神は絶対に手放さない

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神は絶対に手放さない

5、カップラーメンはラーメンと呼べるのか

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 間の悪いことに、蛍吾から仕事の依頼が来たと言われたのはその翌日だった。
 俺たちの学校からほど近い街に住んでいる、二十代の女性が依頼人だという。年の離れた四十半ばの夫と、四才の娘が一人。毎晩のように女に首を絞められる夢を見るらしい。去年の暮れから見るようになったその悪夢は、ここ数週間で夫も見るようになったらしく、しかも目覚めると首に指の跡が残っているというので、さすがに耐えきれなくなって寺に相談した結果、俺の所に斡旋されてきたとか。

「夢と、指の跡? だけ?」
「まあ、ハッキリ言えば旦那の方のコネだな」

 ざっくり蛍吾に説明された感じでは俺の仕事にしては軽いなと思えば、なるほどそういう事らしい。それでも報酬はコネらしく多めとの事なので、断る道理も無かったとか。

「んじゃ行くか」
「待て。志摩宮も連れて行く」
「え~……」

 午後の授業が終わってあとはホームルームを残すのみ。まだ志摩宮が来ていないうちに、と思ったのだが。

「簡単だし、志摩宮抜きで」
「簡単だからこそ研修向きなんだろ」

 駄々こねんな、と面倒くさげに却下され、ホームルーム終了と同時に蛍吾にせっつかれて志摩宮のクラスに奴を迎えに行くことになってしまった。

「志摩宮いる?」

 蛍吾が教室前の廊下にたむろっていた女子グループに聞くと、黄色い声の輪唱で「蛍吾せんぱ~いっ」と出迎えられた。チャラいがまあまあ男前の外見に基本誰にでもフレンドリーな性格の蛍吾は、まあ当たり前のように女子にモテる。
 目をキラキラさせた女子達は蛍吾の登場に嬉しそうだが、しかし志摩宮と聞いて顔を見合わせた。

「まだ中に居ますけど……私たち、ちょっと志摩宮くんに話しかけるのは……」
「ああ、うん。居るのが分かればいいんだ。ありがとね」

 どうやら志摩宮は自分のクラスでも何かやらかしたのか、腫れ物扱いのようだ。
 見た目だけなら蛍吾よりモテる可能性は秘めているだろうに、この女子達の不安そうな表情から察するに、相当冷たくあしらったのだろう。

「志摩み……何やってんだ?」

 蛍吾が教室に顔だけ突っ込んで見回すと、一人異質な雰囲気の志摩宮は当然すぐに見つかった。
 が、彼は手に持ったスプレー容器をクラスメイトに向け、シュッシュと噴いているところだった。

「ちょっと頼まれて」

 猫背のまま消臭スプレーらしきボトルを掲げて見せ、志摩宮はまたそれをクラスメイトの男子生徒に吹き掛けた。
 横で蛍吾が「へぇ」と面白そうに首を捻るので、志摩宮の謎力絡みかと見当をつけて目を閉じた。
 元から霊感持ちの蛍吾と違って、俺は組織に入って修行してやっと霊が視えるようになった性質だ。
 自分の中の視覚のスイッチを、霊が見える方に切り替える。気分的にはそんな感じだが、実際どうやっているのかと聞かれても自分でもよく分かっていない。視えるままだとストレスが凄いぞと蛍吾に脅されて、仕事以外では視えない方にしているのが常だ。
 ゆっくりと目を開く。途端、俺の右半身を半透明の女がすり抜けていった。恨みと怯えと、微かな戸惑いの感情が流れ込んできて軽く吐き気がする。視覚を切り替えると、視えるだけでなく触れることで霊の中身が流れ込んできてしまうのが難点だ。
 予想は当たり、志摩宮がスプレーを噴射する度、男子生徒に憑いていた複数の霊が、見失ったように左右を見回しながら不思議そうに離れていくのが見えた。
 消えるのではなく、見えなくするというのが面白い。
 男子生徒はどうやら憑かれやすい体質のように見えた。スプレーを掛けられる度、少しずつ青白い肌に血色が戻っていくようだ。

「ありがとう、志摩宮くん。これ、今月分」
「まいど」

 男子生徒は嬉しそうに志摩宮から消臭スプレーを受け取り、代わりに封筒を彼に渡した。
 中身は金だと察するが、今月分とはどういう事だろう。後で聞いてみよう。

「じゃ、呼んでるから」
「あ、うん……」

 男子生徒は志摩宮の背を見送りながら、こちらへ視線を向けた。俺と目が合って、バチ、と音がする。……加護が、悪意を弾いた音。俺と蛍吾以外には聞こえていないだろう。
 どうやら、あの男子生徒は俺が気にくわないらしい。どうでもいいけれど、とりあえず顔は覚えておくことにした。茶髪パーマで、可愛い顔してる。目が大きい。眉が薄い。じっと観察していると、居心地悪げに先に視線を逸らしたのは相手の方だった。勝った。

「どうしました?」

 カバンを掴んで小走りに寄ってきた志摩宮は、まず蛍吾に声を掛けた。
 俺ではなく蛍吾に聞くあたり、俺が自発的に来たとは思っていないようだ。たまにやけに思い込み激しく人の話を聞かない事があるが、たぶんわざとだろう。本気で俺を慕っている忠犬なら、まず真っ先に俺が来た事を喜ぶはず。
 と、肩透かしを喰らって少し拗ねた気分になっていたら、不意に志摩宮がこちらに視線を向けて、目を細めて笑った。
 その笑い方が俺を嘲るようで、反射的に一歩退く。

「バイトですか?」
「ああ。これから、行けるか?」
「もちろん」

 含むように流し目されて、その視線の意味に気付いてカッと頰が熱くなった。
 昨日のようにされるのを望んで、バイトを持ってきたのだと思われたのだ。昨日の今日でと、好き者だと。

「蛍吾、蛍吾。やっぱ俺、二人で行きたい」
「志摩宮の研修だって言ったろ。ダメだ」
「おねがいっ」
「…………ダメだってのに」
「蛍吾~、お願いだから~~」

 志摩宮を教室に置き去りに、蛍吾の制服の裾を掴んで引きずって行く。もう四年以上ほとんどの時間を共に過ごしているのだ。年の離れた我儘な妹を溺愛している蛍吾が、こうして駄々を捏ねる人間に弱いのも熟知している。
 我ながらあざといとは思うが、蛍吾の耳元に手を寄せて、小声で耳打ちしてさらに駄目押しだ。

「バイトの度にあいつのアレ触るの、いやなんだよぉ」
「……。……?、っ、!?」

 俺の囁きに、最初は意味が分かっていなかった蛍吾が、意味を悟って目を剥く。

「お前、加護は!!?」
「え、いつも通りあると思うけど……」

 急に肩を掴まれたと思ったら、蛍吾が俺の前で何度も手を往復させ、何かを確認するように空中に触れてを繰り返す。蛍吾の瞳に、ある筈のない虹色が映り込むのを視て、どうやら加護があるかを確認しているらしかった。

「ああ良かった。いつもよりむしろ増えてる」
「増えてる?」
「いつも二重掛けくらいなのが、五重掛けした上に……なんかもう一個、俺じゃよく見えないやつまで掛かってる。昨日まではこんなじゃなかったし、昨夜来てたんじゃないのか」

 来ていた、というのが俺の神様を示しているのに驚いた。
 昨夜? 志摩宮との行為で頭の中が大混乱だった俺は寮の部屋に帰って即寝していた。朝までぐっすりだ。何故わざわざそんな時に来るのか。どうせなら一度くらい顔を見せてくれればいいのに。

「お前の神様が処女厨じゃなくて命拾いしたな」

 安心して肩を落とした蛍吾は、心底ホッとしたように見えた。

「処女厨て」
「女の神子は大概、処女喪失と同時に神に見放されてお役御免だぞ。お前は男だから言ってなかったけど」
「え、何、マジか。じゃあ志摩宮とセッ……いや、しないから聞く必要ないんだけど」
「ん? したんじゃねーの?」
「してねぇよ!?」

 昇降口の片隅で、小声でやりとりする俺と蛍吾を、自宅通いの帰宅組生徒達が横目に通り過ぎていく。四月の身体測定ではあと五ミリで百八十センチに届くと喜んでいた長身の蛍吾を壁にすれば、俺はすっぽり隠れてしまうのがやや悲しい。

