王立辺境警備隊にがお絵屋へようこそ!

小津カヲル

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1巻

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 そんなわけで、ラウールさんが朝ごはんを終えるのを待って、お出掛けすることに。

「宿の主と宿舎の調理場をかけ持ちだなんて、大変ですね」

 宿舎に向かいながらそう尋ねると、そうでもないとラウールさんは笑います。実際、宿舎での作業はほとんど、兵隊さんたちが交代で行うみたい。
 ラウールさんの役目は、献立作りや仕入れの手配、調理法の指導監督なのだとか。
 警備隊宿舎前まで来ると、相変わらず兵隊さんたちと鳥さんもどきがうろついています。

「ラウールさん、あの羽が生えてて兵隊さんが乗っているのは、なんという生き物ですか?」
「ああ、あれはグリフォンだ。異世界むこうにはいないか?」

 グリフォン! そう言われれば、そんな見た目です。

「すごいです、私の世界では伝説上の生き物ですよ。確か昔の王侯貴族の家紋などに使われていたようですから、豊かさや強さを象徴していたのだと思います。……本当に綺麗な羽」

 宿舎の玄関前に、一頭のグリフォンが大人しくつながれていました。その子は羽をたたんで、彫像のように立っています。
 大きな体は見るだけで圧倒され、近寄ることもはばかられるほどの威厳です。上半身はわしで、下半身はライオンを思わせる体。だけど、羽はわしにはないつややかさで、玉虫色のごとく輝いて見えます。
 ああ、ふつふつと創作意欲が沸き上がってきました。

「なんだか、絵を描きたそうだな」
「はい! ……そんなにわかりやすいですか、私?」
「そわそわして今にも飛び出しそうだ」

 ラウールさんに豪快に笑われました。

「でもまずは、ラウールさんの職場が見たいです。鳥さんたちはあとにしますね」

 グリフォンは今日のモチーフのひとつに決定です。
 私はニコニコ顔で、ラウールさんのあとを雛鳥ひなどりのように追いかけていきました。
 そしてたどり着いたのは調理場のはずだったんですが……

「何やってんだ! チンタラしてやがるとお前も大鍋に叩きこむぞ!」

 ひぃ、兵隊さんスープは食べたくありません。

「バカヤロウ! 食材無駄にしやがって、きざむぞ!」

 血を見るのは嫌です。

「さっさと皿を洗わねえか! テメェの口に突っ込むぞ!」

 お皿は食べられませんよ?

「そうじゃねえ! いつになったら味を覚える? 少しも使わねえのなら、その頭かち割るぞ!」

 実際にやられてしまったら、スプラッタです。
 そんなわけで、調理場は戦場でした。
 ラウールさんはまさに仕事に熱い親父おやじさんで、若い兵隊さんをあごで使い、ミスすれば容赦なく怒鳴り飛ばしています。セリアさんの前で微笑みを絶やさなかったラウールさんは、どこへ行ったのですか?
 兵隊さんたちは、根性で叱咤しったに喰らいつき、ラウールさんにしごかれています。そんな彼らも、今日のモチーフに決定。
 ただ、呆然と眺めているのもなんだか申し訳なくなってきました。
 よし、と力いっぱい腕まくり。
 不肖、これでも一人前の成人乙女! お手伝いをすべく戦場に挑むのです。
 ファイト、おー!


 ……乙女のやる気をあなどってはいけません。やる気はあるのですよ。
 でも、結果を申し上げますと、やる気だけではなんともならないこともあるわけで……
 勢いよく突入したのはよかったのです。我ながら奮闘したと思うのですよ。
 まずは、ずらっと並ぶまな板の列に隙を発見。空いたまな板の前に立ち、野菜を切るのはできると自信をみなぎらせました。
 キレイに並べられた包丁の中から、見慣れた形のものを手に取り、キャベツに似た野菜をザックリ。
 わあ、この包丁、よく研がれていて切れ味抜群!
 ……なんて感動していたら、あれれ? 兵隊さん二人に、なんとなく押し出されてしまいましたよ?
 さすが戦場です。
 負けてはいられまいと次に狙ったのは、野菜洗い。お、これはホウレン草に似ていますね。泥をしっかり落としてどんどん洗うぞ! と、思っていたら……流しに桶がふたつあることに気づきました。
 兵隊さんが口を開けて、驚いた顔をしています。
 手を動かさないと、またラウールさんに怒鳴られますよ?
 そう助言しようとしたら、今度は三人がかりで押しくらまんじゅう状態にされ、いつの間にか作業場の外へ。
 むむむ、仕方ないです。
 今度目星をつけたものは、私にうってつけ。出来上がった料理の皿をテーブルに運ぶ作業です。
 ついでに一口……うむ。いい味出してます……
 って、私ごと料理を運ぶとは、兵隊さんも案外お茶目さんですね。
 そしてお次は、あの子!
 ずいぶん若くて小柄な兵隊さんが、お皿を拭いて食器棚に片付けています。手際が悪いようですね、ここはオネーサンに任せなさい。
 ……結果、仔猫を運ぶがごとく、ラウールさんに調理場からつまみ出されました。


