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神は絶対に手放さない
26、怒りの理由
しおりを挟む朝、だと思う。
頭上のカーテンの隙間からは白い光が差し込んできている。網戸にしたままのそこから、時間的にまだ温まっていない風が抜けてきていた。
トントン、トントン、と何度も部屋のドアがノックされている。
その音がうるさくて起きたのだ。まだ寝ていたいのに、ノックの音は控えめに、しかし鳴り止まない。
「誰?」
「──静汰」
絶対に起きないだろう蛍吾に期待するのは諦めて、寝床を出てドアを開けようとノブを握ったところで、ドアの向こうの声に名前を呼ばれて止まった。
ドアを開けずにベッドへ戻り、蛍吾を揺り起こす。
「蛍吾、蛍吾。志摩宮来てる」
「うう……ん」
「志摩宮来てる。お前になんか用じゃないの」
「でて……」
「中入れるから、ちゃんと起きろよ。俺、飯行くからな」
起きない蛍吾に、ちゃんと言ったからな、と警告して、俺はちゃっちゃと着替えてスマホと財布をジーンズのポケットに突っ込んだ。
そして、一度深呼吸してからドアを開ける。
「おはよう」
「ん、おはよ」
久々に見る志摩宮。いや、昨日見かけた。男とデートしている所を。その志摩宮は、俺を見ると目を細めて嬉しそうに笑った。
す、と心が冷める。付き合ってる相手以外にこういう顔できる奴、俺キライ。
「蛍吾まだ寝てるから、起きるまで少し待ってやって」
横をすり抜けて行こうとしたのに、腕を掴まれたので実に不思議そうな表情を作って振り返ってやった。
「どうした?」
「どう、って。俺、静汰にも話があるんだけど」
「そっか。俺飯食いたいんだけど」
「じゃあ終わったら戻ってきて下さ、くれよ。ここで待ってるから」
「ん」
そうか。待ってるのか。お前の主張は聞いたぞ。戻らないけどな。
俺が頷いたのを了承ととったのだろう、志摩宮は俺の腕を離して部屋に入ってドアを閉めた。
ああ、苛つく。
食堂に行くと、後藤と米川が並んで朝食をとっていた。俺を見つけた二人が手招きしてくれるが、今はそんな気分じゃないので首を横に振って拒否する。二人が顔を見合わせて訝しげな顔をしていたが、そんな事に構っていられる心境じゃない。
朝食のトレイを受け取って、一番端の壁に向かって座れる席についた。
──無性に、イライラしている。
志摩宮と会ったら、心が揺らぐと思っていた。
いざ目の前にしたら、やっぱりダメ~好きー! とかそんな風になるのが恋だと思っていたのに。
実際はただただ、頭にきていた。
自分が何に怒っているのか分からず、だからただ心の中がもやもやしてぐるぐるして、気持ちが悪いくらい焦っている。
茶花豆すら上手く箸で掴めず落ちるのに思わず舌打ちしてしまい、二つ横に座っていた何の関係もない寮生が怯えた様子でこちらを見たので慌ててジェスチャーで「ごめん」と謝った。
怒ってもどうにもならない。不機嫌を持続させても何も良い事なんてない。
分かっているのに、胸につかえた何かが、志摩宮の姿を見る事で怒りを爆発させたのだ。
志摩宮が何をした?
俺が勝手に片想いして玉砕したなら、怒りの矛先が彼に向くのはお門違いというやつだ。でも、俺は怒っている。俺を選ばないから? そこまで俺は理不尽じゃないはずだ。
じゃあ何に怒ってる?
明確に志摩宮が悪いことって、なんだ?
黙々と俯きながら食べ続ける俺の姿に、今日ばかりは誰も食べ物を追加してこない。どころか、俺の周りだけ席が空いている。静かな方が考え事には向いてるだろう。気にしない。
絶対に志摩宮が悪いこと。俺が激怒してもしょうがないこと。
──彼氏が居るのに、俺に手を出した。
これか、と思ったが、なんか違うな、と考えて──そうしてやっと、納得した。
彼氏がいるのに手を出されたのは、『俺』じゃない。記憶を失う前の俺。以前の俺はきっと、志摩宮が手を出す程度の魅力はあったんだろう。
けれど、記憶が無くなって。
志摩宮は、これ幸いにと、俺との関係を無かったことにした。
キス以上の事をしていたくらいの関係だった筈の俺を、記憶がなくなったならいいやと捨てた。それを俺の意識の奥底はとっくに気付いていて、怒りを溜めていたのだ。
「はぁ……」
がっくりとうな垂れた。
浮気相手にされた、という事で怒っているなら、まだ理性的な理由だったのに。
俺は確かに、周りの言う通りだいぶ『頭がアレ』なんだと思う。怒る理由が自己中過ぎる。
目を閉じて、少しだけ神様に祈った。
神様神様。俺を神子にするなんて、神様はきっと変わりものだと思います。こんな俺を加護してくれてありがとうございます。少しでいいので、俺の心も浄化して綺麗にして下さい。
ふわ、と自分の周りから浄化の力が溢れ出したのを感じ、染井川から「目を開けろ」と注意されたのを思い出して目を開けた。きらきらと溢れる小さな光。
寮に戻ってきてから、忘れず毎日祈っていたから、今では寮全体くらいまで浄化が届いている。浄化が進むにつれ、浮遊霊なんかはもう見なくなった。
