神は絶対に手放さない

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神は絶対に手放さない

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「あれ、先輩? こんな所で何やってるんスか?」

 志摩宮しまみやの呑気な声が、俺たちの他には誰も居ないと思っていた山の頂上の真っ暗な公園に響き渡る。
 ひょろっとした地黒の──というか、遺伝子的におそらく褐色肌の──後輩は、遠くにある街灯を背にしている為に表情すら定かでないが、どうやら尻尾を振ってこちらに向かってくるようだった。肌も髪も黒いそいつは、夜闇に慣れた俺ですら輪郭がぼやけて見える。

「バッ……カ! こっち来るんじゃねえ!!」

 ブツと対峙していた俺と蛍吾けいごは、突然現れた知り合いの姿に動揺して、張っていた組紐を緩ませてしまった。その隙を逃すはずもなく、紐の間から赤黒い塊が千切れながら飛び出していく。
 アレは少しでも人の中に残ればそこからまた増殖していく類のものらしい。ヒトに寄生していなければ僅かな時間で消滅してしまうものだというから、わざわざ深夜の山の頂上の公園へ、しかも駐車場は麓にしか無いので徒歩で階段を登ってきたというのに。
 ここなら大丈夫だろうと事前に下見までして、寺から預かった封印の箱を開けたところだった。俺と蛍吾とで組紐を張った中で出せば、俺達のどちらかに寄生するしかない。どちらに寄生してもお互いを浄化すればいいから、案件としては楽な部類の筈だったのに。

「そんな事言わないで下さ……、けい先輩も一緒なんですか? こんな暗い所で、二人で何やってるんですか」
「あああもう本当に! 馬鹿野郎!」

 俺には犬の様に懐くそいつが、蛍吾の姿を視認してぶーたれながら更に走り寄ってきやがった。
 腐臭を漂わせた塊が、足でも付いてるのか凄まじい早さで志摩宮へ迫っていく。即座に追い掛けた蛍吾が組紐を鞭のように打つが、先端がソレに届くより、ソレが志摩宮に入る方が先だった。
 ──いや、確かにそうだった筈なのだ。アレは、志摩宮に触手を伸ばし、中に入ろうとした。
 だが、次の瞬間には志摩宮の向こう側にいた。
 すり抜けていた。

「へ……っ」
「は?!」

 追いかけていた蛍吾も俺も驚きに間抜けな声を上げる。
 当のソレさえ、寄生出来ていない事に気付いたのは数瞬後だったらしい。再度、志摩宮へ寄生しようとして、また失敗してすり抜け、勝手に蛍吾の投げた組紐に当たって体──いや、体といっていいのか謎なんだが──を痙攣させて動かなくなった。
 逃しそうになって焦ったらしい蛍吾は素手でソレを掴んで浄化を始め、「いってえ!!」と叫んでいるが、その姿を見て志摩宮は目を丸くしてやっと立ち止まった。

「蛍先輩? なんですか、そこに猫でもいるんですか?」

 どうやら志摩宮には俺達の姿以外のものは見えていないらしい。真っ暗闇の中で暴れる『何か』を捕まえようとしている蛍吾を、志摩宮は猫でも探しているのかと勘違いしている。
 まともな反応だ、と思いつつも、本当に寄生されていないかは確かめなくてはならない。

「先輩たち、寮でしょ。こんな夜中に抜け出していいんですか」

 志摩宮は蛍吾を嫌っているようではないが、俺が絡むと少しやっかむような態度になる。俺に異常に懐く後輩相手にこんな事をするのは最高に気が乗らないが、仕方ない。
 蛍吾の方に視線をやれば、もう手のひら大になったソレは少しずつ煙を上げながら縮んでいくようだ。蛍吾も目で『やれ』と言っている。

「志摩宮。ちょっと動くなよ」
「はい!」

 幻覚だがその尻尾をぶんぶん振るのも止めて欲しい。
 俺の言葉に二つ返事で承諾した志摩宮は、直立不動でにっこり笑顔だ。歯を見せて笑うと、その白さが闇の中に急に現れるみたいで不自然だった。
 二センチばかり俺の方が背が高い筈だが、実際まあほとんど差は無い。俺より痩せぎすの男に歩み寄ると、まずはさっきアレが触れたように見えた手を握った。

「せ、」
「はい黙って」
「……」

 学校では常に背後に控える忠犬が、鬱陶しいと思った事は何度もあるが、この時ばかりはその従順さが助かる。
 掌に痕跡が無い事を確認すると、腕、肩、胸、もう片方の腕、それから臀部……と、触診していく。側から見れば痴漢か変質者だ。いや、彼らは喜んでやっているんだから根本的には全く違うのだが。
 時間短縮の為に背中の確認に抱きしめたり股間を揉んだりしたが、黙れと言われた忠犬は本当に一言も話さず微動だにせずなすがままだ。意外なほどスムーズに終えられ、そして彼の中に何も残っていないのを確認出来て、ほぅっと息を吐いた。

「オッケー。もう動いていい」
「先輩って、ソッチの趣味あったんスか。もしかして蛍先輩と……」
「それ以上ふざけた事言ったら明日から口聞かねーからな」

 止まれと言っていた間は脳みそも止まっていたのだろうか。
 よもや男色の気が、と後退りしだした志摩宮を冷たく見据えると、「それはヤです」と犬耳を垂れさせて静かになった。いい加減、この幻を見せるのをやめてほしい。
 明らかに中東の辺りの血が入っている彼は、水が溜まりそうなほど深い二重にバッサバサの長い睫毛、高くてまっすぐな鷲鼻という、年下の筈なのに日本人離れした大人っぽい容姿をしている。俺の少ない語彙で表現するなら、『石油王に似てる』。そんなやつが犬耳と尻尾を付けて可愛らしく恥ずかしがるものだから、げんなりしてしまってもしょうがないだろう。

「蛍吾」
「こっちも終わった」

 蛍吾に握り潰された破片はもう滓さえ残さず霧散していた。壺に残っていた本体は、人に寄生出来ずもうそろそろ消滅する頃合いだろう。
 ずり落ちそうになっていた眼鏡を直しながら、蛍吾が手を見て痛がっていたので、軽く握って治してやった。
 はいはい、今日の仕事も無事終わり。
 あとは、零感なくせにアレに取り憑かれなかった、謎の後輩をどうするか、だ。

「終わった? え、蛍先輩、まさか猫を……」
「しねぇよ!!!」

 小動物殺傷の汚名を着せられそうになった蛍吾が吠える。志摩宮がドーベルマンだとしたら、蛍吾はゴールデン・レトリーバーだな、と短絡的に見た目の色でそんなことが浮かぶ。
 五月の夜二十三時は、まだ寒い。珍しく見上げてみた雲のない夜空に、まん丸の月が見えた。
 俺はただ、あと二年だけ許された自由な生活を、学園生活を楽しく滞りなく過ごしたいだけなのに。

「先輩、用事終わったなら、暇なら俺とも遊びましょーよ」

 この春から入学してきたこの後輩は、会ったその日から俺の日常を乱してくれている。
 にこにこと人好きな笑みで細められた緑の瞳に、眉間を押さえてうな垂れた。
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