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俺の返事の後、数秒してからガチャ、バタンと玄関ドアが開閉する音がした。
スマホで時間を確認すると、10時30分だった。待ち合わせ場所に指定した駅前公園まで、ゆっくり歩いても十五分ほどしかかからない。
いつも早め早めに行動する虹らしいけれど、それを踏まえてもいつもよりかなり早い。それだけ期待しているからだろうか、と考えて、来なかったら虹がどれだけ傷付くか怖くなる。
虹に興味を持たないなんて見る目の無い奴だ、いやむしろ俺が渡したからかもしれないごめんな、虹ならもっとレベルの高いα狙えるって――。
どう慰めたら虹の気持ちが軽くなるか頭の中でシミュレーションしていたら、ピンポーン、とチャイムが鳴った。
何か宅配便だろうか、と階下に降りて玄関を開けると、そこに立っていたのは澄晴だった。
「あれ? 俺、まだ虹が行ったって連絡してないけど」
「どうせあいつ早めに出るだろうから、俺も早めに来たんだよ。虹とは途中ですれ違った。……つーか、何その頭。虹追い掛けんの中止か?」
言外に『外出できる頭ではない』と言われ、寝癖がそのままだったのを思い出してバッと髪を押さえた。
「い、今準備してたんだよ! そこにお前が来たの!」
「それ直すのに何分かかるんだ? 虹が帰ってくる方が早いんじゃねーか?」
「そこまでかかんねーよ!」
どれだけ俺の寝癖が頑固だと思ってるんだ、とぶすくれながら洗面室の方へ踵を返すと、澄晴はいつものように靴を脱いで勝手に上がり込んでくる。
確かに父さん譲りで髪質は硬い方だけれど、その分癖が無いから一回全部頭を濡らしてから乾かせば、すぐにまっすぐだ。虹はパパ譲りの猫っ毛で絡まったり寝癖になると直り辛いから、朝の支度はいつも俺より時間がかかるけど、……あ、そうか、澄晴は虹の髪をイメージしてるのか。そりゃ時間かかりそうだと思うよな。
洗面台でざばっと頭を濡らして、タオルで軽く水気を取ってからドライヤーをかける。風量が強いからコォォ、とかなりうるさい風を受けながら髪の毛先を引っ張って伸ばすように乾かしていると、鏡越しに俺の背後に澄晴が立っているのが見えた。
「どした? 向こうで待ってろよ、もう終わるから」
「お前、ほんとに雑だよな。そんなんでちゃんと直るのか? 俺がやってやろうか?」
「いやちゃんと直ってるから」
一度ドライヤーを止め、ほら、と髪に手櫛だけ入れてみせる。
もう角みたいに尖っている所もなければ、うねって変な癖がついている所もない。綺麗に頭の形に添うように下に向かってまっすぐだ。
「俺は虹と違ってすげー楽な頭してんの」
「中身と一緒だな」
「うるせーばか、分かったら向こうに……」
行ってろ、と澄晴を肘でどつこうとして、後頭部に温かさを感じて息を詰めた。
「ほんとだ、虹より硬い」
髪の表面を上から下まで一度撫でた掌は、二度目は梳かすように髪の中に指を入れて地肌を撫ぜてきた。その感触にぞわりと気持ちよさが走り、けれど掛けられた言葉に唇をキツく噛む。
虹と比べるな。お前にだけは、虹の方が、なんて言われたくない。
叫びたくなった感情を飲み込み、「うるせ」と笑ってその手を払った。
鏡に映った自分の笑顔を見て、だらしねぇ顔、と内心で嘆息する。そもそも、虹と比べるなんて虹に失礼だ。同じ顔をしているだけで、虹と俺じゃ勝負になんかならないんだから。
「お前さ、もう少し襟足短くした方が……」
「あーハイハイ、そういうのは自分の番に発揮して下さーい。俺はお前の番じゃありませーん」
Ωを自分好みに変えたいと考えるのはαの本能らしいけれど、俺に押しつけられても困る。