「なんだよ、アレに触るだなんだ言ったからてっきり諦めてエッチさせたのかと」
「っ……、て、手で良いって言うからしてやったら……バイト一回につき一回だって……」
「んじゃ志摩宮の分として出る報奨金、お前に振り込んどくわ」

 え、と瞬時に脳内で金勘定が働く。毎年夏は海に浄霊に行かされることだし、今年はついでに行ってみたかったグランピング場があるのだ。少し高いから泊数を少なくして調整するかと思っていたのだが、二人分出るというなら浄霊期間中フルで泊まれるかもしれない。
 考え込んだ俺の頭を撫で、蛍吾はニヤリと笑った。

「ついでにちょっと安全確保しといてやるよ」

 何を? と問う前に、蛍吾が振り向いた。その後ろに、肩を丸めてだるそうに待つ志摩宮が居た。

「で、俺はついて行っていいんスか」
「ああ、ちょっと報酬については注意事項があるんだけど」

 耳貸して、と蛍吾が志摩宮に耳打ちする。

「オッケーです。別に欲求不満ってわけじゃないんで」

 蛍吾がなんと言ったのかは小さくて聞こえなかったが、志摩宮の返答は聞き捨てならない。 

「欲求不満じゃないなら俺としなくてもいいだろ」

 何で俺が、と口を尖らすと、また志摩宮が目を細めて唇を孤に曲げる。唇を噛んで濡らした彼の姿に、もう既に志摩宮が後の事を考えているのを察して慌てて蛍吾の陰に逃げ込んだ。

「こいつ怖い」
「一ヶ月以上かけて飼い慣らしておいてよく言う」

 蛍吾に鼻で笑われたが、飼い慣らした覚えはない。最初からちゃんと言う事を聞く犬だったのだから、例えるなら迷子の飼い犬を保護しただけだ。しかし、いくら忠犬でも性処理までするのは世話の範疇を超えている気がするのだが。

「とにかく、志摩宮は連れて行く。トナリグミ的には、何度か同行させて戦力になりそうなら修行させる方針でいくらしい」
「うぅ……」

 報酬倍は捨てがたい。諦めも肝心かと、一つ溜息を吐いて気持ちを切り替えることにした。
 靴を履き替えて校舎の外へ出ると、既に校門の傍に黒いセダンが停まっていた。三人でそれに乗り込むと、黒いスーツの運転手は何も言わず車を発進させた。

「静汰、志摩宮、これ着替えて」

 蛍吾が車のグローブボックスから袋を取り出し、俺と志摩宮に渡してくる。俺のはメイクポーチと女物の衣服。志摩宮のはスラックスのようだ。

「志摩宮、ネクタイ外して、下はそのスラックスに履き替えといて。着いたら腕まくりも直して」

 暑さで肘まで捲っていたワイシャツの袖を戻し、志摩宮は蛍吾の言葉に大人しく従った。なんだかんだで、志摩宮は蛍吾の言う事もちゃんと聞くのだ。
 俺も準備する事にして、袋の中からメイクポーチを取り出した。いつものように適当にファンデーションをパフで頬に叩き、次は口紅かなと取り出そうとした手を、横から志摩宮に掴まれた。

「あの、それ俺やりますよ。化粧」
「女装でもしたことあんの?」

 化粧の経験があるのかと聞いたが、志摩宮は首を横に振る。

「無いですけど、先輩よりはマシにできる気がします」
「気がする、って」
「あの、ほんと、マジでちょっと酷すぎるので。さすがに。ほんとに」
「……そんなに?」

 割に真面目な表情で言い募る志摩宮に、困って蛍吾に視線を移すと、バックミラー越しに俺を見ていた蛍吾と運転手が揃って目を逸らした。

「まあ、好きでやってるわけじゃないからいいけど」

 じゃあ頼む、とメイク用品を一式、志摩宮の膝の上に移すと、彼は一つ一つの用品に記載された用途を確認し始めた。一通り見た後、「こっち向いてて下さい」と言われたので、言われた通り志摩宮の方へ身体を向けて目を閉じた。
 顔にパフやら筆の感触がする。唇に何か押し付けられたので、口紅かと思って口を薄く開いたら、ゴク、と喉の鳴る音がした。

「俺今、ちゃんと我慢してるので、終わったらよろしくお願いしますね」
「……?」

 欲求不満じゃないとか大嘘だろう。目を閉じる女装男に興奮しておいて。
 それでも、我慢するのはさすがに忠犬だと感心した。

「終わりました。あとカツラですよね。それも俺やりますね」
「ありがと」

 揺れる車内で、慣れないだろうに志摩宮は割と素早くメイクを終わらせてくれた。肩甲骨あたりまであるストレートの黒髪ウィッグを被せられ、目を開けるといつもより顔が軽い気がした。

「蛍吾、これ大丈夫?」

 ちゃんと女に見えるだろうかと、蛍吾に聞くと振り返った彼は凄く微妙な顔をしていた。

「ああ……かなりマシにはなってる……」
「ほんとか? 志摩宮に気ぃ遣ってるんじゃなく?」
「いや、志摩宮は頑張ったと思うぞ。お前が女装に向かない顔してるだけだ」
「はい。SNSで女装の微エロ画像アップして出会い探してるオッサンから、街中で写真撮られて『美しすぎるオネエ』って拡散されるレベルくらいまでは上がったと思います」
「結局女装にしか見えないってことかよ」

 がっくりと肩を落とすが、志摩宮から返された手鏡を覗くと、確かにいつもよりかは綺麗に見える気がした。いつも迷う事なく赤を選んでいた唇が、薄いオレンジなのが新鮮だった。

「先輩、終わったらメイク落としてからにしましょうね。その顔だと勃たないんで」

 当たり前のように言われ、思わず裏拳を腹に叩き込む。うっ、と小さく呻いて半身を折った志摩宮に、叩いた俺が驚いた。

「お前、当たる事もあるんだな」
「この距離で当たらない方が無理です」

 腹を摩りつつ、志摩宮が眉間に皺を寄せて俺を見る。不満そうだが睨まれはしない。
 犬。どうしても、志摩宮の頭部に犬耳が見えてしまう。

「着きました」

 黙っていた運転手が、それだけを言って車を停車させた。
 外を見れば、タワーマンションの前だった。
 ちょっと待って、と断って服を着替えた。女物の白いてろてろ素材のシャツに膝丈の黒いタイトスカート。ストッキングを履いてしまえば骨張った脚も隠せるからと、蛍吾のチョイスだ。たぶん蛍吾は年上好きなんだろうな。
 着替える俺を志摩宮は全く気遣いなく凝視していた。割と死んだような目が怖い。
 俺の着替えが終わって三人で外に出ると、車はすぐに走っていった。街中が仕事場の時は、組織の車が特定されるのは避けたいとかで行きと帰りでは違う車なのだ。

「ここの、九〇三号室だって」

 蛍吾が胸ポケットから出した手帳を確認してマンションを見上げた。
 何階建てなのか、目視では数え辛い。戸数だけで千に近いか、それを超えているのだろう。報酬額に期待が高まり、ぐっと拳を握った。

「バーベキュー、ハンモック、貸切露天……」
「何の呪文ですか」

 俺の夏の野望を一人言すると、志摩宮が横からツッコんでくる。

「仕事前の気合溜めだ。なんか、既にヤバそうだし」

 霊視のチャンネルを入れっぱなしだった為に、マンションを取り囲む霊の多さにげんなりだ。
 薄黒い靄のように、マンションが霊に取り囲まれて燻っていた。死んだ霊も多いが、生きているやつも少なくない。それらが建物の内外にたむろっていて、まるで大きな煙のようだ。
 志摩宮は、はあ、と気の無い返事をして、俺たちの後ろから着いてくる。

「蛍吾、俺見えなくしとくから最初よろしく」
「おっけ」

 霊視をオフに切り替えると蛍吾に伝えた。現場ではしばしば、『集中しないと見えない』というフリをした方が良い場合があるのだ。
 蛍吾は幼少時から霊が見えるのが普通だったが、触れても彼らの気持ちに同調する事は無いのでオフにすることは無い。
 おかげで、見えないフリをしている俺たち祓い屋に、わざと呪いや悪霊をけしかけてくる客はすぐ分かる。