「カズハ、アレ見えてるか?」

 はい、申し訳ありません。
 連れてこられた食堂の椅子の上で、小さくなる私。そして調理場では、兵隊さんたちがてんてこ舞いです。
 私の得意なサイコロ切りにした野菜を整え直し、水を節約するために溜めていた二度洗い用桶の泥水を取り替え、つまみ食いでおかずが欠けた料理を盛り直し、割れた皿を掃いてくださっています。

「すみませんでした。おびに、少しでも働いてお返しするしか……」
「待て、待て! カズハ、それだけは勘弁してくれ」

 再び腕まくりしたところ、笑顔で羽交い締めにされました。
 そうでした、まったくもって役立たずですね。

「まあ、そんなに肩を落とすな。お前は、お前に向いていることをすりゃいい」

 ラウールさんは、私の荷物に視線を投げます。

「描けよ、悪いと思ったんなら。精々、男前に頼むぜ?」

 はじめてだからそれで許してやる、とラウールさんは笑いながら調理場に戻っていきました。男前といいますか、男気あふれる方です。
 そのあとは、もちろん精一杯、描かせていただきました。働くラウールさんの横顔をカウンター越しに見つめ、スケッチブックに鉛筆を走らせます。
 心に響いたラウールさんの言葉は、こうして手元の線に息吹いぶきを与えるのです。

「……うん、できた」

 気持ちが乗ると、いい絵が描けるものです。
 スケッチブックには、ラウールさん。料理に向かう厳しい表情の中にも、セリアさんに向ける甘い笑みと、私に見せた優しさが伝わる、彼らしい顔が描けました。
 これならきっとラウールさんのみならず、セリアさんにも喜んでもらえそう。
 にまにまとスケッチブックを掲げる私の前に、湯気の立つカップがふたつ、コトリと置かれました。

「うまく描けたか?」
「バッチリです」

 ようやく休憩となったラウールさんがドスンと座り、大きなため息とともにお茶をすすります。

「あいつら、半年しごいてようやくマシになった。やれやれだ」
「半年?」
「……ああ、知らないんだったな」

 ラウールさんが話してくださったのは、ここノエリア支部の現状。半年前に大幅な人員の入れかえがあったのだとか。
 なんでもここノエリアの警備隊を中心に、贈収賄ぞうしゅうわいや横領の摘発で大勢の人が捕まったんだそうです。その中には前任の調理場責任者や、先代の支部隊長さんまでいたとのこと。
 だから、人手不足を補うため、兵隊さん経験のあるラウールさんが調理場の責任者として抜擢されたそうです。あまりにも補充人員が多く、調理場まで手が回らなくて、今の隊長さんからお願いされたみたい。

「じゃあ、今の隊長さんは、隊長さん歴半年ですか?」

 そう言えば、まだお若いんでしたよね。兵隊さんの常識は私にはわかりませんが、二十七歳でひとつの組織の責任者になるのは、すごいことだと思います。

「ここに赴任してきて不正を洗い出したのは、当時副官だったあいつなんだ。だから残ってる奴らは皆、感謝しているんだが……。クソ真面目すぎるし、あの風貌ふうぼうだからなぁ」

 ラウールさんから見たら、隊長さんはここでまだ浮いた存在なのだそうです。
 そう言いながらも、優しい顔をするラウールさん。

「……もしかして、ラウールさんは隊長さんと親しい間柄なんですか?」
「まあ、やつとは昔からちょっとな」

 ずいぶん気心が知れてますもんね。やつとかあいつって呼ぶくらいですから。

「そうだ、カズハ。ちょっと悪いが頼まれてくれないか?」

 突然、ラウールさんは思い出したように言いました。

「なんですか? 私にできることならどんなことでも」
「明日から、俺は仕入れに出ようと思ってるんだ。半年経って、あれでもどうにか隊員達に調理場を任せられるようになったからな。買い付けの仕方の指導も兼ねて、隣街に行ってくる。往復三日はかかっちまうから、戻るまでの間、セリアと宿を頼む」

