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神を裏切り貴方と繋ぐ
Sー34、鋼鉄の歯車
しおりを挟む森さんが、三人から受け取った霊力を籠めて宙に紋を描く。
指の動きを追って、頭の中で反転させる。見たことあるぞ、っていうか、あれ昨日思い出した──。
「……!」
即座に、数秒前に染井川さんが描いていたのと同じ紋を描き始めた。何が起きるのかは正確に分からないけれど、おそらく俺と染井川さんの姿が見えなくなるものだろう。イメージさえ掴めていれば、なんとか作用する筈と信じて素早く描いたのだ、が。
「あ……」
「うっ」
一瞬、俺の方が遅かった。
恐らくは俺達の姿が見えたらしい森さんと他三人と、バッチリ目が合った。
「ううぅ……そ、染井川さんの馬鹿っ! 馬鹿死ねっ!」
「認識阻害、今の一瞬で描いたのか? 機転が利くようになったじゃねえか」
「今誉められても全然嬉しくないから! 絶対見られたし!!」
「だからスカートにしとけって言ったろ」
「見られるの前提かよ変態! もうやだ帰る! おうち帰る!」
「ちなみにこの紋、一度存在を見破られると重ね掛けしても意味無いぞ」
ぎゃんぎゃん喚いて繋がったままの染井川さんに文句を言いまくっていたら、最後に一番怖い事を言われて息が止まる。
え、なに、つまり。そろり、扉の所で固まっている四人組の方を見ると、一斉に目を逸らされた。
「~~ッ!!」
「あっコラ馬鹿、今抜いたら……」
いてもたってもいられず、逃げようと暴れたら萎えた染井川さんが抜けていって、交わっていた所からどろりと垂れてきた。
「もうやだかえる」
蹲み込んでうっうっと泣き出した俺を一応は染井川さんが体で隠してくれているらしいが、もう見られた後だ。全く意味が無い。消えたい。消え去りたい。
「仕事まだ終わってねぇだろ」
「染井川さんに羞恥心って無いの!? ねぇ!!」
早よ拭け、とスーツの内側から取り出したタオルを渡されて、最初からするつもりで来たのかと愕然とする。太腿に垂れたやつをなんとか処理して、投げ捨てたいのを我慢して丸めて掴んだまま立ち上がった。
「帰る」
「仕事」
「終わらせればいいんだろ!」
腹立つ気持ちを乗せるように霊力を籠めて足で床を叩く。途端、教室のあちこちと、扉の向こうの廊下が光り、発動した紋が妖怪を浄化させていく。
一、二、三、……十八。思ったより少なかった。紋に霊力を通し、感知に引っ掛らなかった邪気が無いか隅々まで索敵して、校内が全て浄化されたのを確認してから紋への供給を止めた。
「終わったよ! 俺は車戻ってるからな!」
セックスしていたのを見られて平然と出来る訳も無く、そう宣言して森さん達がいない方の扉から出ようと走ろうとした、襟首を掴まれる。
「待て。何匹居た」
「十八!」
「今の紋、お前が作ったのか」
「そうだよ、ちゃんと動いたんだからいいだろ!?」
説教なら家に帰ってからにしてくれ、と涙目で染井川さんを振り返るが、彼は俺じゃなく四人の方を見て何故かドヤ顔だ。いやあんた、股間出しっぱなしだからな。仕舞え。
「文句無ぇだろ?」
文句しか無いわ!!
