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神と貴方と巡る綾
07
しおりを挟む「え、……マジで猫?」
にゃおん、と鳴いた仔猫は藪の草が顔に当たるのが嫌なのかとてもゆっくりとこちらへ近付いてくる。
全く紛らわしい、とその仔猫を抱き上げようと手を伸ばした、俺の耳の後ろで「にゃおうん」と鳴き声がした。
「あぐっ!」
強い衝撃の後、弾き飛ばされるようにその場から転がって、山道から少し滑落した。咄嗟に障壁代わりに張った壁の紋ごと殴り飛ばされて、砂利で掌と顔を少し擦った。
「イッテテ……、クソ、ほんと俺、詰めが甘い」
徹さんがこの場にいたら、擦り傷だらけになった俺を見て大笑いするだろう。
痛む体を起こして背後に向き直ると、暗闇の中に一層黒い大きな何かが立っていた。にゃーん、と姿を見せてさえそれは可愛らしい声で鳴き続けている。
破邪の紋を描いて、殴りつけるように地面に飛ばす。掛けてきた結界の中全てに作用するよう描いたその紋が発動すると、目の前だけでなくあちこちから小動物じみた悲鳴が聞こえて息を呑む。
慌てて結界に数を探知する紋を繋げて確認すると、ざっと数えただけで十数匹居てゾッとした。
慌てて結界外にも探知を広げるけれど、漏らしはないようだ。
破邪の紋への霊力供給を続け、最後の一匹が息絶えたのを確認してから、亡骸を確認して回った。
「……きっつ」
それは、一体を除いてどれも小さな猫のような形をしていた。しかし、猫ではない。猫又でもない。息絶えた巨体の物の怪は、確かに熊のような見た目をしていた。腹にいくつもの小さな穴が空いていて、おそらく仔猫のようなあれらはこの物の怪が野良猫を取り込んで変異したものだったのだろう。
夜闇に紛れて仕事を終えられて良かった。さすがに仔猫の姿をしたものを虐殺するのはしんどい。
小さな亡骸たちは朝日に当たれば崩壊するだろう。熊のような一体だけに破邪を重ね掛けして、最後に蹴り飛ばすと砂のように崩れ落ちた。
最後にもう一度、山全体に紋を掛けて、薄く浄化を巡らせる。麓の方に一ヶ所だけ、抵抗があった。おそらくはそこに異界の門があるのだろう。
位置を覚えて、それから周囲を見回した。殴り飛ばされた衝撃で、ランタンを何処かに落としてしまったようだ。地形は頭に入っているからテントまで戻るのには問題無いけれど、明日ランタンを貸してくれた洲月さんには謝らなければならない。
目を凝らしながら足を滑らせないように慎重に登山道へ戻り、腕や脚に出来た擦り傷に治癒の紋を掛けて止血だけした。霊力の残量は七割といったところだろうか。あの小さい物の怪を産み出したことで大物本体の体力が殆ど残っていなかったのが幸いした。
テントへ戻ると、志摩宮は俺が行く前と同じ位置に座ったまま、こっくりこっくりと舟を漕いでいた。蛍吾達のテントの入り口前から動いていないようだから、二人はちゃんと中に居るのだろう。
「志摩宮。終わったからもういいよ、テントで寝るぞ」
「ん……、すいません、俺、寝てた?」
「疲れてんだろ。門壊すのは明日にするから、今日はもう寝よう」
志摩宮が俺との約束を放棄して居眠りなんて、相当だ。
目元を擦る彼の腕を掴んでテントへ引っ張っていくと、横になった彼はまたすぐ寝入ってしまったようだった。
寝袋に入らないで寝たら翌朝体が辛いだろう。靴を脱がしてから、足先の方から寝袋に押し込んでやり、すっぽり頭まで入れた頃には汗だくになっていた。そのまま冷えると風邪を引きそうだから、俺も急いで自分の寝袋に入る。
最後にもう一度山全体を霊視して悪い物がいないか確認してから、目を閉じて眠った。
最初に泊まった宿を拠点に、電車で方々へ移動して細かい依頼を五つほどこなして、二週間が過ぎた。
当初の予定では三日ごとくらいに依頼のある場所を転々としつつ現地で宿を探して泊まるはずだったのだけど、なんだかんだと世話を焼いてくれる洲月さんと、どう見ても彼が気になって次の場所へ行くと言い出せない蛍吾を見ていたら、俺と志摩宮は文句なんて言う気も無かった。
