、ペッテの料理を提供して貰うのが家賃代わりである。
探索をしなくなって空いた時間は鍛練に費やしている。
ホーリーも一緒、であって一緒でない。
体力作りからもう俺がホーリーに付いて行けないので、多くの時間を別行動している。
身体が少し鈍っていたのはホーリーも同じで、研ぎ直すには俺に付き合ってばかりもいられないのである。
それでも効果的な身体の鍛え方を毎日少しずつ教えて貰っている。
一度に教えられても憶えきれないので少しずつなのだ。
腹、腰、背中、太股など、特定の部分を集中的に鍛える方法も有れば、ほぼ全身を満遍なく鍛える方法も有る。
このことで、今まで自分が如何に非効率なことをしていたかも知った。
殆ど我流で鍛えていたため、身体の動かし方が判っていなかったのだ。
闇雲に動かしていては楽なようにしか動かさず、鍛えられるものも鍛えられないと言うことだ。
身体の動かし方の違い一つで、同じだけ鍛えるのに半分以下の時間で済むのだから、ホーリーとの差は数年分にもなっているだろう。
それもホーリーが行ってきた鍛練の強度でだ。
実質はもっと長いに違いない。
どうにも先は長いのだった。
◆
ココココン、ココココン。
ココココン、ココココン。
探索を止めてから二〇日ばかりが経った朝霜が降りた日の朝食後、忙しなくノッカーが打ち鳴らされる音が響いた。
訪問者だ。
ペッテが後片付けの最中なので俺が応対する。
そもそも俺の家だし、俺に用事で来ている筈なので俺が出るべきだろう。
訪ねて来るのは決まってドグ夫妻のどちらで、殆どはドグの奥さんであるヘレンだ。
しかし、いつもならもっと上品にノックする。
ドグならもっとゆっくり叩く。
だから訪問者は違う人に違いない。
そんな思考を巡らせつつ、終わりを告げた寛ぎの時間を惜しみつつ、戸口へと向かう。
ドンドンドン。
ドンドンドン。
今度はドアを叩き出した。
せっかちな。
内心で悪態を吐きながら少し足を速める。
「どなた様?」
問い掛けながら扉を開けた先にはどこかで見たような軽鎧を纏った厳ついおっさんが立っていた。
面識は一切無い。
「遅い! 門番が何をもたもたしておるか! 合図をしたら即開けよ!」
あまりの怒声に一瞬首を竦めた。
しかし直ぐにあまりの理不尽さに腹が立つ。
誰が門番だ。
ここが門番の居るような屋敷に見えるのか、このおっさんは。
それにノッカーが鳴らされて直ぐに動いたにも拘わらず、この言われよう。
不満も顔に出ようと言うものである。
「貴様! 職務を真っ当せずしてその反抗的な面は何だ! 不届き者めが!」
不届き者はお前だろ、と言いたいのを呑み込んだ。
どこかで見たような鎧はホーリーの胸甲に似ているのだ。
相手は貴族かも知れず、下手なことを口にしては処刑される虞さえ有る。
ホーリーに身分を笠に着るような部分が全く無かったために忘れていたが、噂に聞く貴族や騎士とはこんな感じなのだ。
特に騎士が酷く、飲食店で散々飲み食いした挙げ句に難癖を付けて代金を踏み倒すなんて話ばかりが耳に入る。
疾うの昔に廃業した雑貨店に来て何がしたいのやらだ。
「これ」
少女らしい声が聞こえた。
そちらを見やると、おっさんに隠されるようにして、この町には似つかわしくない豪奢なドレスを纏った銀髪の少女が立っていた。
折り畳んだ扇を持っているところも町から浮いている。
「どこを見ている!」
おっさんには少女の声が聞こえなかったらしい。
「止さぬか」
「即刻この家の主を連れて来い!」
おっさんはやはり聞いてない。
「止せと言うておるに!」
少女がおっさんの腰の付近を扇で幾度となく叩くが、おっさんはそれさえ気付かない様子だ。
鎧や分厚くて感覚が鈍っているのだろう筋肉に阻まれていると思われる。
「聞こえなかったか! 即刻この家の主を連れて来い!」