蛍吾にはあまりやり過ぎるなよ、と言われているが、神様に祈ると俺の心持ちも落ち着くので、割と癖になってしまいそうな感じはしている。
神様にお願いしたおかげだろうか、あれだけ湧き出ていた怒りも収まっていた。
「ごちそうさま」
手を合わせて口に出して、トレイを片付けようと立ち上がると、俺の右後ろにいた顔見知り程度の男子がこちらを怖々振り向いて少し困った顔をした。彼の皿の端に避けられた、ピーマンの山。
「……しょうがねぇな」
ほら寄越せ、と俺の空皿を出してやると、周りから次々と生徒が立ち上がってやってきた。俺も俺も、とわらわら囲まれて、その人数に顔を顰めた。
「え、っちょ、今日多くない?」
「いつも入れてる」
「うん、毎日ありがとう」
最後くらいに後藤がやってきて、俺の皿に唐揚げを入れる。
「いつも皆バラバラに入れていくから分かってなかったのかもしれないが、いつもと同じ面子だぞ」
「マジか」
「運動部でもないお前が、これだけ食ってなんで太らないのかの方が不思議だ」
じゃあな、と後藤と米川は先に食堂を出て行った。
俺はまた席について、もと盛られていた倍くらいに戻った朝食を食べ終えると、そのまま寮を出た。
行く当ても特に無く、足は学校へ向かう。
校舎は施錠されているが、生徒会室や文化系の部室がある別棟は開いている筈だ。元は旧校舎だったらしくて、木造のややボロい造りだが、クーラーは設置されているから涼むのには丁度いいだろう。
本校舎の外側から別棟の方へ周った。途中、体育館横の自販機で缶ジュースを何本か買い、別棟へ上り込む。
どこの部に頼んで昼寝させてもらうか……。
さっき起きたばかりだというのに、俺は昼寝場所を探して廊下から文化部の部室を覗き込んだ。
吹奏楽部や合唱部、美術部などの専門性の高い部は、本校舎の音楽室や美術室を使っているから、こっちで活動しているのはどれも割とマイナーな部ばかりだ。
天文部や写真部、文芸部の札が掛かった部室からは、あまり物音がしない。天文部は休み中は夜しか活動しないと言っていたから施錠されているだろう。
マイナーで部員数の少ない部は、部員も大人しい奴らが多い。写真部には何人か顔見知りがいた気がするから、ジュースを奢れば昼寝スペースくらいは提供してくれるだろう。
アタリをつけて写真部のドアを叩くと、見知った顔が出迎えてくれた。
「静汰か、なんだまた昼寝か?」
「部屋に蛍吾の客が来てて寝てらんねーの。貸して」
隅で大人しく寝てるから、と言いながらジュースを見せたのだが、出てきた男子生徒はそのまま後ろ手で横開きの扉を閉めて、小声で首を振った。
「悪い、今日は近藤と元倉が来てるから」
「あー。おっけ、んじゃ部活頑張って」
大人しいからと言っても、部員でもない俺が部室で寝ているのを良く思わない部員も居るのは当然で。だから、そういう部員が居る日は素直に別を探すしかない。
部室に戻って行った顔見知りに手を振って、次は隣の文芸部の扉を叩いた。
「こんにちはー」
「あら、林くん。また昼寝? こっちに来るの久しぶりだね」
「蛍吾にお客さん来てるから、部屋で寝れないんだ。隅でいいから貸してくれる?」
「いいわよー。寝姿スケッチさせてくれるならいつでも大歓迎」
部室に入ると、四人ほどの女子生徒がパソコンやタブレット端末で何か作業していた。文芸部なのに絵を描いている子もいる不思議な部だ。
お菓子やお茶まで出してくれるから居心地は悪くないのだが、女子ばかりなので入り浸るのも良くないかな、と思って別棟で昼寝する時は写真部に先に行く事にしている。
「はい、これ使って」
「ありがと」
寝るのに使って、と数枚の畳んだダンボールを渡されて、有り難く使わせて貰うことにした。部員にジュースを渡してダンボールにごろりと横になると、白紙に落書きしていた女子がさっそくこちらを見ながらシャーペンを走らせ始めていた。
「いつもながら……林くん綺麗……麗しい……」
「ありがとー」
いつものことなので気にせず寝に入る。
部活が終わる前になると誰かしらが起こしてくれるから、目覚まし要らずだ。
寝覚めが悪かったから、すぐに夢の世界に入っていた。
今日は夕方まで、ここでごろごろして合間にスマホ使ったりここの部員と他愛ない話をして暇を潰そう。そう思っていたのに。
────ダァン!!
爆発音に似た大音量に跳ね起きた。
なんだなんだと起きれば、視界には部室の時計。もう昼を過ぎて、二時を周りそうな時刻だった。
時計から視線を外して部室を見廻すと、皆一様に同じ方向を向いている。
部室の出入り口。横開きのドアの枠組みが、無惨にも拳の形に曲がっていた。
アルミと木で出来たそれを一撃で凹ませた男は、こちらを真っ直ぐに見据えて睨んでいた。
「……静汰。俺、話があるって言ったよね」
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