神は絶対に手放さない

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神は絶対に手放さない

34、祖父

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 車が着いた先は、大人の背より高い白塗りの塀で囲まれた、広大な敷地の日本家屋だった。
 通されただだっ広い客間からは、ガラス越しに池が三つもある中庭が見えた。綺麗に整えられた庭木。散策路以外に敷かれた白い玉砂利は整然と掃き清められていて、落ち葉も見当たらない。毎日手入れする誰かがいるのだろう。
 ドラマのロケでも出来そうな完成度の高い庭には、しかし樹木の其処此処に光を反射するものが見える。おそらくカメラのレンズだろう。いくつもの監視カメラが、この家がマトモな家である事を否定してくれていた。
 見上げると、夕陽は厚い雲に隠れ、なんだか降り出しそうな空色になってきていた。ゴロゴロ、と遠くで雷の音がする。

「まずはそのふざけた顔をどうにかしろ」

 着くなり俺だけまず洗面所に行けと言われた。
 志摩宮を一人置いていくのが心配で拒否しようとしたが、志摩宮が「行ってきて下さい」と言うので従うことにした。
 顔を洗ったら今度は着替えろと男物の浴衣を渡される。同じ浴衣なら変えなくてもいいだろ、と帯だけ受け取ったはいいが、結び方が分からず蝶々結びにしようとしたら、案内してくれたスーツの人が呆れ混じりに着付けてくれた。
 客間に戻ると、志摩宮は出された茶に手もつけず、ただじっと正座していたようだ。俯くその背が丸まっているのを見て、胸がざわざわした。志摩宮がしょぼくれていると、俺まで悲しくなる。こんな感情の動き方は初めてで、でもどう声を掛けたら志摩宮が笑ってくれるのかも思いつかなくて。結局、ただ名前を呼ぶしかできなかった。

「志摩宮」

 俺が呼ぶと、顔を上げてこちらを振り返った志摩宮は口角を上げてくれた。が、何か気掛かりがあるのか、その表情は晴れない。

「化粧落としてもその顔か。茉里に似て童顔だな」

 重そうな杉の一枚板のちゃぶ台の向こう側に座った老人が、俺を見て不愉快そうに鼻白んだ。
 志摩宮の隣に胡座で座ると、老人は不快そうに目を細めたが堂々とその目を見返してやった。文句あるならハッキリ言え。すぐにでも帰ってやる。

「母さんの名前知ってるって事は、本当に俺の爺さんなワケ?」
「血縁上は、そうなるな」

 組んだ膝の上に肘をつき、興味無さそうにフーンと空返事をしたら、何故か隣の志摩宮からやんわりとつつかれた。

「なに、志摩宮」
「あの……この人、俺の命の恩人なので。俺の為だと思って、少しだけ真面目に話聞いてあげて貰えませんか」
「へ」

 何それ、命の恩人?
 確認するように爺さんを見ると、彼はしかし面倒そうに溜め息を吐いた。

「ンな昔の事はどうでもいい。……静汰、お前、この家に入って俺の跡目を継げ」
「無理」

 爺さんは、まだるっこしい会話をするつもりは無いらしい。単刀直入に用件を伝えてきた。
 ノータイムで拒絶した俺に、爺さんは顔色一つ変えない。

「嫌、じゃなく無理、と言ったな。何が理由だ」
「俺が家を出たのは家の為に組織に入ったからだ。高校を卒業すれば組織に幽閉される。だから無理だ」

 俺の返事に、志摩宮が少し驚いた表情をしていた。あれ、言ってなかったっけ。言ってなかったな。志摩宮がシマミヤになるって知らなかったから、離れることになるんだとばかり思ってたし。