頸を撫でてこようとする手をシッシッと払って、ドライヤーの電源を入れた。温風で髪を乾かし、ちゃんとブラシで毛の流れを整えてから鏡を見る。うん、オッケー。大丈夫、今日も見た目だけは一級品。
「よし、行くか。……あ、待った、首輪着けてけってパパに言われてたんだった」
「過保護だよなぁ、まだお前必要ねーのに。玄関で待ってるからさっさとしろよ」
やっと玄関に戻って三和土に座って靴を履き直す澄晴の背中を確認してから、そぅっとリビングに戻って奥のキッチンでコップに水を汲む。冷蔵庫のドアに貼り付けたピルケースから一錠出して、水で飲み込んだ。
パーカのポケットに入れていたフェロモン測定器を出し、0.003と表示しているのを確認してポケットに戻す。
本当は、発情期なんてもうとっくに来ている。虹よりずっと先、中学に入った頃だ。
ただ、俺はどうやら薬の効きが異様に良いらしくて、抑制剤を処方通りに飲んでいればフェロモンの分泌もほぼゼロ、発情期でも体温が若干上がる以外は特に何の体調変化も無い。
わざわざ発情期が来た事を触れ回る趣味もなく、だから微塵もフェロモンの匂いがしない俺を澄晴はいまだに『子供』だと勘違いしている。別にそれで問題があるわけでもないし、不便もない。今後もし澄晴以上に気になるαが現れたら、その時には薬を少し弱めに処方して貰えばいいと思っている。
足早に自分の自室に向かって、机の引き出しから首輪を出して身に着けた。
俺に発情期が来た時に、両親が渡してくれたものだ。
Ωは発情期を迎えてからやっとフェロモンが放出されるようになる。それまではαに項を噛まれても番は成立しないし、そもそもαもフェロモンが出ていないΩを噛もうと思わないらしい。
ついで虹もその時に一緒に貰ったけれど、デザインも材質も違う。
俺たちを平等に扱う為か大概の物を揃いで与えてきた両親が、全く違う物を与えてきた初めてのプレゼントだった。
虹のは合皮製のしなやかで薄くてまるで付け襟みたいなオシャレなやつだけど、俺のは水牛革製だとかでやたらと分厚くてごつく、そのうえ鍵までついている。
どうしてこんなに違うのかと聞いたら、「お前のは頑丈さ重視で、噛まれても絶対に千切れないように作って貰った」とパパは答えた。
たぶん、俺が周りから軽く扱われてるから、相手の見つからないαに無理矢理噛まれて番にされるのを危険視したんだと思う。「追い詰められたαは何しでかすか分からないから気を付けろよ」と俺ばかり口を酸っぱくして何度も言われているし。
虹と二人で首輪を着けて外に出ると、知り合いなんかは「逆じゃね?」という目で見たりしてくるからあまり気に入ってはいないのだけど、買い直すのも面倒だからそのままだ。
どうせフェロモン臭のしない俺なんかを噛もうとする奴はいないから、新しいのにしても金の無駄。
下に降りると澄晴は腕を組んで苛立ったように足を鳴らした。
「首輪着けるだけに何分かかってんだ」
「ごめんて」
やはり虹が気になるのだろう。急かす澄晴の横でスニーカーに足を突っ込んで外に出た。
鍵を掛けて家を出て、駅前公園へ向かう。
良い天気だった。空には二つ三つ雲があるだけの青空で、適度に風が吹いている。日焼け対策に薄手の長袖パーカを着てきたけれど、早速腕まくりしてしまいたくなるような陽気だ。
「……いつ見ても無駄にゴツいよな」
「あ? あ、うん」
隣を歩く澄晴に首輪をつつかれ、肩を竦めた。
「なんか別なの買えば? お前、毎年暑くて蒸れるからって夏んなると外出たがらねーし、もっと薄くて通気性のいいやつにすればいいじゃん」
「番が出来たら必要無くなるもんに金かけるの勿体ない。これ結構高かったみたいだし、さっさと番作れば解放されるし」