それでも、依頼をこなして日帰りで戻ってこれる依頼はもう無くなってしまった。明日チェックアウトして隣の県へ移る、と言われて、トランプでスピード勝負をしていた俺と志摩宮はそっちを向いた。
「連絡先くらいは聞けたん?」
「聞かねぇよ」
宿の部屋で座卓にタブレットとパソコンと紙の依頼書を並べてそれらを整理していた蛍吾は、こちらを見もせずそう答える。
「なんで?」
「何でも何も、必要無いから」
蛍吾の答えは素っ気なく、それを聞いた限りでは本音に聞こえなくもない。
が、俺は知っている。蛍吾がめちゃくちゃ嘘が上手いって事を。
「話してるうちにあんま興味無くなった?」
「そうじゃねぇけど」
「天然っぽいもんなー、ずっと一緒にいたらと結構疲れそう。年も離れてるし、ノリ合わなくて気ぃ遣うのは蛍吾の方だろうしな」
「……別に、そういうのも気にならねーけど」
悪口を言うわけではないけれど、軽くつつくと蛍吾は面白いように表情を変えた。あまり言うなら怒るぞと、その目が物語っている。
「じゃあなんで?」
「……」
「話してて楽しくて、ギリギリまで離れたくないと思うのに、なんで連絡先すら聞かねーの?」
座卓に肘をついて頬杖をついてニヤニヤと蛍吾を見つめると、彼は眉間に皺を寄せて舌打ちをした。
「忙しいんだよ、俺は。恋人なんて作ってる暇ねーの」
「あ、やっぱ好きなんだ」
「……べ」
「否定しなくていーから。てかさ、今まで通り仲介さえしてくれれば、俺らは蛍吾が何処で仕事してくれても構わないけど?」
連絡さえつけば何処ででも仕事が出来る、だからこそこうして長期旅行へも連れて来た。
離れ難いならいっそここへ住んでしまえばいいのでは、と俺が提案すると、トランプを切っていた志摩宮も頷いた。
「いやな」
蛍吾はハア、と大きく長い溜め息を吐き、やれやれと首を振ってから俺と志摩宮を交互に指差して睨んでくる。
「お前らみたいに、誰も彼も『好きな人と片時も離れたくない教』の信者だと思うなよ。俺は適切な距離感が欲しい派だ」
「てきせつなきょりかん」
「具体的に言うと、週に一度会えればそれでいい」
蛍吾の返事に、志摩宮が信じられないみたいに目を剥いて唸る。ぎゅっと俺の腕を掴んできたので、落ち着けとその手を撫でた。
「志摩宮は信じられないそうです、蛍吾クン」
「だろうな」
「三日離れたら禁断症状で不眠になります。一週間なんて……」
「だから一緒にすんなって。俺は、違うの。好きだとしても別にずっと一緒じゃなくても禁断症状なんて出ないし、死にもしない」
べたべたと俺にくっついてくる志摩宮を見て蛍吾は呆れたみたいに笑い、そして今度は小さな溜め息を吐いた。
「だからいいんだよ。好きだのなんだの、お前ら見てると絶対面倒だって分かるし。家に帰ったらすぐ忘れる」
「そんなもん?」
「そんなもんだよ、普通の人間の一過性の恋なんてのは」
お前らが特殊なの、と言う蛍吾に、俺も志摩宮も顔を見合わせた。
特殊、か。もしかしたら、徹さんはあっち側なのかもしれない。
「そっかー、じゃあ洲月さんにも伝えとこ」
スマホを出して明日出発するというメッセージを送ると、数秒してすぐに既読がついた。
「ちょ……、え、待て静汰。なんでお前、え?」
「知りたい?」
「いや、は? い、いつの間に……っ」
俺は別に洲月さんに対してなんの感情も無いので、連絡先を聞くのに何の勇気も必要無くさくっと交換していたのだけれど。なんだか面倒くさそうな葛藤を抱えた蛍吾は、俺が洲月さんとメッセージのやり取りをしている画面を見て怒ったような泣きそうなような、複雑な表情をして八つ当たりに志摩宮を睨む。
「志摩宮! お前、いいのかよ。新しい男引っ掛けたぞ、こいつ」
「あ、俺ナンバーワンならオンリーワンじゃなくて良い派なんで」
「あ~~~もう、お前らほんとやだ!!」
頭を掻き毟る蛍吾をケラケラ笑っていると、俺のスマホから着信音がした。通知名は、洲月さんだ。
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