俺が家主なのだから連れて来るも何もないのだが、こんな相手に名乗るのは躊躇われる。
だからこのまま扉を閉めて無視したいところだが、それはそれでどうやらおっさんを止めようとしてくれている少女には悪い気がする。
「その女の子が呼んでいるようですよ?」
俺は少女を指し示しておっさんに言った。
途端、おっさんは慌てて振り向くが、また直ぐ俺へと振り返る。
「貴様! 臣下の礼を取らぬか!」
何だ? それは。
庶民なんだから見たことも聞いたことも無い。
知らないことを「やれ」と言われて「はいそうですか」とできれば苦労しない。
少女はと言えば、扇を握り締めた手をぷるぷると震わせている。
あれはどう見てもおっさんが少女を無視しているからだ。
ところがおっさんは俺にご執心である。
「この方がどなたか見て判らぬか!」
初めて会った相手が判って堪るか。
「頭が高い!」
遂には俺の頭を掴んで引き倒そうとする。
「な……」
「疾くと下げよ!」
抵抗を試みるが、おっさんの力が強くて振り払おうにも振り払えない。
じわじわと頭を押し下げられる。
横目に見えるのは騒ぎを聞きつけたらしく遠巻きに見守る野次馬だ。
どうして人前で地べたに頭を押し付けられそうになっているのか。
理不尽だ。
そしていよいよ脚の力だけでは支えきれそうになくなった時、突然押さえ付ける力が消えた。
跳ね退くようにその場から逃れ、大きく息を吐く。
何が起きたかとおっさんを見れば、頭をすっぽりと覆うように張り付いた水を取り払おうと藻掻いている。
そして俺が体勢を整えたのを見計らったかのように、おっさんの全身が水に覆わた。
そのまま噴き上げる水に乗せられて宙を舞い、地面に背中から叩き付けられた。
水はそのまま流れて行く。
「頭の悪そうな怒鳴り声を耳にして参ったのでございますが、愚か者が愚かな行いをしていらしたようでございますね」
おっさんが今し方のダメージが抜けきれないまま上体を起こそうとする。
「げへっ、ごほっ、す、水妖め、平民の分際で騎士たるこの俺にこのような真似をしてタダで済むと思うな」
「全く反省なさらないようでございますね」
ペッテが冷たく言い放った瞬間、またおっさんが水に噴き上げられて宙を舞う。
再び背中から叩き付けられたおっさんは、今度こそ気絶した。
強い。
ペッテが強すぎる。
不意を突いたようなものだったにせよ、騎士を名乗るおっさんが手も足も出ないのだから大概だ。
探索の時のことを思い返せば今の魔法は小手先程度でしかないのだから、その強さは底知れない。
加えて、何やらおっさんが「水妖」なんて言ってたのはペッテの二つ名だろうか。
それでもホーリーに勝るように思えないのは、ホーリーも大概でたらめだからだろう。
「さて、もう一お方お仕置きが必要でございましょう」
不穏なことを口にしつつペッテが少女の方に向き直る。
「な、何じゃ?」
動揺を隠せない少女の方へとペッテが魔法を放つ。
「ちょっと、待っ……」
少女は一応、おっさんを止めようとしてくれたのだからとペッテを止めようとした。
ところが、水が噴き上がったのが少女の横だったために俺は二の句を失った。
「ひゃあっ!」
「え?」
俺の混乱に追い打ちを掛けるように水が飛んだ先から悲鳴が聞こえた。
「いったーい!」
どしんと尻餅を搗くように落ちたのは軽鎧を纏った女性であった。
びしょ濡れである。
「ペッテさん、酷いですぅ。
わたしが何をしたって言うんですかぁ!」
「何にもしなかったからでございます。
あの愚か者をウルスラ様、貴女が止めなくてどういたしますか?」
「そんなぁ、わたしがガンツさんを止められる訳ないじゃないですかぁ」
女の子座りをしたまま間延びした喋り方をしてペッテに抗議するウルスラと言う女性。
居たっけ?