拳を握り締めて殴ってやろうとした瞬間、俊速で走ってきた森さんに腕を掴まれて悲鳴をあげた。
「ひゃあっ、なにっ、何ですかごめんなさいっ」
「紋を作ったってどういう事!?」
「はい!?」
「何今の、意味分かんないよ静汰くん!! 君もう神子じゃないんだよね!? 紋が使えるようになってるだけで驚きなのに、今どうやって発動させたの!?」
ガクガクと揺す振られて、矢継ぎ早に質問されて混乱する。待って、そんな沢山言われても俺覚えられない。
染井川さんの方を見て助けを求めるのに、楽しそうに笑うばかりだ。
「森、あんま触んな。俺のだぞ」
「いや今そういうの良いんで!」
「染井川さん笑ってないで説明して?!」
興奮する森さんをどうにか落ち着かせて、ここでは落ち着いて話が出来ないから、という着物の人の提案で場所を移すことになった。
仕事がつつがなく終わったと染井川さんが小立に報告しに行く間、当然のように染井川さんの車の助手席に乗ろうとする俺を見て、森さんが目を丸くした。
「静汰くん、拉致られたと思ってたんだけど……」
「ああ、はい。そうですね」
「……あんな場面見てから聞くのもアレなんだけど、最初から合意だったの?」
「いやそれは違います。フツーに強姦でしたよ」
今はまあ、その……と濁す。苦笑するしかない俺に、森さんは苦い顔だ。
「あんまり他人の詮索はしない主義なんだけど、……蛍吾くんと志摩宮くんは知らないから、連絡とれるならとってあげなよ」
「……」
二人が何を知らないのか、というのはあえて伏せた森さんは、やっぱり染井川さんの部下なんだと思う。俺が染井川さんの所に居るって事なのか、神子じゃなくなったって事なのか、染井川さんが俺を弟子として連れ回してる事なのか、それら全てか。何処から何処までを自分が把握してるのか、明かさないのがいやらしい。
だから俺も、曖昧に笑うだけで返事をしなかった。
「何やってんだ、早く乗れ」
車に戻ってきた染井川さんに急かされ、ドアを開けたところで話していたから慌てて乗り込む。森さんや他の人達も、自分の車で来ていたらしく、それぞれ一台ずつに乗り込んで移動を始めた。
数十分走り、着いたのはお寺のようだった。
「僕の別荘。廃寺リフォームしたから広さはバッチリだよ~」
着物の人か天狗の爺さんのどちらか関係かと思ったら、赤髪のパンク青年がヒラヒラと手を振って教えてくれた。
元は寺だっただけあって、五台停めてもまだ駐車場に空きがあった。少し朽ちかけた雰囲気の石段を登り、木塀で囲まれた敷地に入ると、急に空気が美味しくなった。気のせいか、良い匂いまでする。
周りを見回して匂いの正体を探っていたら、パンク青年が嬉しそうに教えてくれた。
「桃の木だよ。良い匂いでしょ、俺も好きなんだぁ。好き過ぎてね、一年中咲くように改造しちゃった」
「改造?」
こっちこっち、と手招きされ、染井川さんを見たら顎で「行ってこい」と許可されたので赤い髪を追いかける。短髪だと思っていたが、背中に長く伸びたのを一つに括っていた。尻尾のようなそれに、これが噂に聞くヤン毛、と初対面に内心感激した。
「これ。綺麗でしょ?」
建物の裏手に、満開の桃の樹が生えていた。ふわふわと柔らかそうな花弁は濃い桃色で、近付くと一層強い匂いをさせる。
「すごい……いい匂い……」
クラクラするほどの匂いに、酔っ払うってこんな感じかな、と目眩を覚えた。足がフラつき、なのに勝手に桃の樹目指して進みだす。
もっと、もっと近くで嗅ぎたい。
誘われるがままに引き寄せられていく俺に、染井川さんの呆れた声がかけられる。
「おい静汰、お前もっと人を疑え」
「……え?」