「俺はどうすればいいんですかね」
「とりあえず、黙って静汰の後ろに立ってて。俺が指示するまでは絶対静汰に触らないでくれ」
「はーい」

 志摩宮はやる気なさげな癖に楽しげに返事をして、俺の後ろを猫背で歩く。

「そういや、さっき金受け取ってたろ。なんだあれ?」

 なんとなく引っかかっていた光景を思い出し、志摩宮の方へ首だけ振り返って聞いた。

「俺、昔っから『霊に憑かれ易い奴』に好かれるんですよね。なんか俺の周りにほとんど来ないとかで。で、あいつ、今日先輩方が見たやつ、園藤は小学校の頃から一緒なんスけど、あいつが普段から悪霊がナントカうるさいからいい加減頭にきて、そんなんファブっとけばいいだろ、って一回消臭剤ぶち撒けてやったら、しばらく寄ってこなくなったらしくてめちゃくちゃ感謝されて。それ以来、なんか定期的に消臭剤買ってきて俺に掛けてくれって頼みに来るんスよ」
「えぇ……」
「あいつのツテで他にも何人か買ってくやついるんで、まあ割の良い小遣い稼ぎっスね」
「でもお前、なんも見えないんだよな?」
「はい、全然」
「それで金受け取って、罪悪感とか」
「俺が頼まれてる方なのに、あるわけないじゃ無いっスか」

 隣を歩く蛍吾と顔を見合わせる。俺たちが言うのもなんだが、志摩宮は所々倫理観に欠けている節があるようだ。
 俺だったら、後から詐欺だのなんだの言われると面倒だから絶対に金なんて受け取らないだろうな。
 結果に確証も持てないのに、と志摩宮を見るが、当の彼は不思議そうにするばかりだ。

「先輩がやるなっていうなら、もうしないですけど」
「いや、別に良いよ。その園藤くんに霊障があったのも、それをお前がファブる事で霊避けが出来てたのも事実だし」
「事実ですか。へえ」

 いやそこは驚くなよ。せめて自分がやった事の効力に関しては納得しろよ。
 いちいちツッコんでいては身がもたないので、その話は終わりにすることにした。
 ちょうど蛍吾が歩みを止め、ある部屋の前でその玄関扉を睨む。

「ここ?」
「ああ。……めちゃくちゃ気持ち悪い。なんだこれ」

 インターホンとドアノブを交互に見つめ、蛍吾はそれらに触れるのを躊躇っているようだ。

「視るなよ」

 霊視のスイッチを切り替えようとして俺に、先に蛍吾に止められた。

「蛆の湧いた目玉がくっついてる。蝿も集ってるが、これ、本物じゃないよな」
「……本物は飛んでないな」

 そんなものに霊視状態で触れたらと思うと、さっと手を引いた。どうやら、依頼人がなんらかの霊に憑かれているのは確かなようだ。

「俺押しましょうか」

 背後からにゅっと腕が伸びてきて、インターホンのボタンを押した。その指先を凝視して、蛍吾がひゅっと息を飲む。
 きんこーん、とのどかな電子音が鳴り、数秒後に、「どなたですか」と小さな女の人の声が聞こえてきた。

「トナリグミの者です」

 蛍吾が答えると、応答は無く、しかしすぐに室内から走ってくる足音が聞こえた。
 ガチャリ、と鍵が開いたと同時にドアが内側から開かれた。

「お待ちしていました」

 現れた女性は、ベージュのサマーニットにブルーデニムの、小綺麗な女性だった。二十代だと聞いたが、それももう後半くらいだろう。明るい色のウェーブがかった髪は鎖骨あたりで切り揃えられ、化粧が濃くて顔色がよく分からないが、霊障に苦しんでいるようには見えない。
 彼女は俺たちにスリッパを薦め、中に入るよう促した。
 玄関に一歩入ると、やけに湿気を感じ、空気に接した肌がじとりと濡れたような気になる。しかし、壁に掛けられた室温計に目をやっても、気温二十四度、湿度は三十八パーセントと表示されていた。
 前を歩く蛍吾が、よく見ると不自然に歩幅を変えている。……何かいるのだろう。視えなくて良かった。
 殿の志摩宮は、しかし本当に何も見えないので、当たり前だが躊躇なくドアノブを握ってドアを閉めていた。蛍吾の話を聞いても触れるのに全く嫌そうな素振りを見せないのだから、霊自体を信じていないのかもしれない。

「よく来てくれました」

 リビングで待っていた男性は寝ている娘を腕に抱いたままソファから立ち上がろうとしたので、蛍吾が「座したままで結構ですよ」と止めた。
 男は四十代と聞いていたが、見掛けは五十程度に見える。顔色の悪さと、疲れ切った顔色。ポロシャツの襟で隠そうとしているようだが、首の痣は赤黒く、今も絞められているのではと錯覚しそうなくらいはっきりと跡になっている。
 最初に霊障があったという奥さんがそれほど憔悴していないのに対して、彼の方は今にも倒れそうだ。
 どういうことだろうかと、まずは話を聞こうと蛍吾が口を開こうとした時、男の腕に抱かれていた少女がパチリと目を開けた。
 奥二重に低い鼻の、真っ赤な頰がとてもチャーミングな少女は、俺と蛍吾、そして志摩宮を見てその目をまん丸にしてきょろきょろと見回した。どんぐり眼、ってこんな感じかな、と思いながら、努めてにこやかに挨拶をした。

「こんにちは」
「オカマ!」

 び、と指差され、口の端がヒクつく。幼児だ、仕方がない。

「澄恋(すみれ)、失礼だ。謝りなさい」
「だってパパ、この人男の子なのに女の子なんだよ。そういう人はオカマなんだよ」
「オカマかどうかじゃない。初対面の人を指差して、失礼な事を言ってはいけないと言ってるんだ。謝りなさい」
「あの、大丈夫なので……」

 いつもの仕事で幼児と関わる機会は少ないし、いたとしても神子様神子様と敬われる俺に話しかける勇気がある子供は少ない。今日は化粧が薄いからだろうかと、少しはその凄みが解消されたようで内心次も志摩宮にやってもらおうと決めた。

「あの子にも、霊障が?」
「いえ、あの子は全く元気なのです。それだけが救いです」

 リビングと続きの和室の襖を開けっ放しにし、そっちで少女に遊んでもらうことにして、俺たちは夫婦に話を聞き始めた。
 二人掛けのソファセットを三脚、大型テレビに向くようにコの字に配置したリビングは、さすがタワーマンションに住むだけあって広々としていた。レースカーテンの向こうからは午後の陽射しが部屋を明るく照らしている。
 だというのに、なんなのだろう。この薄気味悪い、そわそわとした気分は。

「最初に悪夢を見始めたのは奥さんだと聞きましたが」
「はい。去年の暮れあたりから、恐ろしい形相の女に首を絞められる夢を何度も……。でも、夢だけだったので、ストレスかなにかだろうと思っていたんです」
「けれど、今度は私が同じ夢を見始めて、しかも首に痣まで。次は娘なんじゃないかと、慌てて懇意にしているお寺さんへ相談に行きましたら、貴方がたを紹介されたわけなんです」

 彼らの話は、蛍吾から聞いていた通りのものだった。
 どうやらそれ以上の霊的被害もないらしい。男性の憔悴は、悪夢での睡眠不足と食欲不振、それから娘への心配が原因のようだ。

「それでは、少し視てみましょう」

 蛍吾が、胸ポケットから数珠を取り出して小声で念仏を唱え始める。
 ただのパフォーマンスだ。蛍吾には最初からこの部屋にいる霊が見えている。もしかしたら、この程度の念仏で浄化させてしまう可能性すらある。
 俺の出番無いかも、と思いながらも、いやらしくない程度に部屋を見回した。
 霊障の程度にしては、この部屋は雰囲気が悪過ぎた。
 南向きのリビング。掃除も行き届き、空調が整備された高級品の並ぶ部屋。なのに、背筋から寒気が消えない。どこかから視線を感じる。上のような、下のような。居心地が悪く、早く帰りたい気持ちにさせた。

「ねえ、黒いお兄ちゃん、日本語わかる?」

 和室の方で遊んでいた少女が、いつのまにか志摩宮の横へ来ていて彼の手をつついた。
 まさかこんな小さな子に手をあげたりはしないよな、とドキドキしつつ、いざとなれば加護を使う心の準備をしてしまったが、志摩宮は少女の頭をわしわしと撫でて首を振った。