「さっさと作れんの?」
「運次第だな」
「番決めを運任せにすんな、アホ」
出るまでは急かしてきたくせに、澄晴の歩調は遅い。まるで散歩するみたいにゆっくりで、早足で歩くと数歩で置いていってしまいそうになる。
「澄晴、もっと速く歩けよ」
「別に俺らが約束してるわけじゃねーんだから急がなくてもいいだろ」
のんびり歩くのを改めようともせず、澄晴は通り沿いのブロック塀の上に視線を向けて「あ、猫」なんて嬉しそうに指差した。
「なぁ、そういやお前って猫派? 犬派?」
「は? そりゃ断然猫派だけど」
「三毛と茶トラだったら?」
「茶トラ」
「一番好きな柄は?」
「サビ。……なんだ急に?」
猫を見つけたからって急にどうした、と首を傾げるが、澄晴は「別に」と言いながら日向ぼっこする野良猫を撫でようとしてフカーッと威嚇されている。
「うなんな」
「おい澄晴、猫はいいから行くぞ」
「うなんな」
「……」
「うなーんな」
「澄晴?」
「……猫と仲良くなれる鳴き声だってネットで見たんだけどな」
駄目だな、と目をまん丸にして澄晴の動きを注視している猫に、やっと澄晴が諦めて手を引っ込めた。
いやいやいや、どうして急いでいる時にそんな事を始めたのか。急いでない時なら一緒に試したのに、と思いつつ、澄晴の腕を掴んで引っ張る。
「行くぞ、ほら」
「うなんなー」
「そんなに好きなら家で飼えばいいだろっ。ほら、今は行く! 歩け!」
猫と交信したがる澄晴を引きずるようにして目的地へ向かい、到着した頃にはちょうど時間の一分前だった。
ここで待ち合わせをするなら噴水前が定番だ。というか、そこ以外にめぼしい待ち合わせ場所が無い。
ランニングコースにもなっている周遊路の植樹に隠れるようにして虹の姿を探すと、やはり彼はそこにいた。噴水を囲う石造の縁に座って、どうやらスマホを使っているらしい。
虹の周囲には他にも数人、人待ちなのか同じように座って下を向いている人がいる。
「いたいた。……あれ?」
高内先輩の姿はないだろうか、と視線を巡らせていると、時間ちょうどに虹が立ち上がった。そして、直前まで使っていたスマホをデニムの尻ポケットに仕舞って歩き出す。
「虹、どこ行くんだ?」
「帰るんだろ」
戸惑う俺が虹の行く先に高内先輩がいるのかもと目を凝らしていると、澄晴が面倒くさそうに言った。
「帰る? だって、まだ時間になったばっかだぞ?」
「あいつそーゆーとこあんじゃん。『遅刻するような人とは合わないから待ってても時間の無駄』とか思ってんじゃね?」
す、と無表情になって虹の声マネをした澄晴に、似てる、と思わず小さく拍手してからいやいやそんな場合じゃない、と虹に視線を戻す。
虹の向かう方向は、今まさに俺と澄晴が歩いてきたばかりの歩道。つまり、帰り路だ。
マジかよ。
「だから言ったろ、あいつが健気に待ちぼうけとかありえねー、って」
「そんなん言ったか?」
「言った。なぁ、もう終わりでいいだろ? せっかくここまで来たんだからどっかで遊んでこうぜ」
ゲーセンとカラオケどっちがいい? と訊いてくる澄晴を無視してその場に座り込む。
澄晴の方が虹を理解していた事に、少なからずショックを受けた。全然性格は違うけど、それでも双子の弟だ。その彼のことを、兄弟でもなんでもない澄晴が理解していて、俺が出来ないなんて。
ずーん、と肩を落として沈み込む俺を見下ろし、澄晴は「俺はカラオケがいい」なんて言って慰めてもくれない。
というか、そうか。好きな相手が想い人と待ち合わせという嫉妬不可避の状況なのにこいつが余裕そうだったのは、相手が少しでも遅刻すれば虹はさくっと帰宅すると分かっていたからなのか。
