聖女の末裔ですが、年下王子と義兄騎士が離してくれません…!(※世はIT社会)

甘糖めぐる

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【3―最後までしない理由】前編

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 魔法管理局で働き始めたアリシアに、新たな日課ができた。朝、いつも王城の門前まで出て来ていたユリウスが自室で待っているので、中まで迎えに行く。
 壮麗な建物に入るまでに、何人もの衛兵と顔を合わせた。彼女はもう周知された存在だから容易に通れるが、ユリウスが放任されているのが信じられないくらい王族の居城は堅く守られている。
 遠い昔から天井画で微笑んでいる天使やら何やらに見下ろされながら廊下を進み、白地に金の装飾が施された扉をノックする。
「おはようございます。アリシアです」
 このルーティンはもう二週間目になるが、未だに緊張した。ここまでの道のりも、これからすることも。
「――どうぞ、入って」
 優しい、けれどちょっぴりそわそわした声を合図に入室すると、ユリウスは重厚感のあるダブルベッドに腰をかけてこちらを見つめていた。
「おはよう、アリシア」
 そう言ってはにかむ姿は、レースのカーテン越しに朝日を受けて絵画のように美しかった。
 そんな彼に歩み寄り、手を引かれて隣に座る。二人で、言葉もなく見つめ合う。
(これは、魔力供給……)
 わかっているのに、彼の甘やかな表情を見ていると、自分たちが恋人同士であるかのような気持ちになってくる。
 アリシアの手に指を這わせ、組み合わせて繋ぐと、彼は目を閉じてそっとキスをした。
 やわらかく、あたたかい。はじめてした時とは違って、ユリウスはゆっくりと時間をかけてアリシアの唇を自分の唇で優しく食む。その度に、頭がぽうっとした。
(きもちいい……でも、もっと、)
 何度も、何度も、もどかしくなってしまうくらいに続けられる穏やかなふれあい。舌を少し伸ばしてみると、彼はそのまま口の外でアリシアの舌を舐めて愛撫した。
「っ……ふ、」
 二人の息がはずむ。更に深く手を繋ぎ合わせる。これではもう、互いを感じることを第一にした行為だ。
 まるで愛し合っているようで、庇護欲や尊敬を超えた愛しさが増す。もっと彼を感じていたくて、アリシアは自分よりも体温の高い舌を口内に含んだ。
 その途端、ユリウスの甘い声が喉奥から漏れてくる。
「んっ……んん……」
 彼も気持ちよさそうにするものだから、舌にやわく吸い付いていると――不意に、ユリウスが身じろぎして唇が離れた。
「っ、ぷは」
 大きく息をしながら、彼はアリシアの肩口に顔をうずめる。恥ずかしがるのも、何かの拍子に急に口付けをやめてしまうのも、いつものことだった。
(あ……まただ。時間はあるのに、どうしてやめちゃうんだろう)
 純真さの表れなのだろうか。
 なにも聞けないまま、アリシアは今日も彼と一緒に、電車に揺られてディオール支部まで向かう。

   * * *

 事務室にはデスクが五つ。少し離して置いてあるフランツの席以外は向かい合わせて固めて並べているが、そこに座っているのは大抵アリシアだけだった。
 まず、他の支部の管理局員に魔法や戦闘を教える仕事があるクロードはあまり事務室にいない。ミレーヌは他の支部に来ていた依頼も積極的に取って次から次へと任務に出て行くためほとんど街にいない。使える魔法といえば身体強化だけのユリウスも、最近はアリシアと離れてレスキュー隊やら警察やらに貸し出されて行くのだった。
 必然的に、日に一度病院で治療の手伝いをすると魔力が枯渇するアリシアがフランツと一緒にデスクワークをすることになる。
 彼女がミレーヌから送られて来ていた任務の報告を元に書類を作成していると、フランツがパソコンからばっと顔を上げた。
「ごめんアリシア、ミレーヌが行った警護の報告書早めに出せる!? あの子、楽しそうに銃ぶっ放してたらしいじゃん……!」
「あっ、もう完成します――はい、送りました」
「マジで!? ありがと! あとでケーキ買ってきます!!!!!」
「いえそんな――ありがとうございます」
 あくまでも不審者に対する威嚇射撃で、ギリギリを狙ったのは他の人に流れ弾が当たらないように、というフォローの文章は入れておいた。ミレーヌからの原文には『ギリギリを狙うのが楽しいから、つい』と書かれていたが。
 パソコンのメールソフトを閉じて、アリシアは一息つく。
(ミレーヌさんは生き生きとし過ぎてて、時々派遣先からお気持ちが送られてくるけど……本当によく働くなぁ。でも、)
 彼女への尊敬の念を抱きながら、向かいのユリウスの席を見やる。彼は一点集中型だし、他の王族と比べると魔力の扱いも下手で派遣先でも危なっかしいところがあるらしい。けれど、気さくで人懐っこい人柄を褒める言葉が、色んな所から送られてくる。
(ユリウスも、私も、なんとかそれぞれの仕事をこなせてるし……自立の第一歩では?)
 しかし、これで満足する彼女ではない。
(となれば、次に目指すのは一人暮らし……!)
 気が付いたら身の回りのことを完璧にしてくれている世話焼きの母と、買い出しが趣味なのかというくらい食品から日用品まで欠かさず揃えてくれるフットワークの軽い父がいる実家を出るべく、アリシアは静かな決意に燃えた。