「ニホンゴワカリマセン、スミマセン」
「そっか。黒いお兄ちゃん暇そうだから、遊んであげようと思ったのに」
「ザンネンデース」

 完全に通じているのだが、少女は通じていないと思いこんでしょんぼりしながら和室へ戻っていった。
 無表情でそれを見送る志摩宮に、吹き出しそうになるのを我慢する。今は仕事中、今は仕事中。
 ごほん、と蛍吾の咳払いに、彼らのやりとりに気をとられていた俺と男性がハッとして蛍吾を見た。

「奥さんに強い恨みのある女の霊がいるようです。しかし、旦那さんに対しては、怒り……のような。恨みではないですね。ただの怒りです。あなたがしっかりしないから、という声が聞こえました」

 蛍吾の言葉に、黙って聞いていた女性が堪え切れないように泣き出した。

「やっぱり、あの人じゃない!」

 泣き出した女性の肩を、男性が慌てて撫でながら「そんな……」と呟く。

「心当たりが?」
「その……お恥ずかしい話ですが、私たちの馴れ初めは不倫なのです。私がまだ既婚者のうちから彼女と付き合っていて、彼女が妊娠したので前妻とは離婚したのですが」
「あの人が、私たちを恨んで夢に出てきてるのよ……! まだあなたの事、諦めてないんだわ」
「そんな女じゃない。あいつは不妊だったから、俺が浮気して子供を作ったと言ったら納得して別れてくれたんだ。恨むようなやつじゃ……」
「じゃあ誰!? まさか他にも女がいるの!?」
「いるわけないだろう。俺は澄恋とお前が一番大事だ」

 泣き喚く女性と、それを宥める男性を、俺と蛍吾が冷ややかに眺める。痴情の縺れで生き霊沙汰。よくある話だ。

「……失礼ですが、前妻さんはご存命で?」
「ええ、その筈です」
「でしたら、その方ではないです。生き霊ではありませんので」

 蛍吾の言葉に、空気が凍る。
 みるみるうちに、女性が青褪めた。

「ね、ねぇ……あの人、自殺したりしてないわよね?」
「そんなわけないだろ……」
「お手数ですが、確認して頂けますか。こちらとしても、身元が分かるに越した事はないので」

 本当はそんな事は関係ないのだが、こういうゴタゴタが好きな悪趣味な蛍吾は、したり顔で男性に提案した。遊ばれているとも知らず、男性は震える手でスマートフォンを操作し、電話を掛け始めた。

「……この電話番号は、使われていない、って」
「そんな……っ」

 普通に考えれば、不倫で裏切った旦那との繋がりである電話番号なんて、変更していてもおかしくないのだが。
 脛に傷ある彼らにとっては、もう前妻とやらが自分たちを恨んで自殺したに違いないと、酷く怯えて蛍吾へと縋りついてきた。

「お願いです、どうか、どうにかして下さい。私はまだ死ねないのです。せめて澄恋が成人するまでは」
「澄恋澄恋って、なんであの子のことばっかり! 私は大切じゃないの!?」
「お前だって大事だ。けど、もう俺たちは親だろう。お前も母親なら、まずあの子に被害がいかないか心配するべきだろうが!」
「母親母親って! 私はもう女じゃないってこと!?」
「なんでお前はそういう……!!」

 二人がヒートアップするのを顔には出さず面白がっている蛍吾を、横目で見ながら今日の夕飯の事を考える。ご飯より麺の気分。街に出てラーメン屋でも行こうかな。
 不意に、ピリリリ、と着信音がした。
 はい、と出たのは蛍吾である。蛍吾が電話を受けたのを見て、発狂寸前だった二人は急に落ち着きを取り戻して口を噤んだ。

「……はい。今、伺っているところで。ええ、大丈夫です。問題ありません。……はあ、それでしたら、山尾に後処理を一任して、……は? ええ、はい。では、今から向かいます」

 眉間に大きな皺を作って、蛍吾は通話を切って席を立った。

「すみません、急用が出来ましたので、お祓いはまた後日改めて」
「そんな……!」
「恨みが一番強いのは奥さんですが、奥さんの守護霊が強い為に手を出せないようです。だから旦那さんに呪いが波及しているだけで、あなたが今すぐ死ぬような事はありません」
「澄恋は、あの子は」
「あの子に呪いが向く事は絶対にありません」

 蛍吾が言い切ると、男性はあからさまにホッと肩を落としたが、女性の方はそんな男性を疎ましげに睨んでいた。微かな違和感。だが、その正体がうまく掴めない。

「では、日程はまたトナリグミの方から連絡がいきますので」
「よろしくお願いします」

 俺も席を立って志摩宮を振り返ると、いつのまにか彼は和室の奥で少女とままごとをしているようだった。
 言葉が通じないと言ったからか、少女は無言でカップや皿を志摩宮に差し出し、身振り手振りで食べてと示している。志摩宮もそれに応じて食べたり飲んだりするフリをしていた。
 男性が志摩宮に向かってだろう、「お付き合いして頂いて、ありがとうございます」と頭を下げた。

「志摩宮、行くぞ」

 蛍吾が言うと、志摩宮は無言で頷いて、手を合わせてご馳走さまのポーズをした。少女が嬉しそうに笑って頭を下げた。

「また来る?」
「バイバイ」

 最後まで志摩宮は少女の言葉が通じていないフリを貫き、少女は少し寂しそうに手を振った。
 玄関を出ると、風がさぁっと肌を撫でていく感覚に、戻ってきた、と感じる。部屋を出て、やはり強く思った。あの家は、霊が小物一人にしては霊障が強過ぎる。
 マンションのロビーまで降りると、停まっていた車の前で蛍吾が振り向いた。

「ここで解散」
「は?」
「こないだの鬼、処理を任せた奴が死体の邪気で発狂して本部で暴れたらしくて、事後処理。だから今日は電車で帰ってくれ」
「こいつと? ふたりで?」

 当然、と蛍吾が頷き、志摩宮の顔が明るくなる。笑ってないのに。怖い。
 車のドアを開けた蛍吾が中の運転手に何事か言うと、万札が俺に渡された。

「門限までには帰れよ」

 臨時収入ゲットに、どこに寄ろうか考えていたら、蛍吾に釘をさされた。
 はいはい、とおざなりに返事をして、蛍吾を見送った。が、はたと気付く。
 俺、女装のままなんだけど。

「服……」

 と、呆然と呟くと、後ろでぶふっと噴き出した奴がいる。もちろん志摩宮だ。

「お前、気付いてたなら言えよ」
「いや、その格好で出歩きたいのかと思って」
「んなワケねーだろ! 恥ずかしくてラーメン屋にも入れねぇよ!」
「ラーメン屋……」

 すでに道行く人に女装男を見る目で見られている。仕事中ならまだしも、こんな姿で電車に乗るなんて無理だ。
 頭を抱えてしゃがみこむ。そうだ、タクシーを呼んで帰ろう。というか、もしかしたら最初から蛍吾はそのつもりで一万円も渡してきたのかもしれない。

「志摩宮、タクシーで帰ろう」
「先輩、俺ラーメン屋行きたいです」
「は?」
「行ったことないので」

 いやいやいや、と勢いよく首を振った。

「俺のこの格好じゃ行けないって。恥ずか死ぬ」
「ちょっとその辺で服買ってきますから、そこの公衆トイレで待ってて下さい。あ、顔は洗っといて下さいね。少しは落ちると思うんで」

 言うが早いか、志摩宮は駆けていった。この辺の地理があるのだろうか。まぁ、タワーマンションがあるくらいだから、買い物に不便がある立地ではないだろうが。
 言われた通りに近くにあった小さな公園の公衆トイレに入る。最近建設されたものなのか、水場が綺麗なのが有り難かった。
 暑苦しいウィッグを外し、何度か水で顔を洗うと、目の周りにぼやけた茶色が残った以外は意外と落ちたように見える。
 拭くものがないので自然乾燥していると、入ってきた同い年くらいの学生が「うわっ」と飛び退いて出て行き、男子トイレの看板を確認して異様なものを見る目で入ってきた。