俺より虹のことが分かるのも、好きな相手のことだから。そう考えれば納得だ。
「……帰る」
「は?」
「俺の役目無いみたいだし、帰る」
何はともあれ、結果的に虹が傷付かなくて済んだのは良いことだ。特に用事も無いし、虹が帰ったのなら俺も帰宅しよう。
そう決めて立ち上がると、澄晴が慌てたように俺の二の腕を掴んできた。
「いやいや、話聞けよ。遊んでこうって言ってんじゃん」
「そういう気分じゃ……」
ない、と断ろうとして、なんとなく目で追ったままだった虹の後ろ姿に近付いていく人影があるのに気付いた。
駆け寄った体格のいい男の後ろ姿には見覚えがある。
「高内先輩だ」
「ん?」
俺の言葉に虹の方を見た澄晴は、二人の姿を見てあからさまに眉を顰めた。
立ち止まって話していた二人は、しばらくすると連れ立ってこちらへ戻ってきた。
慌てて茂みに隠れ、様子を窺うとどうやら公園の中を散歩しながら話すようである。
「第一関門突破、かな……?」
遠目に見るしかないからハッキリとした虹の表情は分からないが、不機嫌な時の顔じゃない。何より、高内先輩の話を聞くだけではなくちゃんと彼も喋っているのが口が動くので分かる。
気に入らない相手とは俯いて目も合わせず黙りこくるから、虹が高内先輩へ好意を抱いているのは一目瞭然だ。
「……」
チラ、と横目で澄晴の表情を盗み見ると、彼は目を眇めて二人を見つめていた。彼の内側にどんな感情が浮かんでいるのか、その静かな表情からは読み取り辛い。
「……星」
「ん?」
「カラオケ」
「…………はいよ」
仕方ない。『同じ顔』というだけで慰めになるなら、少しくらい付き合ってやるか。
財布を漁って駅前のカラオケの割引券あったような、と探しながら、俺って一生こういう役回りなのかな、と少しだけ星の巡り合わせに思いを馳せた。
スマホで時間を確認すると、10時30分だった。待ち合わせ場所に指定した駅前公園まで、ゆっくり歩いても十五分ほどしかかからない。
いつも早め早めに行動する虹らしいけれど、それを踏まえてもいつもよりかなり早い。それだけ期待しているからだろうか、と考えて、来なかったら虹がどれだけ傷付くか怖くなる。
虹に興味を持たないなんて見る目の無い奴だ、いやむしろ俺が渡したからかもしれないごめんな、虹ならもっとレベルの高いα狙えるって――。
どう慰めたら虹の気持ちが軽くなるか頭の中でシミュレーションしていたら、ピンポーン、とチャイムが鳴った。
何か宅配便だろうか、と階下に降りて玄関を開けると、そこに立っていたのは澄晴だった。
「あれ? 俺、まだ虹が行ったって連絡してないけど」
「どうせあいつ早めに出るだろうから、俺も早めに来たんだよ。虹とは途中ですれ違った。……つーか、何その頭。虹追い掛けんの中止か?」
言外に『外出できる頭ではない』と言われ、寝癖がそのままだったのを思い出してバッと髪を押さえた。
「い、今準備してたんだよ! そこにお前が来たの!」
「それ直すのに何分かかるんだ? 虹が帰ってくる方が早いんじゃねーか?」
「そこまでかかんねーよ!」
どれだけ俺の寝癖が頑固だと思ってるんだ、とぶすくれながら洗面室の方へ踵を返すと、澄晴はいつものように靴を脱いで勝手に上がり込んでくる。
確かに父さん譲りで髪質は硬い方だけれど、その分癖が無いから一回全部頭を濡らしてから乾かせば、すぐにまっすぐだ。虹はパパ譲りの猫っ毛で絡まったり寝癖になると直り辛いから、朝の支度はいつも俺より時間がかかるけど、……あ、そうか、澄晴は虹の髪をイメージしてるのか。そりゃ時間かかりそうだと思うよな。
