痛い瞳が好きな人

wannai

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 運良く客用駐車場が空いていたので、部屋番号の書かれたプレートを車のフロントミラーに下げておく。

「お邪魔しまーす。……うわ、玄関から部屋丸見え? っていうか、部屋これだけ?」
「ワンルームなんだからしょうがないだろ」

 ゆっくり歩いてもカンカンと鳴る錆びた外階段を登り、2階の角部屋へ入ると、カナメがいきなりの坊っちゃん発言だ。

「文句言うなら帰れ」
「文句じゃねーって。驚いただけ。でも、なんかイメージ通り」
「イメージって、どんなの」
「なんかこう、殺風景?」
「帰れ」

 肘でカナメの横腹を小突きながら、狭い玄関で靴を脱ぐ。適当に座れ、とソファを指すのに、勝手にベッドに転がるカナメに頭が痛い。
 窓際にシングルベッド、2人用ソファと折り畳みのちゃぶ台、箪笥が1つ。それらを置いただけの確かに殺風景と言えなくない部屋だが、8畳ワンルームはもうこれでキツキツだ。

「なあ、コップ1つしか無いから酒は缶のままでいいよな」
「ん、何。すぐ飲む? 風呂は?」
「朝入る」

 カナメが持ってきたビニール袋から、酒とツマミを取り出す。缶ビールが2本に缶入りのアップルサワー、カシスオレンジ、ソルティドッグがそれぞれ1本ずつ。それに飲み切りサイズの赤ワインに、カップ日本酒。ツマミもチー鱈に柿ピー、サラミにアーモンドにチョコレート。
 どれだけ飲もうというのか。2人で軽く呑むにしては多過ぎではなかろうか。

「俺、もう呑んできたから、これだけ貰うわ」

 ソファに座って缶ビールのプルトップを開けると、コートを脱いだカナメがベッドから降りてきて横に座ってくる。

「狭いからそっち座ってろよ」
「あんた本当に呑んできたの? 全然酔ってないじゃん」

 首筋のあたりをくんくんと嗅がれ、やめろとチョップする。

「オッサンはベロベロに酔ったりしねーの」
「ベロベロに酔ってるオッサン、よく見るけど」
「それは中身がまだオッサンじゃないの」
「あんたと逆か」
「俺は外見もオッサンだろ」
「あんたが自分のことオッサンって言ってると違和感あるけど?」

 日本酒の蓋を開けたカナメと形ばかりの乾杯をして、中身の無い会話に興じる。会話が途切れないよう、酔わないようにチビチビと酒を舐める。こういう時、テレビがあれば沈黙も怖くないのだろうが。どうせ誰もこないからと、捨ててしまったのが悔やまれる。

「俺、0時には寝るから」

 スマホの時計を表示させ、現在時刻を確認する。23時15分。21時過ぎから錘で呑んでいたから、さすがにそろそろゆったりと酔いと眠気が回ってきている。

「今日誘ってきたって事は、明日休み?」

 柿ピーの袋を開けると、「ちょーだい」とカナメが手のひらを出してきた。ザラザラと落としてやれば、それをそのまま口に放り込み、おかわり、とまた手のひらが差し出される。イケメン餌やり体験、などとからかう。

「いや、午後から。最近テレビの仕事減ってきたから、来月あたりからもっと会える」

 嬉しいだろ、と微笑まれて、分かって言ってんじゃねえだろうなと視線を逸らした。

「俺は変わんねぇんだから、会う回数も今まで通りだろ」
「俺が休み全部合わせる。今みてーに月1、2じゃ我慢できねーって」

 そしたら毎週できるな。やけにペース早く酒を飲むカナメが、早速2本目にとアップルサワーを開けている。

「あ、これ美味い。ユギ、林檎好き? これ林檎感やばい」

 渡された缶におざなりに口をつけたが、意外と美味しくて、カナメに言われるがまま、他の缶カクテルにも手を伸ばす。

「あ、これだめ。カシオレ無理」
「柑橘系嫌いか?」
「いや、オレンジもグレープフルーツも大丈夫なんだけど、このカシスの匂いが苦手」
「ソルティドッグって、グラスの縁に塩つけてるヤツだよな。……中に塩入ってる。変な味」
「そうか? 俺、これ結構好きかも」
「ワイン飲めるか?」
「あんま飲んだ事ない。なんか渋味が苦手で」
「飲んでみ。これ、安い割に甘くて飲みやすいから」