 午後の休憩時間。フランツがキャスター付きの椅子に乗って、ゴロゴロとこちらのデスクまでやってくる。一緒にいちごのショートケーキを食べながら、アリシアは彼のスマホでおすすめの賃貸物件を見せてもらっていた。
 そこへ、偶然出くわしたのかユリウスがクロードと微妙な雰囲気を漂わせながら戻ってくる。
「ただいま――あれ?」
 珍しい光景に首をかしげるユリウス。アリシアは手短に説明した。
「おかえりなさい。この近くで借りられる部屋を探してるんです」
 フランツも、いちごが刺さったフォークをゆらゆらと振る。
「このビルのオーナーと友達でね、安くて綺麗な所のリスト送ってもらったんだ」
 社員寮があるか尋ねたらあっという間にお膳立てしてくれたが、まずはユリウスの許可を得なければならないのだった。アリシアは遠慮がちに主を窺い見る。
「あの……お城に迎えには行けなくなるんですけど、実家を出ようと思っていて……」
「ああ、良いと思うよ! 電車で立ちっぱなしは大変そうだったし、オレも気になっていたんだ」
「それじゃあ――」
 快諾してもらえて顔を輝かせるアリシアに、ユリウスはとびきりの笑顔で答えた。
「うん! 楽しみだね、一緒に暮らすの!」
「んっ?」
 既視感のある反応をせざるを得ないアリシア。
 すかさずクロードが口を挟む。
「許すと思うか? おいアリシア、うちに来い。車で五分の管理人常駐オートロックマンション」
「や……家賃は……?」
「払わせるわけないだろ」
(うん……クロードと暮らしたらダメになる気がする……)
 なにせ彼は、血こそ繋がっていないもののアリシアの両親のハイブリッドかのごとく家事も買い出しも完璧にこなす。手もお金も出させてもらえない予感しかしない。
 そちらは丁重にお断りすることにした。