洗面台でざばっと頭を濡らして、タオルで軽く水気を取ってからドライヤーをかける。風量が強いからコォォ、とかなりうるさい風を受けながら髪の毛先を引っ張って伸ばすように乾かしていると、鏡越しに俺の背後に澄晴が立っているのが見えた。
「どした? 向こうで待ってろよ、もう終わるから」
「お前、ほんとに雑だよな。そんなんでちゃんと直るのか? 俺がやってやろうか?」
「いやちゃんと直ってるから」
一度ドライヤーを止め、ほら、と髪に手櫛だけ入れてみせる。
もう角みたいに尖っている所もなければ、うねって変な癖がついている所もない。綺麗に頭の形に添うように下に向かってまっすぐだ。
「俺は虹と違ってすげー楽な頭してんの」
「中身と一緒だな」
「うるせーばか、分かったら向こうに……」
行ってろ、と澄晴を肘でどつこうとして、後頭部に温かさを感じて息を詰めた。
「ほんとだ、虹より硬い」
髪の表面を上から下まで一度撫でた掌は、二度目は梳かすように髪の中に指を入れて地肌を撫ぜてきた。その感触にぞわりと気持ちよさが走り、けれど掛けられた言葉に唇をキツく噛む。
虹と比べるな。お前にだけは、虹の方が、なんて言われたくない。
叫びたくなった感情を飲み込み、「うるせ」と笑ってその手を払った。
鏡に映った自分の笑顔を見て、だらしねぇ顔、と内心で嘆息する。そもそも、虹と比べるなんて虹に失礼だ。同じ顔をしているだけで、虹と俺じゃ勝負になんかならないんだから。
「お前さ、もう少し襟足短くした方が……」
「あーハイハイ、そういうのは自分の番に発揮して下さーい。俺はお前の番じゃありませーん」
Ωを自分好みに変えたいと考えるのはαの本能らしいけれど、俺に押しつけられても困る。
頸を撫でてこようとする手をシッシッと払って、ドライヤーの電源を入れた。温風で髪を乾かし、ちゃんとブラシで毛の流れを整えてから鏡を見る。うん、オッケー。大丈夫、今日も見た目だけは一級品。
「よし、行くか。……あ、待った、首輪着けてけってパパに言われてたんだった」
「過保護だよなぁ、まだお前必要ねーのに。玄関で待ってるからさっさとしろよ」
やっと玄関に戻って三和土に座って靴を履き直す澄晴の背中を確認してから、そぅっとリビングに戻って奥のキッチンでコップに水を汲む。冷蔵庫のドアに貼り付けたピルケースから一錠出して、水で飲み込んだ。
パーカのポケットに入れていたフェロモン測定器を出し、0.003と表示しているのを確認してポケットに戻す。
本当は、発情期なんてもうとっくに来ている。虹よりずっと先、中学に入った頃だ。
ただ、俺はどうやら薬の効きが異様に良いらしくて、抑制剤を処方通りに飲んでいればフェロモンの分泌もほぼゼロ、発情期でも体温が若干上がる以外は特に何の体調変化も無い。
わざわざ発情期が来た事を触れ回る趣味もなく、だから微塵もフェロモンの匂いがしない俺を澄晴はいまだに『子供』だと勘違いしている。別にそれで問題があるわけでもないし、不便もない。今後もし澄晴以上に気になるαが現れたら、その時には薬を少し弱めに処方して貰えばいいと思っている。
足早に自分の自室に向かって、机の引き出しから首輪を出して身に着けた。
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Ωは発情期を迎えてからやっとフェロモンが放出されるようになる。それまではαに項を噛まれても番は成立しないし、そもそもαもフェロモンが出ていないΩを噛もうと思わないらしい。
ついで虹もその時に一緒に貰ったけれど、デザインも材質も違う。
俺たちを平等に扱う為か大概の物を揃いで与えてきた両親が、全く違う物を与えてきた初めてのプレゼントだった。