 そういうことでしたらもちろん、私に任せてください!
 辺境の小さな警備隊支部は、経費が限られているので、買い付けはとても大事なのだそうです。ここノエリアの街ではまかないきれないものを隣街まで行って買うことが、どうしても必要となるのだとか。
 ラウールさんは面倒だとぼやきながら、留守中の準備をするために、また調理場に戻っていきました。
 彼を見送り、私はスケッチブックを抱えて食堂を出ます。
 気分が乗っているうちに、いざ、鳥さん……違った。グリフォンをスケッチするのです!
 鼻歌まじりにスキップで元来た道を戻ると――いたいた、いました。
 馬のように手綱たづなを体につけた子が一頭、まだ建物前につながれたままです。
 私の後ろをついてくる兵隊さんに聞けば、この子は緊急時のために必ずここで待機しているのだと言います。何か事件の知らせがあれば、とりあえずこの子が出動するだなんて、まるでパトカーみたいな存在ですね。
 さて、描く前に、まず観察。
 グリフォンの顔はわしですから、とても精悍せいかんで格好いい。でも鳥類のくりくりお目々は、キュートなのですよ。
 もっとじっくり観察したいですね……。迫ります、近づきます、にじり寄ります……
 グリフォンのくちばしは鋭く、前脚も鳥類らしく爪が伸びています。それでいて下半身はがっしりとたくましく、人を乗せるには充分な機能を兼ね備えているのだから、不思議です。
 近くで見ると、翼はすごく大きくて、厚みがあります。
 ああ、雄々おおしく羽ばたいてほしい。そう思ったのがいけなかったのでしょうか……
 次の瞬間、黄色いくちばしが大きく開いて降ってくるのを、私は身動きできずに凝視しました。
 グリフォンって、肉食ですか。

「……って、ひぃぃ! いででで」

 ちょ、ちょっとグリフォン! スキンシップの定義について、議論させていただいてもよろしいでしょうか!
 私は今、猛烈に愛されているようです。誰にって、グリフォンに!
 くちばしで頭をがっぷり挟まれ、分厚い舌でレロレロされています。
 自慢の黒髪がベトベトです。そこまで長くはないのでまとめていないのが運の尽きでしょうか。よだれで巻き上げられて、見るも無惨な姿になっていることが予想できます。
 付き添ってくれている兵隊さんがグリフォンの手綱たづなを引いて、私から離そうとしてくれていますが、びくともしないようです。
 助けて、だーれーかー。

「よせ、ハデュロイ」

 よく通る低い声が聞こえると、私の頭は驚くほどあっさり解放されました。私に襲いかかっていたグリフォンは、翼をばたつかせながら声の主のほうに向かったようです。ハデュロイというのは、このグリフォンの名前でしょうか。

「大丈夫か?」
「隊長さん……」

 声の主は隊長さんでした。
 今度は隊長さんに覆いかぶさって、大きな頭をすり寄せようとするグリフォン。それを片手であしらうように軽々と押しのけ、隊長さんが私に遠ざかるようにと視線で合図をよこしました。
 私は慌てて横をすり抜け、ようやく難をのがれます。
 私より頭ひとつ分背の高い、隊長さん。でもその隊長さんよりも、グリフォンは更に頭の位置が高いのです。体はきっと馬より一回りは大きいのではないかしら。
 今更ながら、この図体にじゃれつかれることの危険性に気づき、不用意に近づいたことを後悔します。
 隊長さんの指示で、人懐ひとなつっこいグリフォンは小屋へ戻されることに。私はといえば、隊長さんに再び腕を掴まれ、警備隊宿舎に逆戻りです。
 なんだかもう、隊長さんに掴まれて連れていかれる状況は、デフォルトなようです。

「あれは少々、問題がある個体だ」

 建物の中に入ってすぐ、隊長さんは腕を離してくれました。
 助けていただいておいてなんですが、そうジロジロ見下ろさないでくれませんか、隊長さん。
 見ての通り、髪はボサボサのベトベトなので、あわれんでくださっているのはわかりますけれど。どうにもいたたまれなくなります。

「……洗うか?」
「あわれみの目はやめて、いっそ笑ってください、盛大に!」

 私が叫ぶと、隊長さんは目を真ん丸にしました。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔とは、まさにこのこと。隊長さんの新たな表情をまた発見です。

