神は絶対に手放さない

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神は絶対に手放さない

12、想いの先が繋がっているとも知らずに

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 俺が寮に帰り着くと、部屋にはもう蛍吾が戻ってきていた。
 何時まで外に居るんだ、と叱られて、少し気分が浮上する。蛍吾も言葉の上では怒っているが雰囲気はそうではない。
 俺の加護を視て、確かに戻っているなと安堵の息を吐いたようだった。

「それにしても」

 触れないってのは不便だな、と。蛍吾は、どんなもんかと確かめるためにそろそろと用心深く俺に手を近付けて、弾かれることなく肩に触れた。

「あれ」
「……触れるが」

 俺の肩を揉み、蛍吾も俺も眉根を寄せる。

「志摩宮は無理だったんだよ。なんかこう、パーンて弾かれる感じで。火花見えたレベル」

 本当だぞ、と身振り手振りで蛍吾に説明すると、彼は顎に手を当ててうーんと考えこんだ。そして、一度手を離してから、握り拳を作って振りかぶる。
 ぐにゃり、蛍吾の拳の軌道は空中で不自然に曲がって、俺に当たることはない。

「加護としては、いつも通り発動してるみたいだな」

 よろめいた蛍吾を抱き止め、俺も考える。
 あれはいつもの加護ではなかった。どう考えても不自然すぎる。
 じっと自分の手を見つめた。俺の神様の加護は微弱すぎて、集中してもほとんど見えない。呼吸を止めないように気を付けながら、己に掛かるそれを視ようとする。
 ラジオの選局をイメージしろ、と蛍吾に教えられた。ラジオの実物を知らなかった俺にわざわざラジオを持ってきて、丸いツマミを動かして電波を捕まえるのだと使い方をレクチャーされて。頭の中のチャンネルのツマミを、ゆっくりと動かしていく。悪いものが視えやすいところから、綺麗なものが視えやすいところを捕まえるように。
 だいぶ集中してやっと、視界が揺れて自分に靄がかかっているのが見えてきた。
 ふわふわとした、色とりどりの綿に包まれているようだ。桃色、黄色、橙、水色。柔らかなパステルカラーが、交じり合うことなく混ぜこぜに絡み合っている。
 前に見た時はもっと薄くてツヤツヤしたガラスに守られているみたいだったのに、と蛍吾に聞こうと思ったら、集中が切れて見えなくなった。

「なんか、前より弱そうな加護になってねぇ?」
「逆だ。かなり練ってある上に、割れないように加護同士を織り込んである。……これなら、そこらの神様相手でも無傷でいられそうだな」
「マジか」
「見た感じ、防御特化だ。この前俺がよく見えなかったやつ、あれ神様相手の加護だったのか。同じ雰囲気のやつが練り込まれてる。……本部の神様怒らせて、どんくらいダメージ受けるか試してみてぇな」
「いやいや、勘弁してくれ」

 恐ろしい試みを口にする蛍吾に、思わず逃げそうになる。
 未完成の神様に呪われただけで瞬間的に指が全て折れたのに、本部の神子の神様相手なんて。全身の骨が砕けたり、ぱきっと首が折れるのを想像してゾッとした。

「志摩宮のアレ、なんだったんだろ」

 加護には問題が無さそうだ。
 しかし、ただの静電気とも考えられない。考え込む俺に、蛍吾がぽんと手を叩いて、指で紋を描く。

「……正解」

 ぐりぐり、と空中に指でなにかを描いているが、俺からは反転して見える上に早すぎてどんな紋なのか読み取れない。頷きながら何かを読んでいるように左右に動く蛍吾の瞳を見ながら、じっと待った。

「これ、お前が自分で掛けたんじゃねぇよな?」
「俺が? 自分に?」

 蛍吾が破邪の紋を自分にかけているのはよく見るが、俺は自分に紋を飛ばしたことはない。まだまだ俺の紋は歪で、たぶんだけど痛そうな気がするのだ。

「なんでそんな事する必要があるんだよ」
「いや、どーしても志摩宮とヤりたくなかったとか」
「そんなの、加護で十分じゃん」
「無かったじゃん、加護。だから紋でバリア張ったのかと」

 バリアって。わざわざそんな事をするつもりもないし、そもそも志摩宮は無理強いしないぞ、と俺が言うと、蛍吾はなんだか微妙な顔で笑った。

「やっばいわ、この紋書いたやつ。お前の意識の中に紋が染み込んでて剥がせない」

 蛍吾曰く、誰かに紋を掛けられたらしい。だが、覚えが無い。いや、あの頭痛の時だろうか。激しい頭痛と目眩と吐き気。しかし、あの時部屋に居たのは俺と志摩宮だけだ。志摩宮が紋を? いや、無いだろう。
 す、す、と蛍吾が素早く指を動かし続けていたが、しばらくして諦めたようにそれを止めて肩を落とした。