「……すいません、罰ゲームで……」
「ああ……。ご愁傷様」

 罰ゲーム、の言葉に納得したらしい彼は、俺を気にしながらも小用を足し、足早に出て行った。
 あんなに警戒されると、俺が変態みたいだな。通報したりしないでくれると嬉しいんだけど。
 手持ち無沙汰に、スマホで時間を確認する。俺のスマホはそろそろ三年目で、バッテリーの減りが異様に早い。朝から持ち歩いているだけで残りのパーセンテージは五十五を切っている。無駄に使うといざという時に使えないからと、時刻を確認しただけで画面を消灯させた。
 午後四時。陽は傾き始めたが、まだ暑さは引かない。

「あの……」

 もうちょっと化粧落ちないかな、と目元を指で擦っていると、鏡越しにさっきの男子学生が入ってくるのが見えた。

「ん?」
「大丈夫、ですか?」
「え、なに、頭がってこと?」

 そんなヤバそうに見える!? と振り向くと、慌てたように手を振って「違います!」と彼は言った。

「その、帰れないんだったら、着替えとかなにか必要かと思って」

 どうやら男子学生は俺を心配して戻ってきてくれたらしい。有り難さに涙が出そうだ。

「ありがと、でも大丈夫。友達が着替え持ってきてくれるの待ってるんだ」
「そうだったんですか……。なんか、余計なこと、すいません」
「全然。心配してくれてありがとう。嬉しい」

 事情を話して、お礼も言った。話は終わりの筈なのに、男子学生はまだ出て行こうとしない。

「……まだ何か?」
「あの、僕、こんな事初めてで」
「は? ああ、まあ、女装男なんてそうそう見るもんじゃないしな」
「よければ、連絡先教えてもらえませんか」
「……は?」

 全く文脈が読めない。何故そうなる。
 俺がぎょっとして固まるのに、男子学生は照れたように顔を赤くしてはにかんだ。いや、笑ってる場合じゃないぞお前。男をナンパしてんだぞ分かってんのか。

「いや、だから、俺男だけど」
「はい。俺も男をナンパするの初めてです」

 自覚あったんだね。
 どう切り抜けたらいいのか、全く分からずうーんと考え込むしかなかった。

「なんかこう、すっごいえっちですよね。その格好」
「え、これが?」

 白いブラウスに膝丈スカートがエロかったら、全国の事務員さん全員エロい格好って事になるだろうが。どんな性癖だよこいつ、と逃げ出したくなるが、この格好で外に出る訳にもいかず。
 早く来てくれ志摩宮、と内心でヘルプを出しまくるしかない。

「服じゃなかったら、あなたがえっちなんだと思います」
「ひっ」

 段々目つきが怪しくなってきたぞ、この人。じりじり近付いてくるし。
 もしかして、と慌てて霊視できる方にチャンネルを変えると、果たして彼に覆い被さるように息の荒いオッサンの霊が露出した下半身を慰めているのが視えてしまった。
 気持ち悪っ、と反射的に男子学生の頬を引っ叩くと、勢いでオッサンの霊が消し飛んでいく。

「え……」

 オッサン霊が消滅すると、男子学生は目が覚めたように目を瞬き、やおら謝りだした。

「す、すみません! 俺、めっちゃキモい! なんでこんなことっ」
「あー、いいよ。この辺、磁場が悪くて気が変になる奴多いらしいから。あんま来ない方がいいよ。罰ゲームじゃなかったら俺も来ない」
「そうなんですか。なんか、本当すみませんでした」

 それじゃあ、とぺこぺこ頭を下げながら、男子学生は今度こそ帰っていった。
 周囲を見回すと、さっき消したような男の霊が複数体残っていて、個室便所の扉の影からこちらをじっとりと見つめている。新しめの施設なのに利用する人が少ないのは、もしかしたらこの辺では本当に変態が多いと噂が立っているからかもしれない。
 待っているあいだ暇なので、そいつらを適当に消していく。触れた指先から少しずつ流れ込んでくる感情には性欲しか無く、おそらくは生前からここで猥褻な事をしていた奴らなのだろうと推測できた。性欲以外に特に強い思いのある奴もおらず、ほとんど無抵抗に消え去っていく。

「先輩、何してるんです?」
「ん~、空気清浄機のマネ?」

 ショップ袋を下げた志摩宮が来る頃には、すっかり脂ぎった男の霊は消え去っていた。一息ついて、スイッチを切り替える。

「飯屋はたくさんあったんですけど、男物の服屋がなかなか無くて。遅くなりました」

 ご丁寧にタグを切ってもらってきたらしく、他に誰もいないのをいいことに、その場で着替える。
 ワッフル生地の半袖Tシャツに黒のストレートデニム。シンプルなものを買ってきてくれたおかげで、今後も着られそうだと安心した。奇抜なものを買ってきたら、蛍吾に請求しようと画策していたのは内緒だ。

「ありがとな。万札崩れたら払うから。いくらだった?」
「俺のサイズで買ってきたんで、寮に帰ったらそのまま脱いで返してくれればいっスよ」

 女物の服とウィッグをショップ袋に入れ、やっとトイレの外に出ることができた。

「そっか、体型似てるもんな。洗って返すから、二、三日待ってくれ」
「いや、帰ったらそのまま下さい」

 重ねて強調され、珍しく隣を歩く猫背に肘鉄を喰らわそうとして躱される。

「変な勘繰りされたくなかったら大人しく洗濯させろ」
「……はい」

 分かりやすく萎んだ志摩宮に、こいつはどういうつもりなんだろうと訳が分からない。
 俺が好き? ……という感じでは無さそうだ。頻繁に女とセックスしているようだし、俺だけに欲情するわけでもない。懐いているのは分かるが、友情にしては性欲を絡めるし、行動がよく分からない。

「お前さ、なんで俺に懐いてんの。俺が好きなの?」

 ストレートに聞いてみるのが一番と、そのまま疑問をぶつければ、しかし志摩宮もきょとんとして首を捻った。

「好きって、先輩をですか? 恋愛的に? いや、無いですね。先輩はなんていうか、めちゃくちゃチンコ勃つって感じです」
「……」
「すっごい触りたくなるんでいつでも傍に居たいな~、と思ってたら傍に置いてくれるし、一緒に居るだけでえっちもできるようになったし、ラッキーですね俺」

 誰かこいつの語彙を増やしてやってくれないか。
 だが、そんな貧弱な語彙ですらなんとなく理解出来てしまったのが悲しい。
 こいつ、俺をオナペットとして認識してやがる。

「……ラーメン奢ってやるから、服は買い取らせてくれ」
「ヤです。先輩に会えない時に嗅ぐ用にするんで、出来れば洗濯しないでほしいんですけど。先輩が嫌なら仕方ないので」

 誰か助けてくれ、と天を仰ぐが、加護すら発動しない。悪意ゼロでこんな事を言う、とんだ忠犬を拾ってしまった。

「そういや、ラーメン屋行ったことないって言ってたか、さっき」
「はい」

 いつまでもうじうじしていても仕方ない。
 こいつはこういう奴だと割り切るしかない。下心しかないと判明したのだから、つまりはそれを前提に扱えばいいだけなのだ。
 土地勘のあるらしい志摩宮に駅まで誘導させながら、道すがらラーメン屋を物色していく。
 濃厚とんこつ。気分じゃない。
 節系つけ麺。好きだけど今日はラーメン。
 魚介醤油。普通だな。店内を覗くと、席はカウンターを残して満席だった。夕方のこの時間にこの混み具合なら、味に心配はないだろう。

「ここにするか」

 はい、と返事をして、志摩宮は俺について店に入る。いくつかの視線が志摩宮に集まったが、俺が「志摩宮、カウンターでいいよな」と聞いて彼が「いいですよ」と流暢な日本語で返すのを見て、すぐに散っていった。

「ラーメン自体は食ったことあるんだよな?」
「カップラーメンとインスタントのはありますけど、店ではないですね」

 それはつまり食べた事が無いようなものだと思うが。ファミリー層も利用するのか、品書きが写真付きなのが有難い。カウンターの壁際に置かれたそれを二人でのぞき込んで、どれにしようかと志摩宮を横眼で窺った。

「何味がいい? この店は醤油推しみたいだけど」
「好き嫌いないんで、醤油にします」
「おっけ」

 即決した志摩宮に、初めて親近感を覚えた。
 短気な方ではないと思うが、いつもは優柔不断な蛍吾と一緒なので、注文までしばらく掛かることが多い。さっさと決めてくれるのは助かる。