「笑ってくれたほうがいいです、笑い話にしてしまえば、後々これもいい思い出に変わるはずです」
「強引だな」

 そうです、強引上等。都合がいいとも申しますが。
 でもそうすれば、ほら。隊長さんのささやかな微笑みも拝めるわけですから、私はラッキーですよ。その中に、多少呆れが入っている気はしますけれどね。


 そのあと、宿舎の洗濯場に連れてきてもらいました。井戸の水をくみ、髪を洗うことにしたのです。シャンプーが欲しいですが無理なので、石鹸せっけんを少しだけ拝借しましょう。
 その前に周りに誰もいないのを確認してから、スカートをたくし上げます。裾をウエストの隙間に押しこむと、ブーツを脱いではだしになります。お借りしている長いスカートを濡らしたくはありません。
 髪を湿らせてから軽くもみ洗いし、井戸の水で石鹸せっけんを落とします。
 丁寧に水を絞ってから、ハンカチで髪を拭きました。今日のようなカラッとしたお天気でしたら、きっとすぐに乾くでしょう。

「カズハ!」

 突然呼ばれて振り向けば、隊長さんが、出入り口に鬼の形相で立っていました。ズンズン歩いてきて、手にした布を私に突き出します。
 ありがとうございます。でも、なぜに顔を背けているのですか。

「使え。足、隠せ」

 ああ……、はいはい。
 私はスカートの裾を戻してから、渡してもらった布でありがたく髪を拭かせてもらいます。
 セリアさんが言っていた通り、こちらの世界で素足すあしを出してはマズいのですね。隊長さんの慌てぶりでようやく実感。
 昨日ハーフパンツを穿いていたときは、相当気を使ってくれていたのでしょう。今日はやめて正解でしたね。

「誰もいなかったので、つい。それに、服を汚したらセリアさんに申し訳ないですから」

 この理由はかなり正当だと思うのです。そんなに眉間みけんにシワを作らなくてもいいじゃないですか。

「風邪を引く。しっかり拭け」

 頭にかぶった布を、大きな硬い手でゴシゴシされました。
 こちらの世界は日本と違って乾燥した気候です。そのせいかさほど暑く感じませんが、寒くもありません。風邪なんか引きませんよ?
 私がそう言えば、隊長さんの手つきがもっと乱暴になりました。

「いたた、痛いですよ、隊長さん」
「アルベリック・レヴィナスだ」

 顔を上げると、彼のあおい瞳と目が合います。

「私の名だ」
「……申し訳ないと思いますけれど、仕方ないじゃないですか。覚えにくかったんです。副官さんから聞いていますよね?」
「聞いては、いる」

 それでも呼べと? こ、子供みたいです。
 そっぽを向きながら言う仕草は、ねているとしか思えません。意外な隊長さんの姿に、私はつい噴き出してしまいました。

「二人揃ってこちらでしたか、探しましたよ」

 絶妙なタイミングで現れたのは、色男の副官さんです。

「仲良くじゃれているところ申し訳ありませんが、時間がないので、続きは執務室でお願いしますよ」
「じゃれてません」
「リュファス」

 私と隊長さんは、それぞれ一言で抗議します。
 相変わらず、軽いけど優雅な笑みを浮かべる副官さん。
 スッと無表情に戻った隊長さんとの対比が面白いお二人です。
 副官さんは、彼の軽口をとがめるように名前を呼んだ隊長さんを、肩をすくめて流してみせます。彼はなかなか強者つわものなのだろうというのが、私のここ二日間の観察結果です。


 隊長さんの執務室に行くと、昼食が用意されていました。私の分もあります。やっほーい。

「今日は緊急な用件ができまして、お昼の時間しか確保できませんでした。許してください、カズハちゃん」
「聞きたいことがあると、報告を受けている」

 食べながらでよければ、今日は私の質問に答えてくれるそうです。
 隊長さんたちにうながされて、私もありがたく食事をいただきます。
 お肉の入っているシチューみたいな料理を口に入れると、あまりのおいしさに頬が落ちそうです。パンや付け合わせのお惣菜は、ラウールさんの指導のおかげか、オランド亭と同じ味。
 つい食事に夢中になっていたら、副官さんは呆れた顔で口を開きます。

「で、何が聞きたかったの?」
「……そうでした。ええと、その」

 どう口にしたらいいのか少し言いよどんだあと、私は意を決して尋ねます。

「私は、帰れますか?」

 そう。昨日は怖くて聞けなかった、一番知りたいこと。
 隊長さんたちも、聞かれることは当然予想していたのでしょう。
 正面に座る隊長さんの瞳は、真剣でまっすぐ。
 なんとなく、その答えが決して笑顔で受け入れられるものではないとわかってしまいます。