「家を出て組織に入った、か。自分の意志みたいに言ってるが……金で売られた、の間違いだろうが」
「母さんが楽になるならどんな呼び方でもいいよ」

 睨まれたから睨み返すと、爺さんは少しだけ眉間の皺を深くした。

「楽になるだぁ? 三百万ぽっち、あの馬鹿娘はすぐに使い切ってたわ」

 言われた意味が、数瞬理解出来なかった。爺さんの言葉を反芻して、小さく首を傾げた。

「……三百万?」

 俺、そんな少額で売られたの? えっ、人間だよ? さんびゃくまん?
 母さんは、これで父さんの爺ちゃんと婆ちゃんを介護ホームに入れられるって言ってた筈なのに。
 三百万じゃ、安いとこに一人入居させるのもギリギリだ。家に沢山積まれてた介護ホームのカタログを見ていたから、相場も覚えてる。要介護3の爺ちゃん婆ちゃん二人を入れるなら、入居一時金でまず一千万は必要な筈。

「お前を売って、茉里は失踪した。お前の父親が俺の所に探しに来たから探してやったら、バリで不倫相手と豪遊していた。お前を売った金でな」

 嘘だ、と言いたかった。でも、声にならない。喉の奥に何かが詰まって音が吐けない。ただ、何度も首を横に振った。
 俺を端金で売って、不倫相手と豪遊? そんな訳ない、と思うのに、手紙の一通さえ寄越さなかった事にやっと納得出来たと心の片隅で冷静な俺が吐き捨てる。
 会った事もない祖父からの手紙は大量に、そして面会の連絡も来ているのに、両親からはとうとう一度も来なかった、と。
 膝の上で握った拳に、そっと志摩宮の手が重ねられた。さっきまでは、俺が彼を心配する立場だったのに。まるで逆転してしまっている。いいや、心を強く持たなければ。

「実際のところ、お前の親権はもう俺にある。お前の両親は離婚していて、茉里はまた消えた。お前は今、あの仕という奴に里親として預けている、という体裁になってる。お前を取り戻す為に、もう五千万はあの組織に入れてんだ。そろそろ身請けしても良い頃合いだろう」

 爺さんが続けた言葉に、志摩宮の体温で持ち直しかけた俺の心が折れそうになる。母さんも父さんも、俺を捨てたのか。

「でも」

 蛍吾が、と言い掛けて、蛍吾すら、力を失った俺を切り捨てようとしたんだっけと苦笑して口を噤む。売られた金の何倍も組織に、というのなら、おそらく俺が承諾すれば組織からも切られるのだろう。つくづく人望の無い自分に嫌気がさした。

「静汰。俺はどこまでも一緒です」

 志摩宮に励まされ、肩の力が抜けた。
 そうだ、俺には志摩宮がいる。死後に神に成ってまで俺に取り憑く志摩宮が。

「ありが……」
「お前は駄目だ」

 志摩宮に礼を言おうとした俺の声に被せるように、爺さんは冷たく断じた。
 駄目って、何が。傍に置くかどうかは俺が決める事だ。
 爺さんを睨みつけると、長い溜め息と共に大きく首を振った。

「そいつは駄目なんだ、静汰。そいつの為でもある」

 理由も無しにそんな事を言われても納得できない。黙って睨んで先を促すと、爺さんは母の事を話した時よりも辛そうに目を細めて顔を曇らせた。

「そいつは一度、俺を殺そうとした」

 殺そうとした、と言われても。そんな真剣に言われても、現実感が無い。

「お前、殺し屋か何かだったの?」
「……いえ。分かり易く言えば、鉄砲玉ですかね」

 冗談のつもりで振ったのに、志摩宮は真顔で返してきた。その顔には、冗談の雰囲気は無い。マジなの。

「俺ァ頭だ。頭を殺そうとした奴を、部下が覚えてない訳は無ぇ。いくらガキだったからって、そいつを見りゃ思い出す。宅配のダン箱ん中で眠りこけてた肌の黒い緑の目のガキの話は、俺の組じゃあ酒の度に出てくる話だ。それでもって、そのガキは更に敵対してる組の息子ときてる。
 ──そんな奴を、次の頭の側近には出来ねぇだろうが」