 ハイペースでちゃんぽんしたのが効いたのか、だんだん視界が歪んできた。酒が弱い訳ではないから、まだ吐き気がこないのが幸いだ。

「悪い……、ちょっと、休憩」

 ソファの背もたれにぐったり背を預けて、瞼を閉じる。体温が上がって、エアコンは24度設定でつけっぱなしの筈なのに暑くて仕方がない。
 すす、と耳のあたりから首筋を撫でられて、んん、と鼻にかかった声が出てぎょっとした。

「急に触んなっ」

 カナメの手を振り払うが、彼は気にした風もなく、また手を伸ばして俺に触れてくる。頬を撫でる指。いつもより熱い気がするのは、カナメも酔っているからだろうか。

「あんた、いつからSMやってんの」

 そのままいつもみたいにキスされるのかと思ったのに、不意に問いかけられる。
 いつからだったか。ゆっくり回る視界に、おどけた気分で。

「聞きたいなら、まず自分からドーゾ」

 ソファに横向きに座り直して、頭はアームレストに、脚はカナメの膝の上に乗せて寝転がる。横になると、少し目眩が楽になった。

「俺は、1年前からだな」

 思い返しながら話し始めたカナメは、指先で俺の太腿の内側を撫でていく。性感を刺激するようなその動きに、知らず足の爪先が伸びる。

「友達にSMバーに連れてかれて、そうしたらちょうどイベント日でパーティだのショーだのやってた」

 つつ、つつ、と太腿の弱い部分を指が往復する。その度に小さく震えがきて、逃げようとするのに、片手で足を押さえられていて叶わない。

「ステージの上で、鞭で打たれてる奴がいて。音聞いてるだけで痛そうなのに、そいつ、ニコニコしてて。色んな客が順番でそいつの事鞭打ちして、それでも誰にでも嬉しそうに跪いてて。ああ、こういうやつは誰でもいいのか、って思ってたら」

 懐かしそうに目を細め、カナメは言を紡ぐ。話しながらも指を止めてくれず、すっかり勃起した茎の形がくっきりとジーンズに浮かんでいた。やめろとカナメの指を掴むと、逆に絡めとられて握られる。

「1人の女がステージに上がった途端、急に熱でも出たみてぇに顔真っ赤にして。それまでの笑顔なんて全部嘘でした、ってバレバレ。そいつに打たれてる時だけ、全部さらけ出してますって顔で。……そいつが欲しくなった。俺にもその顔見せろって思って、鞭打ちやりたいって言ったのに、もう今日はお終いって言われて。そっから何回もその店通って、そいつのご主人様だっていう女に紹介してくれって頼み込んだのに、絶対嫌だって突っぱねられて」

 ──ああ、これは、片思いの話だ。他人の物に一目惚れした、切ない思い出。しかし、カナメの上がった口角からして、おそらくバッドエンドではない。
 聞きたくないな。
 それでも、笑顔で俺はそれを聞く。楽しげに。人の恋愛は楽しいものだな、と蚊帳の外で。

「それで?」

 一度くらいは、その子を跪かせられたのだろうか。それとも、結局それが叶わなかったから、他の女達を代わりにしたのか。
 続きを急かせば、繋いだ手に唇を寄せてきて、急に指を噛まれた。