   * * *

 比較的やさしい日差しが、まだカーテンを付けていない二階の角部屋に差し込む。週末、結局のところ、アリシアはユリウスと一緒に2LDKの築浅アパートに家具が運び込まれるのを眺める羽目になっていた。クロードは最後まで文句を言っていたが、フランツが「これも社会勉強だから」と説得してくれたのだ。人はそれを大きなお世話と呼ぶ。
 家具と言っても、まだ定住するかわからないので控え目に揃えてある。リビングには、二人がけよりゆったりとしたアイボリーのソファと、キッチンカウンターに添えた二脚の木椅子だけ。広くはないが空白の多い部屋に、ぽつぽつと置かれている。
 人の出入りが一段落してから、ユリウスは備え付けエアコンの冷房を入れて楽しそうにそのソファを指し示した。
「さあ、お昼ご飯を作るね。どうぞ、座って待っていて」
「え……あ、ありがとうございます」
 二人で買い出しに行った際に、彼が「オムレツがいいな」とは言っていたけれど。まさか自分で作るつもりだったとは微塵も思わなかった。
 料理できるんですか? という言葉を飲み込んで、アリシアはぎこちない動作で腰を下ろす。
(まあ、張り切ってるみたいだし今回は任せるか……。巣立つまでの見守りも、一応仕事の内……だよね?)
 自分に言い聞かせつつ、カウンターの向こうの対面キッチンを見やること三十分――
 ひき肉と野菜の炒め物にスクランブルエッグが乗った“何か”が出来上がってきた。
(オムレツ……外国の……?)
 カウンターに置かれたものを前にアリシアが困惑していると、ユリウスが皿をすっと持ち上げて笑う。
「うーん、やっぱり作り直そうかな」
(あ、作り笑い)
 彼自身が気に入らないのなら気が済むまで待つけれども。そこまで格好を付けてくれなくたって構わない。
「いえ、いただきます」
 アリシアは彼の手から皿を取って、スプーンで一口分をすくった。出来たてで湯気と共に香り立つ、卵とバターとひき肉の匂い。
「――うん。美味しいですよ」
 食感こそオムレツとは違うものの、優しい味がした。
 ユリウスを見上げると、彼は皿を取られた体勢のまま目をぱちくりと瞬いて、それからふっと破顔した。
「よかった……。でも、きみは何でも受け入れてくれるから、甘えてしまいそうで怖いな」
 やけにしみじみと見つめられる。アリシアには、そんな反応をされる理由がわからない。
「……? さすがに脱いだものを散らかされたら指導に入りますけど」
「それは、しないけど」
 彼はくすくすと肩を揺らしながら右隣に座り、アリシアに渡したものより卵がぐちゃぐちゃになったオムレツを綺麗な所作ですくう。
「もう、きみはオレに付いて回る義務もなくなるわけだからね」
 それから、ユリウスは、しばらく視線を彷徨わせたあと。いたずらを告白する子どもみたいに、声をひそめた。
「……油断をしていると、愛想を尽かされてしまうんじゃないかと思って」
「そんな、まさか」
 咎められることへの恐れと、許されたいという希望がないまぜになった表情。何も悪いことなどしていないだろうに、彼にとっては、そのいじらしい思いもわがままに当たるのだろうか。
(だから、同居人として相応しくあろうと張り切ってたってこと……?)
 もう価値がないからと、捨てられてしまわないように。
 みんなの王子様が、日陰の存在である自分に対して何を言っているのか理解に苦しむ。ぼんやり考えながら食べ進め、最後の一口を飲み込むも、なんとなく引っかかりを覚えていると――カーディガンのポケットに入れていたスマホが、メッセージの着信を告げた。
「あ、クロード」
 ロック画面に表示された言葉を見て、つい笑ってしまう。
『何もされてないか?』
 どうやら説得は無効らしい。ユリウスは魔力供給の口づけですら恥ずかしそうに中断してしまうのに、彼を一体なんだと思っているのだろうか。
 同じく食事を終えた張本人に「どうしたの?」と問いかけられて、アリシアは改めて笑い飛ばした。
「ふふっ、いえ。大げさなんですよ、あの人は。あなたが、私を毒牙にかけるとでも思ってるんです」
「それは……」
 少し、ユリウスの声の温度が下がった。大きな石をどけたあとの土みたいな。やわらかいけれど、ひんやりとして湿った。
「……本当に、大切にされているんだね」
 そうつぶやく口の端は上がっているが、わずかに眉をひそめているところを見ると、よほどクロードのことが苦手なのだろう。
 と、アリシアは推測したが――彼は、珍しくクロードの肩を持った。
「でも、心配されるのは当然だよ。きみは、とても魅力的なんだから」
 どうにも同意しかねて、アリシアは苦笑を浮かべる。
「私が人からアプローチを受けてるところ、見たことあります?」
「ん……無いよ」
 彼が静かに答えたあと、クロードから音声通話の着信があった。大丈夫だと伝えるために、アリシアが応答しようとした時――
「でも、この先は、わからない」
 ユリウスは、画面に触れる前の手を、カウンターにそっと押し留めて続けた。
「今までは、オレがだけだから」
「……え?」
 妖しく細められた両眼の青に、吸い込まれてしまいそうだった。振りほどくことができる程度の力しか込められていないのに、動けない。
 今、外部との接触を、厭われた――。
 未だにコール音が鳴り響く中、ユリウスはアリシアの手の甲を指先でつうっとなでる。思考が止まりそうな彼女に、真実を与えながら。
「自国の王子が明らかに懇意にしている女性に言い寄るなんて、できないでしょう? たまに、なりふり構わない男もいるけど」
 アリシアの脳裏に、講義終わりに声をかけてきた男性の姿がよぎる。
(まさか、あの人も――?)
 ユリウスではなく、自分に話しかけようとしたのだとしたら。それを、ユリウスが遮って、聞こえていないふりをして笑顔で拒絶したのだとしたら。
 人がたくさんいる大学内でもぴったりと寄り添って歩く、彼のいつもの行動が持つ意味も大きく変わってくる。ただ人懐っこい、無邪気なだけの男の子だったのは昔の話なのだ。
(ユリウスが、私を独り占めするために人を遠ざけてた……? 一体、いつから……)
 日常が、少しずつおかしくなっていく感覚。窓から差し込んでいた陽は陰り、室内が薄暗くなる。
(待って……どうして、今になってそれを? なにか、しようとしてるんじゃ――)
 ぞくりと、寒気がした。
(一線を超えちゃいけないって、ちゃんとわかってる?)
 彼の青い瞳、その中心でいつになく拡がった瞳孔。それは、浅瀬に深い深い穴が空いたような――まるで、海の怪物の寝床のような暗い円だった。奥底に、何か得体の知れないものが、いる。
(……あ、駄目だ、手に負えない)
 ユリウスが抱く気持ちの種類も、大きさも計り知れない。彼のことは、自分の家族と同じくらい深く理解していたつもりだったのに、どう対応すべきかわからない。
(クロード……)
 話を聞いてくれるだけでもいい。彼に助けてほしかった。
 アリシアは鳴り続けるスマホを握りしめ、いやに優しく囚われた右手を引き抜いて立ち上がる。うわずりそうな声で言い訳をしながら。
「何か、言わないと……怪しまれる、から……」
 きっと、義兄へすがる気持ちを、隠し切れていなかった。
 聡い彼は、こちらを見上げて、自分よりずっと泣き出しそうな顔で目を見張っていた。
(あ……っ)
 ユリウスにそんな表情をさせたショックと混乱で、たまらず逃げ出す。
「ッ、待って……!」
「……!」
 あっけなく肩をつかまれ、そばにあったソファへと押し倒される。背中に手を回されており、さほど衝撃はなかったが、覆いかぶさってきたユリウスはひどく取り乱していた。
「あ、ぁあ……いやだ、行かないで……! 誰の、ところにも」
 なにをそんなに、恐れることがあるのだろうか。
 彼は熱に浮かされた様子で、アリシアの頬、そして唇をなでる。
「オレが、あげるから。魔力も、気持ちいいのも。ねぇ、いっぱいキスして、わけがわからなくなっちゃうの、好きでしょう……っ?」
 目眩がしそうだった。このままでは危険だ――。
 アリシアは、彼から目を離さないまま、落としかけたスマホを持ち直し、画面に表示され続けている応答ボタンへ指を滑らせた。
 すぐに、スピーカーからクロードの張り詰めた声が響く。
『アリシア――? 無事なのか?』
 ユリウスの喉の奥で、空気と一緒に絶望を飲んだような喘鳴がした。