 爺さんは、噛んで含めるように、ゆっくりと話した。俺が理解できるよう、かなり言葉を選んでくれたのも分かる。
 けれど。

「じゃあもう絶対無理。ぜーったい、やだ。ならない」

 そんな理由で志摩宮と離れろだなんて、そんな話を飲む訳があるか。むしろ、志摩宮と一緒に居ていいから跡を継いでくれと頼んでこい。それなら考える。

「なら、この場で殺す」

 爺さんの言葉を待っていたみたいに、それまで存在感を消して部屋の隅に立っていた男達が一斉に俺と志摩宮の方に懐から出した銃を向けた。

「わー、俺、銃見るの初めてっ」
「……あの、静汰、もうちょっと緊張感を持った方が」
「だーって、志摩宮は分かってるでしょ」

 俺、当たらないし。
 にぃ、と笑うと、志摩宮が呆れて言葉も出ないみたいに溜め息だけ吐く。
 立ちあがって、男達の視線を俺にだけ向ける。志摩宮の方を狙われるのはちょっと怖い。志摩宮は志摩宮で俺の加護に負けず劣らずの不思議パワーがあるからあんまり問題無いかもしれないけど、確証が無いからやっぱり怖い。狙わせるなら俺で充分だ。

「本当に、度胸は一人前だな。だが、その態度が人の神経を逆撫でしてる事は分かってやってるんだろうな?」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ。俺が志摩宮を手放すなんてありえない。おーけー? これ大前提だからそこから話をスタートさせてくれない?」

 肩を竦めてヤレヤレ、みたいなポーズをとって挑発すると、爺さんが無言で指をすぃと動かした。パン、と軽い音がして、俺の太腿の横を弾が掠めていった。

「あっ、浴衣破れたじゃんサイテー!」

 パン、パン、と続けて足や腕を狙って撃たれるが、そのどれも俺の肌を傷つけることはない。床や壁にめり込んでいく弾を、爺さんは驚くでもなく黙って見ていた。

「へぇ、銃って割と静かなんだ? あれかな、消音機とか付けてるから?」
「……お前ら、俺に遠慮してる訳じゃねぇんだな」
「ちゃんと狙ってます。狙ってるんですが……」

 対して銃を構える男たちはあからさまに動揺している。当然だ、俺と男たちの距離はせいぜい数メートル。当たらない方がおかしい。

「腕とか足はほら、ブレて横に逸れる事もあるからね? 狙うならココ」

 にこにこと歩み寄る俺に、男は不気味な物を見るように眉を顰めて唇を一文字に引いた。構わず黒光りする拳銃の先を自分の胸に当て、「はいどうぞ」と上目遣いに微笑んでやる。
 男は哀れになるくらいガタガタと震えだした。ヤクザといえど、まだ人を殺した事は無いのだろう。それも、無抵抗で笑う子供など。

「やめろ、もういい」

 根負けした爺さんがそう言うと、男は瞬時に引き金から指を外して銃を仕舞った。

「下がれ」

 命令された男たちは、ホッとしたように部屋から出ていく。閉まった襖の向こうで、「なんだあれ」「バケモノ」「気持ち悪い」と愚痴る声が聞こえて苦笑した。

「ヒヤヒヤしました……」
「えー、なんでお前まで?」

 話を仕切り直すか、と自ら茶を淹れ始めた爺さんは、どうやら俺の力を知っていたようだ。電気ポットから急須に湯を注ぐ横顔が、険のない穏やかなものに変わったので腰を下ろした。

「でも、嬉しいです。さすがに嫌われるんじゃないかって思って死にそうでした」
「きらわれる?」
「だって、殺人未遂ですよ。引きますよ普通」
「いや、むしろなんか色々納得できた。お前割と常識おかしいし」
「それは……静汰に言われたくないです」
「あ? 言ったなこの野郎」

