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神は絶対に手放さない
13、怒れる初対面
しおりを挟む目を覚まして大きく伸びをすると、肩や腰の骨がボキボキと鳴る音がした。
なんだかよく寝た気がする。
今何時だろう、といつも枕元に置いている筈のスマートフォンを探して、そこに無いので辺りを見回した。充電器の先端は繋がっておらず、ただ床に落ちている。
同室の蛍吾のベッドはもぬけの殻だ。床には俺が放り出したままだろう通学鞄だけが落ちていて、他は綺麗に何もない。普段はもっと、靴下とか上着とか、細々とした物が落ちていたりするのだが。蛍吾が掃除したのだろうか。
床に落ちてないなら鞄の中かな、とベッドから腕だけ伸ばして鞄を取って中を見るが、そこにも入っていなかった。
こうなるともう、蛍吾が持っていったとしか考えられない。
部屋の中がやけに暑い。まだ四月なのに、朝からこんなに蒸すなんて。あまりの暑さに上に着ていたはずのジャージを脱いでしまったのだろうか。Tシャツとトランクス姿なのに、それでもじっとりと全身に汗をかいていて気持ち悪かった。
カーテンの外はもう明るいようだが、寮の朝食は終わってしまっただろうか。クゥ、と控えめな音をたてた俺のお腹に、何か詰めてやろうと起き出した。
「ん、起きたか」
生暖かいフローリングに足を着いたところへタイミングよく部屋のドアが開き、蛍吾が入ってきた。
身嗜みは整えられ、ハッキリと目も覚めているようだから、先に朝食を摂ってきてしまったようだ。
「蛍吾。俺のスマホ知らね?」
「ああ、新しいのなら今日の夕方には届く」
新しいの?
確かに今使っているスマートフォンは電池の減りが早くて少し不便ではあったが、使えない程では無かった。まだ交換して欲しいとは言っていない筈だけど。
「昨日、借りてくって言ったろ。……ああ、記憶、まだ混乱してんだな?」
「記憶?」
「紋を使った呪いみたいなもん掛けられて、解呪の時にどうしても記憶も一緒に消すしかなくて消したんだ。ちなみに今、七月二十日な」
「しっ……七月!?」
驚いて小さい悲鳴をあげた俺に、蛍吾が自分のスマートフォンを出してカレンダーを開いて見せてくる。
「そ。もう来週には夏休み始まる」
「はぁ!? 俺、……え、今日始業式のつもりで起きたんだけど?」
蛍吾は当然のように「だろうな」と頷いて、有無を言わさず俺に一枚の紙を渡してきた。『浄霊要項』と書かれた活字印刷の書類には、今年で五回目の参加になる、術師が大量に集められて海辺の浄霊を行う大規模な仕事の詳細が書かれている。
これは八月の仕事だ。え、マジなの?
「で、夏休みって事は、また浄霊行くからな。終業式が終わったらそのまま車で千葉。だから準備ちゃんとしとけよ」
「待って待って。全然追い付いてないから俺。七月?」
「そうだ。七月も末だ。四月から四ヶ月程度の記憶が無いだけだ。気にするな」
「いや、気にするだろ……」
その間の記憶がすっぽり無いなんて。どうにか昨日の記憶を思い出してみようとするが、思い出せるのは始業式の準備として枕元に着替えを置いて寝た、就寝前の記憶だけだ。そうだ、その枕元にスマホも置いた筈で、しかし着替えもスマホも無いのが現実。
「……四ヶ月の間に、何件依頼こなした? その、俺が呪い受けた依頼って失敗? 報酬無し?」
今年は、浄霊期間中は本部で用意された宿泊施設ではなく、流行りのグランピングを利用してやろうと画策していたのだ。貯金はそこそこあるが、増やしておいて損は無いからと、夏までにちゃきちゃき貯めてやるつもりだったのに。
もう七月……ってか、ほぼ八月とか。ありえねぇ!