思い返しても記憶に無い。
何故だ。
「ペッテ、その人っていつから居たの?」
「ずっとそちらの方の横にいらっしゃいました」
そう言ってペッテは女の子を指し示す。
「女の子? の横?」
再度思い出そうとするが、やっぱり記憶に無い。
「全然気付かなかったんだけど……」
「ああ、それはでございますね。
ウルスラ様は影が薄いことで有名なお方で、更に認識阻害の魔法を得意としていらっしゃるからでございます」
その存在の薄さに慣れていなければ魔法を使っていなくても気付けないことも多い上、先は俺に方に向けて魔法も使っていたらしい。
特定の誰かに掛けるものではなく、特定の方角から視認できなくなるものらしい。
それなら同じ戸口から出て来たペッテも気付かなそうなのだが、慣れれば違和感で判るらしい。
本当に慣れの問題なのだろうか。
俺が暫し考え込んでいる間に、ペッテは野次馬を見回しつつ手の平の上で水玉を跳ねさせて牽制する。
すると、ガンツやウルスラを手玉に取る様子を見ていた野次馬達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「さて、殿下」
「な、何じゃ!?」
ペッテに話し掛けられた女の子の動揺は更に高まっている様子。
でも、待てよ?
「ペッテ。
殿下って、もしかしてホーリーが言ってた……、えーと……、確か……ナイチャビービー殿下?」
「違うわ、痴れ者!」
「おっ!」
今までの動揺が何だったのかと思える剣幕に、ピクッとしてしまった。
「少々惜しいところでございました。
この方はナイチチビッチ殿下でござ……」
言い終わる前にパコッと音がして、ペッテが頭に手を添えた。
「何をご無体な」
「何が『無体』じゃ! お主の方こそ失敬であろうが! 人の名をわざと間違えおって、意味は解らんが酷く失礼に聞こえたのじゃ!」
「左様でございますか」
キーキーと甲高い声で抗議されてもペッテはどこ吹く風である。
「ペッテ! お主は妾を誰だと思うておるのじゃ!?」
「でございますから、ナイチチビッチ殿下と……」
「違うわ、馬鹿者! ナイチアビーナじゃ!」
ペッテが口を窄めて左手の平を右拳でポンと叩く。
「何じゃ! その『今知りました』みたいな態度は!?」
「左様でございますか」
ナイチアビーナが地団駄を踏むが、ペッテはやはりどこ吹く風だ。
いや、口角が小さく上がっているところを見ると楽しんでいる。
腹黒ペッテであった。
「それはそれとしてでございますが、殿下は何故ここにいらっしゃるのでしょうか?」
一頻り楽しんだ後はするっと流してしまうペッテである。
ナイチアビーナも呆気に取られた様だったが、気を取り直したように言う。
「お主が妾の使いを追い返したからであろうが!」
ビシッと扇でペッテを指してナイチアビーナは叫んだ。
俺とホーリーがダンジョンに通っている間にそんなことが有ったのか……。
「左様でございますか」
ペッテは軽く答えてから右手を頬に当てて小首を傾げ、わざとらしく溜め息を吐いた。
「そもそもいつまでも帰って来ぬとはどう言う了見じゃ!」
「殿下がお命じになられたエリクサーの入手ができていないからでございます」
「馬鹿者ーっ! そんなものは冗談に決まっておるだろうが!」
「冗談でございますか?」
「当たり前じゃ! それをあの粗忽者が種明かしする前に飛び出しおって……」
ナイチアビーナは「ぐぬぬ」と奥歯を噛み締めて唸った。
「それはご無念でございました」
「『無念』で済ますでないわ!」
「あのぅ……」
「何じゃ? お主は?」
話が進まなそうだからと、ペッテが気安く話し掛けていることもあってつい話し掛けてしまったのだが、先の名前の憶え違いに立腹してかナイチアビーナがジロッと睨んでくる。
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ふとした事でスキルが発動。
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⭐︎注意⭐︎
女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
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ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
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転生貴族の移動領地~家族から見捨てられた三子の俺、万能な【スライド】スキルで最強領地とともに旅をする~
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