「無理そう?」
「無理じゃねぇけど……、紋を消そうとするとお前の記憶まで消える」

 なんだそれ、と意味の分からなさに眉間に皺が寄る。

「お前ん中のな、志摩宮に関する記憶を吸って、志摩宮の存在を弾くように紋が根付いてる。だから、紋を消すだけなら簡単。お前の志摩宮に関する記憶をまるっと消せば、その時点で紋も消滅」
「……つまり、志摩宮だけが俺に触れないようにしてあるってこと?」
「だな。……あんまりお前と志摩宮の仲が良いんで、神様が嫉妬したんじゃねぇか?」

 揶揄うように笑う蛍吾の顔が、あまり冗談を言っているように見えないが。

「神様って、紋とか術掛けたりすんの?」
「いや、聞いた事がないな。というか、そんな小細工しなくても、神様だったら人間同士の縁切りなんて簡単だろ」

 だよな、とやはり二人で首を傾げた。結局、紋に関しては『志摩宮だけが俺に触れないらしい』以外は分からず終いだ。

「どうする?」
「え、何を?」
「それ、消すか?」

 蛍吾は至って真面目に聞いてくる。そりゃそうだ。志摩宮は蛍吾にとって駒になり得る存在で、その志摩宮が俺たちに協力する理由は『俺とヤれるから』なのだ。
 ずき、と胸が痛む。

「無理にとは言わねぇ。別に、志摩宮がいなくても依頼は今までこなしてきたしな」

 言外に、俺とヤれなくなったら志摩宮は離れていくだろ、と蛍吾に当然の事を言われて追い討ちをかけられた気分になった。
 分かってる。分かってるけど。

「……紋、消してくれ」

 志摩宮を忘れるって事は、志摩宮を好きなこの気持ちも無くなるって事だ。
 つい数時間前に気付いた気持ち。初めて芽生えた、このむず痒いような胸を焦がす感情も、紋と一緒に消えてしまう。そう思うと無性に淋しくて、消したくなんか無い。
 でも、消さないと皆が困る。蛍吾はもちろん、志摩宮だって俺に触れなくて怒っていたし、俺だって志摩宮に触ってほしい。

「記憶のことは、俺から志摩宮に説明するから」
「うん、任せた。……記憶って、どれくらい消えんの?」
「志摩宮に関するもの全部だから……四月からの四ヶ月くらいだな。まあ、それくらいなら支障ないだろ」

 確かに生活に支障は無いだろうが。志摩宮に関すること全部かぁ。
 蛍吾が、すぃと俺に指を向ける。
 無性に言いたくなって、蛍吾の指を掴んだ。

「俺さぁ、志摩宮のこと好きなんだよね」

 蛍吾は軽く目を見開いて、それから溜息を吐いて首を振った。

「しゃあねえな。じゃあ、お前が志摩宮説得しろ。組織が志摩宮を用無しだと判断するまでは、依頼に同行させねぇと俺の立場が……」
「いや、もう消していいよ。なんかさ、言いたくなっただけ。せっかく初恋だったのに、誰も覚えてないのって淋しくない?」

 だから蛍吾が覚えてて、と言ったら、蛍吾は怒ったような困ったような、なんとも言い難い表情をぐるぐると動かして何かを言おうとして、結局何も言わずにまた盛大な溜め息を吐いた。

「記憶無くなった俺が『お前の初恋は男だったぞ』とか言われても信じないだろうから、俺には言わないでくれよー」

 カラカラと笑うと、掴んでいた蛍吾の指にデコピンされた。急だったから加護も発動しないし、なにより痛い。額を押さえると、その上から蛍吾の掌が重ねられた。

「志摩宮は知ってんの?」
「いーや。つか、ちょうど良かったわ。好きなやつが俺の事オナペットとして見てんのキツくね? って思ってたから、忘れられんならラッキー」
「……ラッキー、ね。俺も、お前が聞き分け良くてラッキーなんだろうな」

 蛍吾が俺の手の甲越しに紋を描いていく気配がする。
 呼吸を整えて、瞼を閉じて蛍吾に心を委ねた。じんわりと脳みそが熱くなる心地。記憶が解かれて、俺の中身が吸いとられていく。
 あ。蛍吾に覚えてて欲しいこと、もう一つだけ。