「ィッ……て」
「ここにいる」

 一瞬、二瞬。何を言われたのか、分からない。

「ここに? え、何が?」

 急に話題変えるのかよ、と首を傾げると、再度指先を噛まれる。小指を口に含み、舐め、噛み付かれる。

「ちょ……っと、カナメ。俺、それ、やばい」

 カナメから与えられる、快感と痛みがない混ぜになった気持ち良さに、すっかり俺は慣らされてしまった。痛いのも、気持ち良いのも、同時に。そんな事をされたら、身体が疼く。

「あんたが、俺をサドにした。人を叩いて愉しむなんて、考えたことなかったのに」

 指の又を舌先で舐められ、震えた。

「俺……?」
「そう」

 やめてくれ。言うな。聞きたくない。そんな目で見るな。勘違いする。と、いうか。一目惚れの相手が、俺? 俺を見て、カナメがSに目覚めた? 待ってくれ、なんだそれ。嬉しすぎる。いやだ。そんな事を言うな。そんなつもりなんてないくせに。
 横たわる俺に覆いかぶさるように、カナメが顔を寄せてくる。

「あんたは、誰にマゾにされた」

 物騒な雰囲気を纏いながら訊かれ、下手に誤魔化すと怒らせそうだ。ええと、どうだったっけな、と動揺を見抜かれないように必死に過去へ思考を移す。

「俺は、高校の……体育祭」

 は? と、カナメが訝しげな顔をする。それでも、本当の事だから仕方ない。

「応援合戦とかいう、一番目立った奴の所属チームが得点貰える祭り競技でさ。俺が、女装に亀甲縛りで背中に応援旗背負って走る事になって」

 今思えば、何故そうなったのか。よく覚えていないが、とにかく目立てばオッケー! なノリだった。

「同じクラスに、これまた何故か亀甲縛りできる奴がいたんだよ。それで」
「それで、そいつに縛られて目覚めたってか」

 面白くないです、と顔に書いてある。だが、そうではない。

「いや、縛られた時は全然だったんだけどさ。やっぱ素人だから縄も緩いし全然締め付け感なくて、とりあえず応援合戦ではバッチリ目立って点貰って、……でも、縄外す時に、絡まっちゃったんだよな。縛ってくれた奴と2人で、教室戻って次の競技の為に急いで外すぞーって慌ててたら、なぜかどんどん締まってくの」

 そいつは訳分かんなくて涙目だし、俺も段々縄がキツくなってきて呼吸も苦しいし意識は朦朧としてくるしで。酷い経験だった。

「結局、縛ったやつの兄貴が応援に来てて、その人に解いて貰ったんだったかな。そいつと兄貴、2人してSM趣味だったんだって。それから何故か兄貴に気に入られて、SMビデオとか色々押し付けられてるうちに、気が付いたら……って感じ」

 我ながら、適当だと思う。本当にいつの間にか、だった。
 懐かしいな、元気かな、伏見の兄ちゃん。
 思い返すのを、睨まれる。急に現実に帰ってきたような気分で、慌ててカナメから離れようと起き上がるが、肩を抑えられる。

「朦朧とした、って。あんた、縄酔いすんの」

 唇が触れそうな距離で、カナメの呼吸音がする。いつもなら、もう4、5回はしている筈なのに。プレイしない日には、するつもりがないのか。だから、彼の執着が恋愛感情に起因しないのが嫌というほど分かってしまう。