虹のは合皮製のしなやかで薄くてまるで付け襟みたいなオシャレなやつだけど、俺のは水牛革製だとかでやたらと分厚くてごつく、そのうえ鍵までついている。
どうしてこんなに違うのかと聞いたら、「お前のは頑丈さ重視で、噛まれても絶対に千切れないように作って貰った」とパパは答えた。
たぶん、俺が周りから軽く扱われてるから、相手の見つからないαに無理矢理噛まれて番にされるのを危険視したんだと思う。「追い詰められたαは何しでかすか分からないから気を付けろよ」と俺ばかり口を酸っぱくして何度も言われているし。
虹と二人で首輪を着けて外に出ると、知り合いなんかは「逆じゃね?」という目で見たりしてくるからあまり気に入ってはいないのだけど、買い直すのも面倒だからそのままだ。
どうせフェロモン臭のしない俺なんかを噛もうとする奴はいないから、新しいのにしても金の無駄。
下に降りると澄晴は腕を組んで苛立ったように足を鳴らした。
「首輪着けるだけに何分かかってんだ」
「ごめんて」
やはり虹が気になるのだろう。急かす澄晴の横でスニーカーに足を突っ込んで外に出た。
鍵を掛けて家を出て、駅前公園へ向かう。
良い天気だった。空には二つ三つ雲があるだけの青空で、適度に風が吹いている。日焼け対策に薄手の長袖パーカを着てきたけれど、早速腕まくりしてしまいたくなるような陽気だ。
「……いつ見ても無駄にゴツいよな」
「あ? あ、うん」
隣を歩く澄晴に首輪をつつかれ、肩を竦めた。
「なんか別なの買えば? お前、毎年暑くて蒸れるからって夏んなると外出たがらねーし、もっと薄くて通気性のいいやつにすればいいじゃん」
「番が出来たら必要無くなるもんに金かけるの勿体ない。これ結構高かったみたいだし、さっさと番作れば解放されるし」
「さっさと作れんの?」
「運次第だな」
「番決めを運任せにすんな、アホ」
出るまでは急かしてきたくせに、澄晴の歩調は遅い。まるで散歩するみたいにゆっくりで、早足で歩くと数歩で置いていってしまいそうになる。
「澄晴、もっと速く歩けよ」
「別に俺らが約束してるわけじゃねーんだから急がなくてもいいだろ」
のんびり歩くのを改めようともせず、澄晴は通り沿いのブロック塀の上に視線を向けて「あ、猫」なんて嬉しそうに指差した。
「なぁ、そういやお前って猫派? 犬派?」
「は? そりゃ断然猫派だけど」
「三毛と茶トラだったら?」
「茶トラ」
「一番好きな柄は?」
「サビ。……なんだ急に?」
猫を見つけたからって急にどうした、と首を傾げるが、澄晴は「別に」と言いながら日向ぼっこする野良猫を撫でようとしてフカーッと威嚇されている。
「うなんな」
「おい澄晴、猫はいいから行くぞ」
「うなんな」
「……」
「うなーんな」
「澄晴?」
「……猫と仲良くなれる鳴き声だってネットで見たんだけどな」
駄目だな、と目をまん丸にして澄晴の動きを注視している猫に、やっと澄晴が諦めて手を引っ込めた。
いやいやいや、どうして急いでいる時にそんな事を始めたのか。急いでない時なら一緒に試したのに、と思いつつ、澄晴の腕を掴んで引っ張る。
「行くぞ、ほら」
「うなんなー」
「そんなに好きなら家で飼えばいいだろっ。ほら、今は行く! 歩け!」
猫と交信したがる澄晴を引きずるようにして目的地へ向かい、到着した頃にはちょうど時間の一分前だった。
ここで待ち合わせをするなら噴水前が定番だ。というか、そこ以外にめぼしい待ち合わせ場所が無い。
ランニングコースにもなっている周遊路の植樹に隠れるようにして虹の姿を探すと、やはり彼はそこにいた。噴水を囲う石造の縁に座って、どうやらスマホを使っているらしい。
虹の周囲には他にも数人、人待ちなのか同じように座って下を向いている人がいる。