「依頼は二件。どっちも成功として報酬は貰ってるし、お前が呪い受けた方は厄介なやつだったからかなり弾んでもらえたぞ」
二件とか少な過ぎだろう。何やってたんだ俺、と項垂れる俺に蛍吾が俺の机を漁って、報酬明細を取り出してきてくれた。
二件目、といって蛍吾が指差した方の明細書の振込額を見て目を丸くする。いつもの依頼の五倍はあった。これなら、宿代は余裕で足りる。
「おわっ、マジか! うん、四ヶ月程度の記憶ならペイできるわ」
「お前、ほんと扱い易くていいな」
蛍吾は呆れたように首を振ったが、扱いを理解してくれているからこそ安心して飼い殺されていられるのだ。
「四ヶ月の間、他になんか変わった事は?」
「良いニュースと良いか悪いか微妙なニュース、どっちを先に聞きたい、ジョン」
「良い方を先に、ケビン」
「その報酬は倍額振り込まれてる」
「わお」
俺の手元の明細書を指して、蛍吾はおどけた調子で言い、何故か立ち上がって部屋のドアを開けに行った。
俺は喜んでガッツポーズしながらその背を目で追う。
「めっちゃ良いニュースじゃん。で、理由は?」
「その報酬を本来受け取る相手に聞いてくれ」
「……本来受け取る相手?」
つまり、誰かの報酬を俺が横取りしてるってことか?
どうしてそんな事を、と聞こうとして、蛍吾が開けたドアから廊下から入ってきた人物を見て瞬間的に加護を張ってしまった。
猫背の黒人青年は、こちらを鋭い眼光で睨みつけている。
……この人から横取りしてるって、どんな悪事を働いてたんだ四ヶ月間の俺。
「志摩宮、まだ拗ねてんのか」
「……この顔、マジで俺のこと覚えてねーじゃねーっスか」
「だからそれは説明したろ。代わりにスマホ新調してやったんだから許せって」
蛍吾と褐色肌の青年は言い争うようだが、険悪な関係ではないのだろう。長年一緒に過ごしてきた蛍吾の雰囲気で分かる。それを見てやっと、本当に俺が四ヶ月の間の記憶を失くしているのだと信じた。
春からの一学期で蛍吾と仲良くなったのだとしたら、この青年は転入生か新入生なのだろうか。
見た目はハーフというより中東の血が濃いようだが、喋った感じは日本語ネイティブで、そこいらのヤンキーのようだ。適当だが敬語を使っているようだし、新入生の方かもしれない。
「どーせ、……でしょうよ」
「そうじゃねえって。静汰だって……」
「昨日は……よね」
「そりゃだって、……静汰にしては……」
見知らぬ青年を蛍吾は親しげに諌め、二人で俺に背を向けてコソコソと話す。
目の前で内緒話をされるのはあまり良い気分ではない。初対面の人間の前で下着姿なのもなんなので、着替えてしまうことにした。ベッドの下から隙間収納のプラチェストを引っ張り出し、ジーンズを取り出して履いた。
記憶の中ではここにはまだ春物が入っていた筈なのだが、もう夏物が詰まっていて、春物は奥のチェストに押し込まれていた。
記憶喪失なんて当然初めての経験で、不安感が拭えない。四ヶ月の間、俺はどう過ごしていたのだろう。早く蛍吾に聞きたいが、まだ黒人の青年と話をしている。
「あのさ、なんで俺がその人の分の報酬まで貰ってるのかだけ、先に聞いてもいい?」
少しでもモヤモヤを解消しようと尋ねると、二人してこちらを見た。
蛍吾は眉間に皺を寄せて、青年は少し寂しげにも見える表情で。さっきはあんなに睨みつけてきていたのに、どうしてそんな顔をするのか。青年の感情が読めない。彼とはどういう関係だったのだろう。
「こいつ、志摩宮」
「シマミヤ」
「そう。つー訳で、説明は志摩宮からしてもらって。俺もう行くから。よろしく志摩宮」
「へ?」
蛍吾は青年の名前だけ教えて、足早に部屋を出て行ってしまった。
取り残された俺と志摩宮という青年の間に、置いていかれて気まずい空気が流れる。