「蛍吾。志摩宮の瞳ってさ、めちゃくちゃ綺麗な緑色なんだよ」













 染井川(そいがわ) 徹(とおる)は、現場から持ち帰った箱の残骸にいくつもの紋をぶつけて、箱の強度を検証していた。
 木で作られたその箱には、燃焼防止の他、物理的な攻撃に対しても強くなるよう紋がいくつも描かれていた。木片ですら金槌で打っても割れないほどの物なのに、蛍吾と静汰が連れていた、あの志摩宮という少年は、これを打撃で壊したのだという。
 何百回と色々な紋をぶつけたり、道具を使ってみたりしてみたが、そのどれも、残骸を割ることすら出来なかった。
 ブルル、と机に置いたスマートフォンが振動してメッセージの着信を知らせたので、一度手を止めて文面に目を通した。
 読み終わると、眉間を揉んで休憩を入れる事にした。机の上の煙草の箱から一本取り出し、火をつける。

「森、コーヒーくれ」

 同じ部屋で他の箱に封印を掛けている作業中の後輩に声をかけると、「俺が」と立ち上がったのは沖だった。
 運転手で終わるつもりは無いと、神子である静汰に直談判した度胸が気に入って、染井川が部下に引き入れた。正直能力は使い物にならない、てんで赤子レベルだが、染井川のチームには雑用係が居なかったから丁度良かった。
 蛍吾も静汰も、箱の恐ろしさにかまけて沖のことは本部に報告をあげておらず、沖も怪我し損だと嘆いていた所に渡りに船だったようだ。

「三人分淹れてくれ。森、お前も一度休憩入れろよ」

 コーヒーカップをお盆に載せて戻ってきた沖は、染井川と森の前にカップを置いて、最後の一つを迷いながら手に取った。
 恐る恐るのその仕草を見て、森が声をあげて笑う。

「何怖がってんだ。この部屋には三人しか居ないんだから、それはお前の分に決まってるだろ」
「でも、俺、まともな仕事してませんし……。休憩してて、いいのかと」

 沖は、先日の一件で自分がどれだけ思い上がっていたのかを理解していた。だから、染井川が自分を雑用としてチームに入れた事も納得していて、なのにその雑用さえあまり無くとても肩身が狭かったのだ。

「暇なのは今だけだ。他の奴らの仕事が終われば、事務仕事は全部お前がやる事になるからな。せいぜい、前の仕事の報告書見て勉強しておけ」

 染井川の部下は、沖を入れて全部で八人になった。この部屋に居ない六人が、今は二人一組で箱の捜索に行っている。
 森は熱いコーヒーを啜りながら、五度ばかり封印を施した真っ黒の箱を見つめた。その箱は、先の依頼人の妻の、行方不明とされていた幼馴染の家で見つかった。父は早くに病死、母親は自殺ということで、買い手のついていなかったその家は、酷く穢れを帯びていたので組織で買い取って神子が在中して浄化の真っ最中だ。
 居間のテーブルの上にぽつんと置かれていたそれは、何故か警察には採取されずに残されていたのだという。
 箱は自殺した母親の血で満たされていたが、量が足りなかったのかはたまた顕現するのに値しなかったのか、器としては完成していたが、神は宿っていなかった。穢れは酷いが重要な参考品として、厳重に封印を掛けた上で保存せよというのが、上からのお達しだ。
 森があともう五度封印を重ね掛けして、それから神子の作った封印の箱に収めてとある場所へ奉納する算段となっている。
 カップを置いて、肩を回して森は気合いを入れ直した。ゲームのようにMPが見えればいいのだが、生憎自分の精神力は目に見えない。集中していたから気が付かなかったが、染井川に休憩しろと言われてやっと、自分の疲れを自覚した。
 そうしてコーヒーにちびちび口をつけながら報告書の山を捲る沖の冴えない顔を見てから、ふと思い出す。