「醤油ラーメン二つと、餃子一枚」
「餃子……」
「すいません、餃子も二枚で」
「はいっ、醤油二、餃子二でーす!」

 カウンター越しに店員に頼むと、元気な声で注文を繰り返された。

「食い終わったら電車で帰るけど、お前、通いだったよな。最寄り駅どこ?」
「鶴瀬だから、こっから三駅くらいですけど。学校まで送って行きますよ」
「アホか。女じゃねぇんだから送りとかいらんわ」

 スマホを出して時刻を確認すると、横に座る志摩宮が画面を覗き込んでくる。

「じゃあ、どこでします? 電車内とかで済ませます?」

 思わず志摩宮から上半身が逃げた。

「な、……何を」
「何って、今日のバイト代ですよ。別に俺はどこでも大丈夫ですけど、校舎はもう閉まってるでしょうし……、あ、外でもいっスよ。先輩、露出とか好」
「ちょっと黙れ」

 睨み付けると、即座に口を閉じた。周りに聞かれたくないのを分かって言ってたなこいつ。
 志摩宮を静かにさせて、考える。バイト代に関しては、もうしょうがないものとしよう。しかし確かに場所については考えていなかった。
 戻る頃には志摩宮の言う通り校舎は施錠されているだろうし、寮の部屋でするにしても同室の蛍吾が帰ってきたらと思うと出来れば避けたい。だからといって野外で……なんて趣味は無いし。

「……お前の家は、親とか居るか」
「いませんよ。アパートで一人暮らしなんで」

 俺がそう聞いてくるのも想定済みなのだろう。志摩宮は即答し、愉しげに猫背を揺らして唇を弧に曲げた。

「ん? じゃあなんで彼女を外に呼び出したりしてたんだ?」

 先日、山の公園で会った夜の事を思い出し、首を傾げた。一人暮らしなら、部屋に呼び出せばいいだろうに。

「言ったじゃないですか。青姦したかったからだって」
「ああ、そう……」

 青姦、の単語に志摩宮の隣に座ってラーメンを啜っていたサラリーマンが、ぎょっとして志摩宮を横目で見た。なんかすみません。

「てか、彼女じゃないですって。セフレ」
「被害者多そうだな」
「えー? なんですか、人を強姦魔みたいに。無理やりしたことなんて無いですよ」

 俺は? ……俺は、無理やりでもなかったか。そんなに抵抗していなかったし。
 やはり志摩宮は『上手い』のだろう。だからきっとセフレみたいな女が大量にいるに違いなく、俺もその中の一人になっただけ。そう思うと、少し気が楽になった。

「じゃあお前の家」
「え、俺、家に人入れるの嫌なんですけど」

 へいお待ち、とカウンターからラーメンの器が渡されてきて、志摩宮にツッコミを入れるタイミングを逃してしまう。

「だったら明日でいいか? 明日なら空き教室とか……」
「人入れたくないですけど、しょうがないんで俺の家でいいですよ」
「お前なぁ」

 イラ、として睨み付けるが、志摩宮は気にした風もなく、続いて置かれた餃子二皿を受け取って、俺と志摩宮の間に下ろした。

「美味しそうですね」

 嬉しそうに小皿に醤油を入れるのを見て、毒気を抜かれる。この性格、絶対男友達少ないぞ。俺が言えた義理じゃないけど。
 ずるずる、とラーメンを啜る。さっぱりした魚介醤油は、癖もなく食べやすかった。志摩宮が美味しそうに食べているのを横目で盗み見て、まあいいかと内心だけで嘆息した。
 食べ終えて会計し、店を出るともう外は陽が傾き始めていた。

「駅どっち?」
「あっちですね」

 今度は志摩宮を前に、俺がついていく。志摩宮の後ろ姿を見るのは珍しい。いつもくにゃりと曲がった背中に、逆に腰を痛めそうだよなとどうでもいいことを思う。

「そういや、志摩宮も制服、蛍吾に渡したままだったな。明日の朝、寮の部屋に来れるか?」
「了解です」

 言われて初めて思い出したみたいに、志摩宮は胸元を摩ってネクタイが無いのを確認して俺を振り向いた。
 その緑の瞳が、夕陽を受けて金に輝いて一瞬息を詰める。
 綺麗な目。この目を見てから、どんなにうざったくても、どうしても彼を突き放せない。魅了されたのは俺の方なのかもしれない。
 志摩宮はすぐに前を向いてしまった。

「三駅ですからね」
「? ああ」

 志摩宮が重ねて言う意味がよく分からなかったが、気にせず頷いた。
 俺が切符を買って、時間的に学生の多い電車に乗って鶴瀬で降りる。志摩宮に案内されるままについて行くが、途中のコンビニでジュースを買おうと言ったら「家にありますから」と強めに腕を掴まれて引き摺られたので、駅から十五分ほど歩いた志摩宮のアパートへ着いた頃には、喉がカラカラだった。

「とりあえず水でいいからなんか飲ませてくれ~」

 二階建ての、新しくもボロくもない普通のアパートの階段を登り、角部屋の鍵を開ける志摩宮の背に、そう頼んだのだが。
 狭い玄関で振り向いた志摩宮に腕を引っ張られ、もう片手で器用に玄関ドアを閉めた彼はそのまま俺に覆い被さって口付けてきた。

「っ、ちょ」
「いっぱいどうぞ」

 キスの合間に志摩宮はそう言い、唾液を流し込まれて身をよじる。拒否しようにも狭い玄関で後頭部は壁に押し付けられていて、それになにより、俺には抵抗する気も無かった。
 唾液が染み出す舌が俺の舌を舐めるたび、浅ましく腰が揺れる。昨日の行為を覚えてしまった俺の身体は、それだけで期待に膨らんできてしまうのだから始末に悪い。
 しばらく唾液を飲まされて、志摩宮が満足した頃には、立っているのもやっとだった。膝がガクガクして力が上手く入らない。

「……お前、そうとう上手いんだよな?」
「さあ?」

 志摩宮は含み笑いして、ようやく靴を脱いで中に入っていった。

「お茶でいいですか」

 俺が靴を脱いで部屋の中に入って行くと、小さなワンドアの冷蔵庫から五〇〇ミリペットボトルを取り出して、蓋を開けるところだった。「ああ、ありがとう」とそれを受け取ろうとするのに、避けられてしまう。

「飲ませてあげますよ」
「……」

 部屋はいわゆる1DKという形だろうか。玄関から目隠しもなく続く小さな台所と、その奥に襖を開け放たれた六畳。二室ともフローリングの部屋の奥には脚付きマットレスがあり、その周りにはきっちり纏められたいくつかのゴミ袋が数個と、脱ぎ散らかされた衣服。
 カーテンの引かれた薄暗い室内で、口移しでお茶を飲まされる。こくり、こくりと少しずつ、唾液を混ぜられたそれを無抵抗に。

「……も、いい」

 俺が首を振ると、志摩宮は残念そうに眉尻を下げた。

「先輩、ほんと全然嫌がらないですよね」

 志摩宮がマットレスの方へ俺を引っ張って行き、掛け布団をどけたシーツの上に仰向けに倒される。上に乗り上げた志摩宮が股間のジッパーを下ろすのから目を逸らした。

「なんだかんだ、気持ちいいし。気持ち悪かったらさせないけど」
「気持ちいいから、ですか。蛍先輩が気の毒ですね」

 急に蛍吾の名前が出てきて、何故だか分からない。

「蛍吾?」
「まあでも、蛍先輩も気にしないタイプみたいですし、俺は有難いですけどね」

 何を言っているのかよく分からないが、まあ志摩宮はいつもよく分からないからいいだろう。
 耳を舐められ、ぞわ、と怖気と気持ち良さが混じった感覚に肩を竦めた。志摩宮はそのまま耳を舐めたり軽く噛んだりしながら、俺のTシャツを捲り上げて乳首を指で捏ね出した。
 くすぐったさに胸を動かすが、志摩宮はやめてくれない。

「し、志摩宮。俺、男だからそこ弄らんでいいって」
「え、気持ちよくないですか? 俺は舐めてもらうの好きですけど」
「そーなの? うーん、経験値の差かな~。俺はくすぐったいだけだな」