「えっと、志摩宮は、組織の人?」
黙っていてもどうにもならないので、俺から話しかけた。
「違います」
「じゃあフリーの霊能者?」
「いえ」
「なら、素人か。能力がすごいから蛍吾に見込まれた、とか?」
「いいえ」
手当たり次第に聞いてみるが、ことごとく予想は外れてしまった。
志摩宮は俺の方を見ようともせず、視線を下に向けて立ち尽くしている。
「座れば?」
俺が座っているベッドの横を叩くと、それを見て彼はふぅと溜息を吐いたようだった。
目を閉じて拳を握った志摩宮に、警戒して加護を強く張る。
が、目を開けた志摩宮は無表情に、その場に腰を下ろした。床に座った彼は、ベッドに腰掛ける俺を見上げるような格好で、淡々と説明を始めた。
「俺は霊も妖怪も神様も、何も見えません。蛍先輩が言うには、俺自体が結界みたいな存在らしくて、霊障とかも無効化します。神様でも俺には干渉できないそうですが、神子ではないそうです。本部に連れて行かれて、先輩の側に居ろって指示されたので先輩方の仕事にも同行してました。俺の報酬を先輩が受け取ってたのは、俺が受け取り拒否したからです。金には困ってないので」
俺が知りたい事を全て一息に答えてくれた志摩宮は、それからまた黙ってしまった。
志摩宮の説明を脳内で反芻し、そういうことかと納得した。面白い存在だ。蛍吾なら、手元に置いて手駒にしようと画策するだろう。蛍吾が考えそうな事だし、なにより目の前の志摩宮は嘘をついているように見えない。
じぃ、と見つめられるのは値踏みされているようで居心地悪いが、加護は全く反応しないので、悪い感情を向けてきてはいないようだ。
「うん、分かった。ありがとう」
「蛍先輩に頼まれたんで」
笑いかけてみたが、志摩宮は視線を逸らしてしまった。
どうにも、この青年との距離感がとりにくい。無口なのか饒舌なのか、人嫌いかと思えば蛍吾とは普通に話していたし。コミュ障特有のおどおどした感じもない。どんな人間なのか分からないのが薄気味悪いな、と身勝手なことを考えた。
そういえば、と思い出す。蛍吾から『悪いニュース』の方を聞きそびれた。あの言い方だと、どうやら悪い方は志摩宮から報酬を貰う理由に関してだと思うが、志摩宮は受け取り拒否しただけだという。
「報酬についてだけど」
「返さなくてもいいですし、これからの分も先輩が貰ってくれていいです」
即答されて、面食らってしまう。なんで言おうとした事が分かったんだ。
「けど」
「ああ、はい。無条件だと怖いっスよね。ちょっと待って下さい、条件考えるんで」
被せるように言われて、今度こそ閉口してしまった。
志摩宮は唇の下に手を当て、露骨に考える素振りをするのがむしろ怪しい。考えるまでもなく決まってるような、そんな雰囲気。
眇めた目がこちらを見て、本能的に体が後ろに下がった。それを見て、志摩宮が少し目を見開いてから、また表情を消して今度は本当に考え込むようだ。
「……名前で呼んでもいいですか」
不意に目線を上げ、志摩宮は言った。
「名前?」
「今まで、『先輩』って呼んでたんで。静汰、って呼んでもいいですか」
蛍吾の事は『蛍先輩』で、俺の事を『先輩』と呼んでいたという事は、後輩なのだろう。
「別にいいけど、それは前までの条件とは違うんだよな。出来れば、今までの条件も聞いておきたいんだけど」
「秘密です」
「え」
「俺と先輩の秘密です。正直、今の先輩自体は割とどうでもいいんですけど、まぁ先輩は先輩なので、希望をもってみてもいいかなって」
志摩宮は先ほどの無表情が嘘みたいににっこりと笑ってそう言った。
何を言ってるか分からないが、一つだけ分かったことがある。
こいつ、めっちゃ怒ってる。
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