声の方を向くと、建物の正面から入って来たらしい染井川さん達が雨戸を開けて縁側へ出てきて、俺と青年を見ていた。どうやら建物の庭に面した部分が長い縁側になっているらしい。
しかし、視線を桃の樹に戻して、目を丸くした。咲いてないどころか、枯れて朽ちかけている老木があるだけだったのだ。
「???」
首を傾げる俺に、パンク青年が耐え切れないみたいに噴き出す。コロコロと鈴が鳴るような可愛い声で笑って、「いや~、ごめんね」と俺に手を差し出してきた。
「すっごい素直だねぇ、君。言った事全部受け入れちゃうからびっくりしたよ~。あ、僕、ヤモリ。家守じゃないよ、月光の方ね」
「えっと……、よく分からないですが、林です」
「あれ、今の若い子はこのネタ分かんないかぁ。も~」
十分若そうなんだけど、言っている意味は全く分からない。まいっか、と差し出された手を握って握手して、縁側から家の中に上がりこんだ。
俺が玄関に靴を置きに行っている間に、青年──ヤモリさんはお茶を淹れにいったらしい。
雨戸はまた閉められ、石油ストーブだけが光源の暗い部屋は、さながら今から百物語でもし始めそうな雰囲気だ。ちゃぶ台すら無い畳の部屋で、輪になって座布団に座る。時計回りに、染井川さん、俺、森さん、着物の人、爺さん、ヤモリさんの順だ。
戻ってきたヤモリさんが持ってきた湯気の立つ湯飲みを全員が受け取ったのを見て、森さんが「さて、じゃあ自己紹介を……」と口火を切ろうとしたのに、爺さんが待ったをかけた。
「その小僧がどういう存在なのか納得するまで、こちらの情報を明かす気は無い」
ずず、と熱い茶を啜り、俺を見る目に敵意は見えない。だが、信用されてもいない。当たり前だ、さっき会ったばかりなのだから。
「じゃあ俺から? ……えと、林 静汰、十七歳です。夏まではトナリグミで神子やってました。神子じゃなくなってからは、染井川さんのとこで仕事の手伝いしてます」
一応敬語で自己紹介してみたけれど、爺さん以外の四人の反応も芳しくない。首を傾げて困る俺に、森さんが少し考えてからいくつか質問してくる。
「仕事の手伝いっていうのは、除霊とか妖怪の撃退とか? 回数は?」
「ん……、寒くなってからだから、仕事に連れてってもらえるようになってから、たぶん三ヶ月くらいです。回数は覚えてないです」
「静汰くんが使うのは紋だけ?」
「あ、いえ、呪札(まじないふだ)も使えます。紋の方が使い勝手良いのであんまり使わないですけど」
答えながら、ポケットから数種類の呪札を出して見せた。そういえば制服のままだった。車で移動する間に着替えておくんだった、とさっきの事を思い出して少し後悔する。
「紋はどれくらい使える?」
「どれくらい? 破邪、浄化、治癒あたりの紋は普通に……」
「森、聞き方が悪い。こいつ、見ながらなら大抵は描けるぞ」
「は!?」
染井川さんが横から口を出してきて、森さんが素っ頓狂な声を上げる。
「つぅかよ、お前が聞きたいのはそんな事じゃねぇだろ。静汰、目ぇ閉じとけ」
「え? あ、うん」
染井川さんに言われた通り目を閉じる。
『見ながら』なら描ける、って、それのどこに驚く要素があったんだろう。『紋を壊す紋』みたいな霊力消費量が馬鹿でかいのはもう無理だけれど、他の紋なら俺の一般的な霊力量で描けないものなんて殆ど無かった筈だ。
俺が目を閉じる前で、染井川さんと森さんが小声で話すのが聞こえるけれど、内容までは分からない。
「いいぞ、目ぇ開けろ」
言われて瞼を上げて、目の前にチカチカ光る大量の紋に一瞬びっくりした。「うわ」と眩しくて目を眇めるのを、森さんが訝しそうに見つめてくる。
「何これ、読めばいいの?」
「全部消せ」