 だからやめて、と言うのだが。
 志摩宮は何を考えているのか、指を舐めて濡らして、またそこを弄り始める。
 ぬるっとした指の先で軽く触れる程度にくりくりと円を描くように撫でられて、じっとしていられず指から逃げようとするが執拗に追ってくる。

「や、だ。しま、みや」

 不意に爪先が先端を掠めて、ぞくぞくぞく、と背筋を気持ち良さが駆け上った。

「っあ、やば」
「先輩、気持ちいいの、すぐ覚えますね」

 耳元でくすりと嗤われる。
 ピン、ピン、と続けて乳首を弾かれて、出そうになった声を唇を噛んでなんとか我慢した。

「う、……っぅ」
「そのまま我慢して下さいね。壁薄いんで」

 先端を親指と人差し指で潰すみたいに擦られて、頭が蕩けそうになりながら何度も頷いた。
 志摩宮は俺のズボンのジッパーも下ろして股間を寛げ、昨日のように彼の勃起したソレとくっつけて腰を揺らしだした。
 自然と視線がそこへ向いてしまって、俺の二倍はありそうな長さに一瞬で正気に返る。

「え、なにそれ」
「ん」
「なにそのデカさ。こっわ。えっぐい」

 アフリカ系の男はデカいというのは知識として聞いた事があるが、『志摩宮』なんて普通の名前で、普通に日本語を話している奴からこんな物が出てきたのだから、驚いても無理はないと思う。

「……昨日も見たじゃないスか。なんで今更」
「いや、昨日はそんな余裕無かったし。うわ、やっば。え、触っていい?」

 昨日は気持ち良さに流されるまましてしまっただけで、志摩宮のソレを見る余裕なんて無かった。握った時は確かに俺よりでかくて握りにくいなと思ったが、こんなに長いとは。
 興味津々で志摩宮の肉茎を掴み、ストロークの長さに感嘆する。根元から先端までを擦り上げるのに、途中で曲げてしまわないか力加減に気を使うほどだ。

「こんなデカいんなら、呼べば来る女の子がいるっての納得するわ」

 大きさが違いすぎて、コンプレックスも刺激されない。白旗降って完敗だ。こんなの、本当に女の子に挿れて大丈夫なのか心配になってしまう。

「……先輩も、挿れてみたいですか」
「は? 勘弁しろよ、壊す気かよ」

 無理に決まってんだろ、と言うと、なんだかホッとされた。

「さすがに、男に挿れる趣味無いんで。でも、先輩がどうしてもって言うなら頑張らなきゃならなくなるとこでした」
「男と抜きあう趣味はあんのに? 勝手な奴だな~」
「男っていうか、アナル好きじゃないんですよね。前にしたけど、あんま良くなかったですし」
「納得」

 性に奔放すぎる志摩宮は、どうやら相当経験値が豊富なようだ。
 それでも、俺が彼の陰茎を擦ると気持ち良さそうに息を荒くするので、志摩宮が俺の乳首を弄ってくれる代わりに俺は彼を扱く。掌の中で志摩宮の肉がぐっと張り詰め、びしゃ、と出てきた白い粘液が俺の腹に掛かった。

「……はー、先輩の手、マジで気持ちいい」
「そりゃどーも」

 辺りを見回し、ティッシュの箱を探す。ちょうど手の届く範囲にあったので腕を伸ばそうとしたら、その手に志摩宮の手が重ねられた。

「昨日も言いましたけど、ちゃんと先輩も気持ちよくしますから」

 まだですよ、とティッシュ箱を蹴りやって、志摩宮が俺の胸に唇を寄せる。散々弄られて気持ちよくなることを覚えた乳首は、幾分か膨れて見えた。

「……っ」

 ぺろ、と先端を舐められたと思えば、ちゅうちゅうと吸われて背筋が反ってベッドの上で跳ねた。
 俺の手を握った手と反対の指で、もう片方の乳首も捏ねくり回される。
 噛んだ唇から血が出て錆びた味がするが、声を我慢するために必死で噛んだままにした。
 股間を弄るのとは違った、甘い疼き。気持ちいいのに上り詰めることはできないその快感に、逃げたくなる身体に志摩宮の体が重石のように乗って動けない。

「しまみや、しまみや、むり、もう無理」

 胸の突起への刺激で、俺の肉はぱんぱんに張り詰めている。先端からみっともないほど先走りを流し、早く触ってくれと腰を揺らした。

「我慢した後の方が気持ちいいですから」

 だからまだですよ、と言って、志摩宮は俺の茎に触れてはくれない。
 乳首を吸っていた唇が、今度は俺の唇に移動してくる。舐めて、吸って、唾液を飲まされる。唇の切れたところも丹念に舐められて、チリチリと痛い筈なのにそれさえ気持ち良さに拍車をかけるみたいで泣きそうになった。

「志摩宮ぁ……、も、イかせて……」

 志摩宮が口付ける角度を変えるタイミングで唇を離して、それに乗じてやっと声を出せた。
 腰を浮かせて志摩宮の股間に擦りつけると、驚いたことに彼のソレがまた硬さを取り戻していた。

「せんぱ……」

 一回イッて余裕があると思っていた志摩宮は、よく見れば雰囲気が怪しい。荒い呼吸をキスで押し潰し、我慢しきれないみたいに俺の股間にぴったりと股間を擦り付けて腰を振りだした。
 無理して腹をくっつけて擦ってくるせいで、吐きそうに苦しい。なのに、志摩宮の先端が俺の皮膚の上で滑る度、殺し切れなくなった嬌声が漏れてそれを彼の唇で押さえられた。

「んん、ぅ、んんん」
「せん、ぱい」

 乳首が志摩宮の肌と擦れた瞬間、股間が張ちきれて白濁を吐いた。
 開放感に白く瞬く視界。はぁ、と気持ち良さに身震いすると、志摩宮が俺の上半身の方まで乗り上げてきて、俺の乳首に陰茎を擦り付けはじめた。

「なっ」

 赤黒くぬらぬら鈍くテカる先端でごりごりと擦られ、乳首から痺れるような気持ち良さが走る。あくまで優しく撫でてくれていた指先と違い、肉茎は俺の乳首を擦る刺激でイこうとしているからか容赦がない。

「先輩、舌出して」
「や、っ!」

 乳首に擦り付けるだけではイききれないと悟ったのか、志摩宮は肉茎を擦りながら俺の口に先端を押し当ててきた。咥えるなんて出来るか、と顔を避けるが、志摩宮は無理やり突っ込んでこようとはしない。

「先輩、先輩。ベロだけ。あーって口開けてくれたら、そこに出すだけだから」
「ふざけんなっ」

 そんなもん出されてたまるか! と唇を引き結んで顔を横にぶんぶんと振る。

「も、出る。先輩」

 言うが早いか、志摩宮は達した。俺の顔に、彼の白濁が飛び散る。反射的に目を閉じて、青臭い匂いに吐き気を催した。

「お前な」

 目に入るのが嫌で目を閉じたまま文句を言おうとしたのだが、口を開いたら垂れてきたそれを舐めてしまってぺっと吐いた。途端、志摩宮がまた口付けてきて、口の周りのそれを舐めとった舌を強引に捻じ込んでくる。
 しょっぱいような苦いようなその味を唾液に混ぜて飲まされ、気持ち悪さにえずいた。が、吐き出すのを許されず、あまりの強引さに志摩宮の舌を噛むと、ぎゅうと陰茎を握られた。

「やめろ!」

 いっそ加護を使って志摩宮を退けてしまおうかと、思った瞬間に陰茎を激しく擦り立てられて理性が崩れる。

「先輩。ダメです。今は俺に報酬くれる時間でしょ。俺を喜ばせて下さいよ」
「ふ、ざけ」

 志摩宮の手は自分でするより強く俺のを擦るのに、的確にイイところを指が押さえているからか一度射精したのにいつもより早く追い上げられていく。

「しまみ、や、……っ」

 文句なんて、もう言える余裕がない。うっすら目を開けると、間近に志摩宮の真っ黒の髪が揺れるのが見えた。
 赤銅色の額の表面に、汗が伝っていた。眇められた双眸が、俺を見下ろして笑っていた。
 その瞳に見つめられると、途端に何もかもがどうでもよくなった。志摩宮に縋り付いて、その手の動きに身を委ねる。