 助けて。
 アリシアは、その言葉を飲み込んで。
 スマホから離した左手を、ユリウスの背中に添えた。

「……うん。大丈夫」
 それから、抱き寄せて、右手で彼の頭をなでながら言い聞かせた。どうか壊れませんようにという願いを込めて。
「大丈夫、だよ……」
 今でも戸惑いはある。けれど、自分が信じていた無邪気な“ユリウス”でなくても、ずっと優しくしてくれたことに変わりはないから――。腕の中で小さく震える彼から、その身を蝕む恐怖を取り除いてあげたいと思った。
 クロードは、しばらくの沈黙のあと、訝しげにしながらもアリシアの意向を汲んだ。
『……そうか。なら、いい。何かあったら連絡しろよ。すぐ迎えに行く』
「うん。ありがとう」
 数秒、こちらが切るのを待っていたのであろう間が空いてから通話が終了する。
 ユリウスから手を離す。ゆっくりと顔を上げた彼は、一転して幸せの境地にいるような面持ちをのぞかせた。
「ぁ、はは、いいの……? 本当に?」
(ああ……)
 失敗したかな、と、アリシアは無言のまま諦念を抱く。
 ユリウスの手が、少しずつゆっくりと。彼女の頬、唇、首、鎖骨、胸――下へ、下へと、なで下ろす。
「どこまで、受け入れてくれる――?」
 今まで見たこともない、蠱惑的な微笑み。
 うっとりとした声が、鼓膜を揺らして体の芯まで染み込んだ。
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