染井川さんに言われるがまま、手近な紋から消していく。座布団、床、湯飲み、服。部屋の中の片っ端から掛けられた紋は、しかし浄化ばかりだ。これ、染井川さんの紋じゃないな。描き方の癖が違う。
「これ、森さんが描いたの? 霊力量すごいね」
「……」
これだけ大量の浄化を描いたら、俺だったら枯渇してしまっている。染井川さんの部下の森さんが枯渇させるような真似はしないだろうから、まだまだ有り余っているのだろう。羨ましい。
ちまちま浄化の紋をぶつけて壊していく。壊す方ならそれほど霊力を籠めなくて良いのは助かる。
「終わったよ?」
結局、大量の浄化の中に数個破邪が混じっているだけだった。一体何をさせたかったのか。
森さんを見ると、信じられないみたいに固まってしまっていて、じっと見つめてくるだけで何も言ってくれない。染井川さんに視線を移すと、彼はすいと指を動かして紋を描こうとするので慌てて止めた。
「非常時でも無いのに染井川さんは使うな!」
「少しだけなら問題無ぇって」
「だったら俺が少し分けるから、それ使って。いいか、分けた分だけで描けるやつにしてくれよ」
分かった分かった、と肩を竦める染井川さんの腕に触れて、霊力を移す。そういえばさっき、この三人も同じ事をしてたな。って事は、この人たちも結構腕の良い術師だったりするのかな。
考えながら霊力をあげていたら、ぐいぐい吸われて、見れば染井川さんは湯飲みに十六方の壁の紋を掛け、その一面一面に破邪と浄化を重ね掛けした上に時間制限を五分と、また新しい謎の紋を掛けていた。
「うわ~、性格悪っ。染井川さんほんとヤなやつ!」
「……マイナス三分」
「二分でこれ解けっての!?」
湯飲みに向かって忙しなく指を動かす俺に、誰も何も言ってくれない。これ本当になんなんだ。一体何をさせられてるんだ俺は。
壁と破邪、浄化は描くのを見ていたから問題無い。時間制限も二種類掛けて繋ぐ。見た事の無い謎の紋は、もう気合いだ。重ね掛けされた紋の中に、霊力の通っていない道を探して辿っていく。土を指で穿ったような細い道に水を流すように、少しずつ霊力を通して流れていくのに逆らわない。六割描いたところで、構成の雰囲気で何の紋か気付いた。『破壊』だ。
時間制限が来ると壁の紋ごと湯飲みが割れる。そういう紋。紋の作用さえ理解出来れば、後は自分で作る時と同じようにイメージを霊力に乗せればいい。
「っしゃ」
二分かからず紋を解けた。
小さく拳を握ると、パチパチとヤモリさんが手を叩いてくれた。森さんと爺さんは頭痛でもするみたいに頭を抱えていて、着物の人は無表情にお茶を啜っている。
「あの」
「静汰くんに言っておきたい事があるんだ」
森さんは一度お茶を啜ってから溜め息を吐き、染井川さんを睨み付けてから俺を憐憫の眼差しで見た。
「普通の人には、……いや、大抵の術師や霊能者には、他人の紋は視えない」
「え」
「視える人もたまに居る。僕や蛍吾くんも視える方だ。けど、重なった紋は読み取れない。というか、『紋を重ねる』って事自体、出来たのは染井川さん一人だったんだ。『新しい紋を作る』のもそうだ。正直言って、今君が何をしていたのか、僕らには見てても視えてはいなかった。訳が分からない。紋の重ね掛けなんて僕には何度やっても出来る気がしないし、他人が掛けた紋を読み解いて同じ物をぶつけるなんて頭がおかしくなりそうだ」
森さんは早口で言ってまたお茶を飲んだ。
「でも、蛍吾は俺に掛かった紋を読んで解いたりもしてた気が……」
「蛍吾くんがどうしてあの歳で幹部だったと思う? 保有霊力量が多くて回復スピードは超速、そしてその彼でもね、解けるのは単独の紋だけだ。重ね掛けされたら視えても読めないし解けない。『紋を壊す紋』でも使わない限りは」
