痛い瞳が好きな人

wannai

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 ピロリン、と控えめな着信音が鳴る。チャットアプリの着信を知らせるその音に、俺は勤務中なのも気にせず胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
 はす向かいに座る同僚の鈴生がちらとこっちを見たが、文句を言うでもなく視線を店内のテレビに戻す。
 平日の昼下がり、郊外の国道に面したガソリンスタンドは暇だった。フルサービスではなく、給油から会計まで完全セルフなので、午前中にオイル交換を二件受けた後は、本当に読んで字の如く、暇だ。
 雇われ店長の俺と、副店長の鈴生は、掃除も機材の点検も済ませ、時間を持て余して受付兼事務所兼休憩室でただただ監視モニターを眺めるばかり。
 特に用事もなく缶コーヒーを買いに来てはしゃべっていく爺さんも今日はおらず、口数の少ない同い年のオッサン──入社時からの同期なのに、何故か鈴生はやけにオッサンくさい──と二人きりで、時折テレビのコメンテーターに難癖つけていた。
 誰からのチャットが飛んできたのか、確認すると、マゾ友達のエミコからだった。

『書面にしてきたら最高だったのに(笑)』

 (笑)じゃねえよ。(笑)えないって、本人は。

『今日会ったご主人様に、初対面なのに奴隷契約しろって迫られた(´;ω;`)』

 と、昨晩家に帰り着いてM友達のグループチャットに書き込んで寝て、朝までに何人かから慰めの返信が来ていたが、悪ノリの好きなエミコは予想通りからかいの言葉を寄越してきた。
 それを皮切りに、遠慮していたらしい他の友人達からも慰めからいじりになったチャットが続く。

『書面、いいわね。プレイの内容全部書いて、一つでも間違ったら契約終了ね』
『それ私のご主人様に提案しようかな。最近マンネリなのよねー』
『むしろユギちゃんは、そういう相手の方がうまくいくかもよ?w』
『そうかも。誰でもいいユギちゃんとユギちゃんじゃなきゃダメなご主人様。なんか素敵』
『いいわ~』
『もちろん受けたのよね? ユギちゃん?』

 勝手な事ばかり言われるのも、むしろ心地良い。SM関連の事を話せるのは彼女達だけで、彼女達にとってもそうだ。笑って流して、さっさと次のご主人様にいきましょ、という優しさが見える。

『受ける訳ないだろ。男だったし』

 彼女達はSMバーなどで実際に会った事があるので、ユギが男なのは知っている。だからこそ、相手が男だといえば気持ち悪いとかあり得ないとか、否定の言葉が続いて話はこれで終わる。と、思ったのだが。

『え、男だったの?』
『やだ、私会ってみたいかも』
『私も見たい、奴隷契約男』
『錘に連れてきてよ。書面で持ってこいとか何とか言って』
『それ良いわ。久々に皆と飲みたいし』

 グループチャットに所属する5人の女が、それぞれ何故かカナメに会いたいと言い出したから、困った。
 どう返信しようか迷って、『やだ』とだけ書く。当然非難轟々だったが、そこで今度はメール着信に設定したポロロンというピアノの旋律が鳴った。
 開くまでもなく画面上部にポップアップが表示され、それが今笑いの種になっている、色男からのものだと知る。

『今夜2100、昨日のファミレス同じ席』

 倫子と同じ、待ち合わせの時間と場所だけの簡潔なメールに苛立った。

『行かない』

 速攻で返信し、勢いでスマホの電源をも落として胸ポケットに戻す。盛大にため息を吐いた俺を、鈴生はまた横目でチラと見るだけだった。
 ──昨夜、あれから。夢見るイケメンにどうにかして理想と現実の違いを教えようとしたが、結局理解は得られなかった。
 彼曰く、「主人と奴隷はプレイ以外の時間も主従関係。金も生活も全て面倒見てやるから、俺だけの奴隷になれ」。まさに愛人を囲うような言い様に、ブチ切れて帰ってきてしまった。
 連絡先も何も教えた覚えはないのだが、メールがきたという事は倫子が教えたのか。

「なんかあったん?」

 あからさまに不機嫌に眉間に皺寄せる俺に、鈴生が返答を期待しない口ぶりで目線も寄越さず呟く。付き合いの長い、友人と言って差し支えない同僚の鈴生は、俺が何かしら口外出来ない秘密を持っている事に気付きつつも聞いてこない良い奴だ。

「ん、別に。昨日ちょっと変な奴に絡まれてな。傷が痛くて寝れなくて、今、超眠い」

 ぼかしつつも、気遣ってくれる気持ちを無碍にするのも心苦しく、愚痴ってみせる。これもその時な、と頬に貼った大きめの絆創膏を指すと、申し訳なさそうに鈴生の眉尻が下がった。

「悪いな、休みだったのに」

 そう、本当なら今日明日は休みだった筈なのに、バイトの一人が急に熱が出たとかで欠勤し、他のアルバイト達も都合がつかずに結局俺が出勤するはめになった。
 ウレタンのヘタったパイプ椅子に座る尻が痛いが、立ち上がっても何もする事がない。仕方なく、事務机に肘をついて、普段家では見る事のない──むしろ、見ないから捨ててしまった──テレビを、ぼんやり眺める。
 CMに移って、上映中らしい映画の宣伝が始まった。可愛らしい女優が制服で走り回り、ゾンビを蹴散らし首都脱却を目指す。傍らには数人の友人と、途中で出会う謎の男──。目深に帽子を被る謎の男が画面に映った途端、口端が引き攣った。
 精悍な顔つきの、しかし甘さの残る爽やかな笑み。細められた瞳は企みを含み、ぞっとするような色気と存在感があった。