「縄酔い? ああ、……どうだろ。そうだったのかな」

 あの時はとにかく縄が外れなくて必死で、意識がぼんやりしてくるのは酸素が足りないせいだと思っていたのだが。

「……クソ。なんでもかんでも経験済みなんだな、あんた」

 舌打ちされて、何を童貞みたいな事を、と笑うと、両頬を掴んで引っ張られた。

「いで、ででで」
「やっぱケツ犯すくらいしか残ってねえじゃねえか、クソマゾ」
「えぬじー! えぬじー!」

 ソファの上でじゃれ合っているうちに、いつの間にか服を脱がされていく。

「なんで、脱がす」

 それには答えてもらえず、裸になった上半身に舌なめずりされて顔を逸らす。視線の先には、2つのピアス。彼に所有されている証。

「ちゃんと付けて、良い子だ」

 ようやく、キスが落ちてくる。
 嬉しい筈なのに、ひどく悲しい。これは確かに、きつい。俺の心も身体も彼の物なのに、彼は俺の物じゃない。精神的Mなら、こんなのも楽しめるのだろうか。
 舐められ、噛まれ。指が肌を撫で、粘膜が擦れ合う。考えてはいけない。恋心なんて、消え去ってしまえば、もっとこの瞬間を楽しめるのに。

「……反応鈍いな。眠いか?」
「ん、悪い」
「しょうがねえ、今日はしねーって約束だったし。寝るか」

 俺を軽々と抱え上げて、カナメがベッドに移動する。

「お前、そっち。ソファ」
「は? ヤダ」
「いやだ、狭い」

 無理矢理シングルベッドに男二人で横になる。抱え込まれて息苦しいのに、落ち着くのは何故だろう。
 気が付けば、早々に眠りに落ちていた。
 深い眠りと浅い眠りを繰り返す中で、夢を見る。過去の思い出。可愛らしい声で、当時の彼女が女友達と話している。

『アタシ、今、隣のクラスの井上クンが気になってんだぁ』
『えー、あんた服有くんと付き合ったばっかりじゃん』
『落ちると満足するっていうかぁ。もう興味無い感じ? 服有ってさ、硬そうだけど意外と簡単だったよ』
『マジで! 私挑戦してみよっかな』
『それいーね、そしたらアタシ、彼氏が浮気したって井上クンに相談しよぉ』
『うっわ、悪女~!』

 けらけらと笑う、悪意の無い、可憐な声達。ああ、この後から、俺は恋を忘れたままだったのか。
 チチチ、チチ。朝日と鳥の声で目が覚める。
 寝覚めの悪さも、隣に眠る綺麗な顔で消え去る。ああ、眼福眼福。
 カナメを起こさないようにゆっくりベッドを抜け出し、充電を忘れたスマホで時刻を確認する。まだ8時過ぎ、出勤の10時までまだ余裕がある。
 風呂に入ってから歯磨きを始めた頃、ようやくカナメが目を覚ました。

「おあよー」

 歯ブラシを銜えつつ挨拶すれば、カナメはベッドが狭かったのか肩を回しながら大きく伸びをした。

「おはよ。ユギ」

 にこ、と微笑まれるのがたまらない。
 顔が赤くなっていないといいのだが。口を濯ぐふりで、彼に背を向けて俯く。いちいちこんな反応をしてしまう、この心が面倒だ。恋が精神病の一種だという研究者がいたが、今なら納得だ。これでは心が保たない。
 どうしようか、考えて、すぐ思いついた。

「なぁ、お前今日の仕事何時まで?」
「14時入りで、たぶん……19時かな。なんで?」
「俺は明日休みだから、たまには都内のSMバーにでも行こうかと思って」

 一緒に行く? と。答えの分かりきった問い。こいつが行かない訳がない。

「行く」

 だよな。
 店を決め、現地集合の約束を取り付ける。
 こんなドSで美系で甘やかし放題のキス魔を『嫌いになろう』なんて、それこそ無謀だ。最初からそんなのは却下だ。そこまで俺は意志の強い人間じゃない。だったら、彼が自分の意思で俺から離れていくように仕向ければいい。具体的にいうならつまり、カナメに新しい奴隷をあてがうとか。

「そんなに楽しみか?」

 不思議そうに言われ、頷いた。こんな不便な想いを抱えながらSMなんてしたくない。失恋は早い方が傷が浅くて済むだろう。
 準備して、俺の出勤に合わせてカナメもアパートを後にする。玄関を出る時に、掠めるようにキスされて、俺は午前中ずっと客達から「熱でもあるのか?」と訊かれ続けた。やはり、不便だ。

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