「恐らく、戻れない」
「なぜですか? こ、根拠は? データがあるのですか? 落ちてきたんですから、逆もありえません? それとも、私は何かの罰でここにいるんですか?」
「罰って――カズハちゃん、そういう言い方は僕たちに対して……」
「リュファス!」

 確かに失礼なことを言ってしまいましたが、今の私にはあまり余裕がありません。
 私はお惣菜をつついていた箸をいったん置きます。
 ……そうです、箸なのです。

「おかしいです、この世界。なんで箸がフツーに出てくるんですか。本当は異世界なんかじゃなくて、実は大がかりなドッキリなのかもって……昨日のあれも」

 動くお母さんの姿を思い出し、胸が締めつけられます。

「言ったはずだ。ここは、お前のいた世界とは違う。まれにお前の世界から人や物が落ちてくる。人は知識を、物は恵みを与えてくれる。だからこの世界は、おおむね落ち人を受け入れる。箸もまたしかり。特にこのジルベルド王国は、外からの異文化を受け入れやすい土壌もある」

 答えてくださったのは隊長さん。それに副官さんが言い足します。

「元の世界にあるものは、探せばまだまだあると思うよ、カズハちゃん」
「なんですかそれ? 探してどうなるって言うんです。私はいったいなんのために、どうしてここに来たんですか?」
「……それは」

 隊長さんが、厳しい表情で言葉を詰まらせます。

「理由なんかないよ、カズハちゃん。自分で昨日教えてくれたろう、『落ちた』って」

 副官さんの言葉は、残酷でした。

「……ならば、なぜ言葉が通じるんですか?」
「悪いが、それも詳しいことはわかっていない。落ち人の多くは、意思の疎通に問題はない。そういったことを知りたければ、王都に行くしかないんだが」

 申し訳なさそうにする隊長さん。
 結局、落ち人がなんなのかは、わからないまま。やるせない気持ちが、体中をむしばんでいきます。

「……もういいです。きっとお二人にはわからないです。知らない世界にたった一人、放り出された私の気持ちなんか」

 今はもう、何も受けつけられません。
 いつの間にか私は、執務室から逃げ出していました。


 受け入れがたい現実から目をらした日の翌朝。私は、どんよりとした目覚めを味わいました。
 一昨日、絵が動いたときは、あんなに怖くて仕方がなかったのに。今は動かないお母さんの絵を前に、途方に暮れています。情けないことに、どうやらホームシックのようです。なんだか元気が出ません。
 気づけばスケッチブックも残り少なくなっていました。ああ、なんて計画性のない。
 ところでこの世界には、上質な紙があるのでしょうか。……箸があるくらいだから、大丈夫と信じたいです。
 宿のご主人ラウールさんは予定通り、兵隊さんたちと荷馬車を引き連れて、今朝早く出発しました。お客さんの食事は、元々の雇い人とセリアさんが用意してくれました。私も手伝いたかったけれど、邪魔になる予感しかしなかったので、それ以外の手伝いを買って出ます。

「カズハ、そろそろ手伝っておくれ」

 丁度、セリアさんが呼びにきました。スケッチブックをカバンに仕舞い、部屋を出ます。

「今から洗濯場に行くからね、そのカゴを持ってついておいでよ」

 とぼとぼとセリアさんにくっついてきたのは、宿から歩いて十分ほどのところにある、公共の洗濯場。すり鉢型に石段があり、中央には大きな五つの水槽が並び、用途で使い分けられているようでした。
 湧き水をたどるように、セリアさんは人をかき分けさっさと下流の水槽に向かいます。はぐれないよう、急いであとを追いかけなくちゃ。

「ドナシファン、これ今日の分、頼むよ」
「まいど、帰りに声かけてくれ」

 シーツをたんまり入れたカゴを、セリアさんはお金と一緒に男性に渡しました。彼はそれを受け取り、石段脇の小さなお店に入ってしまいます。

「さあ、カズハ、次はそっちの番だよ」

 お客さん用のシーツは洗濯屋さんにお願いし、私が運んだカゴに入っている分は、自分たちで洗うそうです。適当に置いてあるタライを持ってきて、さあ洗濯開始です。
 洗濯機がないのは不便ですが、靴を脱いでの踏み洗いはなかなか楽しく、童心に返ります。

「あんまりはしゃぐと最後までもたないよ、カズハ」

 元気よく洗濯物を踏んでいると、セリアさんに笑われてしまいました。でも楽しい!


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