 横から胸あたりにぎゅう、と抱き着かれて、軽口を叩いてくる志摩宮の頭を両腕で抱き締めてこねくり回す。硬くてうねうねの髪の毛だけど、指で梳くとすべすべしてて気持ちいい。
 ずっと撫でてたいな、と無心で志摩宮の頭を撫でていると、正面からゴホンと咳払いが聞こえてきた。そうだ、爺さんも居たんだった。

「お前たちは、その」
「うん、そう」

 わざわざ言うまでもない。このじゃれ合いを見て、聞かなきゃ分からないほど愚鈍でもないだろうに。

「そうか」

 爺さんは湯気の立つ湯呑みを俺と志摩宮に差し出し、自らも新しい茶を啜った。
 暫し、無言が流れる。
 聞きたい事は山ほどある。母さんのこと。父さんのこと。組織に入れたという金のこと。
 でも、全部、聞きたくない。
 知りたくないのだ。知る必要に迫られないなら、忘れてしまいたいとさえ思う。
 だから黙っていた。湯呑みの底に、茶葉が揺れている。

「──組織を出たいなら、すぐにでも出られる。俺が身請けしたことにすればいいだけだからな。跡を継がないってんなら、その後の生活の保証まではしねぇが」

 どうする、と問われ、少し考えて、答えた。

「まだいいや。高校は卒業したいし。その後の身の振り方は……卒業までに考えておくよ」

 正直言って、組織の仕事はオイシイのだ。金払いが良く、俺にとってはそれほど危険でもない。だから、幽閉さえナシになれば、卒業後も『外回りの神子』として仕事をしていくのもアリだと思う。組織がそれを許せば、だが。
 爺さんは無言で頷いた。
 俺と志摩宮が緩くなった茶を飲み干すと、タクシーで帰れと分厚い封筒を渡された。

「え、いや、こんなに掛からないし」

 たぶん五駅も離れてないでしょ? と、ここに来るまでの走行時間を鑑みて遠慮しようとしたら、爺さんは目を剥いて驚いていた。

「アレの息子とは思えんな……」

 アレ、が誰を示しているのか気付いて胸がざわつく。

「あのさ。……俺が知ってる母さんは、少なくとも、お金お金って感じじゃなかったよ」

 そう。家族に優しい人では無かった。でも冷たい人でもなかった。だから父の親の介護もしていた。ちゃんとしていた。俺の記憶では。
 疲弊していたから、だと思いたい。急に愛人が湧いて出る訳もないのに。
 自嘲げに笑うと、爺さんは小さく「すまない」と言った。
 呼んでくれたタクシーに乗ると、封筒も押し付けられた。

「また手紙を出す。たまには面会もしろ。生きているかくらいは確認させろ」
「わかった」

 玄関前まで出てきて、爺さんは俺たちが乗るタクシーを見送ってくれた。
 血が繋がっているだけの知らない人なのに、たぶん俺の記憶では一番家族らしい事をしてくれた。蛍吾と志摩宮以外に心配してもらえるなんて、いつぶりだろう。……森さんと染井川さんもしてくれたかも。あれ、あんまり久しぶりじゃないな。幸せ者だな俺。
 窓の外は、もう真っ暗になっていた。薄曇りのまま、雨は降らず、しかし月すら隠れた暗い夜。もやもやとした心の中と似ていて、ガラスに映ったへの字口の自分の顔に呆れた。

「静汰、今日は泊まっていくんですよね?」

 外を見つめる俺に、志摩宮が確認の体で聞いてくる。

「そうするつもりだけど、いい? 今からわざわざ寮に戻るのダルい」

 タクシーなんだから、乗っていればいいだけなのに。だから、志摩宮にも間違いなく伝わったらしい。嬉しそうに細められた目と、唇を舐める仕草に少し引く。
 いや、うん。そのつもりだけど。そうだけど。ちょっと、覚悟が足りてないかもしれない。
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