「なあ、鈴生、この映画って」
「ん? 俺、見てきたよ。彼女がこの小鳥遊メロってやつのファンだから」

 思わず鈴生に話しかけると、ピンポイントで聞きたい答えが返ってくる。

「たかなし……めろ?」

 変わった名前だな、と動揺を隠しつつも先を促す。見間違いでなければ、あれはカナメだった。あれだけ印象の強い瞳を見間違う訳がないが、まさか俳優とは……昨夜馬乗りになって張り手をかました事が、急に不安になってくる。

「父親がアナウンサーの白田 浩二で、母親がイギリスの元モデルだったかな。んで、お兄さんが俳優の白田 進の芸能一家。親の七光りって言われるのが嫌で芸名も白田姓使わないでずっとモデル一本でやってたらしいんだけど、所属してる事務所の新人女優売る為に客寄せとして映画出たら大ヒット。最近じゃバラエティに引っ張りだこで録画が間に合わない……って、彼女が言ってた」

 出るわ出るわ、おそらく聞いてもいないのに彼女に語り続けられたであろう情報がわんさか。鈴生のげんなり顔には同情するが、彼女グッジョブだ。
 しかし、合点がいった。日本人離れした外見はやはりハーフだったからだし、顔が仕事道具というのはモデルだったから。ファミレスのウエイトレス達の態度は普段から普通にテレビを見る人間なら当然の反応といったところか。あのマンションも、叩かれても文句を言わないという『契約』の女達の話も、愛人を囲う余裕のある金銭面も、全ての辻褄が合った。
 あり得ない。
 正直な感想だ。そんな人間が、わざわざマゾ男を飼いたいなんて、高リスクな事をする筈がない。
 そんな訳がないのに……昨夜の、あの彼の言動を思い返し、あまり頭は良くないのかもなぁ、とも思う。
 電源を切った筈なのに、胸ポケットのスマホにまたメールがきている気がして、面倒な奴を押し付けやがって、と倫子を恨んだ。





 23時30分過ぎ、吐く息が白い。
 17時に退勤して家に帰って仮眠して、起きたら22時だった。明日明後日に休みをずらしてきたから、多少時間感覚がズレても平気だろう。
 スマホの電源を入れると、『今夜錘で女子会ね!』というM友のチャットが数十件と、カナメからのメールが2通。
 21時の『着いた』と、22時に『待ってる』。
 だから行かないって、と思いながらも、気になるのが人の性だろうか。
 『錘』とは常連のSMバーの名前で、久々に集まって飲もうというなら参加したい。その道すがら、自宅アパートから駅までの道の途中にあのファミレスがあるから。外からちらっと覗くだけ。どうせもう帰ってる筈。……いや、帰っていて欲しい。一応重ねて行かないと返信しておいたが、待たれていたら罪悪感がある。
 シャワーを浴びてシャツにジャケット、ジーンズという薄着で出てきたが、10月も終わろうとする初冬には足らなかったかもしれない。軽く身震いしつつも、足早にファミレスを目指す。
 いや、違った。駅だ。俺は駅を目指してるんだった。
 深夜に近い時間だが、車道はひっきりなしに車が通る。街灯でそこそこ明るい道の先に、一際光る建物。赤レンガのファミレスが煌々と照らされ、駐車場もそこそこの混みようだ。
 歩道に面したガラス窓から、中の客と視線が合わないように室内を見る。何組かの団体客と、カップルらしい二人組が多い。この雰囲気の中、もし待たせているとしたら……。罪悪感に押し潰されそうになり、いやいや俺のせいじゃないだろ、と頭を振った。
 俺は行かないと返信した。待つのはあいつの勝手。俺は友達と飲みに行くんだ、あいつのことなんてどうでもいい。
 そうだ、とファミレスの前を足早に通り過ぎようとした時、いきなり走ってきた足音に肩を掴まれた。

「やっぱり来た」

 ぎょっとして振り向くと、カナメが若干息を切らしながら立っていた。肩を掴む指が痛い。

「俺、別件だから」

 平静を装い、男の手を振り払って逃げようとする。が、指が薄いジャケットを握り込んで離さない。

「やめろよ、破れる」

 言うが早いか、安物のペラペラジャケットは肩の縫い目からビリリッと音をたてて破れてしまった。

「……悪い。弁償するから、とりあえず車乗ってくれ」

 今度は二の腕を掴んで、耳の傍で囁かれる。じわ、と耳が熱くなった。昨夜のプレイを思い出して息が詰まる。
 カナメの視線の動きで、ファミレスの中の客が揉め事かとこちらを注視しているのを察して、諦めて肩を竦めた。

「乗るから離せ」

 腕を振り払うと、今度はあっさりと手を離した。わざと破ったんじゃないかと勘繰りたくなる変わり身だ。
 カナメのあとをついていくと、ファミレスの駐車場の一番端、俺が来た方向からは植樹で見えない位置に、黒塗りのセダンが鎮座していた。

「さっきも言ったけど、俺はお前に会いに来たんじゃないから。これから約束があるから、駅に行くためにここ通っただけで」

 助手席に座り、シートベルトを締めると、同じように準備したカナメは何も答えずさっさと車を発進させる。ファミレスの駐車場を出た車がどこへ行くのか、とりあえず流れに乗って国道を走る。

「服、弁償するって言ったろ。どこで買ったやつ?」

 先に店に寄るとでも言うのだろうか。だが、この時間だ。まだ開いているのは飲み屋か風俗かネットカフェぐらいだろう。……それとも、お金持ち様御用達の店はこんな時間でもやっているのだろうか。

「いい、別に安物だし。送ってってくれるなら杉町駅でいいよ、そこから歩くから」

 破れてしまったジャケットを脱ぐと、やはり寒い。白の開襟シャツ一枚になった俺に、運転席のカナメの視線が刺さる。
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