「そういえば、静汰くん、とうとう本当に神無しになっちゃったって本当ですか?」

 いつも無理に派手な化粧をして巫女のフリをさせられていた少年が、やっとお役御免になったのかと、少年を殊更気に入っていた上司に尋ねた。

「それがな。しぶといことに、また加護が戻ったそうだ」

 片手で煙草を吸ったりコーヒーを飲んだりしながら、もう片手で器用にスマートフォンを弄っていた染井川が、薄っすらと微笑みながら言う。染井川は男前だし割に気配りも出来る人間だが、滅多に笑わない。笑顔を見せるのは、彼の事を話す時だけだ。
 しかし森は、その笑顔に背筋を震わせた。染井川は良い上司だ。どんなに端くれに居ても、能力のある者を見出すことにかけて、右に出る者はいない。
 そして静汰は、染井川の眼鏡に叶ってしまっている。
 早く部下に欲しいと何度も上に掛け合っていて、静汰の祖父が大口のスポンサーでなければ、組織に入った時点で染井川の部下に引き入れられ、さんざシゴかれていただろう。蛍吾はどうやら染井川が静汰を狙っているのに気付いていたようだが、わざと下手な女装をさせているのを見るにつけ、どうやら『狙っている』意味を勘違いしていたようだ。
 自身もチームに入った当初は死ぬ目に遭わされながら鍛え上げられたのを思い出し、もし静汰が神子の立場を失うなら幸運だと思ったのだが、どうやらそうはならなかったらしい。
 先日の一件でも、染井川は一定以上の穢れを感知したらその場の人間に護りが掛かる結界を張ってからあの場を後にしたのだ。神子なぞ呼んでもいない。離れた場所で悠然と煙草を燻らし、静汰達が半殺しにさせられるのを期待して。

「あんな割れやすい加護をわざわざ掛けるような神様なんざ信じずに、自分で修行した方が強くなれんのになぁ。神子クビになったら速攻拾いに行くつもりで準備してたのに無駄になっちまった」

 あな恐ろしや。静汰はどうやら、森が思っていたより素質があるらしい。中学生の時に組織に加入して、本部の研修でチラと見ただけの静汰に染井川が執着し始めた時はまた始まった、と思っただけだったが、神子でなくなっても欲しがる程だとは想定外だった。

「早く卒業しねぇかなぁ。いっそ何か素行不良でもでっち上げて中退させるか」
「……それやったら、チーム全員減俸されるんで。やめて下さいね」

 良い事思いついた、みたいに顔を明るくした染井川に、森は待ったをかける。

「染井川さん、本部行きが嫌だからってただでさえ能力低く見せてんでしょ。俺ら、これ以上減俸されたら生活出来ねーっすよ」
「まーな。お前らが仕事出来るお陰でチーム存続できてっしなぁ」

 染井川はもとはフリーの人間だ。拝み屋のような組織はトナリグミ以外にも当然あるが、神子を擁しているのはここだけだ。神子の力がどんなもんなのか、興味本位で入って出られなくなったのだと、以前染井川は笑い話にしていた。
 枠組や役職に縛られるのが嫌だからと、自分が自由にやる為に幹部クラスまでのし上がって、そこからは本部直属にならない程度に能力を隠している。欲が無いのではなく、あくまで自分のためだ。だから、チーム自体の待遇はあまり良くない。他のチームより自由に動ける、そこに魅力を感じた奴だけが染井川の元に残っている状態だ。

「まあ、静汰くんも蛍吾くんも、見てる限り集団行動苦手そーですし。いっそ蛍吾くんごと引き入れちゃえばいいんじゃないですか?」

 森がコーヒーを飲み干しながら言うと、染井川はハッと鼻で笑った。

「蛍吾は本部行きがいいんだと。ほらあいつ、妹が神子だろ」

 ああ……、と頷きながら、森は内心で(もう実践済みか)と嘆息した。 
 だから、染井川の目下の目標は静汰単体での引き入れだ。
 久々に顔を見せた時の静汰の嫌そうな表情を思い出し、染井川は満足気に煙草を吸い込んだ。無敵だと思っていた自分の力が全く及ばなかった。そういう経験が人を成長させる。過保護な蛍吾の側に置いていてもあと何度もそんな経験はしないだろうから、早く自分の元に来させたくて堪らない。

「あの子はどうでした? あの、例の」
「あれはダメだ。使い物にならねぇ」

 森が言ったのが志摩宮のことと、染井川は確実にその意図を読んで首を振る。

「確かに、霊が憑く隙が無ぇから本人は何の影響も受けねーんだろうよ。本部の方なら使い道もあるかもしれねぇ。が、俺は気に喰わねーから要らん」

 染井川はキッパリ言い切り、指の先ほどの短さになった煙草を灰皿で擦り消した。

「……これとか、接触する良い機会にはなるんじゃないですか」

 森は報告書の束が大量に重なる沖のデスクから、一枚拾って雑に紙飛行機を折って染井川に飛ばした。
 子供みてーな事すんな、と叱った染井川が、紙飛行機を開いて目を細める。
 盆前の、毎年恒例の大規模供養。何日もかけて同じ場所でひたすらに浄霊を行うその仕事に、蛍吾と静汰が毎年参加しているのは知っている。染井川は肌に合わないからと避けていたが、確かに静汰本人にちょっかいを掛けるには良いかもしれない。
 ついでに少しシゴいてやろう、とほくそ笑む上司の姿に、森は自分の安全な夏休みが確保出来たと心の中で拳を握るのだった。

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