「紋を重ねるのだって、結構やってたような」
「それはたぶん同じ紋を、だろう? 呪物に浄化を重ねるようなことなら僕にも出来る。けど、君たちがやってるのは根本的に違うんだよ。……呪物が皿、浄化がラップをかける事とすれば、僕たちは何枚も何枚もラップを重ねてる。染井川さんや君がやってるのは、ラップをかけてからそのラップの厚みを増したり色を変えたりしてるんだ」
「そんな魔法みたいな……」
「僕からすれば魔法だよ。つまりね、静汰くん。君は、その……はぁ、規格外過ぎて、もうなんて言ったらいいのか」
森さんに言われた内容を反芻しながら、紋を解き終えた湯飲みのお茶を啜る。ぬるい。
普通の術師には他人の紋は読めない。読めても重なっていたら読み解けない。
紋に紋を重ねるのは同じ紋しか出来ない。染井川さんや俺みたいに『繋ぐ』のは無理ってことかな。
紋を作るのが無理っぽいのはなんとなく分かってた。なんだろ、器用なのかな俺。
半分くらいまでお茶を飲んで湯飲みを置いたら、爺さんが胸元から煙草の箱を取り出して「いいか?」と聞いてきた。他の皆が頷いたので、俺も頷く。爺さんが煙草に火を点けると、ヤモリさんが立ち上がって灰皿を二つ取ってきた。
「染井川も吸うだろ」
「ああ」
ヤモリさんから灰皿を受け取った染井川さんは、俺と森さんを見てから煙草の箱を取り出す。森さんが咎めるように染井川さんを見ているので、どうやら俺に副流煙を吸わせるのが気になっているようだった。車で吸っているし、どうせ今更なんだけど。
「確かにその小僧は見込みがある。だが染井川、そいつには致命的な弱点があるな?」
「……ああ」
染井川さんが頷くのを見て、当の俺が首を傾げてしまう。俺の弱点?
「場数が足りてねぇ。……素質はある。本格的に仕込み始めて三ヶ月でコレなんだ、十分だ。だが、機転は効かねぇ。判断が遅い。あと目は良いが耳が馬鹿だから言葉だけで指示出そうとすると混乱しやがる」
「面倒くせぇな」
「そう言うなよ。俺が死ぬまでにはもう少し使えるようにしとくから」
「お前……本気かよ」
「本気じゃなかったらわざわざ全員呼びつけたりしねぇって」
爺さんと染井川さんが話すのを、他の人は黙って聞いている。というか、着物の人は静かだと思っていたら胡座に腕を組んで船を漕いでいた。
俺が口を挟める雰囲気ではなく、しかし聞いてないといけない気がして、馬鹿な耳を集中させてなんとか覚えておこうと努力する。
「こいつは俺の後継だ。俺が死んだら座を譲る。フォロー頼むぞ」
「……」
「おお~」
「うわぁ、静汰くんご愁傷様」
後継ってなんだ。初耳だ、と目を瞠る俺に、爺さんは無言で肩を竦め、ヤモリさんはまた手を叩く。森さんに至ってはお悔やみを言ってきた。
着物の人が目を覚まし、一つ溜め息を吐いてから俺の方に右手を出してくる。握手だろうか、と手を出したら、シュパ、と指先を切られた。中指の先から血が出て、驚いて手を引っ込めた。左手で治癒を掛けるとすぐに傷は塞がった。
「この素直さも問題だ。先ほど人を疑えと言われたばかりのはず」
「まだ十七のガキだからな。そこがまた可愛いんだが……」
「拙者に稚児趣味は無い」
「俺だってロリコンじゃねぇよ」
「染井川さん、幼い男の子の場合はショタコンって言うそうですよ」
「だから違う」
着物の人は着物の合わせから腕を突っ込んでごそごそ漁ってから、俺に向かって何か投げてきた。受け取ってみれば、それは絆創膏だった。傷口はもう瘡蓋になっているけれど、有り難く貼っておく。
「拙者は術師ではない。魔を斬るしか出来ん。故に拙者に頼ろうとは思うな」
「名前、名前」
「……鯛(たい)」
鯛さんは答えて、また腕組みして眠り始めてしまった。