「先輩、ほら、キスしましょう。好きでしょ?」

 俺の頰に吐き出された自分の精液を舐め取って、志摩宮はその舌先を俺に差し出した。舌を伸ばしてそれを舐めると、満足げに彼は唇を合わせて、さらに深く口付けてくれる。
 上も下も、気持ち良くて。ただただ、彼にされるがままに。
 何度も何度も彼の手に精を吐かされて、解放された、と気が付いたのはもう寮の門限ギリギリだった。
 「楽しくてやりすぎましたね」と俺に同意を求めてきた志摩宮を蹴り飛ばそうとして失敗し、色んな体液で汚れた服は志摩宮の他の私服と交換することになってしまった。
 結局タクシーを呼んで急いで帰り、寮の部屋がまだ真っ暗で、蛍吾が帰っていないことに安心してベッドに倒れこむようにして眠りについたのだった。










 しかしその夜中、息苦しくて目を覚ました。
 喉が締められているような心地で、上手く呼吸ができない。おまけに身体もとても重く、腕を動かそうとしても指が微かに動く程度だ。
 ああこれは、と思い当たってげんなりした。持ち帰ってきてしまっていたのか。
 できる限り長く息を吸い、目を閉じて細く吐きながら集中する。
 視界のチャンネルを変え、ゆっくりと目を開けた。
 眼前に、黄色く濁った眼球。
 ヒュ、と短く息を吸い込んで喉が鳴った。霊を見るのに慣れてはいても、さすがにゼロ距離は心臓が止まるかと思った。
 認識出来たおかげで腕が動くようになり、首を締めてくる細い腕を振り払うように腕を動かすと、ソレは「キャアアアァァァ!!」と甲高い悲鳴を上げて俺から離れた。

「な、なんだ!?」

 いつの間にか帰ってきて寝床についていたらしい蛍吾が、悲鳴に驚いて飛び起きる。

「あ、わりぃ」

 蛍吾は常時スイッチオン状態なので、寝ていてもこいつの声が聞こえてしまったらしい。
 飛び起きて眼鏡を掛けた蛍吾は、俺に腕を消しとばされた霊を見て一瞬呆けてから、また布団を被って横になった。

「手伝ってくれないのかよ」
「自分で出来るだろ」

 そりゃあね、と言いつつも、監視対象が襲われているんだから助けてくれてもいいと思う。ぶつぶつ文句を漏らしつつ、消された腕の先からご丁寧に血を流す演出をしてくれた霊の首を鷲掴んだ。
 途端、恨みだの苦しみだの痛みだの、色々な感情が流れ込んできて鳥肌が立つ。こういう中途半端に人間だった頃の自意識が残っているタイプは、結局首を飛ばされると意識も消えて消滅する。二度目の死がよほど怖いのか、手から伝わる感情の中に哀願まで混ざり出して辟易した。

「人殺そうとしといて、殺されたくないってのは無理あるでしょ」

 俺がそう言った途端、霊からぶわ、っと怒りと怨嗟の念が膨らむ。
 瞬間的に、いくつかの映像が意識にぶち込まれてくる。小さな赤ん坊。繋いだ手。こちらを見る女の子。段々と成長していく子供と共に、深い愛情と憐憫、そして心臓が焼け焦げそうなほどの、怨嗟。女の子はいなくなった。どこにも、何枚もの風景にも、出てこなくなる。そして最後の、最期の意識。四角い木組みの箱に、必死で願いながら手首を切った血を垂らす。我が子を奪った相手を探して殺す。それだけを願いながら、ゆっくりと、何時間もかけて絶命した。
 ぽろぽろと涙を流して抵抗をやめた霊から、手を離す。

「蛍吾、蛍吾」

 俺は加護に任せて消滅させるのは得意だが、成仏させるのは苦手だ。恨みとかそういうのを丁寧に一枚一枚剥がして、生きていた頃の穏やかな心のままになってからでないと、上手く輪廻に戻れないのだと、組織に入ってから修行と称する研修で教えられた。生来ガサツで面倒くさがりな俺はそういう集中力と丁寧さを求められる作業は早々に飽きてしまい、以来蛍吾に任せてばかりだ。
 微睡みに落ちていた蛍吾を叩き起こし、微動だにしなくなった女の霊を示してやってもらおうとしたのだが。

「だぁから、自分でやれって!」
「ケチ」
「俺は! 無料で仕事するような素人じゃねーんだよ!」
「……こわぁ」

 どうやら本部で相当理不尽な目に遭ってきたらしい。
 八つ当たり気味に掛け布団の中から出てきた足に蹴り返され、仕方なく自分のベッドへ戻った。
 女の霊は俺のベッドの上に座り込み、その手を見つめて放心しているようだ。俺の首を絞めていた時は確かに昼間と同じく腐り落ちていた肌の肉が、しかし今は痩せ細ってはいるが生きている人間のそれとそう変わらないように見えた。今際の際の胸中を俺に移した事で、少しは穢れが剥がれたのかもしれない。

「あんまり上手く出来ないけど、恨むなよ」

 女と向かい合うように胡座をかいて座ると、女が少しだけ顔を上げた。さっきまでどうやっても黒い靄がかかって見えなかった顔が、口元だけだが薄ぼんやりと見える気がした。
 女のささくれて骨が浮き出た手に、俺の手を重ねる。瞼を閉じ、ゆっくりと出鱈目な念仏を唱え始めた。それと同時に、彼女の中の憎悪が俺の中へ移動してくる。
 なむなむほーれん、なんまだぶなんまだぶ。
 念仏を唱え始めると三十秒足らずで寝入ってしまう俺に呆れて、蛍吾が考えた出鱈目な念仏もどきだ。口に出すとリズムがよくて、かつ寝ずに集中できるように。
 兎にも角にも、霊から穢れを掬い出すのを念じながら口ずさめればなんでも良いらしい。
 俺の言葉が指になり、女の霊に突き刺さっては穢れを毟り取る。苦しそうな表情で耐える女の姿に、もっと優しく、痛くないように、と丁寧に丁寧に、めちゃくちゃな念仏を唱え続けた。

(……ごめんなさい。私、どうしてもあいつを許せない。本当にごめんなさい)

 あと一枚剥がせば、浄化されて成仏できる。
 そこまできて、不意に半透明の女が頭を下げた。涙を流す姿は、もうほとんど生前の姿だったろう、細身の普通のおばさんだった。
 瞬きの間に、その姿は掻き消えていた。

「やっば、逃げられた」

 悪霊を逃す事はあり得ない。だが、女の霊は俺に対して完全に敵意を喪失していて、だから加護の力が働かなかったようだ。
 さっさと消滅させれば仕事完了だったのに、逃したと知られたら蛍吾に怒られるだろうな、と彼のベッドの方を向くと、布団から顔だけ出してこちらを見ている蛍吾の視線とぶつかった。

「えっ、起きてたなら手伝ってくれよ」
「久々にしては頑張ってるなーと思って。逃したって事は、もうほぼ無力化してんだろ?」

 疲弊した体を休めるために横になると、今更ベッドから出てきた蛍吾が俺のベッドの方に入ってきた。

「狭いんだけど」
「俺だって眠いし、時短時短」

 若干の穢れが移った俺の手を両手で掴み、蛍吾はそのまま寝息をたて始めた。
 加護があるから俺が穢れても自然に剥がれていくが、基本的には穢れっぱなしにするのは良くない。だから蛍吾が穢れを祓うのはいつもの事で、俺も意識する必要なんてないのだが。
 近くにある蛍吾の顔に、試してみたい衝動に駆られる。
 蛍吾としても、志摩宮とのようにキスは気持ちいいのだろうか。

「な、蛍吾って童貞じゃないよな」
「……」
「キスって気持ちいい? 普通それだけでイきそうになる?」
「……」
「ちょっとしてみていい?」
「ふざけんな、黙って寝ろクソバカ」

 蛍吾に叱られ、諦めて寝る事にした。
 目を閉じ、スイッチをオフにして今度こそ眠りにつく。

「あ。そうだ。あのな、志摩宮には、お前のケツは俺のだから使うなって言ってあるからな」
「……あいよ……」

 ほとんど眠りに落ち掛けた意識の中で、蛍吾にそんな事を言われたような気がした。

 
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