「いたいた。……あれ?」
高内先輩の姿はないだろうか、と視線を巡らせていると、時間ちょうどに虹が立ち上がった。そして、直前まで使っていたスマホをデニムの尻ポケットに仕舞って歩き出す。
「虹、どこ行くんだ?」
「帰るんだろ」
戸惑う俺が虹の行く先に高内先輩がいるのかもと目を凝らしていると、澄晴が面倒くさそうに言った。
「帰る? だって、まだ時間になったばっかだぞ?」
「あいつそーゆーとこあんじゃん。『遅刻するような人とは合わないから待ってても時間の無駄』とか思ってんじゃね?」
す、と無表情になって虹の声マネをした澄晴に、似てる、と思わず小さく拍手してからいやいやそんな場合じゃない、と虹に視線を戻す。
虹の向かう方向は、今まさに俺と澄晴が歩いてきたばかりの歩道。つまり、帰り路だ。
マジかよ。
「だから言ったろ、あいつが健気に待ちぼうけとかありえねー、って」
「そんなん言ったか?」
「言った。なぁ、もう終わりでいいだろ? せっかくここまで来たんだからどっかで遊んでこうぜ」
ゲーセンとカラオケどっちがいい? と訊いてくる澄晴を無視してその場に座り込む。
澄晴の方が虹を理解していた事に、少なからずショックを受けた。全然性格は違うけど、それでも双子の弟だ。その彼のことを、兄弟でもなんでもない澄晴が理解していて、俺が出来ないなんて。
ずーん、と肩を落として沈み込む俺を見下ろし、澄晴は「俺はカラオケがいい」なんて言って慰めてもくれない。
というか、そうか。好きな相手が想い人と待ち合わせという嫉妬不可避の状況なのにこいつが余裕そうだったのは、相手が少しでも遅刻すれば虹はさくっと帰宅すると分かっていたからなのか。
俺より虹のことが分かるのも、好きな相手のことだから。そう考えれば納得だ。
「……帰る」
「は?」
「俺の役目無いみたいだし、帰る」
何はともあれ、結果的に虹が傷付かなくて済んだのは良いことだ。特に用事も無いし、虹が帰ったのなら俺も帰宅しよう。
そう決めて立ち上がると、澄晴が慌てたように俺の二の腕を掴んできた。
「いやいや、話聞けよ。遊んでこうって言ってんじゃん」
「そういう気分じゃ……」
ない、と断ろうとして、なんとなく目で追ったままだった虹の後ろ姿に近付いていく人影があるのに気付いた。
駆け寄った体格のいい男の後ろ姿には見覚えがある。
「高内先輩だ」
「ん?」
俺の言葉に虹の方を見た澄晴は、二人の姿を見てあからさまに眉を顰めた。
立ち止まって話していた二人は、しばらくすると連れ立ってこちらへ戻ってきた。
慌てて茂みに隠れ、様子を窺うとどうやら公園の中を散歩しながら話すようである。
「第一関門突破、かな……?」
遠目に見るしかないからハッキリとした虹の表情は分からないが、不機嫌な時の顔じゃない。何より、高内先輩の話を聞くだけではなくちゃんと彼も喋っているのが口が動くので分かる。
気に入らない相手とは俯いて目も合わせず黙りこくるから、虹が高内先輩へ好意を抱いているのは一目瞭然だ。
「……」
チラ、と横目で澄晴の表情を盗み見ると、彼は目を眇めて二人を見つめていた。彼の内側にどんな感情が浮かんでいるのか、その静かな表情からは読み取り辛い。
「……星」
「ん?」
「カラオケ」
「…………はいよ」
仕方ない。『同じ顔』というだけで慰めになるなら、少しくらい付き合ってやるか。
財布を漁って駅前のカラオケの割引券あったような、と探しながら、俺って一生こういう役回りなのかな、と少しだけ星の巡り合わせに思いを馳せた。
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