心が担げば鸞と舞う桜吹雪

古ノ人四月

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第八話 六

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 深さのわりに水量が少なすぎる川に沿うように耕された土地を避けて進めば、小さな村があった。世帯は二十ほど。ヒヒンと鳴く馬に、モオと鳴く牛、雑草が生い茂る古ぼけた井戸に、咳き込む村人たちの余所者を警戒する視線。鼻と口を布で覆った守備隊長は、青毛の馬から降り、迷うことなく馬小屋に隣接した家の扉を叩いた。

「なんだい……、あん? あんたは……」
「ご無沙汰しております。帝都の者です」

 白髪の婆に守備隊長は頭を下げた。繰り返し補修したのか、ところどころ色と柄が違うよれた着物を着ている。婆は、しわしわの瞼を上げ、睨むように顔を見定めてきた。

「……けっ、いま一番見たくない顔だね」
「その節は……」
「なんの用だい? あの子にまでなんかあったら、ただじゃおかないよ」

 腰は曲がっているのに腹の奥底から声が出ているような圧がある。変わらない威勢に胸がほっとした。

「やはり、百位様はあのときの」
「なんだいいまさら。だから連れていったんだろうがい」
「いえ、自分は女帝選抜には加わっていなかったもので。気づきませんでした」
「はっ、餓鬼の成長は早いからね。八年もありゃ、面影も変わるさ。で? あの子は元気かい?」
「はい、帝都を走り回って衛兵を困らせる程度には」
「そりゃいい」

 婆がゲラゲラと歯を欠いた歯茎を見せびらかす。

「それで……、こちら、病にかかった方が……」

 婆は不服そうにしわだらけの顔を歪める。

「……そうだね。二週前くらいかね。町へ売りに出たあんちゃんが最初だね。医者を呼びはしたが、町で手一杯みたいだ」
「そうですか。実は、帝都のほうで薬が作られました。効果は保証します。なので、村人の皆様を集めていただきたいのですが」
「薬だぁ?」

 しわしわの瞼がぐいっと開かれ、顎をしゃくらせながら訝しげに顔を眺められる。

「なに企んでんだい」
「いえ、故郷を心配しながらの婚活は落ち着かないだろうと、帝位様のご配慮です」
「帝位? 何位だい」
「二位様です」
「ふたい……」

 婆は目を細めると口の中をくちゅくちゅと鳴らした。

「あの愛想悪い糞餓鬼かね」
「……糞はおやめください」
「あの糞野郎にはあの子はやらんよ」
「それは当人が決めることで……糞はおやめください」
「けっ、次、顔見たらウンコ投げてやるって言っといてくれ」
「……ウンコはおやめください」
「んなら肥溜めに沈めてやる」
「……自分が飛び込みますゆえ、それでご容赦を」

 ちっと舌打ちされる。娘と祖母、気が強いところがそっくりだと思う。
 そして、母にも。
 婆は小さく呟く。「助かるよ」と。

 その呟きに、両肩が圧し潰される。
 ――助けられなかったのに。

「……むしろ、向き合うのはあまりにも遅かったかもしれません。帝都に籠っていれば、絶対に、あのときの恨みからは逃げられると、そう、内心で、考えていましたから。忘れるようにしていました。だから最初、百位様のこと、わからなかった。こんな無礼、ありえませんよ」

 甲冑で守っている肩が落ちる。婆の使い古された腰のほうが、よりたくさんの重荷を背負っている。抱えられなくて選んだ道が、守備隊長だった。

 婆はわざとらしく大きな溜息を吐き出した。

「あんたのこと、嫌いだね。あの帝位の餓鬼も。嫌いだけどね、恨んではいないさ。あんたは仕事をこなした。おかげで、都は守られた。あれしか選択肢が無かったのは、認めたくないが、納得してるさ。だから、あんた、自分で自分を傷つける必要はなかったさね」

 鼓膜に甦った地崩れを起こすほどの土砂降りの雨音に、空を見上げた。灰色の空は山の向こうで、まだ雨の気配は感じない。

「八十四」

 この世で最も嫌いな数字が口から飛び出した。

「二年で、八十四人」

 数字に意味を与えれば、腹を切るべきだと確信できる。

「百位様は八十五人目」

 つくづく思う。もし、この世で最も嫌いな数字が八十五であったなら、自分はどうなっていたのかと。

「やめな」

 叩き斬るような声音に、まだ生きている実感を再認識させられる。

「責任感じるなら、精一杯生きろ。生きて、守りな。救えなかったぶん、その命、燃やせ。平和なんて永遠にありえない。だから、体張れる男が必要なんだよ」

 婆の言葉には、頷かせてくる信念を感じた。
 間違ってはいなかった。正解でもない。進むべき道が見えない。
 それを教えてくれるような気がした。

 裾の短い着物一枚で、帝都を駆け回ったあの姿に。

「……すみません、長話を。そう、お爺様はどちらへ? 挨拶をさせていただきたいのですが」
「…………」

 婆は無言で玄関への道を譲った。
 意図がわからないまま、玄関を進んだ。
 埃が舞って、カビが生えて、端に蜘蛛の巣がある。
 やけに、し尿の臭いがツンとした。

 なんと伝えれば良いのか、考えられるだろうか。
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