ヤモリさんも鯛さんも明らかに偽名だ。森さんはどうなんだろう。染井川さんは本名……だよな、たぶん。
「鯛さんは暗器使いだから、寝てても不用意に触ったりしない方が良いよ。どこから針や短剣が出てきて刺されるか分からない」
何それ怖い。森さんが横から鯛さんの補足説明してくれて、まじまじと正面に座る鯛さんを観察する。薄着なのに寒くなさそうなのは、色々と懐に隠しているからだろうか。
「次、僕ね。名前は言ったから省略。僕は皆が使う武器を造ったりするよ。好きなのは幻術だけど、根が人間不信の人たちには効かないから今の時代はあんまり活躍出来ないんだぁ。僕は君みたいな素直な子、大好きだから大歓迎」
よろしくね、と前のめりに寄ってきたヤモリさんが俺の手を握ってぶんぶん上下に振って、さっきの桃の木が幻術だったのを知る。横から伸びてきた染井川さんの手がヤモリさんの手を掴んでペッと放った。
「お前は危ないから駄目」
「えー」
「ちょっと染井川さん、僕にも無理ですよ。教えを乞う方ですよ」
森さんが顔の前で手を振って言うのを、染井川さんが睨んで「情けねぇこと言うな」と叱責する。
「お前だって座を貰ってる立場だろうが」
「空席を埋める為だけでしょうが!」
「埋められてんなら十分だろ」
森さんは返事の代わりに長い溜め息を吐き、そして爺さんに視線を移した。
「……砌輪(みぎりわ)だ。紋は使わん。呪札と術で除霊だの妖退治をしてる。ガキの世話はしねぇ」
「そこをなんとか……」
「死なねぇように見てやってくれれば十分だ。頼む」
どうやら染井川さんの死後、俺の面倒を誰がみるかで揉めているらしい。
砌輪さんに頭を下げる染井川さんを見て、すぅと胸が冷える。
「染井川さん、俺は」
「静汰」
染井川さんが死んだ後の事なんてどうでもいい。死なせない為に勉強してるんだから、死んだら術師なんてやめてしまいたい。
なのに、染井川さんが笑って俺の頭を撫でるものだから、怒る気が失せてしまう。
「お前は俺の生きた証だ。俺が作った紋のほとんどは、もうお前の頭の中にある」
ああ、やっぱり染井川さんが作った紋の本も混じってたんだ。予想通りとはいえ、『生きた』と過去形を使う染井川さんにツンと鼻の奥が痛くなる。まだ生きてるのに、もう死ぬ準備を始めている。そんなの辛過ぎるのに、染井川さんは優しく笑って俺を撫でる。
「十一年に一度、どうしても座に五人居ないとならねぇ仕事がある。半端な術師じゃ務まらねぇんだ」
「……」
「頼んだぞ」
嫌だ、と拒否してしまいたい。けど出来ない。
頷く。そのまま、俯いた。顔を上げられない。俺の為に笑う染井川さんを見たくなかった。
気まずい沈黙の後、咳払いして話し始めたのはやはり森さんだった。
「……まあ、じゃあとにかく座については静汰くんを据えるので誰も異論は無いね?」
「……」
「返事が無いのは異論無しってことで。他に連絡事項ある人?」
「……」
「じゃあ僕から一つだけ。染井川さんと静汰くんは知らないと思うけど、『トナリグミ』は事実上解散しました」
「「は!?」」
森さんの発言に、俺と染井川さんが同時に叫ぶ。二人で顔を見合わせて、それから森さんを見て続く言葉を待った。
「染井川さんが神子を拐かしたことで危機感を持った寛容の神が沙美様を連れて出奔。沙美様を探しに行った蘭童さんも行方不明。倣うように他の神々も神子を連れて組織を抜け……、今残っている神子は志摩宮くん一人です」
「……」
志摩宮が、神子?
身を乗り出した俺の横で、染井川さんのくわえる煙草の先が赤く光った。
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